4/20〜24
第1日目。
釜山へ出発する朝。
円町から京都駅に出て「はるか」の中で食べる
弁当を買い8:50発のはるか13号に乗車した。
関空には10時すぎに着いた。
釜山金海空港行きの飛行機は定刻の
11:50に離陸した。
1時間半のフライトは中国山脈から
日本海に抜けるときに気流が悪く激しく揺れた。
入国申請書を書く字がゆがみ
配られた軽食を食べることが出来なかった。
金海空港に着いて先ずジュースを買った。
次男から15000ウオンを貰っていたが
ホテルまでのリムジンバスの料金が12000ウオンなので
バスでおつりが出ることを知らなかったから
5千ウオン札を砕いておきたかったからだ。
10分ほどで目的のリムジンバスが来た。
釜山駅前の東横インホテル1まで40分ほどかかった。
チェックイン時間前だったので
ホテルに荷物を預けて
10分ほど離れたところのハナ銀行に両替に行った。
下手な韓国語とまずい英語で
4万円の両替が出来た。
ホテルチェックイン後は地下鉄に乗って
釜山の若者の繁華街である西面(そみょん)に
向かった。
あらかじめ調べておいたお店の位置を
調べるために歩きまわった。
2時間ほど歩いて早めの夕飯を食べに
ソンジョンクッパブ3代目店に行った。
ここで予定どうりのデジクッパを食べた。
豚肉の入ったクッパだが
ご飯を別にしたタロクッパもあり
家内はこれがいいというのでハナ(1つ)づつ
注文した。
当然韓国のことだからいくつかのバンチャン(おかず)が
付くのでこれを肴にビールも2本注文する。
ビールは中瓶が3000ウオンだから
日本円で267円位だから大変安い。
初めてのおいしいクッパを頂いて
家内もおいしいと言って喜んでくれた。
ホテルに帰って真ん前が出発地である
釜山シティツアーバスのナイトツアーに乗車した。
きれいに電飾された広安大橋や
クアンリビーチやへウンデビーチを廻り
金連山からも夜景を見たりした。
こうして釜山の第1夜は終わった。
2日目の朝はシティバスの歴史文化コースに乗った。
10000ウオンながらガイドさんも付いていて
韓国語の案内ながらイヤホンで
日本語の説明もあった。
このガイドさんは日本語がうまくて
私たちに何かと話しかけてくれた。
乗客はウイークデーのことで
韓国人の若い女性が3名と中国人女性1名と
私たちふたりの計6名だった。
韓国人の若者の一人は日本語勉強中とのことだった。
福泉博物館と金剛公園の海洋博物館を見学後
梵魚寺(ポモサ)に行った。
このお寺はとても落ち着いた雰囲気で
本堂では韓国式の身体を投げ出す
お祈りをしている人びとを見かけた。
お昼にツアーは終わり
駅中食堂で昼食を取った。
骨付き肉のスープご飯だが7000ウオン。
写真を指で示しただけで注文したので
料理名は分らなかったがものすごくうまい。
家内のことを考えて辛くないものを選んでいるからか
昨夜から家内は
「おいしい、おいしい」を連発してくれる。
昼食を終えると午後の海東龍宮寺コースの
ツアーバスに乗った。
このバスのガイドはおじいさんで
どうもボランティアらしい。
観光客もぐっと増えて多国籍ながら30名ほどになった。
このコースのメインは海東龍宮寺で
海岸に浮かぶお寺だった。
家内はこのお寺が今回の旅行で
1番気に行ったらしい。
ツアー終了後ホテルで風呂に入って
少し身体を休めてから
地下鉄に乗ってチャガルチに行った。
色々歩いて後夕飯の目的地である
「ハニャンチョッパル」を目指していたが
分らなくなって地図を出していると
老婦人が近づいて来て韓国語で
たぶん「どうしたの」と聞いてくれた。
私は「チョッパルコルモル」(豚足通り)と答えた。
すると夫人は「ああー付いてきなさい」とたぶん。
豚足通りまで連れてくれた。
ハニャンチョッパルは若者たちで超満員だったが
店員さんに「ツゲツ」(ふたり)と言うと
空いている奥の席に案内してくれた。
メニューを貰ってチョッパルの小と
ビール2本を注文した。
小と言っても大皿に
豚足のスライスされたものが山盛りで
生野菜やバンチャンがテーブルいっぱいに並べられて
壮観だ。
食べても食べても豚足は減らないが
下の方はお肉をそいだ後の骨が並べてあった。
骨を取って残ったお肉を食べてみたが
ここはさらにうまい。
しかしお腹が限界でもったいないが諦めることにした。
3日目は韓国の新幹線であるKTXで慶州に向かった。
在来線なら2時間はかかる旅だが
トンネルばかりだがわずか28分で着いた。
料金も10800ウオンと安い。
新慶州駅からは700番バスで仏国寺(プルグッサ)まで
50分かかったがこれも1500ウオン。
135円ほどだ。
仏国寺は広い。
静かなお寺を想像していたが
残念ながら夥しい数の小学生がいて
喧噪のなかでのお寺巡りになってしまって残念。
