The Clovers

1949年・ワシントン州・ワシントン
John 'Buddy' Bailey(lead)・Matthew McQuater(tenor)・Harold Lucas(baritone・32~94.01.06)・Harold Winley(bass)・Bill Harris(aka William Harris・guiter・25.04.14~88.12.10)

The Clovers
■Yes sir, that's my baby・When you come back to me(Rainbow-122)50
■Skylark・Don't you know I love you(Atlantic-934)51.6
■Fool fool fool・Needless(Atlantic-944)51.8
■One mint julip・Middle of the night(Atlantic-963)52.4
■Ting a ling・Wonder where my baby's gone(Atlantic-969)52.7
■I prayed the fool・Hey miss Fannie(Atrantic-977)52.11
■Crawlin・Yes it's you(Atrantic-989)53.3
■Good lovin'・Here goes a fool(Atrantic-1000)53
■Comin' on・The feeling is so good(Atrantic-1010)53
■Lovey dovey・Little mama(Atrantic-1022)54.3
■I've got my eyes on you・Your cash ain't nothin' but trash(Atrantic-1035)54.7
■I confess・All right, oh sweetie'(Atrantic-1046)54
■Blue velvet・If you love me(Atrantic-1052)55.3
■In the morning time・Love bug(Atrantic-1060)55
■Nip sip・If I could be loved by you(Atlantic-1073)55.9
■Devil or angel・Hey, doll baby(Atrantic-1083)55
■Your Tender Lips・Love love love(Atrantic-1094)56.6
■From the bottom of my heart・Bring me love(Atrantic-1107)56
■Baby baby, oh my darling・Lonely fool(Atrantic-1118)56
■You good looking woman・Here comes romance(Atrantic 1129)57
■So young・I-I-I love you(Atrantic-1139)57
■Down in the alley・There's no tomorrow(Atrantic-1152)57
■Wishing for your love・All about you(Atlantic-1175)58
■The gossip wheel・Please come on to me(Poplar-110)58
■The good old summertime・Idaho(Poplar-111)58
■Old black magic・Rock and roll Tango(United Artists-174 )59
■One mint julep・Lovey(United Artists-209)60
■Easy lovin'・I'm confessin' that I love you(United Artists-227)60
■Yes it's you・Burning fire(United Artists-263)60
■Have gun・The honeydripper(United Artists-307)61
■Wrapped up in a dream・Let me hold you(Winley-225)61
■The bootie green・Drive it home(Atlantic-2129)61
■Love potion #9・My Boomerang won't come back(再発・United Artists-1599)62
■The Kickapoo・Love! love! love! (Brunswick-55249)63
■Love Potion No. 9・Stay awhile(再発・United Artists-1618)
■He sure could hypnotize・Poor baby(Port-3004)65 
■Love potion #9・Hey little girl(The Deltones)(Lana-113)65
■Devil or angel・Since I met you(The Deltones)(Lana-114 )65
■Too long without some loving・For days(Josie-992)68
■Try my lovin' on you・Sweet side of a soulful woman(Josie-997)68
■Love potion #9・Stay awhile(再発・United Artists-Xw133)72
■Bump jive! ・Bump jive (Disco) !! (Aladdin-4350)75
■Drive it home・Don't play that song(Ripete-1011)88
■Blue velvet・One mint julep・You're so fine・Lovey Dovey(EP・Ripete-1022)89 
■Drive it home・Don't play that song(Ripete-2022)
■Hey Miss Fannie・Goin' home to jesus(Ripete-3006)90
The Fabulous Clovers Featuring John 'Buddy' Bailey
■Be my baby・They're rockin' down the street(Winley-265)62
■Gotta quit you・I need you now(Winley-265)62
Tippie & The Clovermen
■Please Mr. Sun・Gimme, gimme, gimme(Stenton-7001)62
Tippie & The Clovers
■Bossa nova, baby・The bossa nova (my heart said) (Tiger-201)62
The Clovers Featuring Buddy Bailey
■Stop pretending・One more time (come on)(Porwin-1001)63
Buddy Bailey & The Clovers
■It's all in the game・That's what I will be(Porwin-1004)63
LP
■The Clovers(Atlanric-8009)56
■Dance Party(Atlanric-1248)59
■In Clover(UAL-3033)58
■Love Potion No.9(UAL-3099)59
■The Original Love Potion No.9(Granprix KS-428)64

