1/31
ポンポン山の疲れを取りに
10時から『天山の湯』へ。
昼食もそこで取り温泉にも二回に分けて入った。
4時間ほど居てすっかり足も元気になった。
1/30
姉の家に行ったら
東京の甥からの赤ワインを貰った。
うれしかったのでお礼のメールをすぐ打ったが
宛名人不明で帰ってきた。
残念。
昨日、ビスタ登載のパソコンを注文した。
モニターは二代目だが
8年使ったことになる。
とにかく起動に時間がかかるので
新しいものを望んでいたが
生来の『贅沢したらアカン』精神が災いして
今日まで引っ張ってしまった。
データ―等の載せ替えをしなくてはなりません。
とりあえず、ビスタのよく分かる本を買ってきました。
これからお勉強です。
1/29
昨日は、久し振り(一ヵ月半)に山を歩いて
爽快だったが、今朝は足にやや張りが見られる。
日曜の夕食は
椎茸中心の焼肉で一杯のつもりだったが
痛みあがりのために、おっかなびっくり
そっと椎茸肴に中ジョッキでビールを飲んだ。
アルコールにめっきり弱くなった私は
ひょっとしてビールを残してしまうかもしれなくて
いよいよモルモン教に入信かと思っていた。
ところが思いのほか、ビールがスムースに
空けられて焼肉もおいしく、ジョッキのお変わりも
(グビグビ)数度して
モルモン教徒ならぬ熱心なホルモン狂徒と
化してしまいました。
午前中に優しい物言い(決して美人だからで無く)の
女の人のいるパン屋さんに寄ろうとしましたが
いまひとつ、しっかりと足が踏ん張れないので
よしにして図書館に寄った。
人はパンのみにして生きるにあらずだ!!!。
が、美しく優しい物言いもそしてパンも気になる
あまりに、あまりに、人間的な私でもある。
1/28
家内とポンポン山へ。
神峯山寺(かぷさんじ)、本山寺にお参りして
頂上へ。体調不良の家内も、予想どうり
下山では快調になった。
大沢の部落に立ち寄って
前においしかった椎茸を買った。
鉄板焼きだ。
『牛肉が食べたい』家内のために
やまむら屋にも寄って1.3Kgのお肉を買った。
帰って風呂に入ると
心地よい疲れがすっきり取れて爽快だ。
早くビールが飲みたいが
体調が回復したばかりなので自重しながら
飲もうと思う。
但し、回復度を測ることも大切かもしれませんネ。
23日、甥に女の子が授かった。
また新しい仲間が殖えてうれしい限りです。
1/27
昨日から3食ともおいしく食べられるようになった。
但しアルコールはもともと弱かったのかもしれないが
コップ1杯のビールでふらっとなる。
このまま飲めない人になるかもしれないが
これだけ僧侶のような禁欲的生活を続けていて
さらにアルコールまで止めざるを得ないとすれば
どうなんだろう?。
やっぱり『いい人』が強化されるだけで
済むものなのかな。
いよいよモルモン教徒として生きるより
仕方が無いのだろうか。
1/26
昨日、白菜、キャベツの糠漬けを出してみた。
甘くておいしい。
今日、ご近所と伊藤君におすそ分けした。
ほとんど体調は回復したと思われるが
全身のかゆみが取れない。
胆石と関係があるのか無いのか。
単に、かんちゃんと同じ乾燥肌かもしれない。
昨夜、花王の入浴剤『エモリカ』を買って
お風呂に入れて二度入ったが
まだ効果のほどは分からない。
次回の休日は元気になって
歩きに行きたいが、どうも雨模様のようだ。
晴れたらいいな。天気予報がはずれる事を祈って…。
1/25
今日は、お初天神だ。
ひょっとして梅が咲いているかもしれません。
余り好きでなかったパンが体調不良のときに
食べやすくちょっと好きになった。
葛野大路御池の志津屋の工場横のお店に寄った。
いろいろ買ったが、定番の餡ドーナツが無い。
3周して思い切って聞いた。
奥に半製品であって、砂糖をかけて袋に入れてくれた。
最近にない優しい物言いの人で
(決して美しいからで無く)
マキシムでパンが大好きになりました。
そしてパンは、勿論『志津屋』でこれから
せっせと買うことになる。
1/24
昨日の夜、やっと白飯の味がした。
今日の朝はキツネうどんを食べて
昼前から『天山の湯』へ。
調子が今ひとつなので、サウナは短時間にして
茶色の外湯に1時間以上入った。
昨年の暮以降に行ってない人は驚くだろう。
しょっぱくも透明だった外湯が茶色になっています。
もともとこのような源泉だったが
色を抜いていたらしい。
風呂から帰って中華丼作って食べた。
おいしく食べられたが、せっかく82kgまで減ったのに
勿体無い。(3kg減)
ほっとけば、理想の77kgまで行ったかも?
