The Crickets / The Bachelors / The Montreys

1951年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・ブロンクス
Grover Barlow(lead)・Harold Johnson(tenor・guiter)・Eugene Stapleton(tenor)・Leon Carter(baritone)・Rodney Jackson(bass)

The Crickets
■You're mine・Milk and gin(MGM-11428)53.02
■For you I have eyes・I'll cry no more(MGM-11507)53.06
■Dreams and wishes・When I met you(Jay Dee-777)53.07
■I'm not the one you love・Fine as wine(Jay Dee-781)53.09
■I'm going to live my life alone・Man from the moon(Jay Dee-795)54.10
■Be faithful・Sleepy little cowboy(The Deep river boys)(Beacon-104)54.11
■I'm going to live my life alone・Man from the moon(Davis-459)57.09
■Be faithful・I'm not the one you love(Beacon-555)63.(original tracks with overdubbed music)
■Changing partners・Your love(Jay Dee-785)53.12
■Just you・My little baby's shoes(Jay Dee-786)54.01
■Are you looking for a sweetheart・Never give up hope(Jay Dee-789)54.02
The Bachelors
■I want to know about love・Dolores(Earl-101)56.
■Baby・Tell me now(Earl-102)56.
The Montreys
■Dearest one・Through the years(Onyx-513)57.08
■Angel・Tell me why(Onyx-517・未発表)

