3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス
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5/28
京都府は現在隔離入院中の人は25人になった。
新規感染者は2週間にわたって0が続いている。
昨日は
北九州市と東京で10人前後の陽性者が出て
札幌市もなかなか感染者が0にならない。
これらの地域も来月には
収束に向かってほしいところだ。
10時過ぎに散歩に出ると
小中学生の帰宅に出会った。
早い下校だがぼちぼち工夫の
登校が始まっているようだ。
保育所は止むない人の子のみの登園で
運営されているようだ。
少しずつ動き出している。
散歩ですれ違う人も多くなってきたもの。
このところ
政府と自民党の支持率が
ともに朝日や毎日の世論調査で
30%を割っている。
それにしても安倍政権や自民党に代わるものが
何もないことを承知での支持率低下である。
安倍政権や自民党に変わるものが無くて
仕方なく支持していた人々が
変わりがなくても断固支持しないと
言い出したのである。
支持率は20%を割ると
その政権は倒れると言われている。
しかしその代わりのものが想定できないのだ。
平常時には見えなかった政治家の
ポンコツぶりが非常時には焙り出される。
そのポンコツを倒しても
その代わりになるものが無く
ただ別のポンコツにしか託せないという
ある意味コロナ以上の不幸の時代と言える。
ステイ アット ホームの中
老いたる市民はただ読書に浸って
この不幸の時代をやり過ごすしかないのか。
5/16
京都府は国の緊急事態宣言だけ残って
大阪兵庫とともに今日から大部分で
府県の自粛要請が随分緩和された。
飲食店は時短要請が2時間づつ
ずらされて
アルコール9時
閉店10時となった。
そんな中
図書館も営業OKとなったが
なんと京都市はすでに予約図書のみの
受け渡しだけを開放するという
情けない決定をした。
勿論新たな予約は受け付けない。
過去1ケ月前に残っている
予約取り置き図書のみである。
しかも事前に電話せねばならなくて
向こうが来館時間を指定するという。
なんとも腰の引けた開館宣言で
図書館員を守るための施策ばかりで
市民の利便性やステイアットホームの
手助けなど全く眼中にない。
京都市長の顔が浮かんでくるが
府知事とともに地方国の違いがあるが
役人出身の首長らしい体たらくが
ここにも見受けられるのである。
ことは公立図書館の些細な仕業ではあるが
税金で暮らす人々と市井の人々とに
あまりに大きな違いを見たのである。
5/14
京都は緊急事態宣言地に残された。
新規感染者は激減しており
兵庫とともに大阪府との一体都市として
解放されなかった。
しかし当の大阪府は営業自粛を
スポーツジムやライブハウス
接客を伴う飲食業などを除いて
明日から段階的に解除していくようだ。
兵庫と京都はその大阪の吉村知事の
やり方を踏襲して1日遅れで
16日土曜日から自粛解除に向かうらしい。
京都知事京都市長は吉村知事に
おんぶにだっこで
給料の半分を吉村氏に
贈与してほしいくらいだ。
京都の現在感染者は1週間で
140人以上あったのにその半分になった。
4週間に及ぶ緊急事態宣言と自粛要請が
効いたともいえるが
気温や湿度の上昇や紫外線の増量なども
多少は効いてきたようにも思う。
2次3次の感染拡大が
最小に抑えられることを祈るばかりだ。
5/9
昨日は2つのテレビ局が真反対のことを
報道していることに気が付いて
書いてみたのだが
出てくる専門家やコメンテーターは
局の主張に沿うように
恣意的に選ばれているのかと
思っていたが
昨夜遅くにテレビ朝日のモーニングショー
にビデオ出演した医師から
自分の意見が切り取られて
「PCR検査は増やす必要がない」と
主張したのに反対の意見のように扱われたと
ネットで反論があった。
恣意的に人を選ぶばかりか
主張の意図まで曲げての報道ぶりは
もはや異常を通り越して狂気でさえある。
この韓国方式のPCR検査を
いっぱいいっぱいやって徹底的に
感染者を封じ込めるやり方は
それなりに成功したと言える。
世界からはPCR検査を増やさない日本方式が
揶揄されているのも承知している。
医療崩壊を恐れて検査を渋っているうちに
重症化して自宅で亡くなったり
入院しても手遅れで亡くなったり
残念な事態も確かにあった。
