9/29
花園駅から電車に乗って
嵯峨駅で下りて歩きだした。
9月も終わりと言うのに日差しがきつい。
丸太町通りを西進して嵯峨野に入る。
落柿舎前を通り化野念仏寺を越えて
平野屋で左折する。
ここから六丁峠の登り坂が始まる。
きつい日差しが堪えるのと
昨夜のアルコールが残っており
しんどいことになってきた。
この月はよく歩いているのにもかかわらずだ。
汗が噴き出してきて1時間半歩きつづけて
トロッコ保津峡駅まできた。
この前の台風の影響で
トロッコ保津峡駅は閉鎖中だ。
川を渡るつり橋が具合が悪く修理中だからだ。
川の方を見るとたくさんの20人はいる
ウエットスーツを着た人たちが
川下りの船を通しながら
川底や流木などを調べている。
保津川下りの安全運航のためのものらしい。
ようやく保津峡駅に着いて
家内とふたりでお弁当を使った。
帰りは円町駅まで電車に乗った。
午後3時からは京都サンガの
対長崎戦を観戦すべく
長男の待つ西京極球場まで
自転車で向かった。
帽子はかぶっているが
日差しは秋変わらずきつい。
立ち上がりは長崎が押していたが
前後半に1点づつ取った京都サンガが快勝した。
20年近く前はサンガの応援に毎週来たものだった。
その頃は3000人がいいとこだったが
J2の3位にいる今日は1万人ほどの
結構な入場者だった。
午前も午後も日差しがきつくて
日焼けしたようだ。
9/26
昨日は天神さんまで歩いたが
出店も人出もあまり多くはなかった。
両足のふくらはぎにまだ
尿酸が溜まっている感じで
歩くとやや痛みがあった。
昨晩はどうしてもビールが飲みたくて
生ジョッキ2杯飲んだ。
そうしたら今日の歩行がものすごく楽で
ビールで尿酸を洗い流したみたいに
すいすいと楽に歩けた。
今日は御室仁和寺で
修学旅行生が多かった。
この前に金堂の横奥を覗けと言われて
草むしりのおじさんがいないのを確認して
今日はその方向に行ってみた。
そこにあるのは経蔵で
ぐるっと1周してみたが
覗けるような場所は無かった。
ただ目立たぬ裏側でおじさんが
ひとりきれいな音で
尺八を吹いていただけだった。
台風20号の影響か
風が冷たくいつもなら汗だくなのに今日は
脇に少し掻いている程度で済んだ
もう少しで10月だから
涼しくなるのかと思ったら
もう一度ぶり返しがあるらしい。
ここらの祭りのずいき祭りももうすぐだ。
9/24
9/12に80.6Kgあった体重は
結石騒ぎもあったが
順調にダイエットが出来て
78.8Kgまできた。
目標は2年半前に高血圧と糖尿病と診断され
ダイエットした時の体重である76Kg台だ。
そのときは83Kgくらいあったので
7Kgほど減量したことになる。
もちろん運動もしっかりしたが
今回80.6Kgまでになったのは
今夏の猛暑による運動不足が
主たる原因と思われる。
運動療法も取り入れて
あせらず減量に励みたいと思っている。
この2週間でビールなどのアルコールを
飲んだのは2日だけである。
9/22
1週間前に散歩から帰ってトイレに入ると
はっきり赤と分かる血尿が出た。
腎臓から結石が剥がれたかなと思った。
すぐにきれいな尿に戻って
木曜日に打ちっぱなしに行って
金曜日にまた真っ赤な血尿が出た。
ダイエットをして10日近くアルコールを止めて
尿酸値が下がり血中のアルカリ度が増すと
こういううことがよくおこる。
土曜日から右側の尿道結石だとわかる。
わずかに出る小水は真っ赤で
量が極端に少ない。
結石が詰まって尿が出てこなくて
腎臓に尿が溜まる水腎症になっている。
右の腰が痛いのと
胃腸がやられて食欲が全くなくなり
困ったことになった。
日曜日はゴルフだが
痛くてほとんど寝れなかった。