The Crickets
LP The Crickets
Jay-Dee 5040
1992年

Jay-Deeに残されたマスターから17曲が収録されています。1992年にRelicレコードからリリースされたLP盤です。

51年にモリサニア(ブロンクス)で結成された。メンバーはHarold Johnson・Eugene Stapleton・Leon Carter・Rodney Jacksonの4人で、Forest House Community Centerなどから活動を始めた。間もなく Grover Barlow(のちに'Dean'という愛称がメンバーによって付けられる)がリードシンガーとして加入する。彼はデトロイト出身で、メンバーの中では最年少(16歳)であった。ちなみにHarold Johnsonが最年長(21歳)である。レコーディングを経験する前のアマチュア時代にRodney Jacksonは約6カ月間の入院をしている。メンバーは毎週日曜日に彼を見舞い、ベッドの周りをとりかこみ歌の練習をしたという。彼の退院を待ち、積極的に活動を開始することとなる。グループはスタンダードやオリジナル(Harold Johnsonが作曲を担当)をレパートリーとし、The Orioles・The Swallows・The Four Buddiesなどがお気に入りだったが、ステージではもっぱらThe Ravensのカバーが中心となった。間もなくCliff Martinezと出会う。彼はThe Crows・The Sparks of Rhythm・The Pretenders・The Mello-Tones(Decca)などを手掛けていた人物であった。Cliff MartinezはグループをJoe Davisに紹介した。Joe Davisは20年代に、マネージャー・出版・ボーカリストとして活躍して来た人物。彼に会う直前にグループはThe Cricketsと改名し、オーディションに合格。即座に契約を交わした。ちなみに、Buddy Hollyが飛行機事故(59年7月17日)で他界する直前Joe Davisは、Brunswick・The Cricketsの両方から多額の和解金を勝ち取っている。自身の所有するThe Cricketsの名前を使うことに対する使用料という名目だった。52年12月2日、You're mine・Milk and gin・For you I have eyes・I'll cry no moreをレコーディングしたが、Joe DavisはこのマスターをMGMにリースする。The CricketsはJay-DeeだけでなくMGMとも契約することとなった。ちなみにJoe Davisのこのやり方はThe Blendersにも適用されている。53年2月、MGMからYou're mineがリリースされ、これがグループのデビューシングルとなる。このシングルは2月28日にYes it's you(The Clovers)・Lonely wine(Sonny Til)・Lost child(Lavern Baker)らとともにレビューされた。You're mineは、全米R&Bチャート第10位に1週間だけであったが登場し、他にもローカルヒットとしてヒットした。53年3月のキャッシュボックス誌でのニューヨークR&Bチャートでは第8位となり、3月14日にはニューヨークで最もホットな曲と評価された。翌週には、フィラデルフィア・ワシントン・バルチモア・ニューヨーク・シカゴでのセールスが躍進、バッファロー・シンシナティでも順調に売れ続けているとレポートされているYou're mineリリース直後にプロモーションツアー用の写真撮影をHarold Johnsonの家で行っている。ちなみにこの時の写真の1枚にHarold Johnsonの飼っている猫が写っている。The Cricketsはワンナイト・パッケージツアーのあとの53年7月3日にRuth Brown・Moms Mabley・Sonny Stitt・Spo-Dee-Odeeらとともにアポロ劇場に出演を果たす。ロイヤル劇場(バルチモア)に出演した時にはGeorge Nelson(The Oriolesのメンバー)の家に宿泊したという。バージニア公演に次いでのピッツバーグでは、出演予定だったFats Dominoが、彼のバンドと口論しツアーから去ってしまうという出来事があった。また、Baby Grandで行なわれたNipsey Russellが司会者をつとめたショウがCarnegie Club(クリーブランド)で開催された時にはThe Spanielsに会っている。当時の多くのグループそうであったように、The Cricketsのメンバーが受け取った唯一の金は出演料だったが、それさえも彼らに届く前にそのほとんどが姿を消していた。というのもこの当時ほとんどのグループは1つだけの衣装しか持たなかったが、The Cricketsは8つほど持っており、この衣装代に支払われたようである。グループがツアーを終えたるのを待ち、Joe Davisはセッションを開始した。53年4月24日に、I'm going to live Mmy life alone(Joe Davis作)・The man from the moon(The Five Crownsのヒット)・When I met you・Dreams and wishes・I'm not the one you love・Fine as wine・Be faithfulの少なくとも7曲が収録された。これらはMGM用ではなく、独立したセッションとして行われた。53年6月、MGMは2枚目シングルFor you I have eyesをリリース、6月6日にBaby don't turn your back on me(Lloyd Price)・I found out(The Du Droppers)・Fifty million women(The Carols)・My inspiration(The Four Plaid Throats)らとともにレビューされ、2週間(6月20日)にはPick of the Weekで紹介されている。The Cricketsが成功したことで、Joe DavisはMGMのリリースから数カ月後に、自身のJay-Deeを始めことにし、MGMとの契約を打ち切った。The Blendersも同様にJay-Deeに所属させている。Jay-Deeからの最初のシングルWhen I met youは53年7月にリリースされたが、これはMGMのリリースからわずか1ケ月後であることから、すでに新レーベル設立は準備していたと考えられる。When I met youは8月1日に、Rent man blues(Mercy Dee)・This is it(The Treniers)・ Black diamond(Mr. Sad Head)・Married woman(Floyd Dixon)とともに取り上げられ、excellent(優秀)と評価された。9月、I'm not the one you loveをリリース、10月3日にIn the mission of st. Augustine(The Orioles)・Who'll be the fool(The Ravens)・Marie(The Four Tunes)・TV is the thing(Dinah Washington)らとレビューされた。多くのレコード会社のオーナーと同じようにJoe Davisも、自社で最も成功したグループのリードボーカリストにソロとしてのレコーディングを望み、53年秋、Grover BarlowにThe Cricketsから独立するよう説得した。Grover Barlowはこれに対し、The Cricketsを一旦解散し、新しいメンバーでの再結成へと向かった。Grover BarlowがThe Cricketsの名前の所有権を持っていたからであった。友人たちを集めた2番目のThe Cricketsには、Robert Bynum(ファーストテナー)・William Lindsay(セカンドテナー)・Joe 'Ditto' Dias(ベース)が参加している。53年11月(12月と記す資料もある)、新メンバーでYour love・Changing partners・My little baby's shoes・Just youを収録し、Your loveが12月にリリースされた。このシングルは54年1月9日にQuiet whiskey(Wynonie Harris)・Lonely star(Bill Robinson & The Quails)・Love only you(The Meadowlarks)とともにレビューされ、1月30日に、Changing partnersがPick of the Weekに取り上げられた。