1/23
昨日は、朝パン1ヶ食べたきりで夜仕事を終えても
食欲無くそのまま寝るも、『半島を出よ』下巻を
読み続けて眠れぬまま、午前3時に素うどんを作って食べた。
今日も朝から食欲無く、医者の見立てどうり腸炎も
あるのかな?
胆石発作は、その後の白便で確認できており
腸炎も併発で、どちらが先なのかは分からないが…。
恥ずかしながら、尿管結石も動いており
血尿が続いて、トイレから出て嫁に『白い便に赤い小便」
と言うと。
「紅白やん、目出た……」
己の日頃の不摂生の所為だとはいえ、弱った体には応える。
これだけだと鬼嫁に聞こえるが、そうでもなく
夜の間、痛む身体をずっとさすってくれたりしているので
誤解無く。
1/22
昨日は体調不良で食事が出来ず
夜にそば1パイ食べただけなので身体がふらつく。
やつれているので、道で友人に会っても
分かって貰えないかも…。
1/21
56回目の誕生日である。
寝入りばな夜半からみぞおち辺りが痛み出した。
胆石の疝痛発作です。食べたものを全部吐いた。
2時間辛抱して『救急病院』へ行くことに決めた。
家内が電話したが、看護士が要領が得ないので
本人に代われというらしい。
痛くて電話に出たくなかったが仕方が無い。
いい人を目指している自分としてはそうはしたくなかったが
看護士の要領の悪さに、悪い人の口調になっていた。
病院に着くと、電話の前に飲んだ「セデスハイ」が効
いて来たのか痛みが和らいできたからややこしい。
『何が何でも痛み止めの注射を打ってください』
と言うつもりが医者のペースにはまってしまった。
『腸炎ですね痛み止めと、抗生剤を出しておきます』
『痛み止めのインデパン50を5本ほど処方してください』
『意味ありませんね』
治まり掛けた痛みが腹を探られたからか帰宅すると
また強く痛み出した。
1ヶ所が強く続く痛さなのに腸炎であるわけが無い。
腸炎なら、痛みに波があるし強弱があると思われる。
貰った薬を4時間おきに3回飲んだが丸12時間
眠れぬまま痛みが続いた。昼過ぎに破れかぶれで
セデスハイを二錠飲んだ。30分後に
痛みは嘘のように無くなった。白い便も出た。
胆石が元の位置に戻ったようだ。
3000円の仮払いをして病院を出たが
後いくら払うのだろうか。
車なら治らなければ修理費は払わない。
医者は強いな。
何かとつらい誕生日である。
1/20
昼食にカニ鍋をした。
昼食後から決算書をなぶるからビールは止めようと思ったが
家内が「ビールは?」と聞くから、カニを前に思わず
「小さいの!」と(あくまで唇濡らすだけ、でも)意志薄弱な
自分。
その上、二度もお代わりしてしまったダメな私…。
決算書、やりあげてこれを書いているので
まあいいか。
1/19
昨日は、白菜を、今日はキャベツを
たくさん、ぬか漬けにした。
2樽目には適当な重石が無かったのでアヤハまで行って
8.5kgのものを買ってきた。
そもそもは、6日の日に一泊で常神に魚を食べに
行った帰り道、美山の道の駅でうまい白菜のぬか漬けを
買ったのが原因だ。
お袋の漬物にそっくりだったが、すぐに無くなった。
もっといっぱい食べたくなって自分で漬ける羽目に…。
ついでにからし菜の塩漬けも6束漬けました。
漬物ばかり漬けてどうするつもりだ。
1ー2週すれば欲しい人は言ってきてください
試食しておいしければ差し上げます。
今日は、32回目の結婚記念日だ。
私の辛抱のおかげです。
1/18
暖冬とは言うけれどやっぱりおかしな暖かさだ。
北半球の年平均気温がこの100年で0.7度
上昇したらしいがこのペースで行くと次の100年で
4度上がるらしい。
暗澹たる気持ちになる。
この数年で、温度上昇の阻止のための方策に着手しなければ
万事アウトらしい。
??????…
村上龍の「半島を出よ」上、は
