2/28
2月も今日までだが
今年は桜が早いようで
雨以外は穏やかな日が続くらしい。
2/27
開店から5年半たって
営業許可証の更新に保健所に
12000円必要だった。
この金は一体何に使われるのだろうか。
大いに疑問に思った。
これと同じことが
地方自治体と国との関係でもあるらしい。
大阪府や新潟県が疑問を呈し始めた。
前例主義の官僚機構に
風穴を開けるものだ。
一市民では国家に対して何事も
出来はしない。
無力感だけが漂う。
2/26
暖かいので
短く散髪した。
2/25
山と宴会で疲れた体が
月曜の夜(晩ごはん)に食べたものを
消化しきれずに夜中に下痢症状を
引き起こしたと考えられる。
昨日一日節制したおかげで回復。
天山の湯にも出かけられた。
天神さんはあいにくの雨で
人出は少なかろう。
菜種梅雨と言う説明もあり
大変だ。
2/24
体調悪く自重して精進する。
2/23
対ドル円安。
株価はあっさり昨年11月のリーマンショックを
下値更新。
不思議なW安。
つまりは日本売り。
あほ与党の無策ばかりか
主管大臣の大失態で足まで引っ張られて
目を覆うばかりの日本経済だ。
発信元の米国は勿論世界中が暗い。
経済的に行き詰まったら
心の時代へと移行せざるを得ない。
それを予兆さす米国映画アカデミー賞だった。
精神世界を描いた作品ばかりが受賞した。
2/22
15日に予定していた綿向山は
雪が少ないという情報と
今週には寒波が来るということで
急きょ御在所岳に変更して今日に期待していた。
昨日の土曜日の積雪情報を得て
予想的中で朝7時に家を出た。
竜王ICで降りてジグザグの477号線を
走って御幸橋駐車場には8:30に着いた。
雪はなく先行者の車は10台ほどで
簡単に駐車することが出来た。
川沿いを上部に向かって歩いて行くと
休憩小屋がありそこが登山口で
看板には綿向山1110m
現在地標高460m行程4.3kmとあった。
植林の中をゆっくり登っていくと
Pから30分ほどで1合目の標識に出会った。
ガイドブックに頂上まで
2時間半ほどと書いてあるから
ここで1合目なら2時間半では無理かとも思った。
3合目には立派な休憩小屋があり
この前後から雪が残っている。
北斜面は朝早いせいもあってしっかり凍てていて
片足を新雪に乗せて滑りを止めた。
植林と自然林が混じり眺望が開けるあたりが
5合目でここにも立派な山小屋があった。
ここでアイゼンを装着する人が多いが
横着してもうしばらく無しで登った。
8合目あたりまで来ると
夏道が閉鎖されていて
直登の冬道に誘導されていた。
さすがにここでは雪が多く
家内はアイゼンを装着したが
私は新雪に壺足でトライ。
しかし疲れがひどいので50mほど登って
樹木にもたれてアイゼン装着。
時折冷たい雪交じりの強い風が吹く。
頂上には祠もあって
無事登頂の感謝の気持ちで手を合わせた。
眺望は素晴らしく風も穏やかなので
ここで昼食することに決めた。
正面には雪の雨乞岳その横には鎌ケ岳
三重の鈴鹿の山並みを見ながらの食事だ。
みそラーメンとおにぎり。
食後のココア。
1時間ほどいて下山開始。
「怖い怖い」と言いながら家内が
雪の急斜面を遅れて降りてくる。
怪我しないから思い切って滑ったり
走ったり転げたりして楽しむことを提言。
意を決して今度は子供みたいに
笑いながらはしゃいで降りてきた。
その分お尻のほっぺが痛むのは仕方がない。
夜は高校時代の同窓会に出席した。
2/21
TUTAYAに行って半額でDVD4本借りた。
ジャッキーチェンの孫悟空空想譚は
面白かった。
明日は雪の綿向山へ行こうと準備した。
夕方は雨らしく早く帰ってこようと思うが
晩の宴会である山城会が足元悪くなるみたいだ。
2/20
夜から突風のような強風で
一層寒く感じるが
いったん春一番が吹いた後だけに
そう感じるだけで
実際は平年とそう変わらないはずだ。
この寒気団が去れば
一期に春が来るらしい。
桜も早そうで3月中に咲くそうだ。
2/19
日米ともに昨秋のリーマンショックでの
株安を更新しそうな勢いだ。
一番大変な時に一番あほな政権で
政治空白は連綿と続き
この不幸な時代を変えるべき
清き一票も使えない
二重苦の日本人よ
哀れ也。
2/18
函館山にボードに出かけた息子のバイクで
いつもは車で済ませる用事を
午前中いっぱい使って乗り回した結果
目や口鼻に飛び込んだ花粉その他のせいで
1日中鼻炎症状がひどかった。
用事の後はそれの解消のために
みそ作りのために欠席した家内を残し
ひとりで天山の湯へ出かけたものの
昼食にビールを飲んで
あと昼寝から起き上がったら全身が
花粉症の諸症状に冒されていた。
