The Royal Jokers / The Musketeers / The Scooters / The Royals

1952年・ミシガン州・デトロイト
Noah Howell(baritone・tenor)・Thearon 'T-Man' Hill(tenor)・Norman Thrasher(baritone)・Isaac 'Ike' Reese(bass)

The Serenaders
■Tomorrow night・Why don't you do right(JVB-2001)52.
■It's funny・Confession is good for the soul(Coral-60720)52.05
■Misery・But I forgive you(Coral-65093)52.06
■Will she know ? ・I want to love you baby(Red Robin-115)53.05
■Please, please forgive me・Baby(Deluxe-6022)53.11
■Ain't goin' to cry no more・M-a-y-b-e-l-l(Swing Time-347)54.01
The Musketeers
■Goodbye my love・Love me till my dying day(Roxy-801)52.
■Deep in my heart(Goodbye my love)・Love me til your dying day(Swing Time-331)53.04
The Royals
■Someday we'll meet again・I want you to be my baby - Mambo(Venus-103)54.10
The Scooters
■Someday we'll meet again(with Alexander Ames)・Really (with Little Edna Mae)(Dawn-224)57.02
The Royal Jokers
■You tickle me baby・Stay here(Atco-6052)55.09
■Don't leave me fanny・Rocks in my pillow(Atco-6062)56.01
■She's mine all mine・Ride on little girl(Atco-6077)56.09
■Sweet little angel・I don't like you that much(Fortune-840)58.04
■September in the rain・Spring(Hi Q-5004・配給は Fortune)58.
■Sam's back・Grabitis(Metro-20032・配給は MGM)60.01
■Lovey dovey・Nickel, 3 dimes and 5 quarters(Keldon-322)60.11
■Hard times・Red hot(Big Top-3064・配給は Hill & Range Music Company)61.
■You tickle me baby・You came along(Fortune-560)63.
■Love game (from A to Z) ・(Instrumental Version)(Wingate-020)66.

The Royal Jokers

デトロイトは50年代のR&Bボーカルグループを数多く産んだ地であり、本グループもそれらの一つである。このグループは多数のレーベルにおいて様々な名前で作品を残し、およそ40年にわたり活動を続けた。母体となったThe Serenadersは46年にデトロイトで結成され、Forest Club Bowling Alleyで歌い始めている。オリジナルメンバーは、Noah Howell・Norman Thrasher・Isaac Reese・Henry Boot(テナー) で、当時は全員がGarfield Intermediate Schoolの生徒であった。メンバーは、全員が学校を卒業しNortheastern高校へ進学している。高校へ通う電車の中でも練習していたという。Henry Boothは内気な性格で練習は彼にとってあまりにも恥ずかしかったために練習には参加でずにグループを抜けている。間もなくWarfield Theaterで開催されたアマチュアショーで知り合ったThearon Hillが練習に誘われ、すぐにメンバーに加入した。Thearon Hillは他のメンバーとは別の町のMiller高校の生徒でソロシンガーとして活動していた。グループを抜けたHenry Boothは、のちに The Royals・The Midnighters jacketのオリジナルのメンバーとなる。Fifth street blues(The Royals)で彼のリードが聞ける。グループは、El CinoやCozy Cornerといったデトロイト周辺のクラブでセミプロとしての活動を始めた。しかしメンバーは未成年だったために、クラブ(当時のクラブは酒とストリップが売り物だった)でのライブ中は保護者の同席を求められた。同じ日に何度も出演する時は、ステージ以外の時間は外の車に座って待機した。もちろん、メンバーは学生だったので出演は週末に限られていた。