11/30
 11月も今日でおしまい。
 明日から師走だ。
 先生方ご自愛を!。

 11/29
 幼い日に自分はいつか死ぬのだということを
 全身蒼白になりながら
 魂の奥底から思い知って
 この世から自分が消え去るという
 この不条理を受け止めきれずに
 母のかっぽう着に『死ぬのがこわい!』と
 しがみついたことがある。
 以後は2つの面から思うことがあった。
 それは長じても消えぬ恐怖と不安を持ち続ける
 意気地のない自分に対しては
 体の痛みに同じく感じているのは自己だが
 命永らえるための自然の装置であり
 精神的死への恐怖もまた
 自己防衛機制にすぎないことに気付いた。
 もう一つは物質としての自己は
 決して死なないという条理である。
 地球から十数キロメートルの大気圏内においては
 窒素や酸素や炭素
 それに水素やわずかばかりのアルゴンやヘリューム
 その他少量の原子たちの総量は
 決して変わることがない。
 社会的には人の死は大いに問題だが
 物質(原子)の総量はそのまま放置しようが
 埋葬しようが火葬しようが変わりがない。
 仏教あるいはそれ以前から
 インド哲学では早くにこのことに気付いており
 輪廻転生説を唱えた。
 それは又このカルマ(業)からの脱却を
 釈迦にも試行させており
 解脱(げだつ)したものをこそブッダと呼び
 漢字を仏陀と充てたものだから
 仏(ほとけ)様などと言う妙な言い回しが今日残った。
 余談のようだがここまでが2つ目の思いである。
 生まれるまでの『無』には無頓着で
 生まれるまで怖かったという思いはない。
 ここからがパスカルとは違うところで
 日々の忙しさにそれを忘れている
 あるいは忘れようとしている自分を見つけるたびに
 倫理観などと言う前に
 人間として最低限の事が出来ない輩にならぬよう
 自己を戒めねばならないと思う。

 11/28
 天山の湯へ行った後にいつも夫婦ともに
 鼻炎(花粉症?)がひどくなり
 鼻水が連続して出てくる事態が続いており
 特に先週の自分はひどく
 今日の家内は微熱もあり
 恒例の天然温泉行きは中止と相成った。
 家内は咳もひどく微熱が続くものの
 行きつけの耳鼻科の医者には
 「花粉です」の一言で片づけられているが
 調子が悪そうだ。
 自己判断と自然治癒を第一義とする
 自分とは正反対で
 薬や医者や接骨医の好きな彼女だが
 それらを総動員してもよくならないので
 厨房などの水まわりでも薄着でいるのを見て
 「かっこはいいからもっと暖かい服装にして
 解熱剤を1回だけ飲んでごらん」
 と強めにアドバイス。
 しぶしぶ従ったが
 夜には咳も止まり熱も下がり見事に回復した。
 喜ぶ妻に
 「どうだ、俺は医者よりえらい!」と言いたかったが
 謙虚な僕は「よかったね」と
 あくまでいい人に徹したのです。

 11/27
 少し体が慣れたのかそれとも寒さが緩んだのか
 厳しいと思った晩秋の寒さも一息だ。
 友人たちから新年のあいさつ辞退の
 葉書きがいつもの年より多く届く。
 私は早くに両親を亡くしたが
 友人たちにもその順が回ってきている。
 深刻な病気になられたご両親も多かった。
 みなご自愛を!。

 11/26
 雪でぬれた登山靴を陰干しながら
 乾燥させようとしているが
 1日経ってもなかなか乾いていかない。
 気温と湿度のせいかとも思うが
 尋常でなかった山道の雪がそうさせるのかと…。
 またまた遊びの話で恐縮だが
 次の休みに家内と名残の紅葉を見に
 永源寺と湖東三山を巡るべく計画を立てた。
 お弁当を持って行こうと思っている。

