The Limelighters / The Rockets / The Teeners / The Four Blades

1955年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・ブロンクス
Eugene Tompkins(tenor)・Sammy Fain(tenor)・William 'Dutch' Nadel(tenor)
Henry Gunter(baritone)・Otis Anthony 'Tony' Streeter(bass)・Arthur Crier(bass)

The Rockets
■Long tall Sally(EP盤・Prom-715)56.
■Church bells may ring(EP盤・Prom-716)56.
The Teeners
■I want you to be my girl(EP盤・Prom-715)56.
■Little girl of mine(EP盤・Prom-716)56.
The Four Blades
■I want you to be my girl(EP盤・Big 4 Hits-190)56.
■The magic touch・Long tall Sally(EP盤・4 Hits-335)56.
■I want you to be my girl・Can you find it in your heart(Art Rouse)(Gateway-1170)56.
■Church bells may ring・Stardust(artist 不明)(Gateway-1174)56.
The Limelighters
■Cabin hideaway・My sweet Norma Lee(Josie-795)56.06
LP
■The magic touch・Speedo 収録(オムニバス・Today's Items-1910)56
■I want you to be my girl・Little girl of mine・R-O-C-K 収録(オムニバス・Today's Items-1911)56
■Church bells may ring・Long tall Sally 収録(オムニバス・Today's Items-1912)56
■The Limelighters(Fryer-1000)80.