51年秋、グループは火曜日の夜にパラダイス劇場で行われるアマチュアコンテストで優勝した。翌週、Johnny Otis(多くのグループを発掘したバンドリーダー)がこの劇場で1週間の公演予定となっておりグループもこの公演を楽しみにしていたが、Johnny Otisはさらに1週間遅れて出演することとなる。The Serenadersのメンバーは舞台裏から彼のステージを見ていたが、彼がその夜見たアマチュアグループはThe Royals(Henry Boothがメンバーにいた)であった。The Royalsは彼に発掘されることになる。当時のThe Serenadersは街角で歌っていたアマチュアグループで、地元の Hastingsレコード店(Joe Von Battleがオーナー・写真)へ出入りしており、彼の新設したJ-V-Bレーベルでレコーディングすることとなった。(このレーベルは、数年間でThe Serenadersのレコードを色んなシリーズでリリースする期間だけ使われた。これらのシングルはいずれもレビューに取り上げられることはなかった。)52年にTomorrow night(Lonnie Johnsonの48年のヒットのリメイク)がリリースされている。B面のWhy don't you do rightはJoe McCoyが42年に書き、Lil Greenでヒットした曲で、翌年に映画Stage Door CanteenでPeggy Lee(with Benny Goodman)が歌った。また後年には、アニメWho Framed Roger Rabbit ?の挿入歌としてJessica Rabbitが歌っている。52年のリリースと記したがあくまで定説で、The Serenadersの初期のレコーディングに関しては、Joe Von Battle自身がレコーディングデータを残しておらず、ほとんど無節操に次々と収録を行ったために、詳細はほとんどが不明となっている。The SerenadersのM-a-y-b-e-l-l(のちにSwingtimeが54年1月に購入しリリースする)は、50年にRag mop(54年にリリース)としてレコーディングした曲であるとThearon Hillは語っている。これは、彼らの最初のレコーディングセッションが50年に行われたことを意味している。しかしNorman ThrasherやThearon Hillもレコーディングした曲の順番といった詳細については覚えていないようである。Joe Von Battleの息子によるとThe Serenadersは60年代にはこのレーベルと縁が切れたということである。グループのシングルはどれも全米チャートとは縁がなかった。そしてどんな名前を使ってもそれは同じであった。彼らの次のシングルは、恐らく52年にRoxy(デトロイト)からリリースされた。ちなみにNorman Thrasher・Thearon Hillはこの歌は覚えているが、どちらもRoxyを覚えていない。またこの曲をどのレーベルでレコーディングしたのかも思い出せないという。また、RoxyはJoe Von Battle所有ではなさそうであるが、50年のマスターからのカッティングの可能性はある。彼らは、グループ名の多くをお気に入りのアクション映画から拝借している。次に使ったのがThe Caverliers(この名前ではレコーディングしていない)という名前、そして間もなくThe Musketeers(シリーズ映画から)となった。「俺達はこれだ!と思うまで名前を変え続けたんだ」とThearon Hillは語っている。RoxyからはGoodbye my love・Love me till my dying day(曲名がミスプリントされた・正しくはLove me til your dying day)がリリースされている。両面ともにNoah Howellの作品で、彼はグループに多くの作品を提供している。しかしRoxyのシングルには彼の名前はクレジットされていなかった。ある日、Teddy Reig(ニューヨークにあるRoyal Roost Clubのオーナー・Count Basieのマネージャー)が、彼らの町のFlame Show BarでThe Musketeersを聞いた(メンバーはこの時Joe Medlinにも会っている)。Teddy ReigはCoral(Deccaの子会社)のA&Rでもあった。The Musketeersを気に入った彼はさっそくグループとレコーディング契約を交わすこととなった。Coralからリリースされることとなる曲は全て地元のデトロイトレコーディングスタジオで行われ、ニューヨークに発送された(Coralに残るデータの日付は実際のレコーディングの日付か、あるいはマスター用に予約した日付であると推定でき、前者の方がの可能性が高い)。52年3月18日、It's funny(The Ink Spotsが39年6月にリリースした曲のリメイク・44年にFrank Sinatraでもヒットした)・Confession is good for the soul(Sammy Gallup・Fred Wise共作)をレコーディングしている。It's funnyは、当時Nat 'King' Coleバージョンもリリースされており、The Serenadersはこの歌のヒットをおおいに期待していた。