4/28
お昼前に車で長岡天神に向かった。
神社の花だよりで霧島ツツジが満開と言う
事が書いてあったからだ。
人出も多かったが確かに
紅の霧島ツツジは満開だった。
八条の宮が愛した赤はこの赤で
桂離宮の赤い壁もこれがヒントと思われる。
小1時間散策してから
車を置かせてもらった西友で
ハタハタなどの夕飯のおかずを買ってのち
西京極の回転ずしカッパで昼食して
さらに
久しぶりに食べたくなった王将の餃子を
8人前買って帰った。
4/27
孫の(次男の娘)十三参りに同行した。
法輪寺に10時の待ち合わせで
15分も遅れて来た市バス93番で
嵐山で降りて寺まで歩いたら
約束の5分前だった。
ただし他の2組がやや遅れてきたのでほっとした。
我が子の時は家内任せで
お堂に上がるのは初めての体験だった。
その後お嫁さんの御両親とともに
全日空ホテルで食事して解散した。
4/25
今日は天気も良く気温も高い。
朝の仕込みを終えて
縁日の天神さんまで歩いた。
ウイークデーの今日は比較的
人出が少ない。
それでも修学旅行シーズンに入ったのか
中高生のグループが多い。
ただし今日は本殿前の鈴前には
いつもの田舎の人の行列が無い。
さらに露店の数が極端に減っている。
食べ物のお店が減ったのだ。
ただし古着のお店や骨とう品の店は
増えているかもしれない。
円安で増えた外国人たちが
たくさん買い物をしている。
帰りにイズミヤによって家内の外反母趾用靴を
見て見たが次回にするそうで何も買わなかった。
この白梅町のイズミヤも
堀川丸太町のホテルニュー京都跡に
移転するらしい。
駐車場が少ないのがただいまのお店の
欠陥らしい。
4/21
朝方から雨は止むという予報だったが
9:06のスタート時にも
霧雨が降っていた。
ただしゴルフには支障なく
4月下旬にしてはえらい寒い日ではあるが
大した雨でもなく無事ラウンドすることが出来た。
しかし月一ゴルファーの悲しさで
ドライバーでいくら良いティーショットを打っても
2打目ががっかりするようなショットでは
50そこそこのスコアーしか出ないので
もっと練習すればよいのだが
練習は嫌いだから仕方がない。
夕食は例のポンパレのチケットで
四条烏丸の飲食店の飲み放題コース。
コース5500円が半額の2750円で発売。
ふたりで5500円のところ持っている
ポイントやら何やらで3100円だから安い。
しこたま飲んで珍しくタクシーで帰った。
4/18
次の日曜日が1ヶ月ぶりのゴルフなので
昨日はしょうざんへ練習に行った。
先月は腰が痛かったので恐る恐るやったが
何ともなくてよかった。
先月は寒くて強い雨だったので
練習の腰の痛みが本番で強く出たらしい。
今日もどこも痛くは無いので一安心だ。
今日の気温は馬鹿に高くて
じっとしていても汗をかくくらいだ。
仕込みを終えて中央図書館に行った。
6冊借りてきてのだが
本はいつでも読む前に興奮する。
興奮と言うかわくわくする。
その分読んでみて
裏切られた時の失望感はそれだけに強い。
書架から選ぶときに少しは吟味するのだが
当たりは半分を少し超えるくらいで
なかなか吟味も難しい。
それだけに読む前のわくわく感は楽しいのだ。
4/14
月1回の家族会で
三男の彼女もやってきて
総勢11人うち大人が8人になった。
生ビールが16杯に酒が2升
300ccの冷酒が6本
焼酎は2合ほど。
よくも飲んだものだ。
うちふたりが使い物にならなくなった。
休みの日まで買い物に行って
宴会の支度をするのは大変だろうと
家内は言うが
私は全然苦にならない。
楽しい数時間がうれしいだけである。
ゴールデンウイークには
この9人で上高地や松本に戸隠など
信州旅行する。
4/13
今日は毎月の高校の同窓生のハイキング日。
地下鉄で御陵駅まで行って
そこから疏水沿いに琵琶湖の取水口まで歩いた。
参加者は9人で
天気も良く昨日までの寒さもなく
桜は葉桜で八重だけがまだ元気だったが
新緑が陽に映えて美しく
楽しいハイキングだった。
小関(こぜき)越えだけが坂があり
ややしんどかった程度で
ずっとフラットで歩きやすかった。
三井(園城)寺のおとなりの
三尾(みお)神社にも参詣した。
ここは私の干支のウサギの神社だった。
浜大津から電車で1本。
夜は仕事の私たちふたりは皆とは分れて
西大路御池まで戻った。
4/12
宮川町歌舞練場の「京おどり」を見に行くために
早めに仕込みを終えて
11時前に27番のバスに乗った。
西院で203番に乗り換えて
12時に四条京阪に着くつもりが
30分も早く着きそうなので
高倉で降りて錦小路商店街を歩いた。
次男がお茶席付きのチケットをくれたので
12:30の公演30分前に歌舞練場に着いた。
お茶席は満員で少し並んだ。
席に着くとすぐ鶴屋吉信のお饅が配られた。
皿の上に乗っているのだが
他の人を見ているとお饅を食べずに
