Lewis Lymon and The Teenchords

1956年・ニューヨーク州・ニューヨーク市・マンハッタン
Louis Lymon(lead・~91)・Ralph Vaughan(tenor)・Rossilio Rocca(tenor)
Lyndon Harold(baritone)・David Little(bass)

■I'm so happy・Lydia(Fury-1000)57
■Honey, honey・Please tell the angels(Fury-1003)57
■I'm not too young to fall in love・Falling i love(Fury-1006)57
■Too young・Your last chance(End-1003)57
■I found out why・Tell me love(End-1007)57
■Dance girl・Them there eyes(Juanita-101)58
■I found out why・Too young(End-1113)62

The Teenchords
45s I'm so happy
Relic-7028
1994年

Louis Lymon(The TeenagersのFrankie Lymonの弟)が加入していたThe Harlem Quintetが母体となった。メンバーは、Louis Lymon・Rossilio Rocca・Lyndon Harold・David Littleの4人。Louis Lymonはすでに有名となった兄のグループにちなんで、56年にThe Teenchordsと改名する。56年の秋に、Frankie Lymonがアポロ劇場に出演するのを見に行ったグループは、もう一人のテナーを探し始める。やがてCharles Sampson(The Velvets・Red Robin)の紹介で、彼の友人でもあったRalph Vaughan(当時15歳)が加入する。Ralph Vaughanはかねてよりその才能を見込まれて、Red Robin(Bobby Robinson設立)から自身のグループを結成してオーディションを受けるよう求められていた。グループはCharles SampsonとともにRed Robinを訪れ、Ralph Vaughanがファーストテナーを担当しWho can explain(The Teenagrsのヒット)を歌った。彼の兄とよく似たLouis Lymonのボーカルを気に入ったBobby Robinsonはグループと契約を交わし、間もなくI'm so happy(Louis Lymon作詞・B面はBobby Robinsonの作品)が56年11月にBobby Robinsonの新しいFuryからリリースされデビューを飾った。最初の10日で4万枚以上のを売り上げを、ニューヨーク・フィラデルフィア・ボストンで記録する大ヒットとなった。ちなみにI'm so happyはその後、数多くのニューヨークDoo-Wopグループに歌われるスタンダードにまでなり、Phil Spectorが手掛けた最初のDoo-WopグループThe Ducanesも歌っている。57年1月3日のアポロ劇場で、Jocko Henderson(WOVのDJ)司会のもと、The Channeles・The Impressions・The Heartbeats・Jesse Belvin・Clarence Henry・Micky and Sylviaらと競演している。この公演が評判となり、翌年は多くの都市で公演を行っている。またその半分以上にHal Jackson(WLIBのDJ)・Dr. Jive(WWRLのDJ)が同行した。57年2月に2枚目のシングル、Honey, honeyはイーストコーストで大きな反響があったが、最初のヒットほど大きくはなかった。Fury最後のシングルI'm not too young to fall in loveは7月22日にレコーディングされ、間もなくリリースされた。同月、グループはFrankie Lymon and The Teenagers・The Dubs・The Everly Brothers・Chuck Berry・Jay Hawkins・Jodie Sandsとともにニューヨークのパラマウントで開催されたAlan FreedのSummer Festivalに出演している。グループはEverly Brothersの上に、そしてJodie Sandsの下にラインナップされている。ちなみにグループのステージ衣装は赤いセーター(Teenchordsとプリントされていた)・白シャツ・黒の蝶ネクタイ・黒ズボン・白い靴だった。その年の夏、Louis Lymon・David Littleは、たまたまガレージ停まっていた車に腰掛けたところを警官に咎められ、しかもそれが盗難車であったことから、David Littleは連行されるという事件が起こっている。グループのジャマイカでの4週間のツアーのために急遽Jimmy Merchantが参加した。ツアーから戻った57年9月14日にグループは、すでにEnd(George Goldner設立)との取り引きにより移籍する事を知らされる。Louis Lymonは、この契約でDavid Littleがメンバーとして記名されていないことで署名を拒否したが、結局彼の母親の署名によってこの契約は成立した。Endからの最初のシングル、Your last chance・Too youngは、かつてFuryでレコーディングした作品で、Bobby RobinsonとGeorge Goldnerとの間ですでに取引があったことを示していた。グループの評価が高い高いポイントは ワーナーブラザース製作のロックンロール映画Jamboreeに、Jerry Lee Lewis・The Four Coins・Fats Domino・Connie Francis・Frankie Avalon・Slim Whitman・Charlie Gracie・Dick Clark(DJ)・Joe Smith(WVDAのDJ・後のWarnerの責任者)・Barry Kaye(WJNSのDJ)・Jocko Henderson(WOVのDJ)・Robin Seymour(WKMKのDJ)・Dick Whittinghill(KMPCのDJ)らと出演。Your last chanceを歌ったこの作品は、グループのファンの間では評価が高い。57年11月、The TeenagersのWhy do fools fall in loveのアンサーソングとしてI found out whyをリリースしたが、ほとんど話題にならなかった。58年にリリースしたDance girlはLes Cooperの作品で、のちにThe Chartsがカバーしている。そしておよそ2年後にグループは解散した。 61年にLouis LymonはThe TownsmenとともにI can't goをP.J.からリリースした。62年には、Frankie Lymonとデュエットでアポロ劇場に出演したが長続きはしなかった。71年に、Louis Lymon・Ralph Ramos(テナー)・Louis Vasquez(テナー)・Velmont Miller(バリトン)・Frank San Pietro(リード)のメンバーでThe Teenchordsを再結成し、ロックマガジン主催のCollectors' Showに出演し、Louis Lymonはバリトンを担当、またセカンドリードボーカルとして歌った。73年にはフィラデルフィアでI'm so happyなどをLouis Lymonがリードを歌って出演している。その後の数年間、Louis Lymonはタイピストや郵便事務員として働いたが、83年にもう一度グループを再結成。メンバーは、Louis Lymon(リード)・John O'Keefe(テナー)・Mike Nicoletti(テナー)・Thomas Camuti(バリトン)・Andre Games(The TeenagersのベースSherman Gamesの兄弟)で、84年にStarlightからI want you to be my girlのアカペラバージョンを、そして85年にはDance girlのアカペラバージョンをリリースした。Louis Lymonは91年に未刊の自伝を残し死去、Beverly Warrenはリードを引き継いだ。