The Dell Tones / Enchanters / Delltones / Kings And The Queens

1953年・ニューヨーク州・ロングアイランド
Della Simpson(lead)・Rachel Gist(soprano)・Pearl Brice(alto)・Frances Kelley(bass)

The Enchanters
■Today is your birthday・How could you break my heart(Jubilee-5072)52.01
■I've lost・Housewife blues(Jubilee-5080)52.04
The Dell Tones
■Yours alone・My heart's on fire(Brunswick-84015)53.07
The Delltones
■Little short daddy・I'm not in love with you(Rainbow-244)54.04
■Don't be long・Baby say you love me(Baton-212)55.07
■My special love・Believe it(Baton-223)56.03
The Kings And The Queens(The Orioles and The Delltones)
■Voices of love・I'm so lonely(Everlast-5003)57.06

The Dell Tones
SP Today is 
your birthday
Jubilee-5072
1952年

The Enchantersは1950年代の最も早い時期に活動し、のちのThe Hearts・The Bobbettes・The Chanteles・The Shirellesといった女性R&Bグループの先駆者となったグループのひとつである。肩パッドの生産工場で働くDella SimpsonとFrances Kelleyは1950年にグループを作るためにDella Simpsonの少女時代の友人だったPearl Briceを誘った。3人はその頃新興の深かったRachel Gist(すでにハーレムのクラブでソロシンガーとして仕事をしていた)にグループ加入を持ちかけた。グループの仕上げとしてメンバー共通の友人であったChris Townesがグループのシンガー・ピアニスト・編曲者・ソングライターとして参画する。こうして独立して活動できる体勢を整えたのである。当時17歳前後だった少女たち(Rachel Gistが最年少である)はThe Four BuddiesやThe Waderers(のちにThe Four FreshmenやSonny Till's 2nd Oriolesとなるグループ)に影響を受けている。時間のある時には小さなクラブでChris Townesの書いたオリジナル作品を歌いながらおよそ1年ほど過ごした。1951年11月、Della SimpsonはJubileeレコード(Jerry Blaine設立)に連絡し、ハーレムでのライブを見に来てほしいと彼らを招待する電話を入れた。Jerry Blaineは「女性ボーカル・グループ」という事に非常に興味を持ち、グループの公演を見に行く約束をした。The Enchantersが翌出演したのは、アポロ劇場(ハーレム・125番街)のすぐ隣にあったShowman'sというクラブで、この店にピアノが置かれて以来ずっと練習したきた場所であった。グループはこの店を訪れたJerry Blaineの前でI've lostを歌った。彼はグループを気に入り、さっそく翌日契約書にサインするために会社を訪問するよう指示し、翌週にはレコーディング・セッションの予約まで設けた。The Enchantersが初めてレコーディングしたのはToday is your birthdayという作品で、これはJerry Blaineが彼女達用に用意した曲であった。この曲はこのレコーディングのおよそ2カ月前にOnyxレコードからThe Sugartonesというグループがリリースしていた。この日のレコーディングではHow could you break my heart・I've lost・Housewife blues・You know I'm not in love with youが収録された。これらの曲でDella Simpsonはリードを担当したが、Today is your birthdayはBuddy Lucas(このセッションのバックバンドのリーダー)が歌った。Jubileeはこれらの録音のマスター・ナンバーを割りてた。1951年11月28日にThe OriolesがHow blind can you be(28013)・When you're not around(28014)・Waiting(28023)・My loved one(28024)の4曲をレコーディングしたが、The Enchantersの曲もこのパターン(28015・28016・28021・28022)と同じ振り方で、(Jubileeのこの方法が合理的である限り)こらがの作品がすべて同じ日にレコーディングされたと想定できる。Della SimpsonとFrances Kelleyの両人はセッションはたった1回だったとの記憶している。満足できるマスターを収録したJerry Blaineは、1951年度のクリスマス商戦として業界誌に載せるJubileeの広告にThe Enchantersを含めることに自信を持った。やがて広告にはThe Orioles・Sonny Til・Edna McGriff・Buddy LucasらとともにThe Enchantersにも言及した記事となって掲載された。