この歌はJack Lawrence(If I didn't careの作者)の作品だったが、グループのシングルではHill・Howell・Reese・Thrasherが作者としてクレジットされている。このことに対し Thearon Hillは「俺達はいつでも告訴されたはずだよ」と語っている。シングルは5月に「Coral R&Bシリーズ」と銘打ってリリースされ、52年5月17日に、Why don't I(The Heartbreakers)・Rocket 69(Todd Rhodes・The MedallionsのBuick 59がベースとなった曲)・Proud of you 8(Sonny Til)・I wonder(The Four Tunes)とともにレビューされた。彼らの思いとは異なり、B面のConfession is good for the soulがA面より高い評価を得た。52年5月28日、Misery・But I forgive youのレコーディングを行っている。But I forgive youはTampa Redの作品(彼の本名Hudson Whittakerでクレジット)のカバーで、グループは3年後にRocks in my pillowとして再録している。MiseryはHill・Howell・Reese・Thrasherとクレジットされている。これらは6月に「Coralポップシリーズ」としてリリースされた。ちなみに、Coralに残るデータではマスターナンバーの飛んでいるものがあり、彼らがそれぞれのセッションにおいて2つ以上の歌をレコーディングしたことを示している。53年、Swing Time(ロサンゼルス)がRoxy(デトロイト)を買収し、4月にGoodbye my loveがDeep in my heartと改題されリリースされた。カップリングはLove me til your dying dayで、The Muskateersとクレジット(ミスプリントであった)されている。Love me til your dying dayはRoxyからリリースされたものとは別のバージョンが収録されていたがThe Serenadersはこのリリースのことは全く知らされていなかった。53年5月、彼らはCoralから何の予定も聞かされていなかった。メンバーは何とかしようとバスでニューヨークへ赴いた。メンバーの訪問を受けたJoe Medlinは、初めてThe Serenadersの新作をCoralが予定していないことを知り、後日グループをRed Robin(Bobby Robinson所有)に紹介している。Bobby Robinsonは彼らを気に入り、彼の店のレコーディングスタジオでのセッションの手配した。その結果Will she know ?(両面ともクレジットはHill・Thrasher・Howell・Reeseとなっている)は53年5月にリリースされ、6月13日に、Please love me(B.B. King)・Party girl(T-Bone Walker)・40 cups of coffee(Danny Overbea)・Bicycle tillie(The Swallows)・Come on and love me baby(The Du Droppers)・Tenderly(Lynn Hope)・Ain't that good news(The Tempo Toppers featuring Little Richard)とともにレビューされた。彼らの次のシングルはDeLuxe(Kingの子会社)からのPlease, please forgive meである。53年11月にリリースされ、クレジットはThe Serenadersとなっている。54年1月、一方のSwing Timeからは、旧マスターからAin't goin' to cry no more・M-a-y-b-e-l-lをThe Serenadersとしてリリースした。こちらもグループには知らされていなかった。Swing TimeのソースはすべてJoe von BattleあるいはRoxyの旧録音からであった。またクレジットはBrooksとなっていた。Norman Thrasher・Thearon Hillともにこの名前は全く知らないと言っている。M-a-y-b-e-l-lはM-a-b-e-lとしてグループがレコーディングした曲であった。54年9月、Morty Shadは Harlemの新設を発表し、The Serenadersとの契約成立も同時に公表されたが、こちらは本稿とは別のグループである。54年4月、Federalは自社の契約アーティストThe RoyalsをThe 5 Royales(Apollo)と混同しないようにThe Midnightersと改名することを公表した。つまり54年中ごろには、デトロイトにおいてThe Royalsという名前を持つグループはいなかったことになった。そこでThe Serenadersはこの名前を使うことにした。以降グループは、The Serenadersを二度と使わなかった。The Royalsとして地元のVenusで、Someday we'll meet again・I want you to be my baby - Mambo(ともにクレジットはNoah Howell・King共作)をレコーディングした。