そこから20分ほどバスで上がった山の中に
石窟庵(ソックラム)があった。
バスを下りて20分ほど歩くとそれはあった。
石窟の中に金色の仏様が祭ってある。
今は保護のためにガラスで覆われているが
立派な仏様だった。
バスに4回のって慶州駅に着いた。
ここで自転車を2台借りた。
1台10000ウオンだった。
先ずは腹ごしらえで
淑英食堂(スギョンシッタン)に寄った。
大きな民家の様なお店でここも客でいっぱいだった。
部屋に通されてチャルボリジョンシツとビールを注文。
野菜が中心だが自分で味付けしながら
作るビビンパツの定食で
おかずがずらりと並んでイシモチなどの焼き魚も付く。
大変おいしい料理だった。
お店の看板の前で借りた自転車と一緒に
記念撮影した。
この自転車に乗って古墳公園や雁鴨池
国立慶州博物館等々を巡った。
日本の古都奈良を思わせる。
慶州駅前の露天商の数の多さと
品数の多さに驚きながら新慶州行きのバスに乗った。
再びKTXに乗って
釜山のホテルに戻ってお風呂に入ったあと
地下鉄で南浦(ナンポ)に行き
ソウルサムゲタンに向かった。
ここのサムゲタンはとてもおいしい。
最後のスープ1滴まで飲みほした。
4日目は1日中歩きまわることにしていた。
しかしこの3日間で相当足を酷使しており
ふたりともふくらはぎや腰が痛い。
寝る前に塗ったバンテリンを
朝もう一度塗って出発だ。
地下鉄の1日乗車券を買った。
ひとり4000ウオン。
チャガルチ市場の朝はものすごい喧噪のなかで
夥しい魚介類が各お店で準備されて
積み上げられ並べられていく。
建物の中側ではたくさんの魚屋に食事場所が
用意されており呼び込みが激しい。
その建物の外の露店の婦人たちの
魚店は一体何店舗あるのだろうか。
簡易建物のさかな屋を含めると
300店舗を超えるのではなかろうか。
地元の人たちがたくさんの魚介類を買っている。
満腹の私たちは呼び込みには
こたえられないものの
たくさんの写真を撮らせてもらった。
また地下鉄に乗って
隣接駅のナンポへ行った。
今日は週末の土曜日で
若者中心にものすごい人出だった。
家内はここで化粧品を買った。
買いすぎて手持ちウオンが少なくなって
銀行を探したが分からなかったが
目の前の通りの奥に「換」の字が
ちらっと見えたので
家内を呼びとめて両替所らしい建物に
向かおうとしたら
椅子に座ったおばさんに「両替はここよ」と
呼び止められた。
1万円が11700ウオン。
ハナ銀行より少しいいくらいだ。
その道の一筋横に
「ハルメカヤミルミョン」店はあった。
少し早目の昼食だが店内は超満員だ。
韓国冷麺だが
みんなが食べているのは
ネンミョンと言う真っ赤なスープなしの冷麺だが
これはソウルで食べたことがあったので
辛いものが苦手な家内には不向きなので
スープの入ったミルミョンを頼んだ。
ハサミが付いて来てジョキジョキ切ってから
お箸で食べた。
スプーンが付いていないので
スープは食器を持ち上げて飲んだが
これは作法にかなっているのだろうかと
不安だった。
ビフ広場の屋台街では
ホットクという菓子を食べた。
餡入りの粉もののお菓子だが
ナッツがかかっておりおいしいものだった。
1000ウオン。
再びチャガルチに戻って日本に持って帰る
お土産を買うことにした。
ハナロマーケットと言う農協経営のスーパーだ。
ここでは食料品を中心に色々買ったが
重いごま油やコチュジャンやキムチに
かさ高い韓国のりを1ケース買ったりした。
これらを一旦ホテルに持ち帰り
再び身軽になってセンタムシティに向かった。
ここには世界一規模の大きいデパート
新世界デパートがある。
ここを一巡りして韓国伝統菓子を2箱買った。
疲れて最上階でお茶をして休息した。
最後に西面に行き散策した。
最後の夕食は
ポドチョンという焼肉屋に行った。
ここも超満員の盛況店だった。
サムギョプサルと味付けカルビと
ともに豚ながら2人前づつ頼んだ。
これがまたうまい。
三枚肉がこんなにあっさり食べられるなんてすごい。
分厚いカルビもまたハサミで切りながら食べる。
生野菜やたくさんのバンチャンとともに頂く。
ビール3本焼酎1本を飲んだ。
このあとカジノを予定していたが
酔っぱらったのでホテルに帰ることにした。
最終日は早く起きて朝食を取り
駅前のタクシーに乗って空港に向かった。
この車の運転手さんは少し日本語が出来て
金海国際空港まで神風運転だが
20分で着けてくれた。
空港内の銀行で余ったウオンを円に戻して
残ったウオンでスターバックスに入り
お茶をして時間を過ごした。
飛行機は定刻の10時50分に関空に着いた。
昼食を取ってはるかに乗り
自宅には2時ごろに無事着いた。
楽しい韓国旅行だった。
食べ物がよく合ってまた行こうと思った。
3/17
植物園に行った。
出町柳でバスを下りて鴨川畔を歩いた。