それは記事を読んだ人々にとって(Jerry Blaineが1月までThe Enchantersとの調印を公表しなかった)このグループがいったい誰なのか、と想像をかき立てる記事になった。グループには「Something New and Different !」というコピーが添えられていた。こうして1月にJubileeからHow could you break my heartがリリースされた。しかしこのシングルはTell me why(The Swallows)・Laughing on the outside, crying on the inside(The Majors)・My lost love(The Larks)・Brown boy(The Jive Bombers)・Yes sir, that's my baby(The Five Keys)・Wheel of fortune(The Cardinals)・Why make a fool out of me(The Marshall Brothers)らと同週にリリースされたためか、レビューに取り上げられることはなかった。1952年3月、The Enchantersは、Lil Green・Sarah McLawler・Big Jay McNeelyらとともにShaw Artists Corporation(Billy Shaw設立・興行を扱う会社)との契約を交わした。1952年4月、JubileeはThe Enchanters2枚目のシングルI've lostをリリースする。4月26日にレビューに登場し、Yes(Mabel Scott)・Loud talkin' woman(Helen Humes)・Mailman's sack(Tiny Bradshaw)・So tired(Roy Milton)・Wango blues(Preston Love)・Until the real thing comes along(Billy Bunn and Buddies)・Lawdy, miss Clawdy(Lloyd Price)・Goin' home(Fats Domino)・I'd be a fool again(The Blenders)・Dig these blues(The Four Clefs)らとともに評価を受けた。この頃に43日間のNight Trainツアー(実際にそれは夜行列車で旅をした)にJimmy Forrestとともに参加している。この公演にはThe Kangaroosというダンス一座などがいたがThe Enchantersはその中で唯一の歌手であった。地元でのThe Enchantersはアポロ劇場・ハワード劇場・ロイヤル劇場で、ツアーではニューオーリンズ・リトルロック・モービル・レキシントン(ケンタッキー州)・トロント・ケベック市などで公演を行っている。The Enchantersとして最後のサーキット公演は1952年12月12日のAmsterdam News' 15th Annual Midnight Benefit Show(アムステルダム・ニュース生活保護資金のためのショウ)と題したアポロ劇場出演である。このステージにはMilton Berle・Ella Fitzgerald・Red Buttons・Sunny Gale・Duke Ellington・The Ink Spots・Arnett Cobb・Bette McLaurin・Billy Eckstine・Vic Damoneらと登場した。この公演後、Rachel Gist(すでに結婚し2人の子供がいた)は夫の強い希望でグループを去った。Pearl Briceも結婚して主婦として家に収まることに決めた。Della SimpsonとFrances Kelleyはまだ歌を続けて行くつもりであった。The Dorsey Sisters(Gloria Alleyne・Sherry Gary・Donna Gara・Gloria Rivera・Gloria Hearn)と呼ばれる女性グループがあった(活動は短期間でレコードもない)。The Enchantersは新しいメンバーをこのグループから呼び寄せた。Rachel Gistの代わりにGloria Alleyneが、Pearl Briceの代わりにSherry Garyがそれぞれグループに加入し、メンバーを刷新したグループは名前もThe Dell Tonesと改名した。改名時のメンバーはDella Simpson・Frances Kelley・Gloria Alleyne・Sherry Gary・Chris Townesの5人で、グループのマネージャであった Jimmy Simpson(Della Simpsonの夫)はBrunswick(Coralの子会社)とのレコーディング契約を成立させた。1953年6月3日、Yours alone・My heart's on fireをレコデーディングし7月にリリースされた。When I met you(The Crickets)・Laundromat blues(The Five Royales)・That's my desire(The Flamingos)・Just walkin' in the rain(The Prisonaires)・Two loves have I(The Diamonds)・Heaven only knows(The Charms)らと同週のリリースであった。