 11/25
 自宅を出て壷井地蔵前でIさんを乗せて
 高島市マキノ町を目指して1時間半後
 マキノスキー場を横目に黒河林道に向かう。
 この林道は治山工事のために作られた
 地道の細い林道で
 工事が終わって久しく荒れ放題らしい。
 林道入口には通行禁止のビニール紐の
 ゲートがあって
 落石や悪路によるためだろうか
 通行しての万が一の事故に対しても
 道路管理者はその責めを負わない旨の
 ことなどが書かれていた。
 気弱な私一人なら引返すところだが
 今日は11歳年上の先輩が助手席にあり
 紐を外して「オーライ!オーライ!」。
 自己責任で通行することとなる。
 それにしても谷側にはガードレールもなく
 落石と思われる岩石があちこち転がっており
 狭い道幅は大きくえぐられて
 車底をこすりながらの
 ものすごい悪路を4.5kmも進まねばならない。
 ただし登山道路としても使われることを想定して
 登山口には避難小屋を兼ねたトイレもあり
 十数台が駐車できるスペースもあった。
 ただし奥には雪がありノーマルタイヤの自車は
 50mほど手前のやや広い林道のスペースを
 見つけて
 タイヤに石を4つかまして駐車した。
 三国山、明王の禿を目指す登山開始後
 雪が想像をしない多い量でびっくりすることとなる。
 初体験の雪道を苦難と思わず楽しむことにした。
 昼食場所にリュックを置いて
 水筒とタオル、デジカメだけを持って
 明王の禿まで縦走した。
 来た道を引っ返して
 コンロ持参で雪の中での昼食は
 熱いみそラーメンとおにぎり。
 Iさんに貰った缶ビールで乾杯。
 「みそラーメンてこんなにうまかったかなぁ!!!」
 食後の熱いコーヒーもおいしく
 雪の山道を下山した。
 車で林道を出ると白谷温泉の八王子荘にて入浴。
 登山の後の天然温泉は本当に
 くたびれが取れるのでありがたい。
 湯船もお客の数も入浴料金も
 みんな本当に上品でうれしかったです。
 ハイ。

 11/24
 明日は店のお客で仲良くなったI氏と
 湖北の山へ行く。
 私はいつも日本海側の景色に恵まれず
 明日こそよい天気で
 日本海と白山を眺望するぞ!
 十勝岳で雪崩によって4人も亡くなった。
 北海道山岳連盟支部の人々だ。
 ベテランたちの信じられない
 甘い判断だったようだ。
 決して危険を背負うことはしない自分だが
 意気地がない劣等感みたいなものもあったが
 元気に帰宅してなんぼの登山だ。
 頂上でなくても
 それなりに美しい景色に出会える。
 軟弱登山のすすめだ。

 11/23
 勤労感謝の日だから
 すべての働く人々に感謝して
 店を開けたがお客は少なく
 早じまいとなった。
 明日受験の三男と3人で
 久しぶりに遅い時間だが一緒に夕食を食べた。

 11/22
 慣れぬ寒さと鼻炎から来る体調不良で
 久しぶりに元気がない。
 家内に貰ったステロイド剤を
 夜と朝と二回飲んで
 やっと鼻水が止まった。
 ひどくなると左の耳がぼーっとなって
 聞こえなくなるが
 左の耳の横の首筋が痛くなり出している。
 何が第一原因かわからないが
 日曜日に木枯らし一番の洗礼を
 受けたことが誘因と思われる。
 枯れ葉と埃を歩きながら
 たっぷり浴びてしまったからだ。
 ここのところの寒さが 
 第二原因である。
 居間にストーブを
 店に暖房エアコンを
 昨夜から入れた。
 値上げの秋に痛いパンチが続く。

 11/21
 寒い中もやはり水曜日は天山の湯へ。
 体調不良と言うか鼻炎がひどい。
 鼻水が止まらないのだ。
 サウナに入ってくっさめをする。
 湯船に入ってもくっさめをする。
 ステロイド剤は飲みたくない。
 トホホ。

