The Empires / The Prestos / The Whirlers / The Soul Rockers

1953年・ニューヨーク州・ニューヨーク
Les Cooper(tenor)・Johnny 'Buddy' Barnes(tenor)・Bobby Dunn(baritone)・William Goodman(bass)

The Empires
■Corn whiskey・My baby, my baby(Harlem-2325)54.
■Magic mirror(featuring Johnny Ace, Junior)・Make me or break me(Harlem-2333)55.04
■Somebody changed the lock(with Lightnin' Junior)・Ragged and hungry(Harlem-2334)55.05
■I want to know・Shirley(Wing-90023・配給は Mercury)55.08
■Tell me pretty baby・By the riverside(Wing-90050)55.12
■My first discovery・Don't touch my gal(Wing-90080)56.05
■Whispering heart・Linda(Whirin' Disc-104)56.12
The Prestos
■Looking for love ・'Til we meet again(Mercury-70747)55.11
The Whirlers
■Magic mirror・Tonight and forever(Whirin' Disc-108)57.05
■Magic mirror・Tonight and forever(Port-108・Whirlin' Disc からの再発)61.05
Les Cooper and The Soul Rockers
■Twistin' (one more time)・Dig yourself(Everlast-5016)61.
■Wiggle wobble・Dig yourself(Everlast-5019)62.
■Garbage can・Bossa Nova dance(Everlast-5023)63.
■Motor city・Swobblin'(Demension-1023)63.
■Owee baby・Let's do the Boston monkey(Enjoy-2024)65.
■Skating with Bill・Wahoo(Samar-114)66.
■Gonna have a lotta fun・Thank god for you(Atco-6644)69.
■The Hawk, part 1・The Hawk, part 2(Sussex-202)70.
Les and Gloria(Les Cooper & Gloria Ford)
■Twisting one more time・Peter piper(Enjoy-1011)6

The Empires
45s Corn whiskey
Harlem-2325
1954年

ハーレムから登場した数多くのR&Bグループのひとつである。Les Cooper・Johnny 'Buddy' Barnes(Les Cooperの甥にあたる)・William Goodman(Les Cooperの従兄弟にあたる)は40年代に ニューフォーク(ヴァージニア州)からニューヨークへ移住した。彼らはニューヨークで、同じく北カリフォルニアから移住して来たBobby Dunnに出会い、53年に、ポップス・ブルース・ゴスペルを一緒に歌いはじめた。4人ともに20歳になる前のローティーンであった。学校・クラブ・教会などで活動をはじめている。54年、やがてHarlem(Morty Shad設立・同年9月に発足したばかりだった)と契約した。「俺達のレコードを出してくれる会社を探していたら、Morty Shadに会ったんだ」とLes Cooperは話す。The Empiresの最初のシングルMy baby, my babyが54年の遅くにリリースされたが、レビューには取り上げられていない。しかし、レコードをリリースしたことで、Club Baby Grand(ハーレムとブルックリン)など(以前に比べて)ワンランク上の会場にも出演できるようになった。また、March Of Dimesと題されたツアーに参加し、Johnny Desmond・The Mills Brothers・Tony Bennett・The Cadillacsとともにボストンに向かった。The Empiresは、Rockland Palace・Audubon Ballroom・Club Baron(第131番街とLenox Avenueの131番街)・Central Ballroom(125番街)などが主な出演場所だった(アポロ劇場での公演は1度も行っていない)。55年4月、HarlemからMagic mirrorが、The Empires featuring Johnny Ace, Juniorというクレジットでリリースされる。Johnny Aceは、このリリースの数カ月前に25歳という若さで死亡した人気シンガーで、この人気にあやかってMorty ShadがJohn BarnesにJohnny Ace, Juniorという芸名をつけ、発売したものだった。実際のJohnny Aceに息子はいない。ちなみにThe Empiresはステージでは多くのJohnny Aceの歌を取り上げており、そのほとんどをJohn Barnesが歌っていた。Morty Shadはそういった経緯でこの名前をつけたといわれる。