The Clovers
LP The Clovers
Atlantic 8009
1956年

LP Dance party
Atlantic 1248
1959年

LP In Clover
United Artist 3033
1958年

LP Love potion No.9
United Artist 3099
1959年

LP The original love potion
No.9
Granprix K-428
1964年  

The Cloversは最初のR&R黄金期を築いたボーカルグループの一つである。40年代の第二次世界対戦の頃に出現した初期のR&Bから白人ポップスが主流となるまでの長い期間に渡りThe Cloversは主役であった。グループはThe Coasters・The Dells・The Driftersよりも長い歴史を持っていることは意外に知られていない。ある意味ではBill Haleyに類似している。古くから活動し影響を与えたアーティストよりも、いわゆるヒーロータイプのアーティストがクローズアップされがちである音楽シーンでは、Bill HaleyよりもElvis Preslyを、The CloversよりもThe Teenagers・The Belmonts・Danny & The Juniorsが語られる。The Cloversの物語はワシントンの駐屯地から始まる。グループは、多数の黒人ボーカルグループと同様にThe Inkspotsの影響を受けて育っている。Harold Lucasを中心に友人たち数名が集まり、お気に入りのシンガーBill Kenny(The Ink Spots)のカバーなどを歌い地元のクラブで活動をはじめる。地元から徐々に評判になっていったグループは、設立されたばかりの小さなR&Bレーベルの一つだったニューヨークのRainbowを訪れる。DerbyはRalph Flanagan・Dick ToddといったポップスよりもR&Bという魅力あるジャンルのリリースに集中したいとEddie Hellerが新たに設立したレーベルだった。契約を交わしたグループは、The InkspotsスタイルのYes sir, that's my babyでシングルデビューをはたす。しかしオンエアも販売もわずかなものであった。メンバーは、John 'Buddy' Bailey・Matthew McQuater・Harold Lucas・Harold Winley・Bill Harrisの5人編成。ワシントンで有名だった音楽パーソナリティ'Waxie Maxie' SilvermanはグループをAtlanticレコードに紹介する。Ahmet Ertegunはグループと契約することに決め、Jerry Wexlerをプロデューサーに迎え51年2月にAtlanticスタジオに入った。名作Don't you know I love you(A. Nugetre 作・Ahmet Ertegunのペンネーム)はAtlantic-934 としてリリースされ、この曲は、以降10年間にわたるグループ黄金期の記念すべき第1作となった。B面のSkylarkはJohnny Mercerの作品で、Dinah Shoreのヒット曲で、Earl Hines・Billy Eckstineも歌っている。この曲はR&Bチャート第1位となり、Atlanticにとっても完全な成功であった。50年代初期の独立したR&Bレーベルとしては破格の30万枚を超える売上を記録した。51年夏にAtlanticから2枚目のリリースFool fool foolもグループの知名度をさらに広げ、前作同様にR&Bチャート第1位のスマッシュヒットを記録し60万枚以上を売り上げ、Atlanticのドル箱スターとなる。この頃Charlie White(元The Dominoes・30.~)がグループに加入している。この年はFool fool foolがシングル・ジュークボックスの両方でナンバーワンレコードとして終えた。52年AtlanticはOne mint julep(Rudy Toombs作)をリリースしまたたくまにトップへと躍り出た。アトランタではセールスチャート第1位、前作のFool fool foolはニューオリンズで第1位となっている。グループはRuth Brownに続くAtranticのビッグネームだと見なされた。7月にWonder where my baby's goneがリリースされたがこれはわずかなオンエアに留まった。