2/17
100年に1度と言われる
米国発の世界大不況の中で
2年半で3人のあほ坊(ジュニア)首相を出して
もともとの人材不足で
4人目のあほ坊を輩出できないでいる
すでに終わっている政党が
典型的なあほ坊個人の権力欲ボケと
党利党略で政権に居座っている不幸な時代だ。
「自民党をぶっ壊す!」と言って
10年前に終わっていた自民党を温存して
救ったのは確かに小泉だった。
これが不幸の始まりだった。
彼もまた次回の総選挙であほ坊に
議席を譲るらしい。
政治家の世襲制と官僚のエゴとで
ゆがんだ政治体制が続いた結果
セフティネットなどの機能不全と
今日の格差社会が出来てしまったが
それにしてもこの異常政党に300議席を
与えたのは
マスコミの協力の下に
能天気国民ではある。
昨年末から政治的空白は永遠と続いており
本日の円安と年初来安値の株安との
W安と言う日本経済の異常現象は
いつまで続くのだろう。
今の自公政権には下野して
充電し直して再起をしようなどという発想は全くなく
権力にしがみつくばかりでみっともない。
ブッシュの米国民と同様
オバマが出てくるまでただ待つのみか。
2/16
午後から慣れない事務仕事をする。
疲れるが基本的に好きな作業ではある。
残り半分は明日にしようと休憩したが
少し休んだら最後までしてしまった。
結構な性格だ。
まあ曲がりなりにも
し終えたら気分は楽になった。
2/15
朝寝坊して
弁当持たず
御在所岳の麓に着いたら10時半。
あたりを散策だけして山には登らず
希望荘で天然温泉に入った。
昨年の9/6の大洪水で
山は勿論
日向小屋や藤内小屋
スカイラインもやられていまだ復興しておらず
辛うじてゴンドラは動いている。
観光地としてはすごい痛手だったらしい。
第二名神は空いていて走りやすかったが
朝は濃霧でせっかくの景色が見えなかった。
2/14
チョコ3つ。
2/13
クリスチャンには怖い13日の金曜日だが
何事もなく無事に過ごせた。
この月は28日だから
来月もこれがあるのだが
考えてみれば自分は敬虔な仏教徒なので
関係なかった。
雨が降ったりやんだり
あちこちで春一番が吹く。
2/12
長友は俊介に何度も叱られていたらしい。
評論家の意見もほぼ同意見でホワードの精度の悪さは
惜しかったでは済まされない時期に来ている。
豪州監督のピムは
「日本チームには驚かなかったか」と言う記者の質問に
「想定内で別に驚かなかったし対応できた。
唯一驚いたのは松井と大久保の交代だ。」と答えている。
攻撃で成功していたのは内田の右側だけ。
左側は機能しないばかりか反撃されっぱなし。
長友の繰り返しの凡ミスを
松井がどれだけ助けていたか。
サイドバックとホワードを変えないと
大変なことになりますよ。
まだ興奮から冷めないフェルナンデスです。
2/11
夜のサッカーW杯アジア予選を見るために
営業は臨時休業にしたために
昼は歩いて繁華街へ出て
阪急ビルで食事したり
高島屋やフジイ大丸で買い物をした。
夜はテレビでサッカーを観戦したが
全体のレベルからは左サイドバックの長友と
トップの二人が見劣りする。
勝ちきるにはこの3人のポジションを
強化もしくはチェンジしたい。
惜しかったではW杯に出ても3連敗が関の山だ。
Jリーグで1番点を取っている人を使ってほしい。
分からないのは何で一番良かった松井を変えるのか。
テレビに向かって叫んだ。
「岡田のバカ!」
2/10
家内の誕生日で
出ている二男からお祝いのメールがあったらしい。
言葉もプレゼントもない私に
何も言わないが
普段からいつもやさしい自分のことは
分かってくれてるはずなんて
甘い考えだろうか。
2/9
さすがに愛宕山の後は
翌日も足の筋肉に張りが残る。
詰めて登り始めれば少しはましになる。
2/8
朝8時から表参道から登山開始。
10時に頂上に着いたが
いつもの温度計は-0.5度だった。
期待した雪は少なく
1月に降ったものはほとんど無くなっていた。
汗をかいたので衣類を交換して
みかんを食べて小休憩ののち
下山開始。
登って来る登ってくる。
びっくりするくらいの大勢の登山者だ。
下山中に出会った人は一体どれくらいだろう。
1時間半弱で駐車場に着いて
バーミヤンで昼食後
大量の手巻きすし用の鮮魚を購入。
今晩は家内の誕生日祝いで
孫たちがやってくるのでその仕込みだ。
食事会では長男夫婦が1月生まれの私には
軽くて暖かい派手なデザインのマフラーを
家内にはショルダーにもなる小さめの
ワインレッドのバッグをくれた。
いつもながら感謝。
それにしても山帰りの夫婦と
健康で若い5人とで
たくさんの手巻きすしを消費した。
