4/30
4月も今日でおしまい。
ちぐはぐな現象があちこちで起こって
世紀末ではないかと思うぐらいで
怪奇な現象が
人にも自然にも進行すると不安感が生ずるが
どれも必然かと考えて
冷静に行動する以外にはない。
今日30枚入りの使い捨てマスクを1箱買ったが
テレビでは1人分50枚を推奨しており
我が家では5箱備蓄しないといけないのだろうか。
4/29
朝晩の冷え込みは5月を前に
ひどいことになっている。
気象学的なことは分からない。
北アルプスでは京都府大の3人が遭難した。
各地のGW向け小屋明けの時期に
3000m級の山では厳冬期に戻ったからではないか。
景気回復が叫ばれる中
海外渡航を制約されるインフルとともに
試練は続く。
北朝鮮は相も変わらず国連議長声明に
吠えている。
核実験の再開まで脅し文句に使っているが
不思議なことに失敗を恥じているのか
先の人工衛星(サテライト)と言う表現はなくなって
ミサイルと言う表現に変わっている。
懲りない連中だ。
中露の反対はあろうが人民の解放も視野に入れて
国連は対処してもらいたい。
4/28
メキシコでのみ死者が出る新種のインフルエンザに
WHOが上から4番目の警戒警報を鳴らす。
世界中で死者がバタバタ出たら困るが
現在でも冬には旧来のインフルで日本でも
数千人死んでいるのだから
必要以上に騒ぐことはない。
WHOが正確な情報の下で
動かれることをひたすら願う。
東京市場では薬品メーカーが高くマスク関連で
繊維メーカーがストップ高。
旅行会社や航空会社はキャンセルが相次ぎ
稼ぎ時に気の毒だ。
そのうち店頭からマスクがなくなるのかしら。
梅雨になればウイルスはへこむのだろうか。
分からないことだらけで
マニュアルばかりが進行して
もっと正確な情報が欲しいが
きっとWHOも日本政府もよく分かっていないのだろう。
4/27
1日家にいて退屈で昨日の夕方
まだ止みきらない小雨の中自転車に乗って
12000円の定額給付金の有効な使い道は
アホらしいことに使うのが1番と
8年ぶりにパチンコ屋に出かけた。
もうもうと煙がこもる不健康な空間は
すでに自分は過去の人になっていて
玉の借り方さえ分からない。
やっとこ1000円札を入れたが玉が出てこない。
あちこち探したがボタンらしきものもない。
情けなくて1000円を置いて帰ろうかとも思うが
それは自分の性格として許せない。
困っていると若くて可愛いい店の女の子が通りがかった。
彼女を捕まえてどこを押せば玉が出てくるの?
と聞いたが彼女も分からず「少々お待ち下さい」と
無線で男の店員を呼んだ。
男の店員は黙って台を叩いて玉を出した。
要は玉つまりだったようだ。
そのとき2000円負けたら帰ろうと思ったが
最初の分はすぐに無くなって次の1000円で
すぐにスリー9の確率変動にヒットした。
私はビギナーではないがビギナーに等しく
ビギナーズラックでその後何回もかかった。
1時間ほどしてかからなくなったらすぐ止めた。
箱3杯19000円もあった。
パチンコそのものは全く面白くなかったが
元手の2000円を引くと17000円の勝ちになった。
韓国のカジノでも同程度勝ったが
これは面白かったしアルコールも飲み放題だった。
帰り道の雨はまだ完全にやんでいなかった。
定額給付金を無駄使いしてやろうと思って出てきたが
結局29000円に増えてしまった。
ちょうど風俗で使えそうな金額だが
残念ながら自分にはその趣味がない。
ふふふ。
それにしても風は寒い4月末だな。
4/26
せっかくの休日だが雨。
夕飯の買い物以外は自宅にいてのんびり。
きのうATM利用したものの通帳はそのまま。
明日の準備で通帳を見たら
23日付けで定額給付金がすでに入金されていた。
5月のことと思っていたので驚いた。
早速喜ぶだろうと
世帯のメンバーひとりひとりの分を
封筒に入れて手渡した。
家を出ている次男の分はメールで知らせた。
確かに現金はありがたいがよく考えてみると
ずいぶんと勿体ない税金の使い道で
喜んでばかりはいられない。
これから続くエコ製品の買い替え奨励金(ポイントか?)