それなのに厚労省大臣は
「検査を受ける基準に対して
現場で誤解があった」と
昨日シャーシャーと
話していることも承知している。
それでも世界的に見て不思議な日本式検疫は
遅ればせながら国民の自粛精神もあって
少ない死者数とともに
収束に向かっているのも事実だ。
経済の復興の為には感染者が0になるまでの
収束は待てない。
どこかで2次3次の感染拡大を警戒しつつ
見切り発車せざるを得ない。
実態と思想がそうさせるのか
大阪府知事と東京都知事は
出口戦略などに違いを感じる。
終息後に果たしてどれが正しかったのか
検証されるのだろうか。
あの太平洋戦争後だって
連合国は日本人を裁いたが
日本人はまだあの戦争でさえ
総括できていないのだもの。
5/8
きのうの141人から京都の感染中の人は
123人に減った。
感染者が1人出て19人が退院したからである。
これはとてもいい情報のように思う。
6チャンのテレビ朝日は朝のワイドショーで
PCR検査を増やせ増やせと
叫び続けている。
10チャンの日本テレビは現在の
PCR検査数は適正でキャパを越えての
検査は必要ないとコメンテーター全部に
言わせている。
どちらも局の主張が全面に出て
学者やコメンテイターをそれ用に選別して
見苦しいばかりだ。
淡々と事実だけを追えばいいのに
恣意的に事実とは異なる報道は見苦しい。
政府に肯定的か否定的かという視点。
政府を肯定的に見るか否定的に見るかは
視聴者に任せるべきと思う。
コロナのおかげで見えにくかったことどもが
次々と明らかになっていく。
政治家や首長がポンコツかどうか
報道がだれのためのものだったのかどうか
スポーツや芸能が
本当は誰のためのものであったのかどうか
生きていくために本当に必要なものかどうか
自分は生まれてきた価値があったのかどうか。
喉元に突き付けられたナイフみたくに
次々と鮮明になっていくのだ。
しかし想像するにコロナが終息したときには
凡ては元に戻ってしまうだろう。
のど元過ぎれば元の木阿弥になりそうだ。
マスクはやっぱり安く作れる中国に依存して
インバウンドの中心はやっぱり中国で
学校は4月に始まる。
人間はすぐ忘れてしまう動物なのである。
だからこそ生き続けて行けるとも言えそうだ。
5/7
今日はちょっと冷えた。
自分が年寄りだから
体に応えるのかもしれないが
一旦しまったレッグウオーマーを
引っ張り出して身に着けた。
それで真昼間も調子良かった。
緊急事態宣言も月末まで延長で
京都は重点13地区に入っている。
西脇知事がそう望むようで
ここのところ感染者は3〜4人で推移して
いてメリハリのある事態宣言で
あってほしいのにただ延長するらしい。
今日から休業補償金の受付が始まった。
京都は10万円というから
かなり渋い金額である。
飲食店も対象で8時閉店7時酒類中止
を守れば10万円頂けるようだ。
僕も申請することにして
店の外観や店内の様子
自粛を知らせる張り紙や
営業許可証に運転免許証
銀行の口座番号のわかるページなどを
デジカメでぱちぱち撮って
申込用紙に添付して府に送信した。
OKなら2週間以上経過して
送金されてくるはずだ。
3月初旬頃から売上が悪くなってきて
10万円ではどうしようもないが
来月来るはずの全国民に支給の
10万円(うちは二人分)も併せて
生活の凌ぎの足しとしたい。
営業継続資金の方はうちは対象外のようで
残念ながらあきらめざるを得ない。
今日現在で京都府内には
感染者は141人いるらしく
ウイルスの陽性反応のあったうち
治癒したり亡くなったりした人を
除いた人数である。
昨日などは感染者が4人で
退院者の方がはるかに多く
日本全体でも罹患105名と
ずいぶん減ったものである。
今日から
地域によっては学校を再開したり
パチンコ店の営業を再開したり
飲食店が時短が解けたりと
自粛要請が部分的に解除されている。
重点13都道府県も月末まで待たなくても
独自の裁量で
部分解除できるようになっている。
政府も図書館や美術館は
感染防止処置を取っての再開を
推奨しているのに
京都市は月末までの延長を4月1日に
決めた切り再考しようとしない体たらくである。
スーパーなどの込み具合から言って
図書館などは普段からスカスカである。
せめて予約貸し出しから再開してもらいたい。
市立図書館は閉館しても職員は
給料が下がるわけでもなく
お気楽なことは分かるが
ステイアットホームというのなら
