The Harptones

1953年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・マンハッタン
Willie Winfield(lead・29.08.24~)・Claude 'Nicky' Clark(tenor・43.~)・William 'Dempsey' James(tenor)・William 'Dicey' Galloway(baritone)・Bill Brown(bass)・Raul Cita(piano・28.02.11~)

The Harptones
■Sunday kind of love・I'll never tell(Bruce-101)53.12
■My memories of you・It was just for laughs(Bruce-102)54.02
■I depended on you・Mambo boogie(Bruce-104)54.05
■Why should I love you・Forever mine(Bruce-109)54.07
■Since I fell for you・Oobidee oobidee oom(Bruce-113)54.10
■I almost lost my mind・Oo wee baby(Bruce-128)55.03
■Life is but a dream・You know you're doing me wrong(Paradise-101)55.06
■My success (it all depends on you)・I've got a notion(Paradise-103)55.10
■My success (it all depends on you)・Guiter suffle(Paradise-103)55.
■What is your decision・Gimme some(Andrea-100)56.04
■Three wishes・That's the way it goes(Rama-203)56.08
■Memories of you・High flyin' baby(Tip Top-401)56.09
■On a sunday afternoon・The masquerade is over(Rama-214)56.11
■The shrine of st. Ceelia・Oo wee baby(Rama-221)
■Cry like I cried・So good, so fine(Gee-1045)57.11
■Lauqhing on the outside・I remember(Warwick-500)59.03
■Love me completely・Hep teenager(Warwick-512)59.07
■No great miracle・What kind of fool(Warwick-551)60.05
■Rain down kisses・Answer me my love(Code-540)60.11
■All in your mind・The last dance(Companion-102)61.02
■Foolish me・What will I tell my heart(Companion-103)61.04
■Sunday kind of love・Mambo boogie(Raven-8001)61.07
■Loving a girl like you・High flyin' baby(Bruce-123)62.
■Devil in velvet・Your love is a good love(Cub-9097)64.
■Sunset・I gotta have your love(KT-201)64.
■Sunday kind of love・Oo wee baby(BEP-201)64.
■Forever mine・I almost lost my mind(BEP-)
■My memories of you・Mambo boogie(BEP-202)
■I'll never tell・High flying baby(BEP-)64.07
■Sunday kind of love・I'll never tell(Relic-1022)73.07
■My memories of you・Just for laughs(再発盤・Relic-1023)
■Msrie・That's the way it goes(Rama-197)74.
Bunny Paul(バッキングに参加)
■I'll never tell・Honey love(Essex-364)54.08
The Soothers(Winfield 不在の The Harptones)
■The little white cloud that cried・I believe in you(Port-70041)64.
The Woodside Sisters(バッキングに参加)
■Love me・So soon(X-4X 0049)
Carol Blades(バッキングに参加)
■When will I know・What did I do wrong(Gee-1029)
Ruth McFadden(バッキングに参加)
■United we stand・School boy(Town-1030)
LP
■Echoes of Rock Era(Roulette-RE 114)
■The Paragons vs. The Harptones(MusicNote-8001)
■The Harptones(Harlem Hit Parade-5006)70
■The Harptones(EMUS-LP 12032)70
■The Harptones Featuring Willie Winfield(Reric-LP 5001)71
■The Harptones Volume 2(Reric-LP 5003)71
■Love Needs The Harptones(Ambient Sound-LP 237718)82.02

The Harptones
LP Echoes of Rock Era
Roulette-RE 114
1972年

LP The Paragons vs.
The Harptones
MusicNote-8001
1964年

LP The Harptones
Featuring
Willie Winfield
Reric-LP 5001
1971年

LP Love Needs
Ambient
Sound-LP 237718
1982年

グループのBruce在籍時代の公式な単独アルバムはなく、オムニバスやバトル形式のLPが残っています。

The Harptones の魅力は、Raoul J. Cita の優れたメロディー・Willie Winfield のテナー・初期のハーレムグループの中でも卓越したハーモニーである。長年にわたり常に愛情と信頼とで深く密接に結び付いたグループであった。51年に Wadleigh Junior High School(第7と第8アベニューの間にある115番街・ハーレム)に在学中の William Dempsey James・Curtis Cherebin・Freddie Taylorが結成したThe Skylarksから始まる。間もなくこのグループにEugene 'Sonny' Cooke(のちに Skillumという愛称がつく)とRaoul J. Citaが加入する。グループはアポロ劇場で開催されたタレントコンテストに出場しMy dear dearest darlingを歌った。しかしグループは観客のブーイングを浴びたという。一方マンハッタンでは、Willie Winfield・Clyde Winfield・Jimmy Winfieldの3兄弟が、義理の兄弟の Johnny Bronson・William 'Dicey' Gallowayの5人でグループを結成していた。のちにこの両グループは知り合い、Raoul J. Citaを中心に、数人のメンバーが合流しThe Harpsを結成した。これがThe Harptonesの母体となるグループであった。メンバーは、Willie Winfield・William Dempsey James・Clyde Winfield(セカンドテナー)・William 'Dicey' Galloway・Curtis Cherebin(ベース)・Raoul J. Cita(ピアニスト・アレンジャー・作曲家)の6人である。53年11月、The Harpsはアポロ劇場で開催されたアマチュアナイトに出場し、A sunday kind of love(Louis Primaの46年のヒット・Jo Stafford、Ella Fitzgerald、Frank Sinatraらも歌っている)を歌ってついに優勝を果たした。グループに興味を示したMGMは早速ブロードウェイ(1650番地)でのオーディションに参加するようにと伝えた。スカウトの申し出を受け入れたグループは、早速オフィスに向かうがここで1時間以上待たされる事となった。とうとうグループはこのホールで歌い始め、その場に居合わせたMorty Craft・Leo Rogersの注意を引くことになる。この二人は道の反対側にあったリハーサルスタジオにメンバー連れて行き、彼らのパートナーMonte Bruceを紹介した。レーベルを新設したいと思っていたこの三人は、グループの歌を気に入り、Bruceの設立を決意した。Bruce でのレコーディングを行う直前に、親の反対もありClyde Winfieldはグループを去る。レコーディング時のメンバーは、Willie Winfield・Nick Clark(ファーストテナー・のちにThe Five Crownsを結成する)・William Dempsey James・William Galloway・Billy Brown・Raoul J. Citaとなっている。The Harpsはこの寒いスタジオでA sunday kind of love・I'll never tellを収録した。このシングルリリースの直前に、The Harp-Tonesに改名、間もなくThe Harptonesとした。Raoul J. Citaがグループをゴスペル音楽と思われるのを避けるために改名したという(同名のグループが存在していたからだともいわれている)。グループの初シングルはイーストコーストを中心に好調な売り上げを示し、アポロ劇場(ニューヨーク)・ハワード劇場(ワシントン)・ロイヤル劇場(バルチモア)で公演を行ったグループの2作目My memories of you(両面ともにRaoul J. Cita作)は54年2月にリリースされた。このレコーディングにはThe SonotonesからDon Gardner(ドラマー)が、オルガンにはJimmy Smith、サックスにはAl Cassも参加している。3枚目のシングルI depended on youではNick Clarkがリードをとるようにされた。B面のMambo boogieはThe Harptonesの作品となっている。続くWhy should I love you(B面はForever mine)は、レコーディング中に訪れたThe Four Rads(Columbia)がカバーしている。The HarptonesのWhy should I love youがヒット中に、The Four Rads の Forever mineがヒットし、B面にWhy should I love youが収録されていた。同じ曲が同時にヒットしたことで、Bruceは多大な利益を得る事となった。グループは、Bruce出版権を所有していたことに不満をいだいていた。54年秋にSince I fell for youをリリースする。この曲は、アポロ劇場に一緒に出演したバンドリーダーBuddy Johnsonの作品である。グループが、Bruceに対して全米チャートにシングルを送り込むにはあまりにも力不足であると感じ始めたのもこの頃である。55年1月14~15日に聖ニコラスアリーナ(ニューヨーク)で行われたAlan FreedのThe Rock 'n' Roll Jubilee Ballのライブショウに初めて出演している。Fats Domino・Big Joe Turner・The Clovers・The Moonglows(The Moonlightersとしても出演した)らと同じ舞台に立った。この月はハワード劇場での公演にLa Vern Baker・The Counts・The Illnois Jacquet Bandらと出演している。