などとともにいずれはみんなに納税と言う形で
帰ってくるわけで
いつも大きな企業のみが得する事になっている。
銀行や大企業が儲けた時は知らんぷりで
中小企業や個人ばかりに負担が負わされる。
天下り先や省益ばかりにうつつを抜かす官僚とともに
日本の将来への閉塞感の元凶が
ここにあることが分かっているのに
せっせと同じ党にばかり投票する人たちの
頭の構造が分からない。
草なぎ君をはじめ確かに自らの責任で川に落ちた。
「水に落ちた犬はたたかれる。」のだ。
しかし寄ってたかって大騒ぎしてたたくほどのことだろうか。
あまりにもマスコミとマスコミにミスリードされる国民の
愚かしい頭の構造が理解できない。
4/25
雨。
天神さんは気の毒にも露天商の人は
さっぱりだろう。
弘法さんも天神さんも両方雨は珍しい。
日曜日も雨が残り山行きは断念。
4/24
松尾大社の山吹はやや峠を過ぎていた。
嵐山の亀山公園に車を置いて
徒歩で神社に向かった。
そこそこの距離だが汗をかいて血行が良くなったのか
頭痛や筋肉痛が嘘のように楽になった。
帰りに家内手製の弁当を公園で食べた。
久しぶりにおいしい食事だった。
4/23
冷え込みと花粉症で
鼻水以外に
頭痛と筋肉痛が激しい。
毎年GWの頃に楽になる。
あともう少しのことであると思われるが
どうであろうか。
4/22
松尾大社の山吹が気になりながらも
先だっての山行きの筋肉痛を和らげるために
天山の湯を選択してお昼に出かけた。
トイレの換気扇が故障して止まってしまったので
ネットでメーカーHPに対応型番を検索して
品薄の表示におっかなびっくり
出てきた型番をたたいたら一件のみヒット。
唯一あった販売店に注文しておいたものが
夕方届いた。
早速交換して一安心。
両親は農家の出で
亡父はほとんどの家庭内修理を
ほとんど何でも自分でしたので
自分にもその精神が染みついており
電気・ガス・水道関係から
壁塗りから屋根瓦の交換などなど
下手くそながら凡て自分でやる。
但し以前は修理機種の入手が大変だった。
どこへ行けば手に入るかさえ
分からなかったことが多かったのだ。
それを思うとインターネットは
つくづく便利なものだと思う。
ここ10年はキーボードをたたけば
送料はいるものの自宅にいて
簡単に入手できるようになった。
やや冷えが戻って体調維持が肝要だ。
4/21
雨。
花粉症が軽減されたり
車がきれいになったり
それほどの雨ではない。
4/20
愛宕山の頂上の神社が本社で
昨日の亀岡国分の愛宕神社が支社とばかり思って
記述していたが
その後調べてみると昨日の下山したところの地名
国分はもとは愛宕(おたぎ)と言いここの愛宕神社は
継体天皇(504年)のときに創建されてそののち
いったん鷹ケ峰に分祀されたものが780年に
今の愛宕山頂上に遷されたものであるらしい。
したがって国分寺が出来て地名が国分に変わったものの
亀岡の方が創建が古く「元愛宕」と言われており
ここを全国の愛宕神社の総本社と言う人もおり
少なくとも支社と言うのは間違いだった。
ただ全国の総本社は現在では現実的には
愛宕山頂上の神社であり
その認識は間違いではなさそうである。
牛松山登山は新たな知識を与えてくれた。
久しぶりの登山は太ももに筋肉痛を生んで
さぼってはいけないことを教えてくれた。
4/19
朝8時に車で出発。
9号線の頼政塚の信号を亀岡駅方面に右折。
駅手前で右折し保津川の大橋を渡る。
府道25号は新道ができており旧道に入る。
2分ほど走って
保津小の前の公民館に車を止めさしてもらった。
629mと低山だが亀岡富士の異名を持つ。
登山口までは大きな農家の屋敷が時々あり
そこを過ぎると竹やぶの道になる。
愛宕林道とあるが愛宕山へ行くのでなく
別の支社の愛宕神社への道でもあるからだ。
林道と別れた登山道入り口には鳥居があって
この登山道は頂上手前の海の神様金毘羅神社への
参詣道でもあるわけだ。
広く歩きやすい道で丁石があり
道中立派な丁石が現れるが
神社が何丁目かが分からないから
目安にはならない。
確か17丁目の次に神社に着いた。
神社の拝殿横に休憩所があり
保津川遊覧川下りの船の模型が天井に2艘
奉納されていた。
想像だがこの森の石松の金毘羅神社がこの山の