うれしい限りだ。
2/7
またまたかす汁を作った。
魚はぶりでも塩サバでも塩シャケでも
鱈でも豚でもよいが
私は塩シャケのあらが一番好きだ。
今回も大事に残しておいた鮭のあらで作った。
友人に良い酒粕をもらったので
美味しいかす汁が毎回出来るのだが
案外この酒粕が苦手な人もいる。
信じられないことだが
何かの間違いで食品に対して偏見を持ったり
嫌悪感を持ったり
総じて嗜好の偏りと性格の偏りは
比例していてアレルギーなどの原因を除いて
好き嫌いの多い人はわがままな人が多いと
思われるがどうだろうか。
食品でも他人でも向こうにある責任よりも
嫌いと思っているこちら側に原因があって
こちらが変われば
いつでも良好な関係が築けると思うが
あまりにも能天気すぎるだろうか。
明日は耐寒訓練で雪の愛宕山へ。
2/6
大麻を吸っていたお相撲さんが
協会から処分を受けたが
退職金の出る「解雇」という甘い処分だったから
相撲協会がマスコミにたたかれて
本人が「退職金辞退」の申し出をした
ということになっている。
本人にそう言えと圧力をかけたに違いない。
それにしても
見つかったり捕まったり
その次の瞬間から「悪いことしました。
反省している。」何と変わり身の早いこと。
見つかったり捕まったりしたその1秒前は
どうだったのか。
不思議でならない。
親方や協会に謝る様子が
私には「捕まって申し訳ない。ドジった私を許して」
としか聞こえてこない。
捕まることによって
急に悪いことをしていたということに気づくなんて
うそくさい。
2/5
白菜の糠漬けの下漬けと
キャベツの切り漬けの準備のため
冷たい水とたたきの冷えで体が冷え切って
お腹と腰が痛くなった。
夜はずっと調理し続けて
腰と背中の右側が痛くなった。
それでも頭を散髪(自ら丸刈り)しても
寒さが緩んだのか頭は寒かったり痛くない。
2/4
恒例の天山の湯へ。
サウナから上がって足湯のところで
休んでいたらやたら眠たくなってくる。
野天へ出て横たわると
眠気はさめて寒さが募る。
昼夜の温度差が多くて
体調の維持が難しい。
それにしてもアレルギー性鼻炎は年中になった。
2/3
旧暦のお正月である節分祭が
あちこちで行われているはずだが
塩鰯を食べたくらいで
我が家ではそういったイベントがなかった。
高校時代の同窓会風の催しを
一斉メールで発信した。
これだけモバイル通信時代になっても
あいも変わらず封書郵送でやっていたのは
効率面から考える必要がなかったからだが
2回の会のお知らせを止めるだけで
金銭的には1年に約16000円の節約になる。
これだけ貢献しても
大して称賛を受けたためしはないが
事務量の削減やペーパーのカットだけでも
相当のエコだと思うがどうだろうか。
2/2
甥が東京から帰宅。
わが店に寄ってくれた。
ひとしきり話して楽しいひと時を過ごす。
2/1
朝早くに円町からバスで出町柳へ。
そこから叡電で修学院へ。
駅で支度してそこから歩き始めて
きらら坂の登り口には8:25に着いた。
細い急坂で深くえぐられた道を歩き始めたが
ほとんど2ヶ月ぶりの山登りで
爽快な気分とは裏腹に太ももの両サイドの腱が
突っ張って痛い。
さらには汗で冷えた体が胃を重くして
立山の再来かと思われる
えずきの寸前となる。
もくもくと頑張って歩いていると
そこそこ高度が上がったのか
細かい雪が舞い降りて来た。
休憩を取りさらに登っていくと
胃のつかえが下がって何度もガスを排出して
ケーブル駅でトイレを借りて
根本中堂に向かう頃には
お腹が空く感じになっていた。
見晴らしの良い場面もがガスってよく見ないが
降った雪の上を歩くのは気持ちよい。
昼頃に坂本に下りて
もう一つの目的である「鶴喜そば」に立ち寄った。
これがために朝早く出発したのだ。
お店はもうすでに満員で
皆さん暖かいそばを召し上がってる。
私たち夫婦はおそばの味がよくわかる
冷たい盛りそばにした。
自分の分は大盛りと決まっている。
何もつけず2筋口に含むと
そばの香りと歯ごたえが気持ちよい。
そこからはわさびをぬすりつけては
空気とともに勢いよくすする。
うまかった。
そば湯も欲しかったが
込み合う店内ではよう言わんので
そそくさと勘定を済ませた。
そば湯は次回に
空いているころを見計らって来ることにする。
表に出るとくっしゃみが出そうになる。
ダンディはやせ我慢と覚えたり。
3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス
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