1953年12月、The Dell TonesはBaby Grand(125番街・8番通り・アポロ劇場の近くで有名なフランクのステーキハウスの隣りにある)でNipsey Russell(コメディアン・The Playboy of Harlemと呼ばれた)ともに1週間公演を行った。何事も起こらなかったBrunswickを去り、The Dell Tonesは、1954年早くにRainbowレコード(Eddie Heller設立)と契約し、Kelly Owens OrchestraのバッキングによるLittle short daddy・I'm not in love with youをレコーディングする。このシングルはグループ名がThe Delltonesと綴られ1954年4月10日にレビューに登場し、Tenderly(The Dominoes)・Tell me you care(The Lamplighters)・My memories of you(The Harptones)・I know she's gone(The Quails)・You've gotta reap(Lowell Fulson)・Runaway(The Jesse Stone Orchestra)らとともに取り上げられた。この週はWork with me Annie(The Midnighters)のシンシナティでの大ヒット報じられている。彼女達のグループ名の綴りについて、結成当初のThe Dell TonesからThe Delltones、そしてThe Dell-Tones(この名前はグループ後期のポロモート写真に記載されている)へと代わっている。1954年夏、Gloria Alleyneがグループを去る。彼女は9月にStan Pat(DJ・WTTM・トレントン)とマネージメント契約を結び、同9月にWhen did I say my prayerをJosie(Jubileeの子会社にあたる)からリリースした。その後のGloria Alleyneは、Ember・Central・Premium・Everest(Danny Robinson設立)といったレーベルでのレコーディングも経験し、ジャズシンガーあるいはポップシンガーとしてGloria Alleyne・Gloria Lynne・Gloria Lynn等の名前で数年間のソロ活動を行った。ジャズでは60年代初期から中頃にかけてヒットを放ち、彼女の最大のヒットはI wish you loveで、1965年にリリースし第28位まで上昇している。Gloria Alleyneが去ったThe DelltonesにはShirley "Bunny" Foyが加入したが、間もなくSherry Garyもグループを抜け、Renne Stewart(自分がグループに加入したその日、Shirley Foyが新メンバーとしてそこにいたことを彼女は覚えている)が加入する。The Dell Tonesは、Della Simpson・Frances Kelley・Bunny Foy・Renne Stewart・Chris Townesという顔ぶれになった。メンバーのRenne Stewartは5歳の頃からゴスペルを歌い、ブロンクス(PS88)で活動したThe Three Chimesのメンバーであった。The Three ChimesはRenne Stewart・Beverly Stewart・Lily Mae Belleのトリオで、Beverly StewartはRenne Stewartの姉妹、のちにArthur Crier(The MellowsやThe Five Chimesのメンバー)と結婚している。またLily Mae BelleはThe Valentinesの作品のいくつかを書いている。Renne StewartがThe Delltonesに加入したのは偶然(もともと彼女の友人Vicki Burgessがオーディションに応募し、その同伴として彼女についていった)ともいえた。またFrances KelleyはThe Dell Tonesに加入して5年後の1955年に死去し、Algie Willieが加入している。1955年7月に業界紙が「Batonレコード(Sol Rabinowitz設立)のボーカリストDella Simpsonは自身のグループを結成し、ソロ活動も続ける」と報じたが、BatonにおいてはDella Simpsonはソロシンガーではなかった。そんな中メンバー(Della Simpson・Algie Willie・Bunny Foy・Renne Stewart・Chris Townes)は、Batonでレコーディング・セッションを行いDon't be long・Baby say you love me・My special love・Believe itを収録する。このセッションではDella Simpsonはすべてのリードボーカルを担当、Maurice Simonがテナー・サックスとしてバッキングで参加した。Don't be longは1955年6月にリリースされて8月27日にレビューに登場、Nip sip(The Clovers)・Take me back to heaven(The Dominoes)・I'm good to you baby(The Gypsies)・Together(Richard Berry)・Wiffenpoof song (done as a mambo!!!)(Chris Powell)・And I need you(The Pyramids)・Love(The Sheppards)らとともに評価された。8月にThe Delltonesはフィラデルフィアへ向かい、テレビ・ショーに出演し Baby say you love meのプロモーションを行う予定だったが、放送局のエンジニアの手違いでDon't be longが流された。