余りに暖かくてリュックの背中が暑くて
Tシャツ1枚になった。
人出は多くて園の駐車場も満車で
20台くらいの車が順番待ちで並んでいた。
梅林は本数は少ないが満開だった。
写真家や絵画好きもいっぱいだ。
その後広場の春の草花展に行った。
色とりどりの花がいっぱいだった。
その後広場のベンチで
コンビニで買った弁当をふたりで食べた。
さてWBCは2次でアメリカが敗退した。
準決勝は日本がプエリトリコ
オランダがドミニカと当たることになった。
決勝は日本対ドミニカになると思われる。
それにしても名誉は日本
お金がアメリカと言うこのWBC。
次回は日本の参加なしにした方がよさそうだ。
3/15
中日には釜山旅行に旅立つので
彼岸入りを明後日に控えて
墓参りに行った。
日曜日の雨の後寒さがぶり返していたが
今朝も放射冷却とか言って寒かったが
少しながらだんだん気温も上がってきた。
桜のつぼみがはじけているところもあった。
寒いのに不思議だが
この月にたくさん開花するかもしれない。
そんな予報も出ているぐらいだ。
次の日曜日には梅見物に出かけるつもり。
さて梅宮大社がいいか天神さんか
それとも御所か植物園。
いずれかに出かけよう。
3/11
昨日は雨の中のゴルフになった。
だんだんと気温が下がってきて
ひどいスコアーもあったけど
冷え切った身体が残りのハーフラウンドを
拒絶して4人とも後半9ホールは止めにして
お風呂に飛び込んだ。
特に手が冷たいのかお湯の中で
手のひらだけがジンジンした。
湯上りの後昼食を皆で取って
帰宅したが
車のフロントガラスには
雨だけでなくアラレも当たっていた。
随分と冷えたものだ。
夕飯はポンパレのチケットで
河原町の味ビル南横の「げんげ」という店に行った。
生ビールが1杯付いて
4500円のところ半額の2250円のコースだが
1000円のギフト券を貰って
1人1750円になっているのだが
とても美味しくてボリュームがあった。
家内は最後の蒸しずしが満腹で
食べられないほどだった。
客は若い人がほとんどだが
席は満席に近い盛況だった。
安いうまい雰囲気がよい
また行きたいお店だった。
3/9
昨夜のWBCはきつい試合だった。
台湾先発の大リーガー王建民を全く打てなかった。
彼が変わった後の同点同点逆転ドラマだった。
凡打に監督の継投ミス。
それを救ったのは
9回表ランナー2塁2アウト1ボール2ストライク後の
井端の同点タイムリーだった。
観客も夜中まで帰ることなく声援していたが
きっとテレビ視聴率も高かったと思われる。
明日のオランダ戦勝利が決勝戦への最短ロードだ。
3/6
次の日曜日に
ゴルフに3ヶ月ぶりに行くので
しょうざんへ練習に行った。
ボールにもまあまあ当たってくれたが
クラブを握るのも久しぶりで
あちこちの筋肉が張った。
その後ポンパレで買ったチケットで
中央図書館に車を止めて昼食に
坦々麺とレタスチャーハンのセットを食べに行った。
通常1000円が半額のチケットだった。
あっさりとした坦々麺と
薄味のレタスチャーハンだった。
それでも花粉症で荒れている喉には
唐辛子成分が刺激的で
何度もせきこんでしまった。
2週間後に行く釜山の
韓国料理にもせきこんだりむせたりするのだろうか。
ちょっとドキドキものなのだ。
3/5
冷たい風も時々吹くが
暖かい春のきざしも感じる今日の天気だ。
今週はぐんぐん暖かくなるらしい。
一昨日
北海道で9人の死者を出した暴風雪がウソのようだ。
昨夏にレンタカーで走った所だけに
ホワイトアウトになった様子が想像できた。
春よ来い。
早く来い。
3/3
ポンパレで買ったチケットで
四条葛野の鉄板焼き屋へ行った。
店まで30分ほどかけて歩いて行った。
お好み焼きが甘いソースで
しかもマヨネーズがかかっていて
濃い甘い味が苦手で食べるのに苦戦した。
餃子とゲソ焼きと鶏焼きが付いていたが
塩味がきつかった。
これに生ビールが2杯付いて2500円だった。
追加でねぎ焼きを頼みたかったが
家内が塩海鮮焼きそばを注文した。
油がきつくて塩味も濃い。
生ビールを3杯飲んだ。
苦手な鉄板焼きだったが
料理人のお兄さんも
ホールのお姉さんも
大変美形でしかも愛想よく
感じの良いお店だった。
ソースを辛口にしてマヨネーズを外してくれたら
また行きたいお店だ。
3/1
昨日は上天気で
マスクをしながらも仁和寺まで往復散歩した。
五重の塔や奥の院の内部が特別公開中で
ウイークデイにもかかわらず
すごい人出だった。
今日は午前中はまだしも午後から雨で
鬱陶しい限りだ。
3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス
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