前名石松山の由来だったろうか。
その後農耕的要素が求められるにあたって
石が牛になったと言われている。
牛松山の頂上三角点は神社から50mほど
行ったところにあり
そこから国分登山口へは
一気に下っており急坂であった。
下りたところに火伏せの愛宕神社があった。
愛宕山頂上の本社に参りきれないひとびとが
ここに参りにくるみたいで
名古屋からの団体や乳児の初宮と見える家族等や
個人や夫婦やたくさん参っておられて
神官さんが二人も盛装して御祈祷していた。
例の火の用心のお札も授かることができる。
このような神社の存在を知らなかった。
車を置いた公民館までは
田園地帯を貫く25号線をのんびり歩く。
気温は30度前後とある。
夏日どころか真夏日だ。
牛松山の全貌がゆっくり見え始める。
保津橋横の広大な菜の花畑が美しい。
4/18
日中は再びピーカンの青空で
半袖になりたくなるほどの暖かさだ。
来週半ばに冷えるというから???だ。
おにぎりを持って広沢の池へでも
行こうと思ったが
仕込みを終えたら12時半で
お腹がすきすぎており
作ったおにぎりを自宅でぱくついてしまった。
晴天らしい明日は亀岡の牛松山へ。
4/17
家内が法事で美山に行ったので
ひとりで営業した。
10時すぎに帰ってくれたので
12時には洗い物が終えられた。
4/16
今田と書いてこんだと読むR372を
丹波篠山の舞鶴縦貫道を超えて西進したところに
今田薬師温泉がある。
蕎麦店を検索中にゆる庵と言う
この地の蕎麦屋を見つけてたまたま
ついでに気付いた温泉だった。
丹波縦貫道に乗れば1時間半で行ける。
早くに仕込みを済ませて10時ちょうどに出発した。
丹波縦貫道に乗らず休憩タイムを取ったら
2時間かかってしまった。
12時過ぎに着いた温泉施設は田園の中の
小高い丘の上にあった。
想像以上に広い敷地の中に
温泉施設に付帯した色々な建て物があった。
温泉施設そのものも相当広く
湯船も相当数あった。
冷たい源泉の湯船と源泉を41度程度までに
加熱した湯船の2か所は「かげ流し」だった。
この広さでも土日は混むのだろうな。
ただし今日は広い施設に内風呂も
まして肌寒くなった広大な露天風呂は
ガラガラだった。
ちなみに女風呂は家内ひとりで
広大なだけに落ち着かなかったらしい。
私は気持ちよくのんびりしすぎて
約束の1時間をオーバーしてしまった。
温泉から5分ほどのところにある
蕎麦のゆる庵には1時半ごろに着いた。
靴を脱いで6人座れるテーブル3つの
1部屋だけの狭いお店だった。
そばは白いやや細めの10割そばで
もりが850円だった。
300円アップの大盛りを頼んだが
私には上品すぎる量だ。
びっくりすぎるほど早くに運ばれてきた。
ひとつかみ手の平に乗せて頂いた。
腰の強いしっかりした甘みのあるそばだった。
そばつゆは醤油の勝ったから目で
ほんの少しつけるだけで充分。
薬味は青ネギと本山葵。
例によって大きな音を立てて
空気とともに勢い良く吸い込む。
しっかりとそばの香りを楽しんだ。
そば湯はポタージュのように濃い。
きっとゆがき汁にそば粉を足しているのだ。
好みは分かれるだろうが
私は足さないそば湯が飲みたかった。
帰りは亀岡から縦貫道に乗れば
1時間半で帰れた。
4/15
あまりにも弱い阪神にがっかりしている。
ついつい監督を批判したくなる。
4/14
雨が1日降った。
ありがたいことである。
4/13
晴天が続いて
山火事などが懸念されている。
4月になってまだ1度も降っておらず
農業などにも影響があるだろう。
明日やっとおしめりがあるらしい。
マスターズゴルフは片山が10アンダーで4位。
すごかったが優勝のカブレラはもっとすごかった。
3人で始まったプレイオフの1ホール目。
ティショットが林の中に入って
ピンに対して完全に木の陰になってしまった。
難しい少ない空間に向かってドローボールを打ったが
案の定木に当たってしまった。
ラッキーにもヘアウエイに出たものの残り距離は多い。
しかしここからのリカバリーショットがすごかった。
ピンそばにつけて1パットのパー。
ひとり抜けた次のホールで決めたが
前ホールでのすごいプレーが
優勝を彼に持って行かした。
17歳の遼君はこれからだ。
4/12