5月、Somebody changed the lock(Louis Jordan作・45年ヒットのリメイク・原題はSomebody done changed the lock on my door)がLightning Junior and the Empiresのクレジットでリリース、Lightning Juniorも、ベテランブルースマンのLightning Hopkinsとは関係なく、Champion Jack Dupreeのことである。なぜ、Morty ShadがThe Empiresのシングルをこういったクレジットでリリースしたのかは不明である。Somebody changed the lockは55年5月21日の週に、Let the doorbell ring(Champion Jack Dupree)・Henry's got flat feet(The Midnighters)・Come back to me(The Dappers)・God gave me you(Richard Berry)・This paradise(The Bel-Aires)・I like moonshine(The Five Owls)とともにレビューに取り上げられた。同じ5月にIt takes a lot of loveというシングルが、Bobby Sue and Her Freeloadersというクレジットでリリースされている。The Empiresのシングルではないかといわれているが、Les Cooperはこれを否定している。やがてMorty ShadはHarlemの経営に行き詰まり、レーベルを閉鎖するが、最後の1枚は、皮肉にもLightning Hopkins自身のシングルであった。The EmpiresはHarlemとの契約から解放され、より大きな会社を探しはじめる。Morty Shadの紹介でMercuryとの契約を成立させる。ここでA&Rを担当していたのが、Bob Shad(Morty Shadの兄弟)だった。The Empiresとの契約成立は55年8月27日に発表された。発表に先立って8月15日にはレコーディングが行われている。The Empiresの最初のシングルは、同月にWing(Mercuryの子会社)からのI want to knowがリリースされ、9月10日に、Starlite(The Moonglows)・Love only you(The Feathers)・So fine(The Sheiks)・Zindy lou(The Chimes)とともにレビューされた。この頃に、5人目のメンバーとして James Pender(テナー)が加入したが、わずか2カ月でグループを去っている。彼はグループとしてのレコーディングも行っていない。彼はThe Empiresが当時解散寸前だったことを知り、リードボーカルとしてグループに参加し、グループのサウンドを変えようと思いを抱いてグループに接近したシンガーである。次のリリースは、Mercuryから11月にリリースされた。この時にはすでに別のグループ名に変わっている。Looking for loveをThe Prestosという名前でリリースしたのである。これらは12月3日に、Ol' man river(Ruth Brown・The Driftersがバッキングで参加)・The chicken and the Hawk(Joe Turner)・I began to realize(The El Dorados)・Cold chills(The Sounds)・Bow wow(The Pyramids)らとレビューされている。55年12月13日、The PrestosはSmall's Paradise(ハーレムのナイトクラブ)のオープニングに出演する。共演は、Dean Barlow・The Four Fellows・Buddy and Ella Johnson・The Penguins・The Solitaires・Willis 'Gator Tail' Jacksonであった。このクラブは、Edwin Smallが所有していたが、経営に行きずまり一時閉鎖されたいたが、Tommy 'Dr. Jive' Smallsという人物が新オーナーとなり営業を再開したもので、この再オープンを記念しての公演だった。この公演には、Joe Davis(Jay-Dee)・Jerry Blaine(Jubilee・Josie)・Al Silver(Herald・Ember)・Hy & Sam Weiss(Old Town)・Ahmet Ertegun と Herb Abramson(Atlantic・Atco)・George Goldner(Gee・Rama)・Henry Glover(King・Federal)・Hy Siegel(Apollo)といったR&Bの主だったレーベルオーナーが来場した。Willie Mays・Roy Campanella(当時の有名な野球選手)らも出席している。同12月、再びWingからBy the riversideがリリースされ、56年1月28日に、No money down(Chuck Berry)・Why do fools fall in love(The Teenagers)・You broke the rules of love(The Five Keys)・Server another round(The Five Keys)・Rock 'n' roll call(The Four Tunes)・Heartbreaking moon(The Victorians)・Angel(The Orioles)・Calypso moon(The Marvellos)らとともにレビューされた。