続けて54年1月にはJust youをリリースしたが、こちらはまったくヒットしなかった。メンバーの何人かがこの頃婚約し、次のセッションが行われるころにはRobert Bynum・Joe Diasがグループを去ってしまった。William Lindsayは友人のBobby Spencer(バリトン)・Freddy Barksdale(ベース)を加入させ、グループの存続をはかった。この2人は元The Velvetones(レコーディングは行っていない)のメンバーで、他にはDave McPhatter(テナー)・J.R. Bailey(Freddy Barksdale の異母兄弟)である。3番目のThe Cricketsは、Grover Barlowの父親(魚店を営む)の家の奥の部屋で練習をくり返したという。54年1月、レコーディングセッションを行い、Are you looking for a sweetheart・Never give up hopeを収録、2月初旬にリリースされたこのシングルは、2月13日にLet me come home baby(Lloyd Price)・Will you be true(The Vocaleers)・The beating of my heart(The Charmers)らとレビューされた。一方、2番目のグループによるJust you(リリースは1月)が3月27日にGoodnight, sweetheart, goodnight(The Spaniels)・Someday sweetheart(The Five Keys)・Always(The Tempo Toppers)・Make love to me(Zola Taylor・The Plattersの女性シンガー)・Goofy dust(Little Willie Littlefield)・I'm a young rooster(Leon D. Tarver & The Chordones)とともにレビューされていた。54年11月、Joe DavisはBeacon(彼が40年代に設立していた)を復活させ、ここからThe CricketsのBe faithful(B面はSleepy little cowboy・The Deep River Boysの51年12月のヒットを収録)をリリースした。Be faithfulは12月4日に、Annie's answer(Hazel McCollum & The El Dorados)・My sentimental heart(The Cashmeres)・Chicken strut(Todd Rhodes)とレビューに取り上げられた。The Cricketsは55年2月のバルチモア・ワシントン公演までのおよそ1年間活動を続けたが、Grover BarlowはDean Barlow(Joe Davisは、Groverは売れるような名前だとは思わず、彼の母親の旧姓であるDeanを選んだ)という名前のソロシンガーとしてI'll string along with youをレコーディングし、リリースした。にもかかわらず、その後もともにいくつかのショウを行ったという記録が残っている。Freddy BarksdaleはJ.R. Baileyと再会し、彼のグループThe New Yorkers Fiveに参加した。メンバーは Johnny Darren(セカンドテナー)・Shelly Dupont(バリトン)・Rocky Smith(リード)で、55年後半に DaniceからGloria my darlingをリリースしている。この後、Freddy Barksdaleは、Pat Gaston(ベース)に代わってThe Solitairesに加入した。William Lindsayは、Dean BarlowのグループThe Bachelors(Earl)に加入する。メンバーは、Billy Baines(ベース)・Ed 'Sonny' Norton(テナー)・Waldo Champen(テナー)である。Waldo ChampenはChamp Rollowとして知られ、The Wrensのオリジナルメンバーで、のちにThe Chimes・The Starlings・The Twilighters・The Supremesなどに参加し、William Lindsay・J.R. Bailey・Bobby SpencerとともにThe Cadillacsにも加入したシンガーである。56年、The BachelorsはEarl(Tommy 'Dr. Jive' Smalls・Sammy Lowe設立)からI want to know about loveとBabyの2枚のシングルをリリースした。このグループは公演はまったく行わず、57年早くにOnyx(Jerry Winston設立)で4曲をレコーディングしたのちThe Montereysに改名した。Onyxからは57年8月にDearest oneがリリースされ、9月9日に、Keep a-knockin(Little Richard)・When I come home(The Del Vikings)・Swanee river rock(Ray Charles)・Ca-sandra(The Mello-Tones)・Reet petite(Jackie Wilson)・Lenora(The Travelers)とともにレビューされた。このシングルはローカルヒットを記録し、翌9月にはI'm going to live my life aloneが再発された。The Montereysの2枚目のシングルとしてAngel(B面はTell me why)がOnyx-517として準備されていたが、なぜか発売が中止された。これがDean Barlowのグループとしての最後のレコードである。59年にJoe Davisは、BeaconでのDean Barlowの旧譜You're mineのリメイク(Arthur CrierのThe Halosがバッキングで参加している)をソロとしてU.T.からリリースしようとしたが、著作出版権を所有したJoe Davisがこれに対し発売の中止を申し出たことで、こちらもリリースされなかった。現在ではこのシングルは極めて少数しか残っていない。LescayからはThird window from the rightをリリースし、好評を得た。The MontereysはSeven Arts・Rustからもリリースを行った。Joe Davisは63年にThe Cricketsとしての最後のシングルBe faithfulをリリースした。これらにはオーバーダブ処理がなされている。67年、George Treadwell(The Driftersのマネージャー)は、Dean Barlow・Joe Duncan(元The Vocaleers)を含めたグループを結成させ、新しいThe Driftersを作ろうとしていた。グループはThe Driftersの主な曲のリハーサルをすすめていたが、George Treadwellの急死により話が頓挫してしまう。The Cricketsの元メンバーは、解散後もニューヨークのR&B界で仕事を続けた。Harold JohnsonはThe Mellows・The Halosに加入、Bobby SpencerはThe Five Chimes・The Cadillacs・The Harptones・The Peals・The Chords・The Crystals(Gone)に加入、Freddy BarksdaleはThe New Yorkers Five・The Solitaires・The Cadillacs・The Starlings・The Twilighters に加入、William LindsayはThe Cadillacs(MGM)に加入、'Ditto' DiasはThe Chordsに加入した。Grover 'Dean' Barlowは、引退後の75年にウエスタン・ユニオンの部長という職についた。Rodney Jacksonは70年代に死去、Harold Jacksonもすでに死去している。90年代にDean Barlowは、Lillian Leach・Waldo 'Champ' Champen・Bobby Mansfield・Arthur Crier・Sammy Fain・Eugene TompkinsとともにThe Morrisania Revueを結成し、94年にVoicesというCDをリリースした。99年にThe CricketsはUGHAのHall Of Fameに選出された。