家で本がたくさん読めるような
配慮が欲しいものだ。
5/2
4月はあんなに寒かったのに
5月の声を聴くと急に暑くなった。
家から半袖シャツで充分で
5分も歩けば汗もかく。
島津製作所の周りを歩いていると
沢山のつつじが花をつけて
赤紫に白も混じって
鮮やかな色がこちらの目を楽しませてくれる。
ところどころにある
ハナミズキも満開で薄紅色が美しい。
花々を見ていると
一等元気なころに歩いた
山々の思い出がよみがえる。
湖北の山のウツギや
北山のシャクナゲ
六甲のミツバツツジに
西山のカタクリ等々。
今朝は5時に目覚めて起きてしまった。
エアコンの取り換え工事に邪魔な
雨戸の袋戸を
取り外してもらったからである。
毎晩雨戸を閉めて寝ていたが
袋戸とともに雨戸もみな
外されてしまったがために
夜明けとともに
部屋がとても明るくなってしまったのだ。
これでは困るので
今晩からはエアコンが付け替えられて
袋戸が元に戻るまで
二階の奥の部屋で寝ることにした。
昨夏にエアコンが壊れたときも
移動したがその時はうまく寝れなかった。
環境の違いかと思ったが
同じわが家でもそんなことになるのだろうか。
今晩からすぐにわかることである。
5/1
今日から5月。
連日テレビはコロナ禍をあおり
異常なまでに人々に恐怖を植え付けている。
ワイドショーもテレビ朝日などの
超過激なものが視聴率を稼いでいるので
調子づいて無限に視聴者を
追い込んでいる。
自宅待機の人々はそれだけでも
憂鬱なのにこれでもかとあおるテレビで
さらなる憂鬱と恐怖心で
つぶれそうになっている。
コロナ報道も絞って視聴しないと
コロナや経済の前に自己崩壊しかねない。
緊急事態宣言は5月末まで
日本中延期されるような報道ぶりだが
明らかに感染者の少ない県などは
この網から外すべきと思う。
適切なのは
最初に指定した7県のみの延長だと思う。
メリハリをつけて悪化傾向があれば
是正すといった方法がよく
ダラダラと
続けていれば良いというものではない。
この宣言は始めるのは簡単だが
止める時期の決定は難しい。
出したり引っ込めたり
感染者の増減を見て
気長にやる方が良いと思っている。
先日関東方面の知事会が休校を続けながら
この際入学時期を9月にしようと提案した。
国際基準に合わせようというものだ。
そのこと自体9月入学に関しては何も問題はない。
但しこのどさくさにすべきことだろうか。
凡ての学校 凡ての会社 凡ての自治体が
9月入学開校を目指すには
いかほどの準備期間が必要だろうか。
仮に2ケ月として7月にはこのコロナ騒動が
沈静化している必要があろう。
大変難しいシナリオに違いない。
そんなことすぐわかるはずなのに
18都県の知事たちは本気なのだろう。
このアイデアは平時に3年ほどかけて
準備すべきであって
混乱時に乗じて思い付きで
やるものでは無かろうに。
ないはずのマスクだが
散歩ですれ違う人のほとんどが
マスクをしている。
無いようだがあるところにはあるのである。
使い捨てを何日も使ったり
自作の布マスクであったり
皆さん苦労して工夫されているのだろうけど
連休明けには少し出回るようである。
輸出禁止していた中国が方向転換し
国内の新規参入や増産体制が充実してきて
価格も適正なものが増えると言われているのだ。
そうなると良いと思う。
昨年の夏に壊れた寝室のエアコンを
懐具合の悪い時だが
暑い夏は苦手なので
昨年製のものをジャパネットが
繁忙期前の安売りをしているので
思い切って買った。
ところが取り付けに来た業者が
現在の状態では工事に入れないといった。
20数年前に取り付けたときに
ドレンをサッシ雨戸収納の袋戸の中を
通しているからだった。
この袋戸の表の部分を
外さないと工事できないと言って帰って行った。
家内が近所のサッシ屋さんに頼むと
「すぐ外せるけれど今仕事が
混んでいるのでちょっと待ってて」。
と言われたので
「暑くなるまでにお願いします」と
結構のんびりしたことを言ったらしい。
すぐに開いてもらって業者に電話して
工事日を決めたいが
どうなることやらやきもきする旦那である。
ジャパネットからは伏見の運送業者に
品物が届いている(工事はまた別の下請け業者)
ので
いつまで待ってくれるものやら
落ち着かない気持ちの旦那なのである。
コロナ報道もマスクのこともエアコンのことも
深刻にならずそれでいて注意深く
無我の境地で待つのがよろしかろうと思う。
2020年