北朝鮮の兵士たちや政府の対応などの
物語そのものはよく分かるのですが
冒頭に出てくるホームレスらしき集団の役割が
書きっぱなしで、もうすぐ下巻に移ろうとしているのに
未だにどう関わるか書かれておらず
ボケな私には、意味不明がずっと続いており
しかもそれが書き出しだから
何度も読み返さなくてはならない羽目になる。
小説作法としては掟破りと思う。
???????…
1/17
昼前。
仕込を早く終えて、天山の湯へ。
すいてるすいてる、この頃火曜日に行くことが多かったので
火曜日は「シルバーデー」で、500円で入れるお年寄りが
わんさかいたが、今日はがらがらでした。
よく温まって、気持ちよかった。
1/16
花粉症と呼んでいいのかどうか
目や鼻や、耳や頭まで痛んで
暮に、2個使っているパイプ枕の中身を
綺麗に洗濯機で洗ったのに、この様だ。
家内の〔花粉症用薬〕を貰って飲むと楽になるから
まあいいか。
1/15
昨日。
太子道のTUTAYAの前でラジオを聞きながら
京都チームの早狩さんにNHKの紙旗を振りながら
『ガンバレー』と大声をかけたが、集団の中に紛れている
彼女を見つけることが出来なかった。
先頭から1分近く14位まで後退しながら、その後の
逆転、最終区での1本勝負までの『駅伝』は
都府県女子のみならず近来にない見ごたえのある
勝負であった。
夕方、孫の「栞那〔かんな〕」の『お箸初め』を
執り行った。
いわゆる庶民社会で言うところの「お食い初め」デス。
1/14
昨年の秋に生まれた長男の次女の「お食い初め」を
本日してやろうと思う。
朝から買い物に行って、赤飯や蛸を買ってきた。
つばすが安いので、鰹と共にお造りにして
鶏だんごを入れた寄せ鍋ちゃんこのための魚や野菜を
切りながら、同時進行で
定番の蛸の柔らか煮を炊いてやった。
準備はOKだ。
せっかくの日曜日だから孫が夕方に来るまで
どこかに歩きに行こうと思うが、胆石の疝痛発作の
後遺症でみぞおち辺りに違和感があり
出かけることに躊躇しているところです。
仁和寺までの散歩が関の山かも…。
1/13
昨日は何事もなく無事でよかった。
長男の妻のお父上が来店。
仕事を終えた長男と祇園で食事やお酒を
共にされるらしい。次男も誘って貰っているらしく
いつもの事ながら有難い事であります。
村上龍の『半島を出でよ』(上)がやっと
図書館で借りられて布団の中で読み始めた。自分のボケか
作家の力量か分からないが、状況がよくつかめない進行で
5ページづつ2回読んで進めているあほな状況です。
店が暇なときは、カウンターで山の本や地図を開けて
あれこれ思う。これが実に楽しい。
1/12
今日は、三隣亡の仏滅です。六曜は全然信じないが
しかも、丙午(ひのえうま)らしい。火の用心に越したことは
ない。
夕べ寝る前に頭を刈った。夜中に、坊主頭が寒いので
しょうちゃん帽をかぶって寝た。
1/11
昨日の夕方、開店準備を終えて提灯に灯を入れたら急に
腹が痛くなった。みぞおちあたりの疝痛発作で、またまた
始まったのかと慌てた。昨日打ったインデパン(鎮痛座薬)
はもうないのだ。からだを二つ折りにして風呂に入る。
これで緩和される時があるから不思議だ。『店を閉めようか?』
妻が心配して声を掛けてくれる。20分ほど我慢していると
その不思議が起こったからびっくりだ。スーッと痛みが
遠のいた。仕事が出来てよかった。
1/10
昨日から仕事を始めたが、途中から疝痛発作に襲われた。
みぞおちのあたりが痛い。おそらく胆石が動いたのだ。
一晩中苦しんで、やっと昼前におさまった。
つれづれ日記を書くのはいいが、いきなりこんなのではネ。
3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス