The Chandeliers

1954年・ミザリー州・カンザス
Luther Rice(lead・tenor)・William Watson(lead・tenor)・Reginald 'Sandy' Johnson(tenor)・George Chambers(tenor)・Jesse Watson(bass)

■Blueberry sweet・One more step(Angle Tone-521)58.01
■Dolly・Dancin in the Congo(Angle Tone-529)58.05

The Chandeliers
45s
45s 45s Blueberry sweet
Angel Tone 521
1958年

調べてみるとラベルのデザイン違いがいくつかありました。さらにこれ以外にも色違いなんていうのもあってコレクターは大変だなぁ。

バード・グループやカー・グループが主流の時代にあって照明器具の名を冠すというちょっと変わった名前を持ったをもったグループである。しかしそのことは彼ら自身がローカルヒットを得ることを多少なりとも補うことに成功した。カンザス市(ミザリー州)のミッドタウン出身のLuther Rice・William Watson・Reginald Johnson・George Chambers・Jesse Watsonの5人がメンバーで、54年に結成した。結成当時のメンバーはJesse Watsonを除いて全員がLincoln High Schoolに出席している。Jesse WatsonはWilliam Watsonの兄で当時はManual Highへ通っていた。彼らは親から叱られないようにと日ごとにお互いのメンバーの家を訪れながら練習、そして街角でのライブを週に3~4日ほど行っていた。「僕達の両親は、何年も僕達と一緒に歌っていたんだ。彼らは僕達をとても気に入ってくれていたし、年上の親友という感じだった」とJesse Watsonは語っている。グループ名の由来は、誰かの家で練習している時にグループ名を決めようということになったが、メンバーの一人が見上げた天井にあったシャンデリアにちなんでつけたという。ちなみにJesse WatsonはこのときThe Carpetsを提案したという。当時カンザスでは、ブルースやジャズが主流の音楽だったが、カンザスにはそれらをレコーディングしたグループは多くはいなかった。The ChandeliersはThe Spaniels・The Penguins・The Clovers・The Drifters・The Turbans・The Flamingos・The Spiders・The Imperials・The Teenagers・The Ravensといったグループがお気に入りだった。マネージャーを求めたグループは隣人の紹介でSol Davisと出会う。「Sol Davisは俺達に興味を持ってくれたんだ。彼にはいろんなアイデアがあって、それに色んな人とのつきあいがあって顔が広かったんだ」とJesse Watsonは語っている。Sol Davisとの3年契約にメンバーは署名した。Sol Davisはメンバーより8歳年上の20代の若者である。メンバーはまだ学生だったために、The Chandeliersはカンザス市を中心に半径60マイルに活動が限定されていたが、ワンナイト興行やパーティーに出演して活動を始めた。57年夏、Sol Davisはタレントスカウトを街に招くことに成功し、Atlas(Tommy Robinson設立・ハーレム)をThe Chandeliersのリハーサルに招いた。Tommy Robinsonはグループに感銘を受け、3年契約を結ぶこととなった。この年の秋にThe Chandeliersは地元のスタジオでBlueberry sweet・One more step(作者としてSol Davisとクレジットされている。実際は彼は何の関係もない)をレコーディングした。この収録にはバッキングにJames Frye(ピアノ)・Eugene Gold(ボンゴ)・Olie McGhee(ギター・綴りはOllie)が参加している。このマスターは、ニューヨークのTommy Robinsonのもとでさらに楽器が加えられ、58年1月にAngle Tone(Atlasの子会社)からリリースされた。2月24日の週にChicken in the basket(Billy Bland)・Rock and roll Tango(Billy Mitchell)・She's gone (with the wind)(The Scarlets)・Lovin baby(The Chimes)・You(The Aquatones)らとともにレビューされ、カンザス・セントルイス・ニューヨークを中心に好調な売れ行きを示した。Angle Toneにとってもベストセラーでり、1日3000枚が何週間にもわたって売れていたとTommy Robinsonは回顧する。地元のスターとなったThe Chandeliersは、Municipal Auditorium(カンザスの下町にあった)・Prospect Hallや、カンザスからシカゴにかけての数多くのクラブや劇場で公演を行ない、Wichita(セントルイス)・Lawrence(カンザス)にもでかけている。メンバーは「それほどたくさんの土地に行ったわけじゃないのに、僕達の親にこのツアーの許可書にサインさせるのにはてこずったよ」と語っている。58年4月20日、メンバーは再び地元のスタジオに戻り、Dolly・Dancin in the Congo を収録する。Jesse Watsonは「これはたいしたことなかったな。Blueberry sweetほどのヒットにはならなかったよ」と語る。Dollyは58年6月9日に、Itchy twitchy feeling(Bobby Hendricks)・My love is a charm(The Shirelles)・Lama rama ding dong(The Edsels)・Little star(The Elegants)・This heart of mine(The Falcons)とともにレビューに取り上げられた。続いてWild cherry・Tender love(ともに収録日は不明)を収録するためのセッションが行われたが、これらはリリースされなかった。59年の春に、AtlasとそしてSol Davisとの契約がすでに終わっていた。The Chandeliersはわずかな著作料に対し不満を抱きはじめたが、Atlas・Sol Davisに対しグループはひき続き3年契約に署名していたために、合法的に別のマネージャー(あるいは別のレコード会社)と契約することができなかった。この契約更新から2~3週間のあいだに、彼らは歌うのをやめ、59年6月にWilliam Watsonは海軍に入隊、Luther Rice・Jesse Watsonも1カ月後には後に続いた。入隊した彼等は訓練所でThe Smokersと名乗り自分達で楽しむために歌い続けた。その後、Jesse Watson・George Chambers・Reginald Johnsonは公務員(大臣)となり、William Watsonは運輸会社に勤めた。Luther Riceはいくつかのラジオ放送局で働き、エンターテイメントの世界に身をおいたいた唯一の人である。