 11/20
 一段と寒さが増して
 北国からは降雪、積雪の便りもある。
 青森の酸ケ湯温泉では1m近くも積ったらしい。
 お鍋料理が一段とおいしい。

 11/19
 昨日は歩いた距離も勾配も
 普段の山行きとは比較にならないほど
 軽かったので
 武奈ヶ岳で転倒した時の右ひざのひねりからくる
 痛みが今日はない。
 自重したのが良かったのか。
 来週は三国山から赤坂山へ
 歩くつもりだが
 ひざの痛みが無くなっていたら幸いだ。
 寒さが一段と増してきて
 店の暖房をお客の要請で
 今秋初めて入れた。
 いよいよ半そでともお別れか。

 11/18
 京都駅から近鉄急行に乗って1時間余り 
 大和八木に着いて
 大阪線の準急に乗り換えて桜井へ。
 そこから8km余りを歩いて紅葉の談山神社に
 向かった。
 途中、聖林寺の国宝11面観音菩薩に対面。
 その美しいお姿を拝見して
 多武峰街道をさらに歩く。
 一段高い所にあるこの瀟洒な古刹からは
 遠く三輪三山や多武峰
 桜井市街なども見渡せて
 裏には遷都とともに嵐山にも
 その名を引き継いだ小倉山が控える。
 談山神社に向けて
 徐々に高度は上がっていくが
 カエデはたくさんあるものの青いままのものが多い。
 談山神社に近くなった不動の滝があるあたりでは
 坂もややきつくなってきて汗も噴き出してきたが
 カエデなどの色もはっきりと紅をさしており
 楽しみになってくる。
 ただし道が狭くて大型バスが離合できなくて
 奈良交通の職員が何人も出て
 ところどころで片側通行をするものだから
 自家用車は大渋滞だ。
 談山神社は見事に色づいているものの
 最盛期はまだ1週間後と思われる。
 帰途は路線バスに乗って桜井へ戻り
 八木の一つ手前の耳成(みみなし)駅で下り
 やや道のりはあるものの徒歩で
 「あすかの湯」へ立ち寄り入浴。
 ここはやたらめったら湯船がたくさんあった。
 ただし温泉ではなく水道水だった。

 11/17
 春と秋があまりにも短かくて
 夏用の半そで生活が長かったが
 いきなりコートのいる季節になる。
 遅れている紅葉も一気に紅くなることだろう。

 11/16
 船場吉兆が大変だ。
 湯木貞一さんが墓場で泣いておられるだろう。
 従業員のせいにする婿や孫を
 朝日新聞が連日徹底的に叩いている。
 経営陣の責任回避に
 証拠隠滅の恐れありと
 大阪府警の捜査、捜索も入った。
 食材選びや茶の心から器や掛け軸
 床の間の草花などへの
 並々ならぬ見識と研究のあった貞一さん。
 それに比して
 偽装や不当表示に対して関与を否定する
 現経営人たちは二重に貞一さんを
 冒とくしている。
 十数年前にTV番組の『徹子の部屋』に出られた
 湯木貞一さんは
 水の入ったコップ二個にそれぞれ
 精製塩と天然塩を入れられて
 すぐ透明になった天然塩と違い
 マドラーでいくら混ぜても濁りの消えぬ
 精製塩入りのコップを指さして
 お吸い物一つでも
 この塩を使うとおかしなことになります。
 いくら技術があっても
 素材を吟味しないと
 いいものは作れないのですと語られた。
 それらを聞いて大いに感心したのは
 私一人ではなかったと思う。
 お料理の本もいくらか残されており
 読めば感心することばかりで
 船場吉兆の経営陣にも
 もう一度しっかり読みなおしてもらいたいと思う。

 11/15
 遅れてはいるが確実に紅葉は進行している。
 日曜日の天候は東は雨交じりなので
 南方向を狙っている。
 奈良桜井駅から
 多武峰街道を歩き談山神社(たんざんじんじゃ)を
 目ざし途中、聖林寺などによる。