KingとはFlame Show BarのハウスバンドThe WolverinesのメンバーMaurice Kingである。彼は60年代にMotownでディレクターとして活躍することとなる。54年という年は、歌詞にmamboを含んだレコードが多数リリースされた年でもあった。Someday we'll meet againが10月にリリースされ、54年11月6日にSugar(Marvin & Johnny)・Poison Ivy(Willie Mabon)・Forty 'leven Dozen ways(The Cues)・Something to remember you by(The Gentlemen)・I was wrong(The Charmers)・The wrong party again(The Singing Wanderers)らとレビューされている。しかしリリースからこのおよそ1ケ月後には、Maurice Kingの提案によってThe Royal Jokersと改名している。「俺達にはぴったりの名前だと思ったよ。なんといってもステージじゃいつもおかしな事をやって笑わせていたからね」とThearon Hillは語っている。数年間にわたりグループはFlame Show Bar(Morris Wasserman所有)に出演していたが、そのフロアマネージャだったAl Green(Johnny Ray・The Midnighters・Jackie Wilsonをマネージメント管理している)は、The Royal Jokersのステージを見て非常に気に入った。まもなく彼はグループのマネージャに就任する。この頃Isaac Reeseがグループを去り、Ted Greenが加入。さらにWillie Jones(テナー)も加わりクィンテットとなる。Willie JonesはThearon Hillの弟の友人で、数年前からの知り合いであった。彼はThe Flameというグループでリードを歌っていた頃に、Al Greenがマネージメントを申し出たことがあった。55年3月に The Royal JokersはGale Agencyと契約、さらに2カ月後にAl Greenは、新設されたAtlas(Atlanticの子会社)と契約した。Atlasは8月にはAtcoと改名している。すでにニューヨークにAtlasという名前の会社があるのを知ったからである。Thearon Hillは「Atlanticが俺達に興味を示したのは、Willie Jonesの声や歌い方がClyde McPhatterに似ていたからさ」と語っている。この頃にAl GreenのパートナーとしてChuck Darwinという人物が参加しているが、Thearon Hillは彼の事は記憶にないと話している。彼の名前はThe Royal JokersがGale Agencyと契約したことを報じた新聞発表で、Al Greenとともに言及されている。55年5月24日にAtcoでの最初のセッションが行われ、You tickle me baby(Noah Howell・Ted Green共作)・Stay here(Noah Howell・Ted Green・Willie Jones共作)・Meet at three・Rosie Mayを収録した。You tickle me baby は9月にリリースされ、55年9月3日に Oh gee oo-wee(Charlie & Ray)・Natural natural ditty(The Jewels)・You're mine already(The Du Droppers)・Alright, okay, you win(Count Basie and Joe William)・Tabarin(The Tangiers)・Doctor baby(The Five Dollars)・Pu pu pa doo(The Gay Notes)とともにレビューされた。このシングルは11月26日にデトロイトでチャートインを果たした。さらに12月にはデトロイトのポップスチャートにもランクインし、バッファロー・クリーブランド・セントルイス・ダーラム・バルチモアで好調な売れ行きを示した。55年10月10日、2回目のAtcoセッションで、Don't leave me fanny・Rocks in my pillow・Ride on little girl(Ahmet Ertegun作・AtlanticのオーナーWillie Jonesの別名)・Virginia・This must be loveを収録し、グループ2枚目のリリースとして、56年1月にDon't leave me fannyが発表された。B面のRocks in my pillowは、The Serenadersの52年のヒットBut I forgive youのリメイク(Coralレーベル)である。奇妙にも、But I forgive youはHudson Whittaker(Tampa Red)とクレジットされているが、Rocks in my pillowは Jokers・Calhoun(Charles CalhounはAtlanticのアレンジャーJesse Stoneのペンネーム)のクレジットとなっている。