セデスで痛みを止めたら朝方少し眠れた。
朝起きてもほとんど小水は出なくて
食べにくい朝ごはんも無理やり押し込んで
こわごわゴルフに出かけた。
力が入らず良いスイングが出来て
パースタートだった。
全く尿意のなかった5ホールが過ぎて
トイレのある6番ホールに着くと
急に尿意を催してトイレに入ると
大量の血尿と同時に
大小の結石が便器に飛び出した。
一件落着である。
それでも昼食も食欲は無く
きれいな小水が出るのも夜までかかった。
石が出てしまえばアホみたいな病気だが
いつ出るかが分からないだけに
厄介ではある。
9/20
昨日は打ちっぱなしに行ったので休んだが
今日は仕込みを終えて
御室仁和寺まで歩いた。
朝晩は割と涼しくなってはいるものの
日中は日差しがきつい。
木陰を探して歩くとそこだけは涼しい。
奥の阿弥陀さんを拝んで帰ろうとすると
庭掃除で草をむしっているおじさんから
東のお堂を指さして
「あそこを覗くと何かが見えるよ」と言われた。
お茶や着替えやタオルなどを入れる
ショルダーバッグは持っているものの
汚い恰好をしているにもかかわらず
旅行者と間違われたらしい。
「いえいえ」と手ぶりをして立ち去ったが
何が見えるのかは実のところ知らない。
観光タクシーをしていたこともあるのに
また毎日のように通ってもいるのに
頼りないことである。
次に行ったときにおじさんに見つからないように
覗いてこようと思う。
9/17
台風一過とはよく言ったもので
今日は雲ひとつない青空だ。
仕込みの後御室仁和寺まで歩いた。
風はやや涼しく
帰ってもそんなには汗はかかなかった。
9/15
朝から台風の影響か雨風がすごい。
散歩は駄目かと思ったら
雨が止んでくれた。
散歩に出る前に上半身裸になって
鉄アレイで筋肉強化だ。
11時前に歩くために表に出たら
昨日に比べて結構涼しい。
散歩にはもってこいだ。
自宅から御池通りまで歩いて
千本通りに出た。
北に向かって歩いていると
ポツポツ雨が降り出した。
旧二条通りで左折して
途中でお昼に食べようと
ダイエット用の糸こんにゃくを買って帰った。
帰って測ったら体重は79.6Kgだった。
1日に200gづつ減っているが
いつまでもこうは行かない。
停滞期があるのでそこが辛抱だ。
すでに始めているオクラやアスパラや
おかず豆のほか
明日からはダイエット用の
おからの炊いたのやひじきの煮たの
切干大根の炊いたやつ等を作る。
ピンチ用にきゅうりと
煮抜き用の卵も買ってくる予定だ。
サラダと海藻にキノコそれにコンニャク。
これらを基本に先のおかずを食べる。
ご飯は小さい茶碗に軽く1杯で
約160K カロリーに制限している。
9/14
鉄アレイが堪えるが
76Kg台に向かってダイエットを始めたので
この3日間は1日に1500Kカロリー以下の
摂取に抑えているので
そのうち212ある中性脂肪も減って
体重も落ちてくるだろう。
それでこの夏さっぱり止めていた
早歩きを再開した。
御室の仁和寺までの1時間10分。
今日は銀行と市場に寄ったので
1時間半かかってしまった。
市場ではダイエット用の
ワカメとキノコとサラダに入れる
オクラとアスパラガスも買った。
家に帰ってきたら
久しぶりに血尿が出た。
しばらくぶりの運動で
腎臓から結石がはがれようとしているのか
はがれたのか。
大事に至らないことを祈って
汗でぐっしょりの体にシャワーを浴びた。
9/12
今日は検診日だった。
血液検査がやや悪い。
中性脂肪が200越えで
HbA1cが6.5%。
体重が82.5Kgだった。
服を着て靴を履いているから
何Kg引けばよいのやら。
帰って服を脱いで測ったら80.6Kgあった。
