The Teenagers

1955年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・マンハッタン
Frankie Lymon(lead・42.09.30~68.02.28)・Herman Santiago(tenor・41.02.18~)・Jimmy Merchant(tenor・40.02.10~)・Joe Negroni(baritone・40.09.09~78.09.05)・Sherman Garnes(bass・40.06.08~77.02.26)

■Why do fools fall in love・Please be mine(Gee-1002)56.1
■I want you to be my girl・I'm not a know it all(Gee-1012)56.4
■I promise to remember・Who can explain(Gee-1018)56.7
■The ABC's of love・Share(Gee-1022)56.10
■I'm not a jovenile delinguent・Baby baby(Gee-1026)57.2
■Teenage love・Paper castle(Gee-1032)57.4
■Love is crown・Am I fooling myself again(Gee-1035)57.5
■Out in the cold again・Miracle of love(Gee-1036)57.6
■Goody doody・Creation of love(Gee-1039)57.7
■Everything to me・Flip flop(Gee-1046)57.12
■My broken heart・Mamma wanna rock(Roulette-4086)
■Crying・Tonight the night(End-1071)60.5
■Can you tell me・A little wiser now(End-1076)60.7
■What's on your mind・The draw(Columbia-4-42054)
■He's no lover・Love me long(Columbia-)
EP
■The Teenagers Go Rockin'(Gee-601)EP
■The Teenagers Go Romantic(Gee-602)EP
LP
■The Teenagers featuring Frankie Lymon(Gee-701)56
Frankie Lymon
■At The London Palladium(Roulette R-25013)58
■Rock'n' Roll Party(Roulette R-25036)58

