The Paragons

1956年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・ブルックリン
Julius McMccheal(lead・35.11.25~81.06.?)・Ben Frazier(tenor)・Donald Travis(tenor)
Ricky Johnson(baritone)・Al Brown(bass・34.05.22~)

■Frorence・Hey little schoolgirl(Winley-215)57
■Let's start all over again・Stick with me baby(Winley-220)57
■Two hearts are better than one・Give me love(Winley-223)57
■The vow of love・Twilight(Winley-227)58
■Darling I love you・Doll baby(Winley-236)59
■So you will know・Doll baby(Winley-228)60
■Blue velvet・Wedding bells(Musicraft-1102)60
■Just a memory・Kneel and pray(Winley-250)61
■If・Hey baby(Tap-500)61
■Begin the beguine・In the nidst of the night(Tap-503)61
■Time after time(MusicClef-3001)63
■Baby take my hand(MusicClef-3002)63
LP
■The Paragons meet The Jesters(Winlly-)

The Candles
45s The Paragons meet
The Jesters
Jubilee JGM-1098
1959年

LP War !
Winley LP-6003
1960年

Jubilee盤のジャケットはファンの間では有名なデザインです。写真上はボーナストラック満載で何度かCD化されました。個人的に大好きな一押しグループです。

The Jestersの兄弟グループといってもよいThe Paragonsは、素晴らしいテナーを持ったクィンテットである。ベッドフォードにあるジェファーソン高校の生徒が、56年に結成したグループが母体となった。メンバーは、Julius McMichael・Ben Frazier・Donald Travis・Rickey Jackson・Al Brown。当時は17~22歳で、のちに多くの作品を書くこととなる。57年にWinley(Paul Winley設立)と出会う。当時彼は、Hiram JohnsonがマネージメントしていたThe Dubsとの契約に躍起になっていたが、結局The Dubsとの契約には失敗した。彼はThe Jesters(このグループもWinleyに在籍している)のスタイルに似たグループを気に入り、契約することになった。そして名作Florence(Julius McMichael・Paul Winley共作)をレコーディングし、シングルでビューを果たす。地元から徐々に売れ行きを伸ばし、最終的には数十万枚のセールスとなっり、その年のオンエアーナンバーワンと評判になり、ニューヨークR&Bのクラシックとなった。裏面には(Winleyのおきまりの手法で)秀れたジャンプナンバーHey little schoolgirlが収録されている。57年の夏にLet's start all over againもまたヒットした。Florenceタイプの面白いスタイルを持った曲であった。続いてTwo hearts are better than one、Twilightとリリースしてスターへの道を進んでいった。この頃には、フィラデルフィアのWhite Horse Roller(スケートリンク)からニューヨークのアポロ劇場までと様々な場所で、同じレーベル仲間のThe Jestersとともに出演している。この頃にBill Witt(元The Rocketones・MexicoのヒットをMelbaからリリースしている)が新たに加入している。グループ最高の(あるいはコレクターが今も探し求める)シングルSo you will knowがグループの5枚目として60年にリリース。単純な2音のピアノの繰り返しにのって歌われたこの曲は、Bill Wittが素晴しいリードをとったが、セールス的には失敗、レーベルのプロモーション不足が大きな原因だといわれている。WinleyからThe Paragons meet The Jestersというアルバムをリリース。当時盛んに行われていた劇場でのスタイル(Battle of the Groupsと呼ばれた)をレコード上で再現したこの企画は、その後のひとつのアルバムスタイルとして定着することになり、年間で10万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなった。59年にソロシンガーTommy CollinsのDoll babyのバッキングに参加ののち、60年にJulius McMichaelがグループを去り、Alan Mooreが加入している。Julius McMichaelはのちにThe Olympicsに加入している。グループはMusicraft(Andy Leonetti設立)へ移籍し、Blue velvetをリリース、多くの都市でオンエアされ、ポップチャート第103位に、61年にはIfが第82位と悪くない出だしとなった。続けて、Begin the beguine(Cole Porterのカバー)やTime after time(Sammy Cahn・Julie Styneのカバー)などのスタンダードナンバーをリリースしたが、ニューヨークでの評判は芳しくなかった。同じ61年にWinleyはさらなるThe ParagonsのシングルJust a memoryをリリース。ラベルにはMack Starr and The Paragonsと記されていた(Mack StarrはJulius McMichaelの別名)。64年には、Alan Moore(リード)・Ernest Burnside(テナー)・Glen Mosley(テナー)・Joseph Pitts(バリトン)というメンバーで、Bill Wittが70年代に復帰するまでメンバーチェンジなしに続いた。80年代中頃、Ray Neal(リード・元The Exploits・Fargo)・John Epps(テナー・元The Chips・Rubber BiscuitをJosieからリリース)・Robert Honey(テナー・元The Tokens・Doom LangをGaryからリリース)・Teddy Olds(バリトン・The Tokens)らによって新たに結成され、The Paragonsとして新しいシングルを、結成から21年目にStarlightからFlorence・Blue Velvetteをリリースした。Julius McMichaelはカリフォルニアに移り、The Olympicsに加入したがにオートバイ事故で死亡している。