次のシングルI almost lost my mind(Ivory Joe Hunterのヒット・B面はOu wee baby)ではSam 'The Man' TaylorやMickey 'Guitar' Bakerが参加している。ちなみに両面ともにBruceからのEPに、それぞれA sunday kind of loveとカップリングされ再リリースされている。このシングルは55年3月にリリースされたが、直後ついにBruceは倒産してしまった。Leo RogersはThe Harptonesを、新設したばかりのレーベルOld Townに紹介した。グループと契約したHy Weissは、Raoul J. CitaにMy memories of youタイプの作曲を依頼し、55年5月から6月にかけて行われたセッションで収録した。名作Life is but a dreamの誕生であった。またこのセッション中にWilliam Gallowayが徴兵されている。B面用に収録したYou know you're doin me wrongは、Raoul J. Cita・Bernard 'Jimmy' Beckum共作で、Bernard BeckumはDerbyに在籍したThe Majorsのリードボーカルでだった人物で、このセッションを機にグループに加入した。Hy WeissはBruceよりも配給能力があったものの、やはり全米チャートへ送り込むだけのプロモーションの力は持たなかった。このシングルは7月23日付けのニューヨークでのヒットチャート第4位とし大ヒットとなった。この頃にパラマウント劇場(ブルックリン)で開催されたAlan FreedのLabor Day First Anniversary Showに出演している。この公演は1週間に渡って行われ、1日に5~6回のショウを行った。55年11月、The HarptonesはThe Heartbeats・The Flamingos・Etta James・Bill Doggettらとともにアポロ劇場に出演、また同月に、Paradise(Bruceのスタッフの一人が設立した)からはMy success(it all depends on you) が2枚目のシングルとしてリリースされた。またRuth McFaddenのバッキングにも参加したSchoolboyもTownからリリースされた。これはのちにThe Harptones自身もレコーディングをおこなったが、そのときにはLoving a girl like you(こちらが原題)となっている。Ruth McFaddenのバージョンは55年10月にリリースされたが、The Harptonesバージョンは62年までリリースされなかった。55年12月にThe HarptonesはParadiseを去り、Andrea(Leo Rogers・Sid Arky設立)に移籍している。56年4月、Andreaとして唯一のシングルWhat is your decisionがリリースされた。A面はThe Joytones(Vickie Burgess・Margaret Moore・Lynn Middletonらがメンバー)が参加した。この頃にRaoul J. CitaがGeorge Goldnerと交渉し、The Harptonesはこの大手レコード会社と契約することに成功した。Ramaからの最初のリリースはThe Harptones自身のお気に入りのThat's the way it goes(バッキングにThe Royale Cita Chorusが参加)であった。このレコーディングセッションに参加したメンバーは、Willie Winfield・Billy Brown・William Galloway・Raoul J. Cita・Nick Clark・Harriet 'Toni' Williams(シンガーでダンサーでもあった・The Norman Miller Dancers)・William Dempsey Jamesであった。8月29日に、Frankie Lymon & The Teenagers・The Cleftones・Mabel King・Fats Domino・Chuck Berryらとともにパラマウント劇場で開催されたAlan Freedの10日間にわたるSecond Anniversary Labor Day Showに出演した。56年10月、The HarptonesはR&R映画Rockin The Bluesに出演し、High flying baby・Oww wee baby・Mambo boogieのヒット3曲を披露している。この映画には、Linda Hopkins・The Hurricanes・The Miller Sisters(Charlie Chanの数作品に出演している)・Mantan Moreland・Hal Jackson(DJ・ニューヨークで最初にThe Harptonesをオンエアした人物)なども出演した。続いてRamaはOn sunday afternoon(B面はThe masquerade is over)を、57年2月には最後のシングルThe shrine of st. Ceciliaを発表した。このリリース直後にBilly Brownが急死し、彼の死はThe Harptonesに対して破壊的な効果を持っていた。そして間もなくRaoul J. Citaはグループを去った。Curtis Cherebin(ベース)が加入し、パラマウント劇場で開催されたAlan FreedのEaster Jubilee of Starsや、アポロ劇場で開催されたJocko Henderson主催のLabor Day showに出演した。10月、グループはGeeに移籍し、Cry like I criedをリリースする。このセッションに参加したのはWillie Winfield・William Dempsey James・Harriet Williams・Curtis Cherebinである。Rama・GeeでのいくつかのレコーディングにはThe Royale Cita Chorusが参加していたが、そのメンバーには、The Harptones・The Joytones・The Lyricsから何人かが含まれているという。The Royale Cita Chorusの歌声はMabel KingのSecond hand love(Mabel King・Raoul J. Cita共作)で聞く事ができる。Mabel KingとRaoul J. Citaはこの時から一緒に作曲活動を始め、出版社を設立した。