The Swans

1953年・ニューヨーク州・グリーンバーグ
James Brabham・Charlie Drew・Donald Sledge・Charlie Sharrock・Clifford James・Ray Roberts

■My true love・(Ain't like that) no more(Rainbow-233)53.12

The Swans
SP My True Love
Rainbow-223
1953年

The SwansはRainbowにたった1枚のシングルを残して消えたボーカルグループである。シングルMy true loveはマニアやコレクターが探し求めるR&B珠玉の作品である。グループはグリーンバーグ(ニューヨーク州・White Plainsから約1マイル)で結成された。シングルのリリース直後にDonald Sledgeは入隊のためグループを離れている。James Brabhamのお気に入りはThe Orioles・The Cardinals・The Cloversといったニューヨークで活躍していたグループであった。グループ名は、それらのグループ(いわゆるバードグループ)のようにDonald SledgeがThe Swansと命名した。53年、New York Cityというクラブなどで歌いはじめ、Lover Patterson(ニューヨークの音楽業界でやり手と言われた)と出会った。彼はRainbow(Eddie Heller設立)とも関わりを持ち、グループとの契約を手伝った。間もなくThe SwansはRainbowと正式に契約を交わし、James BrabhamはRay RobertsとともにNo more my true loveを書き上げ、B面に収録され(Ain't like that) no moreも共作している。Rainbowに残された資料によると、このレコーディングでは、My true loveはRay Robertsがリードを担当、また未完成のままに終わった作品もいくつかあるという。My true loveは53年12月にリリースされた。ビルボード誌の53年から54年にかけての記事には、しかしグループのものと思われる記事は一切見当たらない。このシングルリリースからしばらくはRainbowに在籍していたが、50年代の多くのボーカルグループと同じくまもなく解散にいたった。56年、The Swansのメンバーもそれぞれ入隊し、そこでThe Master-Tonesというグループに在籍していた元メンバーと出会い新しいグループThe Partnersを結成した。メンバーは、Doc Robinson(元The Master-Tones)・Donald Sledge(元The Swans)・James Brabham(元The Swans)・Charlie Drew(元The Swans)・Buddy Lucas, Jr.(バンドリーダーのBuddy Lucasの息子)の5人である。Donald Sledgeによると、このグループはニューヨークのブロードウェイ1650番街にあった会社(名前は不明)のオーディションを受けたもののレコーディングまでにはいたらず、いくつかのクラブに出演したという。The Paetnersはおよそ1年ほどで解散した。現在Donald SledgeはWhite Plains(ニューヨーク州)に、James Brabhamはコネチカット州に、James Cliffordはビーコン(ニューヨーク州)にそれぞれ現役を退き暮らしている。元メンバーによると、Charlie Drew・Ray Roberts・Charlie Sharrockはすでに死去したという。一方、R&B研究家の間で解決されていない事がある。SteamboatというレーベルからBelieve in me(B面はIn the morning)をリリースしたThe Swansというグループである。一部のマニア間では、RainbowのThe SwansとSteamboatは同じ声であると信じられたが、The Swansの元メンバーによると、Steamboatでのメンバーは誰なのか知らないという。Doc Robinson・Donald Sledge・James Brabhamの3人に向けたインタビューで、Steamboatに在籍したThe SwansにはThe Master-TonesのメンバーとRainbowのThe Swansのメンバーが在籍したということで、もしかするとDoc Robinsonという同名のシンガーがThe Master-Tonesに在籍していた可能性はあると話しているDoc Robinsonによれば、Believe in meはRay Robertsがリードを担当し、My true loveも同じく彼のリードであったことを力説している。またIn the morningはCharlie Sharrockがリードを担当したと話している。もっともDoc Robinsonは45年以上前のレコーディングセッションのこともあまり覚えていないそうである。以上のことからSteamboatのThe Swansについて、Steamboatの設立者Buddy Lucasは、息子のBuddy Lucas Jr.をスターとして売り出そうと考えており、Buddy Lucas Jr.は友人を誘いでレコーディングを行った。あるいは、彼がテープを持ち込み、57年にリリースしたと推測される。The Master-Tones・The Swansともにおよそ50年前に活動を終えている。2003年1月25日に、Doc Robinson・Clifford James・Donald Sledgeの3人はUGHAコンサート(ロディ・ニュージャージ州で開催された)に出演するために再会し、Stoney Dimbo・James Brabhamは出席できなかったものの久しぶりにその歌声を聞かせた。UGHA会長のRonnie Italianoが彼らを聴衆に紹介し、メンバーは轟くような大喝采を受けた。Clifford James・Donald Sledgeは交代でマイクを持ち替え感謝の意を評したが、Doc Robinsonは感激のあまり言葉にならなかったという。ステージ脇にはファンのカメラが殺到し、その夜は一晩中サインぜめにあった。またこのコンサートにはThe ChantelsのLois Harris Powellが来場し、メンバーと談笑した。