 11/14
 三男の誕生日だ。
 久しぶりに国内産のビフテキを焼いてやった。
 いつも豪州産でごめんね。
 
 天山の湯へ行く。

 11/13
 越前屋に接待を受けて
 高い戦の道具を買わされて
 なんでその役人がのうのうとしていられるのか。
 南蛮で10年も前に禁止された病気の元が入った
 薬を越後屋をおもんばかって禁止せず
 使われた人の名簿もお蔵へ隠し
 知らん顔していた役人が
 なんでのうのうとしていられるのか。
 この国の支配者たちと役人のあほぶりが
 腹が立つが
 どうにか牢屋に放り込む方法はないものかしら
 桜吹雪の錦さんよ。

 11/12
 土曜日に仮漬けした白菜をあげて
 糠で本漬けにした。
 前回は漬物が無くなりやむを得ず
 1週間待てず出したがために
 やや塩辛かったので今度はきっちり
 時間を守る。
 つなぎに大根の切り漬けを漬けた。
 こちらは2.3日で食べられる。
 イカのゴロを2回塩漬けにして
 量を確保して
 イカの身2杯分を
 塩辛にしたがこれがばっちりおいしくなった。
 寒さが増すといろいろしたくなる。

 11/11
 米原方面は朝と夕方に雨との予報なので
 狙っていた霊仙山は石灰岩が多くて
 雨後滑りやすいので断念して
 新神戸からトエンティクロスを歩いて
 徳川道を穂高湖からアゴニュー経由で
 摩耶山に行くことに前日に決めていた。
 いつもの駐輪屋さんに自転車を預けて
 8:12の阪急で西院を出て
 神戸地下鉄で新神戸には9時半前に着いた。
 ものすごい数のハイカーでごった返す
 新神戸駅北口だが
 このうちの何人かは
 本日ある六甲全山縦走大会の応援やサポートの
 人たちなのだが
 朝の時点では今日がその大会日であることを
 知らなかった。
 布引の滝群を横目に歩き
 布引ダムなどを越えて
 1時間ほどで紅葉の茶屋など
 三軒連なる茶屋があり
 きれいなトイレやベンチが用意されたところが
 市ヶ原でここから河原に下りていくと
 すでにたくさんのハイカーが
 敷物を敷いたり遊んだりしている。
 駅から一緒に歩いてきた多くの
 カブスカウトやスニーカーのハイカーたちは
 ここが目的地で飯ごう炊さんや
 水辺遊びなどに興じる。
 ここを過ぎておがくずが敷かれた快適な
 山道を汗をかきかき登ると
 天狗道とトエンティクロスとの分岐に出る。
 天狗道は四月に歩いたので
 今日はトエンティクロスに決めていた。
 川を20回渡渉するのでこの名が付けられたらしいが
 実際は神戸森林植物園まで7回しかなく
 森林植物園に入らない予定の徳川道なら
 5回でそのうちの1回は短い渡渉で
 数に入れるかどうか迷ったぐらいだ。
 右足のひざに違和感を覚えたので
 予定を変更して森林植物園に入って
 1時間ほど散策することにした。
 池の周りの紅葉が素晴らしくしばし見とれた。

 11/10
 夜PCでピンポイント天気予報を見て
 神戸方面に決めた。
 紅葉が一部きれいとの情報もある。
 森林植物園にも立ち寄ってみよう。

 11/9
 週末は天気が崩れそうだ。
 天気が悪ければ新神戸からトエンティクロスへ。
 よければ醒ヶ井の霊仙山へ行こうと思っている。

 11/8
 先日借りたDVDを返して
 半額のうちにまた4枚借りた。
 剣岳の三角点測量のことを書いた新田次郎の
 剱岳点の記の文庫版を買った。
 秋は文化の秋だ。