そばが食べたくて昨夜
蕎麦屋さんの訪問記などのHPを閲覧して
丹波篠山付近の6店舗を
MAPとともにピックアップしておいた。
しかし今日起きてみたら体がだるくて
2度寝をしてしまった。
次に起きて昼食に遠方は無理そうなので
近場で阪急茨木と総持寺で2軒チョイスした。
しかしぐずぐずしているうちに
家内が小ましなそばを買ってきて
昼食に出したのでそれを食べて
不満ながら遠出は断念。
夕食に京都の蕎麦屋で肴で一杯後
そばをすするという案に変更せざるを得ない。
そこで京都の手打ち蕎麦屋を検索後
しかしまた寝てしまった。
アッチソンは連日打たれるなと思いながら
再び起きたら既に
夜の会合のある家内は出かけており
ひとりの家で外出する意欲は失せており
テレビを見ながら生ビールを3杯飲んで
自宅でおとなしくしていた。
美味しいおそばは次回でのお楽しみと言うことで。
4/11
今日は土曜日で営業の日だが
小諸の友人の娘さんが
絵画で大賞をとったのでそれを見に
名古屋の北にある春日町と言う町の
はるひ美術館に行ってきた。
2年に1度のビエンナーレが5回
今回からは3年に1度のトリエンナーレになったが
優秀な新人の発掘のための美術展らしいが
6回目の今回めでたく大賞を受賞したのだ。
美術館の横を流れる五条川両岸には桜があり
満開でシートを広げている人もいた。
土日休日の高速道路1050円はありがたく
一部の渋滞や込み具合は充分納得済みである。
大賞は他を圧倒しており
その絵の横に書かれた制作過程での感想文は
その人が赤ちゃんの時から知っている娘さんだけに
絵と文を前にウルウルしてしまった。
凡ての入賞作品をを見せて貰って
入り口付近に戻ると
休憩室を兼ねた資料を置かれた空間があり
そこのテレビには審査の先生たちと
作品の横に立つ若い入選作家たちとの
講評会の様子がビデオで映し出されていた。
入選の作品群を載せた記念誌には
選考過程が語られており
500弱ほどの作品群からこの大賞を選び出すのに
9回の審査会を行い
もちろん5人の先生が合評合議をするが
最後は民主的選考を保証するために
同じ点数を持って投票しその結果
上位からそのまま残していく方法をとったらしい。
大賞をとった彼女の作品は
その9回の審査会の
すべての過程で満票だったことが記されており
文句のつけようのない堂々の一等賞特選であった。
帰りには美術館を五条川沿いに
数分南下したところにある清洲公園に寄った。
ここは桜がよりきれいで残っており
人出も多かったがあの信長の「清洲城」も
イメージ再建されており
お城と桜をばっちりデジカメに収めてきた。
昼食は初めて寄る御在所S.Aで
エビフリャァ定食を食べた。
第二名神は3車線で車の通行量も少なく
快晴で快適なドライブが楽しめた。
4/10
NYが8000ドルを超えた日
東京も9000円をザラバで超えた。
ずっとNYに連動していた
あるいはシカゴの日経先物に引っ張られていた
東京株式はここのところ1000ポイントも開いて
独自の動向を見せて世界の株価をリードしている。
また取引開始前の外国証券会社(外国人投資家)
経由の売買動向に左右されていたが
この頃は寄り付きのときばかりで
その後は独自の展開を見せており
極端に言えば反対の方向で推移している感がある。
これは画期的なことで今だけは
東京市場が日本人の手に戻っている状態だと言える。
それだけに毎日が大荒れで
個別銘柄は不規則な展開だけに
チャンスもリスクも高い。
山用の下着を買いたい家内に同行して
20%バーゲン中の好日山荘に行った。
私は見るだけで何も求めなかったが
お駄賃に山用の2500円もするトランクスを
2枚プレゼントされた。
山に行ったら汗かきの私も
パンツだけは日用の綿のパンツ使用で
休憩後もパンツだけ乾かないので不自由していたが
これで解決される。
ありがたいことである。
4/9
3月末とは大違いで
ゴールデンウイーク並みの暖かさ。
桜は満開で人の出も多い。
あちこちの入学式もほぼ完了か。
この暖かさの中天山の湯へ。
ゆっくりつかってきたら
出かけていた胆石発作も治まった。
明日は家内に付いて
山用品のバーゲン中の好日山荘に。
4/8
お釈迦さまの誕生祭。
花祭り。
のり弁を持って嵐山亀山公園でお昼の花見。
