The Magnificents

1953年・イリノイ州・シカゴ
Johnny Keyes(lead)・Thurman Ray Ramsey(tenor)・Fred Rakeshaw(tenor)・Willie Myles(bass)

■Up on the mountain・Why did she go ?(VeeJay-183)56
■Caddy bo・Hiccup(VeeJay-208)56
■Off the mountain・Lost lover(VeeJay-235)56
■Ozeta・Don't leave me(VeeJay-291)58
■Up on the mountain・Let's do the cha cha(VeeJay-367)60

The Magnificents
LP Crazy little mama
Vee-Jay 1001
1960年

EldoradosのLPだけどこのお皿にゲスト出演しています。

彼らの才能に反して非常に不幸な経歴をもったグループの一つともいえる。ハイドパーク高校(白人が多かった)の学生が結成したThe Tams(60年代にABCに在籍していたグループではない)が母体となった。グループはお気に入りだったThe Harptones・The Moonglows・The Penguins・The El Doradosらの歌をカバーしながら、タレントショーやバラエティショーに出演している。Nathaniel Montague(WNAFのDJ・The Magnificent Montagueと名乗っていた)は、彼らを気に入りマネジャーになる。同時にグループ名をThe Magnificentsに変えている。Nathaniel MontagueはグループをVee-Jayとの契約に成功させ、Up on the mountainでシングルデビューする。50年代のほとんどのDJが行った行為と異なり、この曲は実際にNathaniel Montagueが書いた作品だった。ちなみに、もともとNewborn squareという練習用の小作品だったが、Cal Carter(Vee-JayのA&R担当)が編曲し、56年の春、7分を超える歌となって、リリースされた。 6月までにはシカゴ中のラジオからオンエアされ、徐々に全国的な広がりを見せた。6月25日付のビルボード誌のベストバイで「ゆるやかだがこのレコードは徐々にチャートを上昇し、今まさにチャートインに迫っている。シンシナティでのチャートをはじめ、今やニューヨーク・ニューイングランド・フィラデルフィア・シカゴ・セントルイス・ピッツバーグで非常に良い売れ行きを示している」とレポートしている。この曲がシンシナティで第7位になった同じ週の、第8位はThe FIve SatinsのIn the still of the night、第6位はThe FlamingosのA kiss from your lipsであった。7月14日には、ナショナルジュークボックスチャート第14位・R&Bベストセラー第9位に届く大ヒットとなった。Nathaniel Montagueはしかし、この結果に満足せず、Thurman Ramseyを解雇し、L. C. Cooke(Sam Cookeの兄弟)とBarbara Arrington(唯一の女性メンバー)を加入させる。次のシングルCaddy boは、Barbara Arringtonのボーカルが、他のメンバーの力強い声とマッチしなかったためか、完全に失敗作となった。続くOff the mountainでは再びJohnny Keyesがリードのをとっている。Up on the mountainの二番煎じ的なこの作品もヒットしていない。Willie Mylesのベースもミキシングによってほとんど聞こえてこなかった。このようにNathaniel Montagueの執拗な干渉に嫌気のさしたグループは、彼とVee-Jayのもとを去っていった。Johnny Keyes・Fred Rakeshawの二人は、Reggie Gordon(テナー)・Rufus Hunter(ベース)を加え、新しいMagnificentsを結成。このグループは公演は行なったが、レコーディングはしていない。しかしグループは低迷、やがてReggie GordonはThe Raysに加入、Rufus HunterはThe Cameosへ加入する。残ったJohnny Keyes・Fred RakeshawはThurston Harrisとともに、58年I'm out to getchaをAladdinからリリースしている。一方、Vee-Jayはグループの名前をフルに利用するため、まったく別のMagnificentsを仕立て上げてDon't leave meをリリース、なかなかよい作品だったが、The MagnificentsというよりThe Prodigals(Abner)のように聞こえる。60年にはVee-Jayからさらに(前出とはまた別のMagnificents名義でUp on the mountainを再発している。62年にもThe Magnificents名義でDo you mindがCheckerからリリースされたが、Up on the mountainで聞かれた声とはまったく別のものだった。65年、Ray Ramseyは、Clarence Jasper・James PleasantsとともにThe Emeraldsを結成している。Richard Dixon(元The Dukays)がThe Magnificentsに加入したが、このグループもレコーディングはしていない。Johnny Keyesは多くのレコーディングセッションに参加し、音楽活動を続け、59年にReggie GordonとThe Shell BrothersとしてEndからShoom a dom domをリリースしている。68~70年にかけてJohnny KeyesはIsaac Hayesのロードマネジャーとなり、70年にToo weak to fight(Clarence Carterによりポップチャート第13位・Atlantic在籍)でミリオンセラー作家であることを世に知らしめた。