The Limelighters
45s My sweet 
Norma Lee
Josie-795
1956年

The LimelightersはThe Crickets・The Chords・The Wrensらと同じモリサニア地区(ブロンクス・ニューヨーク)の出身である。54年、Eugene TompkinsはThe Royal Tones Tones(Leo Macedon・Henry Wilkerson・Robert Carrらが在籍・のちに Robert and Johnny というデュオになる)のメンバーであった。このグループは Atlanticの副社長Jerry Wexlerと契約交渉を行い、レコーディング・セッションの機会を得たが、Leo Macedonの母親の猛反対にあい契約は不成立に終わりまもなく解散する。Eugene Tompkinsは、ワシントンアベニューで知り合ったSammy Fain・Henry GunterとともにThe Clefs というトリオを結成した。グループはプロスペクトアベニューにある店で、35セントの自費レコードを作ったりしていた。間もなく、William Nadel・Otis Anthony Streeterが加入し5人編成となったグループはThe Limelightersと改名した。当時の流行は「鳥」の名前(バードグループと呼ばれる)や「車」の名前をつけることだったが、The LimelightersはHenry Gunterが命名した。彼はその頃、靴屋で働いたが、ある靴箱に書かれていたのがLimelightersだったという。グループのお気に入りは、The Chords・The Flamingos・The Five Keysらであった。メンバーは得意なバラードを中心に練習した。面白い事にレコーディングではその多くがジャンプナンバーになる。地元のMorris High Schoolでタレントショーが開催され、優勝者にはレコーディングの機会が与えられることを知ったEugene Tompkinsは出場に応募する。多数の近所のグループ達が参加し、Ruth McFadden(のちにEugene Tompkinsと結婚する)ともこの場で出会っている。出場の直前にOtis Anthony Streeterは舞台で全く踊れないことがわかり、The WrensのGeorge Magnezidの紹介でArthur Crierが同時に出場することとなった。グループは舞台で「縄投げ」のパフォーマンスを含めた歌を披露し優勝を果たす。やがてBuddy Dunk(レコード店オーナー)と出会いマネージャに就任した。Buddy DunkはBuddy Walker(のちにグループのディレクターを担当する)に紹介、また知人のMaurice Wolsky(Today's Itemsオーナー)と交渉してセッションを決めた。56年3月、The magic touch・Long tall Sally・I want you to be my girl・Church bells may ring・Little girl of mine・Speedoo・R-o-c-kをレコーディングした。R-o-c-kはBill Haleyのヒット曲だったが、この時にメンバーが歌詞を知らなかった唯一の曲で、幸いにもOtis Anthony Streeterだけが歌詞を知っていたため、急遽バリトンだったHenry Gunterがベースを担当するといったこともあった。このセッションはBuddy Lucas Orchestraが参加し、午前10から始まったが、予定の午前1時になってもまだ終わらなかったため、翌日はメンバーは学校(Dutch Nadelはすでに卒業している)へ出席しながらも、引き続き行われた。マスターテープによると、当日は彼らのオリジナルCabin hideaway・My sweet Norma Leeも収録されている。ともにSammy Fainの作品である。My sweet Norma LeeではEugene Tompkinsの声にエフェクト処理を施し、デュエット風にアレンジされている。この2つの歌がJubileeに売られ、56年5月にJosieからThe Limelightersとしてリリースされた。The LimelightersはLP・EP・シングルでThe Rockets・The Teeners・The Four Blades・The Four Angelsなど様々なグループ名を用いレコーディングを行っており、これら全てが56年に9枚のシングルとしてMaurice WolskyによりToday's Items以外からもリリースされている。そのうちThe Four AngelsはToday's Itemsから3枚のLPがリリースされており、7曲のThe Limelightersのメンバーによる作品が収録されたが、これら以外は全く別グループの作品となっている。さらに4 Hits(Montgomery Delaney・Frank Gould設立・ニューヨーク)からリリースされたEPにはThe magic touch・Long tall Sallyが収録されたが、グループ名はクレジットされていない。Prom(Henry Lapidus設立・ニュアーク・ニュージャージャジー州)からも2枚のEPがリリースされている。Long tall SallyとI want you to be my girlは、当初The Teenersとしてリリースされ、のちにThe Rocketsとしても広告がうたれている。Church bells may ringもThe Rockers、Little girl of mineがThe Teenersとしてリリースされている。ほかにもBig 4 Hits(シンシナティ)からもI want you to be my girlがEPに収録されているが、こちらはThe Four Bladesというクレジットである。Gateway(シンシナティ)からは、I want you to be my girl(The Limelighters)とChurch bells may ring(別グループの作品)がカップリングされThe Four Bladesとして再発リリースした。JosieからはMy sweet Norma Lee(B面はCabin hideaway)が56年5月にリリースされる。」など混迷を極めている。Buddy DunkはDouglas 'Jocko' Henderson(フィラデルフィアのDJ)とは旧知であった。56年4月に彼はニューヨークのWOVへ入社することとなる。Buddy DunkはThe Limelightersを彼の番組にゲストとして出演させてた。これはJosieからのリリースと連動し、販売促進に大役を果たす事となった。この頃The Limelightersは、Buddy Dunkのレコード店でアカペラによるデモ演奏を行った。この時に歌われたのがTalking to myself(Buddy Walker作)で、Eugene Tompkinsがリードをとった作品は25年間リリースされなかったが、80年にリリースされたのアルバムで初登場した。56年の終わりにBuddy Dunkは、Rama・Geeのマスターを買収し、Don Carter(RamaのA&R担当)とともにThe LimelightersのDreams・Love conquers allを製作した。Love conquers allは、88年にMurray HillからリリースされたアルバムDance With Meに収録されている。Don Carterはこの買収にともないGeorge Goldnerとの関係を断ち、Don RobeyとともにBackbeatを設立する。57年、Otis Anthony Streeterが入隊し、The Limelightersの唯一のメンバーチェンジが行われ、Willie Williams(ベース)が加入した。Buddy DunkはThe Rob Roysもマネージメントするようになり、この両グループは57年にBackbeatでレコーディングを行った。The Rob RoysはTell me whyを、The LimelightersはI owe my life to you・Tangiersを収録し、Backbeat最初のグループとして予定された。収録されたマスターがBackbeatに送られたが、Don RobeyはTangiersの歌詞の変更を求め、それが仕上がるまでこのテープは未発表となってしまう。そしてもう1つの未発表となるセッションが行われた。Don Carter・Don Robeyは新たにPetを設立している。このときにThe Limelightersの未発表テープを、210ドルでグループに売ろうと申し出たという。The Limelightersは大きな会場での出演は経験していない。アポロ劇場でのアマチュアナイトなどには出演していないが、Audubon Ballroom(Buddy Walker・Diahann Carrollらと共演)やRockland Palaceがグループの出演会場であった。59年、Henry Gunterは大学に入学し、Sammy Fainはゴスペルに転向した。Eugene Tompkinsは警備員として働いたが、80年にグループを再結成し、The Chordsらとステージに立っている。同年、Eugene Tompkinsは自身のFlyerを設立し、7曲のカバーや再録を含んだアルバムThe Limelightersをリリースした。83年にEugene TompkinsはLillian Leach・Arthur Crier・Gary MorrisonとともにThe Mellowsのメンバーとなっている。その後、Eugene TompkinsとSammy FainはThe Morrisania Revue(Dean Barlow・Lillian Leach・Arthur Crier・Bobby Mansfield・Waldo Champenがメンバー)に加入した。Eugene Tompkinsはアトランタへ移住し、Yesterday's Memories(レコード店)を経営するかたわら、オールディーズラジオショーの司会を務めている。Henry Gunterは80代の終わりに死去、Dutch NadelはOtis Anthony Streeterとともにブロンクスに在住、Willie Williamsは所在不明である。