しかしB面のTing-a-lingは多くの都市でブレイクの兆しをみせ始める。この頃にプロモーション公演としてアトランティックからテキサスにかけてRoscoe Gordon's Comboとともにツアーに出ている。コースト公演中に5枚目のHey miss Fannieがリリースされた。大々的なプローモーションにもかかわらずR&Bチャートトップ3にはランクインできなかった。グループのマネジャーであるLou KrefetzはAtranticのナショナルセールス担当となりグループに対するサポートは強化される。この頃グループはアトランティック州でFats Dominoと多く舞台で共演している。53年にはCrawlinをリリース、20万枚近くを売り上げ6枚目のヒットという事実はThe Cloversがトップアーティストの1つであることを証明した。4月初旬には総売上高が200万枚を超え、グループはAtranticからゴールドディスクを受賞した。B面のYes it's youは 50年代なかばに流行することとなるグループスタイルの前触れでもあった。53年夏にGood lovin(Danny 'Run Joe' Taylor作)をリリースする。この直前にBuddy Baileyは陸軍へ召集され、この曲ではCharlie Whiteがリードをとっている。このリードシンガーの交代はグループの成功に陰りをみせる。この曲はこの年の後半のほとんど期間のR&Bチャートに残る膨大なヒットとなった。この頃グループは西海岸へ再びFats Dominoと共にツアーを始め、AtranticからはThe feeling is so goodがツアーにあわせてリリースされた。これはThe CloversがAtlantic時代におけるチャートに失敗した最初のシングルとなった。54年1月に、Little mamaをリリース。B面のLovey doveyはThe Cloversの代表作の一つとなった。このシングルのプロモーションのために、グループはBilly Eckstine・Ruth Brownとともに南~中西部にかけて約2カ月間のツアーをはじめている。このシングルは54年春にビルボード誌・ジュークボックス誌の両方でトップ10にランクインした。この頃グループにとって歴史的なイベントからオファーを受けている。この当時ティーンエージャーはラジオで流されるR&Bを熱心に聞きはじめ、それがそのままレコードセールスに現われ始めていた。クリーブランドから放送されていたAlan FreedのMoondog Showという番組が若者をリードしていた。このAlan Freedがニューアーク東部・ニュージャージーで彼の最初のステージショーを計画していたのである。The Cloversはトップアーティストとしてその名を掲げられた。5月1日にニューアークのMoondog Coronation Ballで開催されたショウには1万人以上の観客が熱狂した。このショウに興味を示したあるレポーターは、聴衆の約20パーセントが白人だったことを指摘し、この夏をさかいに、多くのDJ・音楽業界人・ティーンエージャー・学生らがR&Bレコードに大きな関心を示しはじめたことを報告した。グループのヒットと同時に白人ポップスシンガーの多くがカバーをリリースするようになった。Alan 'Moondog' FreedはJubilee of Stars Under The Starsという公演を8月にブルックリンのEbbet's Fieldで開催し、The CloversとFats Dominoに出演依頼している。またAlan FreedはWINSラジオ局から飛び出し、ニューヨークでも彼のショーを開催する。グループは、シカゴ・ロサンジェルスで行われたBlues Jubilee(Gene Norman主催)にもトップアーティストとして参加した。そうした中、7月中旬にYour cash ain't nothing but trashをリリースする。不幸にもこのシングルは十分なセールスをすることができなかった。数人の評論家は「ボーカルグループブームは下降の傾向にあり、大衆に指示されているのは今や一部のアーティストだけである」と評した。ちなみにこの頃に、それまでの78回転レコード(SP盤)が崩壊し45回転盤がシングルのスタンダードとなり、各レーベル会社はラジオ放送局に送るサンプル盤として急速に45シングルに切り替えた時期である。