お皿ごと包んでバッグに入れている人がいる。
お饅は良いがお皿はどうかと思っていると
皆さん空いたお皿をバッグにしまっている。
私たちも頂くことにした。
12:30ジャストに公演は始まって
1時間かっ切りの演奏と舞踊だった。
美しいものを見るのは目の保養にもってこいだった。
「都をどり」や「鴨川おどり」も見ている
若柳流のお師匠はんの家内は
それぞれが違うことを教えてくれました。
帰りに酉文によって食事をしてから帰りました。
4/9
米韓合同軍事演習は毎春の年中行事である。
にもかかわらずそのことをきっかけに
各国に恫喝を続ける北朝鮮は
世界からひたすらに孤立を深めるだけである。
マスコミは無視するべきである。
しかし今日明日にも北朝鮮が
ミサイルを発射するという
軍事評論家や北朝鮮ウオッチャーが
テレビに出て大騒ぎをしている。
どこに向かって撃つというのだろうか。
太平洋の海水に向けて発射して
何の意味があるのだろうか。
金一族はひたすら米国に
金王国の安寧を保証する言質を取りたい一心で
米朝対話をひたすら願っているだけだ。
訪朝した米国の籠球選手にも依頼したくらいだ。
オバマに1本の電話をかけてほしい。
そして「イラクの様にはしない。
テロ支援国家の冠も取ってあげる」と
言って欲しいだけなのだ。
何度も裏切られている米国は勿論相手にしない。
ラブコールを送っても送っても
無視されるだけである。
瀬戸際外交がもはや通用しないことは
すなわち金王国の崩壊を意味する。
それを自覚した王さまは
ボディガードを大量に増員したという話も
流れてきている。
食糧不足に苦しむ北朝鮮の人びとこそ
かわいそうである。
武器を買う金でどれだけの食糧品が買えるだろう。
「国家存亡のときなのだから少しくらいの
ひもじさは我慢しろ」という王様の言は
そのメタボ体型からは説得力もない。
4/5
薬も飲まず花粉症のことは忘れようとしているが
さすがに昨日はマスクをしていたものの
嵐山一帯を散策したものだから
ヒノキ花粉アレルギーらしい自分は
今朝がた鼻をかんだらドバッと…赤いものが出た。
家内に見せたら「食事時に!」と叱られた。
日本は杉ばかり植えて
スギ花粉に苦しむ人も多い。
自分は例年スギ花粉が終わったころから1ヶ月
5月の連休ころまでむずむずする。
日銀の黒田総裁は昨日
「市中のお金を来年までに2倍にする」と宣言。
お金がじゃぶじゃぶ出回って
またバブルの再来になるかもしれない。
株価は急騰して日経平均は400円以上上げて
13000円台に突入した。
これは4年半ぶりの水準らしい。
円安も96円台。
4/4
お弁当を持って嵐山へ。
三条山ノ内まで歩いて嵐電に乗った。
これは200円でたいそうリーズナブルな乗り物だ。
嵐山は人出も多く
最後の桜を楽しみに来た人でいっぱいだった。
人力車も大繁盛で待ち人が出るほどだった。
渡月橋の上も人でいっぱい。
写真を取りながら左岸を上がって行き
てっぺんの展望台に上り
下ってくる川下り船を見て
また亀山公園まで歩いて昼食にした。
思いっきり桜を楽しんだ。
山ツツジも満開だった。
ぼーっと時間をつぶして後
帰りに「老松」で桜餅を買って嵐電に乗った。
4/3
連日テレビ報道は米国や韓国
そして日本の米軍基地の名も出して北朝鮮の口先の
宣戦布告みたいなことを喧伝し
日本国民の恐怖心をあおろうとしているが
先日行った韓国の人びとは冷静で普段の生活を
たくましく営んでいた。
先ず
戦争を始めても北朝鮮にはなんの利益もない。
むしろ金一族が存続のために必死で
国内の引き締めに躍起になっているにすぎない。
それは金一族の統治力が低下している
証拠でもある。
日本の報道機関は冷静に無視するのが正しいが
ネタが無いのか馬鹿なのか
大仰に騒いでいるのは情けない。
今年の桜はあまりにも早く
4月8日の小学校の入学式までは
持ちそうもない。
4/1
昨日の日曜日は朝の雨が上がってから
昼前に平野神社へ行った。
歩いての道行きだが人出もあり賑やかだった。
桜は満開で来週の週末まで
持つかどうかと言ったところだった。
かつて友人に誘われて花見時によく行った
「月の出」はもう出店を止めていた。
帰りにぐるなびのギフト券で
『王将』白梅町店によって
餃子でビールを飲んできた。
171号線店や五条店と違ってここは
焼き飯も酢豚も
何もかもがへたくそで焦げておりまずかった。
今日は二月ぶりの診察日だったが
血液検査は何ともなかった。
ただ意外なことにコレステロール値が
総コレストロールもHDLもともにやや低かった。
お肉などが足らないのだろうか。
明日はビーフステーキにしようと思った。
3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス
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