56年2月、Mercuryは「Wing は、全てR&B・R&Rを扱うものとし、Mercuryは純粋にポップスを生産するレーベルとする」と発表した。これは在籍したアーティストたちを少なからず困惑させた。この時Bob Shadは、WingのA&Rのトップに任命された。彼はすでにEmArcy(Mercuryのジャズ部門レーベル)のトップA&Rでもあった。Mercury在籍中にThe EmpiresはBuck Ram(The Plattersのマネージャー)と出会い、彼にマネージメントを一任し、56年4月に公表したが、この関係はあまり長くは続かなかった。「Buck Ramは、当時The PlattersやThe Penguinsであまりにも忙しかったんだ」とLes Cooperは語っている。やがてBuck RamはグループにMary Washingtonを加入させた。彼女はClub Paradise(モンテカルロ・ニューヨーク)で歌っていた女性シンガーでメンバーとの面識もあったが、結局一緒にレコーディングすることもなくグループを去っていった。56年5月にMy first discoveryがリリースされ、6月23日にはCan't we be sweethearts(The Cleftones)・Let the good times roll(Shirley & Lee)・Alabama rock 'n' roll(Mabel King)・People are talking(The Heartbeats)・Happy 'till the letter(The Orioles)・Don't be a bunny(Sugar & Spice)・Castle in the sky(The Bop-Chords)・This is the night(The Kool Gents)・Merry-go-rock(The Robins)・Let's do the Razzle Dazzle(The Rip-Chords)とともにレビューされた。56年中ごろ、Buck Ramは、The Plattersから抜けたTony Williams(リード)の代役としてJohn Barnesをツアーに参加させ、The Empiresも同じく参加させた。John BarnesはThe Plattersとしてレコーディングすることはなかったが、このツアー期間中はThe Empiresとしての活動は大幅に制限されることとなった。Mercuryとの契約更新の時期が訪れたが、The EmpiresはMercuryやBuck RamがあまりにもThe Plattersで多忙だったことを理由に、Whirlin Discへ移籍した。56年12月、Lindaがリリースされ、57年1月5日に、Pardon me(The Charms)・Ooh, bah, baby(The Midnighters)・The skinny woman story(Willie Headen)・Tree in the meadow(The Pearls)・Midnight hours(The Drivers)・What can the matter be(The Quadrells)らとレビューされた。57年5月、Whirlinでの2枚目Magic mirror(リメイク作品である)がリリースされるが、これがThe Whirlersというグループ名で発表された。The Whirlersは、Whirlin Discが命名した名前で、すでにJubileeにはThe Wheelersというグループがおり、グループにとってはあきらかにマイナス要素であった。Magic mirrorは57年5月27日に、Jenny Jenny(Little Richard)・Star dust(The Dominoes)・Short fat fannie(Larry Williams)・On you radio(The Tempo-Tones)・Walking The streets alone(The Love Letters)・Stand there, mountain(The Planets)とともにレビューされたが、ヒットには至らなかった。ちなみにこのシングルは61年5月にPort(Jubileeの子会社)から再発されている。メンバーは仲たがいしたわけではなかったが、グループ活動を休止してしまう。57年8月に、Amp 3(Bill Lasley設立)からThe Empiresのシングルがリリースされているが、本稿とは別のグループである。メンバーのほとんどが長くグループに留まったが、とにかく成功していなかった。その後Les Cooperは、自身のグループThe Laddersを結成、また作曲家としてThe Charts(The Thrilltonesから改名)にDeserieを提供した。Bobby RobinsonとともにThe Kodaksと仕事をしている。Whirlin Diskでの未発表にThe WhirlersとしてレコーディングしたDon't you knowとI prayがあるが、ともにJohn Barnesがリードをとっている。Les Cooperによるとリード以外はThe Empiresではなかったと話している。Les Cooperはその後もバンドメンバーのピアニストとして活動を続け、The Soul RockersとしてEverlastからシングルをリリースした。62年には、Wiggle wobble(サックスはJoe Grier・The Chartsのリードシンガー)で22位というヒットを送りだし、63年にはGloria FordとのデュエットをEnjoyからリリースしている。Soul Rockersは様々なメンバーが参加しながらも10年以上の活動を続けたが、2001年にはゴスペルグループに転向した。