Don't leave me fannyは56年1月21日に、I'm crazy baby(Johnny Ace)・Bo weevil(Fats Domino)・Right around the corner(The Five Royales)・Rock 'n' roll call(The Treniers)・Fallen angel(The Four Fellows)・How ?(The Jewels)・Be my sweetie(The Jaguars)・An old cowhand from a blues band(Dave Bartholomew)らとレビューされて、2月にはデトロイトで大きなヒットになっていた。56年1月27~29日にかけて、The Royal Jokersは、フォックス劇場(ウッドアワードベニュー・デトロイト)で行われたRock 'n' Rollerama show(Mickey Shorr主催・WJBKのDJ・Party LineやMake It Or Break Itという番組を持っていた)に出演している。このショウにはBob Crewe・Bobby Charles・The Three Chuckles・Della Reese・The Cadillacs・George Young・The Cleftones・Harold Burrage・The Four Tunes・Patti Jerome・Frankie Castroらも出演している。Atcoでの3回目で最後となるセッションを56年7月9日に行っている。She's mine all mine(Willie Jones・Ted Green共作)・My heart is broken・Beansを収録した。Atcoでは契約期間の1年で12曲をレコーディングしたことになる。これらは9月にリリースされ、56年10月6日にHeebie jeebies(Little Richard)・The vow(The Flamingos)・Nature's creation(The Valentines)・Geraldine(The El Venos)・New kind of mambo(Big Maybelle)・Lord knows I tried(Joe Medlin)・Slow walk(Sil Austin)・Watusi(Richard Berry and The Pharaohs)らとレビューされた。The Royal Jokersの56年はフォックス劇場出演で閉じた。こちらの公演にはIvory Joe Hunter・The Three Chuckles・Della Reese・Bo Diddley・The Nightcaps・Bunny Paulとともにステージに立っている。57年2月、グループの最も変わったシングルがリリースされた。Someday We'll Meet Again(54年10月にVenusからリリースされている)がThe Royalsとして Dawn(Latin-music Seecoの子会社)からリリースされた。DawnのA&R担当はThe Royal Jokersのマネージャとして発表されていたChuck Darwinであった。このシングルは製造も雑で、しかも45回転ではなく33回転でプレスされている。この曲のクレジットはThe Scooters, featuring Alexander Amesとなっている。B面(同様に33回転)のReallyはThe Serenadersの作品ではない。こちらもThe Scooters, featuring Little Edna MaeとクレジットされたMaurice King・Chuck Darwinの共作である。57年9月、DawnはRock and Roll Spectacularというアルバムをリリースした。ここにSomeday We'll Meet Againが収録されており、クレジットもThe Royal Jokersとなっている。57年12月18日にAl Greenが死去してしまう。彼はJohnny Ray・Lavern Baker・Ann Cole・Jackie Wilson・The Royal Jokersを育てあげた人物として認められている。58年、The Royal Jokersはすでに1以上年も録音していなかったが、この頃にNorman Thrasher・Thearon Hillがグループを抜け、もとThe Five JetsのBilly Lyons(ベース・テナー・バリトン)が加入する。The Royal Jokersは、Noah Howell・Ted Green・Willie Jones・Billy Lyonsというメンバーとなった。Norman ThrasherはHank Ballard and The Midnightersのロードマネージャーとなった。こちらのメンバーは、Hank Ballard・Lawson Smith・Henry Booth・Sonny Woods・Cal Greenである。マネージャを数カ月つとめたが、その間にSonny Woodsが少女と駆け落ちしステージをすっぽかすという出来事があった。Norman Thrasherはこのとき正式なメンバーとしてMidnightersに加入し63年までグループに在籍した。60年、Chubby CheckerはThe MidnightersのステージでThe Twistを聞いた。