 11/7
 天山の湯へ家内と出かけた。
 上着はいらず車とは言え
 二人とも半そでで充分なのだ。
 太陽はあくまで暖かい。
 常連のお客様が
 天山の近くのケーキ屋さん
 ボンデシュール?で
 焼きプディングのおいしいのを買い
 私どもに先日下さったのだが
 余りにもおいしかったのを二人で思い出して
 「ここ、ここ」
 なんて言いながら通り過ぎた。

 11/6
 雲ひとつない青空で
 秋の空は美しい。

 11/5
 前の総理も今の総理も民主の小沢代表も
 日本の政治の中枢にいるヒトらはみんな
 お坊ちゃまだ。
 アメリカのブッシュ大統領もおんなじだが
 強引でわがままな割にぽきっと折れやすい。
 情けない人たちに日本の将来を託している。
 北朝鮮と同じ世襲制の政治に未来はなく
 暗澹たる気持ちになる。
 このところの政治状況がねじれているとは言え
 あまりに情けないお坊ちゃまたちだ。
 トホホ。

 長くDVDを借りていなかったので
 見ていない準新作が大量にあり
 昨日半額で5本借りてきたが楽しみだ。
 ウシシ。

 11/4
 山へ行くには最高のお天気だが
 あいにくとお腹が痛くてしくしくする。
 胆石の疝痛発作の前兆かとも思われ
 ぐずぐず迷っているうちに
 二度寝などして起きたら11時だった。
 この間よそで食べた豚肉の生姜焼きのタレが
 ダダ甘くまずかったのを思い出して
 ちょっと早めの昼ごはんに
 生姜たっぷりのびしっとしたタレで焼き
 これでもかと言ううくらいの量のキャベツを刻んで
 その上に焼けた豚肉を乗せて
 腹痛いと言う割には大盛な食欲で平らげて
 どこかへ歩こうと思った。
 そうだ嵐山まで往復しようと思い
 リュックにタオルと着替えとお茶を詰めて
 午後1時ちょうどに出発した。
 1時間チョイで嵐山に着いたがすごい人出だ。
 紅葉は風の道がほんのちょっぴり色付いている。
 まだ2‐3週間かかるだろう。
 女性のストッキングがカラフルだ。
 いろんなきれいな色で楽しくなってくる。
 ルーズソックスとカラフルストッキング、大好きだ。
 1時間半ほど散策して
 帰りに太秦のツタヤと花園のパン屋に寄ったら
 5時前だった。
 野球部のお別れ会で3男と家内は食事会があり
 不在。
 近所のおっさんと二人で我が家で鍋。
 仰山歩いた後のビールはうまいな。

 11/3
 祝日も営業。

 嵐山はすごい人出だったらしい。
 別々のお客が異句同音でのたまう。
 あちこち行楽日和で混雑したことだろう。

 11/2
 白菜を糠で本漬けにした。
 味を良くするためにコンブを入れたいが
 コンブは漬物が早く痛みやすいので
 この気候では省略せずにはいられない。
 プロの漬物屋さんの製法紹介では
 早く売ってしまうところはコンブを使うが
 大樽で長くかかって売る店は味の素を
 使っているようだ。
 私は糠と塩と刻み赤トウガラシのみで
 漬けた。
 東京から美しく若いお客様が来て
 食事の後、三男を連れ出して
 コーヒーショップへ伴ってくれた。
 悩み多い高校生の話を聞いてくれたようだ。

 11/1
 昨日は寒くなると踏んで
 白菜の大玉5ケを買ってきて
 塩漬けにした。
 2‐3日したら糠漬けの本漬けをする。
 11月と言うのにこう暖かいと
 過発酵が進んで早く酸っぱくなりそうだ。
 酒屋さん(米屋も併営している)に糠をもらって
 準備万端。
 新聞の紅葉情報では紅くなり始めたところが
 ぽつぽつ掲載されている。
 Tシャツでウロウロするのも止めなくては…


 3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
 3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
 3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。

   
      
フェルナンデス
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