Alan Freedがニューヨークから歴史的な放送を始めたときに呼び物となったレコードの1つが、The CloversのAll righty oh sweetieであった。B面のI confessのリードを歌ったCharlie Whiteはこの曲を最後にグループを去っている。Alan Freedによるボーカルグループの人気投票でも大きな得点を獲得したThe Cloversは、55年1月中旬にニューヨークで開催されたAlan Freed Showに出演した。このショーの後にグループはRhythm & Blues Top Ten Cavalcadeという公演で6週間のツアーを、The Moonglows・Joe Turner・The Charmsらとおこなった。ハーレムの聖ニックアリーナで開催されたAlan Freed's Rock and Roll Ball公演や、55年4月のイースター週間にブルックリンのパラマウント劇場でのEaster JubileeなどAlan Freed主催の公演はどれも莫大な成功をおさめた。Blue velvetはミドルクラスの売り上げで、続くLove bugはほとんどのチャートからはずれてしまう。この頃のツアーでは南部~南西部を回っている。ツアースタートの直前に、Nip sipをリリースしたがこのシングルも伸び悩んだ。ツアー前にRuth Brownとともにアポロ劇場のステージに立っている。グループは、Rock 'n' Roll Reviewという黒人アーティストを呼び物にした映画に出演。全国の映画館で上映し、ロックンロールファンから利益をあげようというユニークな企画であった。56年1月には名作Devil or angelをリリースし再び大きなセールスを上げることに成功した。この頃にAtlanticとの契約更新がおこなわれている。56年4月から約5週間R&Bショウとして東部~南部にかけてツアーを始める。Devil or angelは1~4月までの間セールスチャートを独占している。Love love loveのリリースでThe Cloversにとってようやく本当のポップスマーケットに届くことが可能となった初の作品となる。ナショナルポップスチャートにランクインし、50年代中頃にはトップ40ラジオともなった。再び成功を手にしたグループは9月にFrom the bottom of my heartをリリース。この曲には、コーラス・楽器ともにポップス的なアレンジメントが施され、以降次第に黒人らしさが失われていく。Atlanticは、カバーバージョンにはこの音と手触りは出せないであろうと確信したという。53年にはAtlanticから6枚のシングルがリリースされたが大衆の注目を引きつけることができなかった。大衆の音楽的な好みの変化にあわせるように、Atlanticも長く支持したR&Bだったが、次第にBobby Darin・新生The Driftersのようなポップスに重点を置きはじめる。アメリカのミュージックシーンでこれほど多くの記録を打ち立てたグループとの契約の更新に対しても少しは興味があったのだが…。グループ結成以来のマネジャーLou Krefetzは58年に自身のPopularを設立し、The Cloversの作品をリリースしたがまったくといっていいほど売れなかった。58年のThe Cloversに関連した最も大きい出来事は、オリジナルメンバーBill HarrisがAtlanticのジャズギタースタイルのアルバムをリリースしたことである。多くのR&B演奏家はジャズ・ミュージシャンやリスナーに尊敬されてはいたが、Bill Harrisのリリースは驚くべき事であった。ダウンビート誌でもこのアルバムは称賛された。この間、The CloversはすでにUnited Artistsに移籍したが、最初のリリースThat ol' black magicも不評に終わりもはや50代初期の成功を取り戻せる希望は薄かった。しかし次のシングルLove Potion # 9(Leiber-Stoller作)が大ヒット、この曲はThe Coastersを有名にした作曲コンビによる典型的な歌物語であった。5年後にはThe Searchersによってリメイクされ、こちらもヒットしている。このユニークなレコードはトップ25に入り、大規模にポップチャートでブレイクし多くのオンエアを得ている。最終的にこの曲はグループにとって、最も長くそして最も成功したヒットナンバーとなった。間もなく、50年代前半の10年間でもっとも成功したR&BボーカルグループThe Cloversはレコーディング活動を終わらせた。