The Teenagers
LP The Teenagers
featuring
Frankie Lymon
Gee-701
1956年

LP Frankie Lymon
at the
London Palladium
Roulette R-25013
1958年

LP Rock'n' Roll Party
Roulette R-25036
1958年

Frankie Lymon and The Teenagers は、The Students(Checker)・The Chanters(Deluxe)・Ronnie and The Hi-Lites(Joy)・Nicky and The Nobles(Gone)・The Kodaks(Fury)・The Desires(Hull)・Tiny Tim and The Hits(Roulette)といった何百というキッドグループの中で勝ち残り、今日、確かな評価を受けている、まさにロックンロールの申し子である。後年、Diana Ross・Millie Jackson・Ronnie Spector・Tim Hauser(The Manhattan Transfer)らが影響を受けたアーティストの一人に彼の名前をかかげている。また同時代にFrankie Lymonの弟もLouis Lymon and The Teen Chordsを結成しデビューしている。54年に、Jimmy Merchant・Sherman Garnes(当時、Edward W. Stitt中学の学生)が中心となって、The PenguinsのヒットちなんでThe Earth Angelsを結成する。このグループは短命だったが、2人は間もなくPuerto Ricans・Herman Santiago・Joe Negroni(ともにSherman Garnesの友人)を加えてThe Coupe De Villesを結成し(彼等の近所にはHowie・Timmy・Louis・Frankieら、将来一緒に歌うはずのLymon一家が住んでいる)、間もなくThe Premiersと改名している。彼らは練習を重ねながら、近所で開けれたタレントショーや学校でのコンサートで活動を続ける。ある日、学校の教室でリハーサル中に、グループと一緒に歌いたいとやってきたのがHerman Santiagoの隣人Frankie Lymonだった。彼らはWhy don't you write me(The Jacks)・Painted Pictures(The Spaniels)・Lily Maebelle(The Valentines)などを一緒に歌い意気投合したが、Frankie Lymonの加入には躊躇したといわれている。おそらく年齢の差があったためではないか。その頃にはFrankie Lymonもタレントショーに出演(当時はラテン系のグループを結成している。Frankieがボンゴを担当、兄のHowieがコンガを担当した)し、音楽活動も次第に板に付いてきた。やがてFrankie LymonはHerman Santiagoに認められ、The Premiersのリードボーカルとなった。彼の父親Howard(運転手兼母親でもあった)はThe Harlemairesで歌っており、Frankie・Louie・Howieの兄弟はThe Harlemaires Juniorsとしてこのグループと一緒に歌っていた。Frankie Lymonはこの経験からゴスペルの影響を強く受けている。父の収入では7人の家族が生活できないために、Frankieは新聞配達や食料雑貨店で、ときには売春の仲介などもしながら家計を助けたという。55年頃に、彼らはThe Erminesと改名している。彼等と親しかったPhil Groiaなる人物のすすめで、彼等は自分達の曲を作りはじめ、Sherman Garnesの家でWhy do birds sing so gay(のちのWhy do fools fall in love)に取り組んだ。Frankie Lymonがメロディーに取り組み、Jimmy Merchantがベースのイントロを考え、全員でコーラスを練習した。この曲はもともとバラードとして作られたが、間もなくアップテンポに発展したといわれる。ある晩、いつもの練習場所の学校のホールへいくと、彼等のお気に入りだったThe Valentinesが来ており、大変感激したという。The PremiersがGeeと契約したいきさつには色々な説がある。●当時The ValentinesのリードシンガーだったRichard Barrettはグループと親交を深め、彼等をGeorge Goldnerに紹介し、オーディションを受けることになる。当時、George GoldnerはThe Millionaires(Richard Barrettが、先輩ということもあり、彼等にレッスンなどをしていた) というグループのレコーディングにかかりっきりで、彼等にあまり興味を示さなかった。ちなみにThe MillionairesはThe Five Crowns(Old Town)のメンバーが結成したグループで、にいた。のちにBen E. Kingが加入しThe Driftersとなっている。Richard Barrettは、もしThe Premiersと契約しないなら、自分はThe Millionairesのレッスンはしない、となかば強引に迫り、やむなくGeeは、The Millionairesのレコーディングの合間に The Premiersに2つの歌をレコーディングさせた、という説。●Richard BarrettはThe PremiersをOld Townに連れていったが、Hy Weissは気に行ったものの、あまりに多忙なため、友人のGeorge Goldnerに彼等を勧めた、という説。●Richard Barrettが彼等をGeorge Goldnerに紹介し、The Cleftonesに続くアーティストを探していた彼のオーディションを受け契約にいたった、という説などがある。いずれにしても、Why do birds sing so gay(Herman Santiagoがリードをとった)・That's what you're doin' to me(The Dominoesのカバー)・I want you to be my girl(HermanとFrankie Lymonのデュエット)を聞かせ、Geeと契約することになった。George GoldnerはFrankie LymonがWhy do birds sing so gayを歌うことを提案し、タイトルと歌詞をWhy do fools fall in loveに変えた。55年春、The Premiersは、ディレクターJimmy Wright(サックス奏者でもあった)のもとBell Soundスタジオでレコーディングを開始する。デビュー直前にThe Teenagersと改名した。55年の秋(Frankie Lymonを除く全員がGeorge Washington高校に進学してる)、George Goldnerが他のプロジェクトで忙しいことを知っていた彼らは、自分達のレコードがまだ完成していないと思っていた。翌年1月にJimmy Merchantは学校の廊下で、女生徒が自分達の曲を歌っているのを聞き、レコードがすでに56年1月10日にリリースされていることを知ったという。Why do fools fall in loveはわずか3週で10万枚を売り上げた。ビルボード誌は「魅力的な曲とソリッドなビート、13歳のFrankie Lymonの激しいボーカル。どれもがホットで新しいレコードだ。ディスクジョッキーやジュークボックスでもっと流されるべきである。いとも簡単にポップスを超えることができる。」と絶賛している。シングルの最初のプレス盤は、The Teenagers featuring Frankie Lymonの名前は、グループの倍の大きさでFrankie Lymonの名前が印刷された。