Mabel Kingは、ブロードウェイやテレビ・映画など多方面での活動を続けていた。最終のGeeでのセッションののちWilliam Gallowayがグループを去り、Milton Love(元The Solitaresのシンガー)が交代に加入したがやがて解散に至った。Morty Craftは59年に自身のWarwickを設立し、The Harptonesの再結成をメンバーに呼びかけた。これに応じたWillie Winfield・William Dempsey James・Nick Clark・Curtis Cherebin・Raoul J. Citaはその後2年間に3枚のシングルをレコーディングしている。Laughing on the outside・Love me completelyが最初の2枚で、この後Nick Clarkがグループを抜け、Wilbut 'Yonkie' Paul(元The Five Crownsのリード)が加入し、No greater miracleがこのレーベルからの最後のリリースである。60年11月にBilly Dawn Smith(作曲家・プロデューサー)によりThe HarptonesのRain down kissesがCoedからリリースされた。61年にはグループをその子会社であるCompanionに移籍させた。Companionでの最初のシングルは、All in your mindで、この曲はHank 'Pompi' Jemiganの作品。彼はWilbut 'Yonkie' Paulと交代に加入した人物である。続いてリリースしたWhat will I tell my heartが全米チャート第96位となり、グループ初のトップ100にランクイン作品となった。B面のFoolish meはBilly Dawn Smith・Alice Winfield 共作で、Alice WinfieldはWillie Winfieldの妻の名前である。同年、グループはCub(MGMの子会社)に移籍する。Otis Blackwell(作曲家)のDevil in velvetがリリースされ、B面のYour love is a good loveとともにリスナーに支持された。このシングルではJimmy Beckumが復帰している。同じく64年にSunset(Ted Troob作・Warren Troobの息子)が KT(Warren Troob設立)からリリースされた。Raoul J. Citaによる作品で、彼はこのレーベルでThe Harptones以外にもThe Rubiesという女性グループにも作品を提供した。また当時のWarren Troobは、George Goldner・Alan Freedのように音楽ビジネスの世界ではよく知られた弁護士でもあった。間もなくThe HarptonesはThe Soothersと改名し新たな出発決意した。64年7月、The litte white cloud that cried(Johnny Rayのヒット作)を、Port(Jerry Blaineがオーナー・Jubileeの子会社)からリリースするがチャートに失敗しついに解散に至った。Nick Clarkはバッファーローに移住したが、30代で死去している。69年に、David Zaanからの電話でThe Harptonesの再結成を打診されたRaoul J. Citaは、Willie Winfield・William Dempsey James・Bernard Beckum・Curtis Cherebinとともにまたもやグループを復活させた。時折Freddie Taylorも参加したという。70年9月と71年4月のショーと同様、このメンバーで、70年4月18日にニューヨークで行われたRock Magazine誌主催のFirst Original Rock and Roll Revival Showに出演する。このリバイバルショウは、70年9月と71年4月にも開催され全てに出演している。The Harptonesは、イーストコーストでも公演を行い、72年10月まで活動を続けたが、以降ライブ出演が困難になってきたWilliam Dempsey James・Bernard Beckum・Curtis Cherebin・Freddie Taylorはグループを去ってしまいグループとして成立しなくなってしまう。残されたWillie Winfield・Raoul J. Citaは、Marlowe 'Lowe' Murray(The Cavaliers QuartetやThe Fi-Tonesのメンバー)とLinda Championをグループに誘い活動を維持、74年にはRock Magazine誌のコンサートに6回も出演している。81年11月、久々のアルバムLove Needs A HeartをAmbient Sound(Marty Pekar設立)でレコーディングし、翌82年2月にリリースされた。かつてのリメイクと新作の織りまぜられたアルバムとなり、この中の6曲がRaoul J. CitaとMabel Kingの作品である。90年にLinda Championがグループを抜け、Lynn 'Sugah' Middleton Grier(元The Joytones)が加入したが、94年に死去。Linda Championはグループに復帰している。99年6月、Linda Championが病気のためにVickie Burgess(The CharmersやThe Joytonesのリードシンガー)と交代する。Vickie Burgessは単独でもThe Joytonesとしても、いくつかのレーベルでThe Harptonesのレコーディングにバッキングで参加していたシンガーであった。The Harptonesは、90年と92年にUGHAのClass Group of the Yearに選出、91年にBrooklyn Hall of Fameに選出、98年にR&B Foundation awardを受賞、2002年にはVocal Group Hall of Fameに選出されるなど、多くの名誉を与えられている。99年に開催されたDoo Wop 50コンサートにも出演し、PBSテレビが放映した。The Harptones(Willie Winfield・Raoul J. Cita・William Dempsey James・Marlowe Murray・Vickie Burgess)は現在も活動を続け、今も素晴しい歌声を聞かせ、ファンは彼らのThe Rock and Roll Hall of Fame選出を待っている。