おかげでヒノキ系花粉に弱い私は
くさめと鼻水でぐしゅぐしゅになった。
ACLはガンバもフロンターレも5点取って勝利。
自民も民主も派手な景気刺激策を発表。
15兆円21兆円規模らしいが
その裏ではどうなるのか
子孫に重い税負担と大インフレーション。
若者たちの吐息の中で
老人には少ない年金と
わずかに蓄えた貯金の目減りが待っている。
激しい仮需要の後の買い控え。
心してかからないと
選挙の前のバラマキと1部企業へのおべっかで
終わってしまう。
4/7
花見の特別料理を頼まれて
朝の通常分の仕込みの後も
昼食後に仕込みを続行して
3時過ぎまでかかった。
ACLは鹿島は勝ったが
名古屋は引き分け。
4/6
平地は何ぼ歩いても
疲れが残らないよい体質になった。
元気に月曜日を迎えた。
桜はどんどん満開へと向かっている。
4/5
桜を見ようと
500円の1日バス乗車券をフル活用。
長男家族4人と京都桜名所を歩いて巡ったが
とにかく人人人でごった返していた。
ファミレスで食事中にテポドンは日本上空を
飛んでいたらしい。
発射は事前に米中露に連絡があり
日韓には米国より通知があって
分かっていた事については
昨日のお粗末システムも冷静に働いたらしい。
日本以外では「日本は騒ぎすぎ」との声が多い。
しかしながら
先っぽに核弾頭か人口衛星どちらが付いているのか
日本人には分からないのだから
打たれる前に発射地を攻撃する自衛権もあり
あんまり舐めたことをしたら
日本は自衛のために
北を攻撃する用意があることを世界に表明すべきだ。
国際社会が「ならず者国家」をかばってばかりなら
6ヶ国協議から脱退して
自主路線国家になることを表明してはどうか。
話し合いばかりが解決策ではないことを
独立国家として表明すれば
日本が軍事大国になることを嫌がる世界は
別の言い方になるのではなかろうか。
4/4
お化けの日(おかまのひな祭り)。
テポドンの発射誤認はお粗末な
日本の防衛システムの露呈だった。
システムと言いながら
人が手でする部分のサポートがまるで幼稚なので
そう呼ばない方がいい気がする。
4/3
醍醐寺へは地下鉄で20分余り。
桜は七分で満開の樹もあった。
人でごった返しており
ほとんどが有料部分になった。
上醍醐へ上がるのにも600円取られる。
G20の口先宣言であまちゃんのNY株式市場は
200ドル以上上げて8000ドルを超えた瞬間もあった。
ドルと円とは100倍ほどの差はあるが
東京株式市場の225種と妙に連動していたが
ここへきて1000単位のかい離が生じていたのだが
朝方8900円を窺う上がりに見せたが
終値では30円高に終わり
NYとのはっきりした反応の違いを見せた。
その後のアジア ヨーロッパ NYは
日本市場に似た動きをした。
ずーっとNYに引っ張られてきた東京市場が
今世界をリードしている印象をぬぐえない。
いつまで続くかはわからないが
70%と言われる外人投資家の動きと
真反対の東京市場の値動きは
個人投資家の頑張りによるものだろうか。
ちょっと不思議な東京株式市場になっている。
この月の前半だけでも眺めていたら
潮目を見ることになるのではないだろうか。
4/2
ようやく家内も体調回復したのか
普段どうり働けるようになった。
この3日間は孤軍奮闘の営業であった。
株式市場は極端な上下動を繰り返して
春の嵐のような荒っぽい展開だが
英国での口だけG20首脳会議での宣言が
功を奏して世界的には株価は上がるだろうが
お里は知れており痛い目に合う人は多そうだ。
高校野球は予言どうり清峰高校が優勝。
今村投手はプロに行っても活躍するだろう。
明日は醍醐寺の桜を見に行く予定。
快晴のようだ。
4/1
エイプリルフール。
懐かしいが近年はすっかり実行していない。
思いつきもしない。 寂しいことである。
クイズタイムショックで
嘘をついていいのは午前中までとあり
初耳だった。
寒い四月の始まりで桜は縮みあがって
開花が遅れるところが続出。
3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス
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