クレジットは「Lymon - Santiago - Goldner」だったが、2枚目のプレスでは「Lymon - Goldner」となっている。56年2月にグループは、ハートフォード・コネチカットで公演を行う。The Vallentines・Bo Diddley・The Bonnie Sisters・The Harptones・The Turbans・Fats Domino・The Cadillacsといった彼等の憧れのスターたちと並んで出演した。ショーの合間にThe CadillacsのEarl WadeからCholly Atkins(The Caddiesにダンスレッスンを教えている)を師事し、もっとステップを上達させるようすすめられた。数カ月の内にレコードとグループは国際的なヒットとなった。Why do fools fall in loveがナンバーワンとなったイギリスでは、初めてのアメリカのボーカルグループのR&B・R&Rレコードとなった。Jimmy Merchant・Sherman Garnes・Joe Negroni(当時16歳)・Herman Santiago(当時15歳)・Frankie Lymon(当時13歳)の5人は、56年4月に2枚番目のシングルI want you to be my girl(Herman Santiago作) をリリースしさかんに電波にのり大ヒットする。このシングルのラベルから、The Teenagers featuring Frankie LymonがFrankie Lymon and the Teenagersに変わっている。I want you to be my girlはしかしクレジットがGoldner - Barrettとなっていた。この曲は、ポップチャート第13位・R&Bチャート第3位に届き、前作同様に急上昇した。彼らの最初の大きいツアーは、The Teenagers・The Flamingos・The Platters・The Clovers・The Flairs・Carl Perkinsといった蒼々たる顔ぶれでスタートするはずだったが、Frankie Lymonはこのツアーに姿を見せなかった。メンバーのSherman Garnesは急遽、彼らの友人Jimmy Castor(The Juniors・Wingに在籍)をリードボーカルとして代役を依頼し、ツアーをはじめた。Jimmy Castorは意外にもFrankie Lymonとよく似た声で、ツアーへの悪影響はさほどなかった。ちなみにJimmy Castorはこれをきっかけに学校をやめ、シンガーをめざす。ツアーのわずかの期間だけFrankie Lymonは参加している。またデトロイトでの公演では、Richard Barrettがリードをつとめている。56年夏、Geeから3枚目のシングルI promise to remember(Jimmy Castor and The Juniorsのカバー)をリリース。ポップチャート第56位・R&Bチャート第10位に届いた。B面のWho can explainがR&Bチャートで第7位となっている。続くABC's of loveは、グループが最も得意とするジャンプナンバーだったが、ポップチャートでは77位(R&Bチャート第8位)と低迷した。ちなみにB面のShareが、UGHA(アメリカ最大のボーカルグループ愛好団体)が90年代おこなった最も人気が高いオールディーズナンバーの第1位に選出されている。56年には、世界に名高いロンドンパラディアムでマーガレット女王を前にロイヤルコマンドパフォーマンス(御前演奏)を含めたツアーを行っている。次にグループは、ブロンクスにあるBedford Parkスタジオや近くの植物園で撮影した Alan Freedの映画Rock, Rock, Rockに出演し、I'm not a juvenile delinquent(レーベルクレジットはGoldnerとなっているが、The Cadillacs・The ValentinesのBobby Spencerの作品)・Baby baby(ともに5枚目のシングル)を歌った。57年にリリースした8枚目のOut in the cold againがトップ10にランクインするが、これが彼らの最後のR&Bチャートレコードとなった。6週間のヨーロッパツアー中に、George GoldnerはFrankie Lymonのソロシングルをリリースしたが、結果は惨澹たるものとなった。57年のシングルGoody goodyが再びFrankie Lymon and the Teenagersでリリースされ、イギリスでポップスチャート第20位に届いたが、R&Bチャートには入っていない。グループは57年を通じてツアーを続けたが、Geeは再びFrankie LymonのソロSo goes my love・Little girl・FootstepsといったシングルをRouletteからリリースし、本格的なソロ活動をはじめさせる。60年にFrankie LymonはLittle bitty pretty one(Thurston Harrisのリメイク)でチャート第58位にランクインした。一方、The TeenagersはGeeからEndに移籍し、Billy Lobrano(Frankie Avalonのイミテーションといわれた)のリードで2枚のシングルFlip flop・Mama wanna rockをリリースしている。また同年、Kenny Bobo(元The Juniorsのリード)をリードに迎えTonight's the night(The Shirellesのカバー)・A little wiser nowをリリースした。こうしてばらばらになったグループだったが、65年にThe TeenagersとFrankie Lymonは再会したが、レコーディングは行っていない。73年にThe TeenagersはPearl McKinnon(元The Kodaksのリード)とシングルをリリースしている。彼の声がFrankie Lymonによく似ていると話題になった。Sherman Garnesは77年に心臓発作で死去。Joe Negroniは78年に脳出血で死去した。81年、The Teenagersは、彼らの最初のヒットから25周年の記念日に、Herbie Cox・Charlie James(The Cleftones)・Ronnie Italiano(UGHA創設者・Doo Wop専門のレコード店を経営した)・Joel Warshawの提案で再結成された。メンバーは、Jimmy Merchant・Herman Santiago・Eric Ward(The Second Verseに在籍)・Pearl McKinnon。グループは、Joel Warshaw・Ronnie Italianoのマネージメントのもと、活動を再開する。83年にEric Wardが抜けDerek Venturaが加入。さらに84年にPhil Garritoに代わっている。またRoz MoreheadがPearl McKinnonと交替した。80年代初期にはManhattan Transferと公演もおこなっている。83年8月14日、PBS(アメリカのTV局)は彼らの音楽への賛辞として、祖母のアパートで26歳でドラッグにより死亡したFrankie Lymonのドキュメンタリー(I promise to rememberという番組)を放送し、Pearl McKinnonがブロンクス聖レイモンド墓地の刻名のない墓にFrankie Lymonが埋葬されていることを発見し、Frankie Lymonの3人の未亡人Emira Eagle・Zola Taylor(元The Platters)・Elizabeth Watersが著作料について法廷で争っていた85年9月に、Ronnie Italianoが金を集めて墓石を買い、ニュージャージーにある彼のClifton Musicのウィンドウに置かれた。