いずれにしてもリップシンク(いわゆる口パク)での放送だったが、彼女達はこの曲が流れたとたん驚いた顔をし、すべての歌詞を覚えていなかったこともあり、この生放送は大変(ファンには)面白いものとなった。1955年12月、The DelltonesはShaw Artists Corporation(Stan Pat設立・興行を扱った会社・Gloria Alleyneのマネージャー)と契約を交わし、12月30日にアポロ劇場に出演する。出演者は、Sonny Til and his New Orioles・Arnett Cobb・Warren Berry・Clay Tysonであった。1956年2月3日に始まったロイヤル劇場(ボルティモア)公演に Illinois Jacquet(サックス奏者)・The Spiders・Mickey and Sylvia・Screaming Jay Hawkinsらとともに出演した。1956年3月、Batonは前年にレコーディングした中からMy special love・Believe itをリリース、3月31日にI'm in love again(Fats Domino)・Corrine, Corinna(Joe Turner)・We go together(The Moonglows)・So strange(The Five Dollars)・Zoom(The Cadillacs)・Going home to stay(The Hearts)・Baby(The Premiers)・I call to you(The Fi-Tones)・Church bells may ring(The Cadets)・Devil blues(The Chromatics)らと共に登場した。Believe itはフィラデルフィアとバージニアで順調な売り上げを見せ、The Delltonesは4月にカナダに向けてツアーに出発、Flamingo Club(ハミルトン・オンタリオ)・Esquire Show Bar(モントリオール)で公演を行った。このツアー中、6人目のメンバーとしてFrank Henderson(サックス奏者)はグループに加えられた。The Delltonesのステージは、Della Simpsonがドラムを、Chris Townesはピアノを担当し独立したバンドともいえた。またChris Townesはこの公演ではいくつかの歌でリードをとり(バッキングとしては歌わなかった)スタンダードや自身の曲を歌っている。しかしDella Simpsonは「メンバーは怠け者だし…、ともかく私は出演の前に病気になってしまい歌えなかった。他のメンバーが私の代わりに歌う事もないだろうと思い、私たちは出演しないままに家に帰って来なければならなかった」と話している。5月16日、The Delltonesは、Sir John(マイアミのホテル)のClub Basin Streetでの公演を開始する。この4週間公演の約束のために、Frank Hendersonに代わってGloria Bellがベース奏者として加入した。彼女たちの公演広告は、グループを女性版The Treniersとして宣伝していた。この公演にはBill Robinson and The Quailsも出演している。続いて(Gloria Bellは参加しなかった)Club Harlem(アトランティック市)に11週というひと夏の間の出演も行っている。1956年後半、Renne Stewartがグループを抜けた。彼女は「私の目標が変わったからよ」と話す。この時点で彼女が求めたのは結婚して落ち着くことであった。Renne Stewartに代わってSnapshotと呼ばれる女性が加入する(Renne Stewartは彼女を見るためにアポロ劇場へ出かけた事を覚えている)が、短期間でグループを去った。しかし、間もなくChris Townesがいくつかのブロードウエイ作品をプロデュースするためにグループを去り、The Delltonesは解散に至った。この頃、Della SimpsonはThe Oriolesと親交を深め、やがてPaul Griffin(The Oriolesのピアニスト)と結婚している(Sonny Tilは70代後期の、彼にとって最後の2年間をDella Simpsonの家で過ごしている)。The OriolesはモダンなハーモニーでThe Delltonesに多大な影響を与えた。このふたつグループはVoices of love・I'm so lonelyという作品をEverlastレーベルからThe Kings and The Queensという名前で1957年にリリースした。メンバーは、Sonny Til・Diz Russell・Jerry Holeman・Tex Cornelius・Billy Adams・Della Simpson(両面でリードを歌った)・Bunny Foy・Renee Stewart・Algie Willie(唯一プロモート写真にも映っていない)で、ニューヨークのクラブでたった2回だけ公演を行った。最後のThe Delltonesは、Della SimpsonとPaul Griffin(Della Simpsonの夫)・Aaron "Tex" Cornelius(ともにVee-Jay期のThe Oriolesに在籍)と(誰もが覚えていない)もう一人の少女の4人編成で1957年後半に結成されが、その後Della Simpsonはポップスやジャズのソロシンガーとしての仕事を中心に活動し、グループとは疎遠なままである。