やっぱり80Kg越えでこれはやばい。
76Kg台までダイエットをすることに決めた。
いつまでと言うことは無く実行できるまで。
さて高校生の時から持っている
鉄アレイを持ち出して少しやってみた。
きついものである。
この夏の怠けたのがもろに出ている。
あとは腹筋の強化だ。
ぼちぼちヤルとしよう。
9/9
今日は奇数の1番陽数の9が重なる
重陽(ちょうよう)の節句だ。
2020年のオリンピックが東京に決まって
昨日の朝から今日も
関係者の大喜びの様子が
どんどん伝えられている。
アベノミクスがこの当選で
今後順調に仕上げられるとのもっぱらの噂である。
落選していたら頓挫していたとさえ囁かれていた。
それにひきかえこちとらは何の感慨もない。
関西在住がそうさせるのかもしれないが
所詮よそ事である。
マドリードだろうがイスタンブールだろうが
東京だろうが等間隔にすぎない。
一方でオリンピックもいいが東北の復興は
どうなるのかの声も聞こえてくる。
日本が儲かっている方が東北に向ける金も
安泰という気もしてくるから
復興にもいいことなのだろうと思われる。
いずれにしても自分はあまり関心が無い。
オリンピックかAKBどちらだと問われれば
うーんAKBだと答えるくらいのものである。
これは重陽の節句ほどのめでたさなり。
そうそう今最も関心のあるのは
明日の侍ジャパーンのガーナ戦の
先発メンバーである。
9/7
旅行から帰った日も
のどが少し痛かったが
どうも東北で風邪をひいたらしく
あくる日から咳と痰がでた。
よく寝て少しましになったが
気管支にわずかに痰が残っている。
熱も出ず身体もだるくは無いが
すっきりしない日が続き一週間が経過した。
朝晩は大分涼しくなってきて
夏の疲れが出ているのかもしれない。
食欲も落ちず睡眠もしっかりとれているので
そのうちすっきりすることだろう。
9/2
8/28〜9/1までの東北旅行記
28日の夕方5時過ぎに仙台空港に着いた。
今日のフライトは初めてのピーチ航空だった。
この仙台線は今年の4月から就航した路線。
価格は既存の会社の半額から3分の1程度での
格安である。
料金がかかるので荷物は預けず
肩カバンとバッグ1ヶが基本だ。
関西空港ではピーチ専用の第2ターミナルが
離発着の拠点で飛行機までは
歩いて移動することになる。
初めてなので足を伸ばせる
座席指定をしたのでひとり片道840円かかる。
ここからはJRが仙台駅まで連れて行ってくれる。
ホテルは東横インの仙台駅東口を予約してある。
夕飯は安いさかな居酒屋に行ったが
広い店内は超満員だったが
2度は行かない店だった。
ホームページだけで選ぶとままあることである。
29日は朝からタイムズカーレンタルに行った。
3泊4日が免責保証付きで19000円と言う
とてつもない格安料金で他社より1万円は安い。
レンタカーに乗って先ずは山形の山寺へ行った。
思っていたより奥の院までは近かったが
普段の運動不足が露呈して
奥の院を前にして大休止を取った。
帰りに五大堂に寄ったが
素晴らしいパノラマの景色が広がっていて
疲れをいやしてくれた。
比叡山延暦寺第3代座主慈覚大師円仁が
開祖の名古刹であった。
下山後車を駐めさしてもらったお蕎麦屋さんで
板そばを食べた。
大変歯ごたえのあるおいしい蕎麦だった。
「美登屋」さんと言う。
昼食後再度仙台方面に戻って
松島海岸に行った。
夏休みも終わったウイークデーだったが
ここは観光客で大いににぎわっていた。
山寺の足の疲れが出てあちこち歩くのが億劫だった。
さすがに近くの沖に浮かぶ島々が美しい。
高台にも上がって景色を堪能した。
その後は一関インター近くの
チサンインホテルに移動。
