The Demens / The Emersons

1957年・ニューヨーク州・マンハッタン
Eddie Jones(lead)・Jimmy Caines(tenor)・Thomas Cook(lead・tenor)・Frankie Cook(baritone)

The Demens
■Take me as I am・You broke my heart(Teenage-1006)57.08
■The greatest of them all・Hey young girl(Teenage-1008)57.
The Emersons
■Hungry・Joannie, Joannie(Newpoet-7004)58.10
■Dr. Jekyll and Mr. Hyde・The hokey pokey(Cub-9027)59.03
■Down in the valley・Loneliness(United Artists-379)61.11
Jim Mann & The Demons
■The greatest of them all・Long tall texan(Kayray-1003)

The Demens
45s Take me as I am
Teenage-1006
1957年

50年代にどれほどのグループがニューヨークに存在したのかは誰も知らない。しかしほとんどのグループはしばらく歌っては消え、あるいは仲たがいして消えていった。その多くは2~3枚のレコードをリリースできたことさえ幸運であったのかもしれない。そしてほんの一握りのグループだけが1年以上にわたり活躍できた。The Demensはそういった意味からすると「幸運」なグループの一つであった。マンハッタンで57年(ロックンロール全盛期)に結成され、Columbus Avenue第61番街の街角で歌いはじめた。メンバーは、Jimmy Caines・Thomas Cook・Frankie Cook(Thomas Cookの兄弟)・Tommy Outlaw(ベース)・Douggy Williams(Tommy Outlawの従兄弟・テナー)の5人。Cook兄弟はブルックリンの出身で、50代はじめにマッハッタンへ移住している。兄弟はコミュニティーセンターでJimmy Cainesに会っている。The Demensは隣人のEddie 'California' Jones(セカンドテナー・愛称どおりカリフォルニアから移住していた)を頼った。Eddie Jonesは、50年代の初めにThe Solitares(Buzzy Willis・Pat Gaston・Nick Anderson・Rudy Morgan)でリードシンガーとしてレコーディングした人物であった。彼は53年にUncle SamによりBobby Baylorと交代させられた。彼の解雇からおよそ2年後にはThe Solitairesはかなりの成功を収め、メンバーも安定した時期である。The Demensはグループのレッスンを開始した。タレントショーでバックバンドを担当していたメンバーがThe Demensを気に入り、レコーディングスタジオで彼らがオーディションを受けられるるように手はずを整えた。The DemensがEddie Jonesに会ったのはこのスタジオである。57年に、Eddie Jonesと会った数週間後、Tommy Outlaw・Douggy Williamsはグループを去り、Eddie Jonesはグループのリードボーカルとして参加することとなる。4人編成となったThe Demensは本格的なレッスンをはじめる。彼らのレパートリーの多くがジャズとポップス(彼らのお気に入りはThe Wanderersである)で、クラブ・コミュニティーセンター・ダンスパーティーなどでライブを開始する。この頃にグループはマネージャーやレコーディング契約を求めていたが、James A. Dailey(The Bobbettesをマネージメントした)に見いだされた。持つことにもかかわらずマネージャーを持つ事となったにもかかわらず、The Demensは自分達自身でTeenage(Bill 'Bass' Gordon・Ben Smith設立・ブロードウェイ1587・ともにシンガーとしてThe Colonials・The Ben Smith Quartetに在籍していた)を訪問している。早速オーディションが行われ、すぐに契約となりThe Demensは順調なスタートを切ったように思われた。57年夏、Take me as I am・You broke my heart・The greatest of them all・Hey young girlのレコーディングセッションが行われ、57年8月にTake me as I am(B面はYou broke my heart)がリリースされた。9月16日に両側ともにレビューされ、Down in the alley(The Clovers)・Confess it to your heart(The Moonglows)・It's too late now(The Cuff Links)・If I could make you mine(The Love Notes)らとともに紹介された。メンバーはヒットを祈ったが、思うようにはならなかった。2カ月後に、The greatest of them(B面はHey young girl)をリリースしたが、レビュー誌へのサンプル盤さえ送られなかった。The Demensは知らなかったが、その頃のTeenageは倒産寸前であった。事実、この2枚目のリリース直後にTeenageは倒産し、Bill Gordon・Ben Smithは行方をくらました。途方に暮れたThe Demensだったが、それでも公演は続けた。アポロ劇場(Jackie Wilsonと共演)・ロングアイランドのクラブ・Uptown Theater(フィラデルフィア)・Carls Beach(メイランド)・Sparrows Beach(メイランド)・Howard Theater(ワシントン)なでに出演した。58年、Jerry Winston(Onyxレコードの前所有者・すでに倒産していた・Goneレコードに作品を提供していた)は新たにNewport(ブロードウェイ1650)を設立する。Jerry WinstonはThe Demensと契約する。この時にグループ名をThe Emersonsに改名し、58年10月に、Hungry(B面はJoannie, Joannie)をリリースする。11月24日に、So fine(The Fiestas)・Ankle Bracelet(The Pyramids)・One great love(The Five Keys)・It wasn't a lie(The Fi-Tones・再発であった)とともにレビューされた。レビューでは最高の評価だったにもかかわらず、レコードは成功することなしに終わってしまう。Newportもこの失敗で倒産し、The Emersonsが最後のリリースとなった。The EmersonsはCub(MGMの子会社・Jerry Winstonがプロデューサーとして働いた)に移籍し、59年2月25日、Dr. Jekyll and Mr. Hyde(B面はThe hokey pokey)をレコーディング、3月にリリースされたが、(なぜがMGMのような大きい会社であったにもかかわらずレビュー誌に送られなかったために)レビューされるこよもなかった。The Emersonsはその後も2年間活動したが、その間にEddie Jones・Jimmy Cainesはそれぞれ結婚している。61年10月にはUnited Artistsに移籍し、Down in the valley(B面はLoneliness)をリリースし、グループは解散した。その後、1枚のシングルがKairayより突然リリースされた。The greatest of them allで、Eddie Jones and The Demonsとクレジットされていた。B面はLang tall TexanでJim Mann and The Demonsとなっている。数年後、Eddie Jonesは、The Bobbettes・The Chantels・The Crystals などのレッスン教師を担当した。