彼はこの曲を教えてくれるように依頼したがNorman Thrasherだけがかたくなに拒否したという。59年、Thearon HillはThe Four Topsに参加した。当時、Renaldo 'Obie' Bensonは兵役のために不在だった。Thearon Hillは60年にリリースされたThe Four TopsのAin't that love・Lonely summer(Columbia)で聞く事ができる。Renaldo Bensonは62年に退役し、Thearon Hillは64年までTwenty Grand Clubのハウスシンガーとして活動したのち、再びThe Four Topsのロードマネージャーとして80年までともにグループと行動した。一方、再結成したThe Royal JokersはFortune(子会社にHi-Qを持つ)からSweet little angelのリリースを行った。Billy LyonsはTed Greenよりもずっと味わい深いベースシンガーで、Sweet little angelは彼の作品であった。続いてグループのSeptember in the rain(Al Dubin・Harry Warren共作.37年のヒット)がHi-Qからリリースされた。58年、Raymond Dorsey(バリトン・ベース)がグループに加入した。彼はThe Thrillers・The Five Jets・The Five Stars・The Voice Mastersに在籍していたシンガーであった。58年12月、Abner(Ewart Abner設立・DJ)がThe Royal Jokersと契約したと発表したが、結局Abnerからはなにもリリースされることはなかった。59年、The Royal JokersはEMBEE Productions(デトロイト)でレコーディングを行い、60年1月にMetro(MGMの子会社)からSam's backがリリースされた。60年11月にはLovey DoveyがKeldonからリリースされている。この曲はCurtisとNuggyの共作で、The Cloversがヒットさせた曲である。NuggyとはAtlanticのオーナーAhmet Ertegunのペンネームの1つである。翌61年はBig Top(Hill And Range Music Companyの子会社)からHard timesをリリース、両面ともにTed Greenの作品で、彼がグループに書いた最後の作品となった。Ted Greenは61年(あるいは62年)にグループを去る。カルテット(Noah Howell・Willie Jones・Billy Lyons・Raymond Dorsey)となったメンバーは、63年に再びFortuneと契約し、You tickle me babyの再録をリリースした。63年はNorman ThrasherがThe Midnightersを去り、ソロシンガーとして独立した年で、Norman ThrasherはのちにJoe Texのマネージャーとなり、さらにChessでRamsey Lewis・The Dells・Reverend C.L. Franklin(Aretha Franklinの父)をマネージメントした。また彼は、Twentieth Century Foxを退社後に独立を果たし、Barry Whiteを売り出すことに成功した。82~89年までThe Spinersをマネージメント、96年にはケーブルTVでNorman Thrasher and Friendsという番組を持った。The Royal Jokersの最後のリリースは66年のLove game (from A to Z) で、このリリース直後にWillie Jones・Billy Lyonsはグループを去り、Stanley Mitchell(ファーストテナー・ChessやBumble Beeに在籍していたThe Tornadosのリードシンガー)とBobby Ruffin(テナー・バリトン)が加入している。The Royal Jokers結成から13年後、グループはカリフォルニのアツアー(ロサンゼルス・サンディエゴ・サクラメント)やフィラデルフィア・カナダ・ニューヨークで時折公演を行ったが、仕事の多くは地元のデトロイトとその近辺である。60年代の後半にStanley Mitchell・Bobby Ruffinがグループを抜け、Charlie ThomasのThe Driftersに加入した。Noah Howell・Raymond Dorseyは70年代を通じ、様々なメンバーチェンジをくり返しながらもグループをまとめ、ほとんどフルタイムで活動を続けている。80年、Billy Lyonsがグループに復帰し、Thearon Hillもまもなくグループに戻ってくる。The Royal Jokersとしての最後のメンバーはNoah Howell・Thearon Hill・Raymond Dorsey・Billy Lyonsとなっている。このメンバーによるレコーディングは行われなかったが、90年にNoah Howellが死去、その後も短期間だがトリオとして地元のデトロイトで活動を続けたが間もなく解散した。96年5月、Thearon Hill・Willie Jones・Raymond DorseyはThe Royal JokersとしてUGHAショーに出演しファンを驚かせた。