計画どうり近くの「カンポの宿」の日帰り入浴に行った。
山寺で掻いた汗を洗い流したので
気持ちよい温泉だった。
夕飯はホテル横の「焼肉ヤマト」に行った。
アレコレお肉を焼いて食べて
丁度冷麺祭りで半額だった冷麺も頂いた。
ここは韓国料理も充実していて
また来たいお店である。
30日は平泉に行った。
藤原氏の栄華をしのばせる
毛越寺と中尊寺をじっくり回った。
毛越寺の池泉回遊式庭園の周りに
今は無い塔頭の数々がしのばれる。
中尊寺は金堂と本堂がよかった。
その後角館まで移動。
画像では何回も見たことがあったが
武家屋敷通りの桜はやはり圧巻だった。
桜咲くころにはさぞ素敵なことだろうと思った。
家内ははここで生もろこしというものを買った。
自分も試食したが京都のすはまの味がした。
すはまは大豆が原料だが生もろこしは
小豆が原料とのことだった。
その後田沢湖に移動さらに乳頭温泉近くの
田沢湖高原温泉に宿泊した。
白濁した硫黄系の温泉は素晴らしく
時間を忘れてゆっくり入浴。
31日は朝まで雨が降った。
雨なら直接46号線で
盛岡に抜けようと思っていた。
時間にして1時間足らずだ。
ところが出発のころには雨は止んでいたので
予定通り八幡平の方に行くことにした。
しかしこれは無謀だった。
高度が上がるにつれ霧が濃くなって
前方が見えなくなってきたからだ。
慎重に運転しなければならなかった。
そしてなにも景色が見えない。
馬鹿な判断だとも思ったが
あとで案外これが思い出になるものだと気付いて
ポジティブに考えることにした。
下山して霧が晴れた地点ではほっとした。
その後
盛岡インターで下りて小岩井農場に行った。
牧場園はもう動物はいなくて
遊園地と観光施設になっていた。
1時間ほどいて盛岡市内に入った。
ホテルに着いて後
市内見物に出かけた。
夕飯は「遠野屋」というジンギスカン屋へ行った。
おいしいが1人前の量が少ない。
お皿に3切れしか乗っていないのだ。
食べ過ぎなくてよいものの
旭川の「大黒屋」を知っている身としては
物足りなかった。
ただ盛岡冷麺の本場だけに
冷麺は素晴らしかった。
太めの麺でスープは甘めながら
好きな味だった。
9/1は12時までに車を返して
昼飯を食べてピーチに乗るだけだ。
9時過ぎにホテルを出たが
仙台空港インターまでは200Km強なので
11時半には空港に着けるだろう。
しかしインターに着いてから
ガソリンを入れてレンタカーを返そうと思ったが
ガソリンスタンドが見当たらない。
探しても探してもないのだ。
あせったが30ほどして見つけることが出来た。
レンタカーを返して空港に着いたのは
12時を10分ほど過ぎていた。
とりあえずチェックインだけして食堂を探した。
どこも超満員だったが
運よく1組待ちのところを見つけて入った。
ここで生ビールと牛タン定食を注文した。
しかしこれが大正解でうまいうまい。
GS探しで焦った分をここのビールで流した。
売店で牛タンの煮込みといぶりがっこを買った。
20分前に出発口に行ったら
機材の到着遅れで少し待たされた。
定刻遅れ25分で飛び立つことが出来た。
それにしてもいつになく時間が早く過ぎていく
あっという間の楽しい旅行だった。
帰りの「はるか」で
さっき出発のため乗ったばかりの様な
錯覚が起きたくらいだ。
3日に一度でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
3日坊主でもいいから
つれづれに、日記を書こうと思った。
3行でいいからつれづれに、日記を書いてみようと思った。
フェルナンデス
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