仏堂のお話-3 


        鴟尾   金 堂(大仏殿)(東大寺)   鴟尾(合成写真)

  「金堂」は世界最大の木造建築物です。金堂というより大仏殿の方が通りがよいよ
うです。仏像と言えば年配者と言うイメージですが大仏さんだけは老若男女に愛さ
れておりいつ訪れても金堂は大変な人混みで外国からの来訪者も目立ちます。
 金堂は江戸時代の再建でその当時は我が国でも巨木は入手困難となっておりまし
た。ところが大仏殿は巨木を多量に必要としたので、桁行を創建当時の11間から
7間に縮小しての再建となりました。しかし、縮小されたとはいえ近年の瓦の葺き
替え工事で建設機械工具が揃っている現代でも7年と言う長い歳月を要したという
巨大建造物です。 
 屋根にある鴟尾の間隔に合わせて参道の側溝が造られています。


       法華堂(三月堂)(西面)(東大寺)

 「法華堂」は前述の
「双堂」で説明したも
ので、問題の

「相の間」に設けられ
木樋」は緑の矢印
のところにあります
のでご確認ください。
 法華堂は
桁行5間、
梁行4間の正堂の正
面に、梁行2間の

礼堂が軒を接して並んでいました。
 
名建築の誉れ高い法華堂ですが北側の建築は「正堂」で奈良時代の創建、南側の建
築は「礼堂」で鎌倉時代の再建、それから間もなく一体化された仏堂です。写真でお
分かりのように屋根は正堂は寄棟造、礼堂は入母屋造と異形式の建築を合わせたの
にもかかわらず見事に一体化されていて名建築と言われる所以です。
 正堂は当初は天平時代では珍しく板敷だったそうですが現在は天平時代の仏堂ら
しく土間床に改築されています。礼堂は鎌倉時代の再建当時の板敷きです。本堂の
内陣が土間床で外陣が板敷というのは前述の園城寺金堂始め数は多くないですが密
教本堂などに見られます。  
 屋根だけの空間であった相の間は、半分が正堂に残りの半分が礼堂に組み入れら
れました。
 法華会の行法が旧暦の3月に実施されたので「三月堂」とも呼ばれています。

 「二月堂とは旧暦の
二月(新暦の三月)に
お水取りが行われたと
ころから命名されまし
た。
 左に見える階段(青
矢印)
を燃え盛る(籠)
松明を担いで上がって
いきます。
 二月堂の「舞台」から
同じ目の高さに「大仏
殿の鴟尾」が見えます。
 舞台は奈良の町々が
一望できる場所でもあ 


 閼伽井屋       二月堂(東大寺)

り釣り灯籠を入れての記念写真には絶好の
場所です。

 
左にある「閼伽井屋」内にある若狭井で、
お香水を汲み取り「本尊」にお供えするとこ
ろから「お水取り」と言われるようになった
のです。
 右の写真は若狭神宮寺の「閼伽井戸」で東
大寺二月堂の「若狭井」へお水を送る水源の
井戸です。若狭の閼伽井戸と奈良の若狭井
とは繋がっていると言うことです。


     閼伽井戸(若狭神宮寺)


        東 金 堂(興福寺)

 「東金堂」は室町時代再建
です。南都でも大陸の新建
築様式の大仏様を採り入れ
ているのに興福寺は頑なに
伝統の和様の建築様式で再
建しました。
 ただ、再建に際して柱を
長く、軒先を高くしている
のは禅宗様の
堂内を高くす
様式を採り入れたもので
す。 

 優美で端正な正面に対し側面すべては和様建築の特徴である眼に沁みる「白壁」で
す。
  

 「北円堂は残念ながら春秋のわ
ずかな日数しか公開されません。
  北円堂は鎌倉時代の再建ですが、
興福寺では現存最古の堂で、天平
時代の律令政治の立役者である
「藤原不比等」の追善を営むために
建立されたものです。
  建築は鎌倉時代には珍しい八角
円堂で、屋根の軒に特徴がありま
す。それは三軒(みのき)で、通常
は地垂木と飛檐(ひえん)垂木の二
軒(ふたのき)の構成であるのに対
し、飛檐垂木が二つもあります。


       北 円 堂
(興福寺)

  屋根に乗っている燃え上がるような火炎宝珠露盤も素晴らしいもので見応えのある
ものとなっています。

 


         金 堂(唐招提寺)

 「唐招提寺」は天平時代を
色濃く残した寺院です。
 「金堂」は平成の解体大修
理で、平成21年まで拝観で
きません。
 天平時代の金堂では唯一
の遺構です。
 
通常、柱間は中の間の三
つが等間隔であるのが、中
央の間から端の間に向けて
短くなっていくのが特徴で
す。
 

 寺院建築の白壁が全然なく扉と連子窓だけです。 
 昔は前面一間の吹放しと回廊とが繋がっておりました。
 天井が天蓋の役目をしており、天井画は
華麗な装飾文様で文様の種類は多く見事な
出来栄えです。
 
 
平成の解体大修理が終わり次第写真を入れ替えますと同時に「唐招提寺のお話」を全
面的に見直す予定です。

 「講堂」は平城京の朝集殿
を寺院の仏堂らしく改築し
移築したものです。
平城京
の宮廷建築の唯一の遺構で
す。
 移築の際、日本建築なら
ではの「切妻造」を「入母屋
造」に「柱間」は各13尺を両
端の間を11.4尺に変更しま
した。
 
天平時代の国宝指定の金
堂と講堂が
残っているのは
唐招提寺だけです。


        講 堂(唐招提寺)

 


         東 院 堂(薬師寺)

 東院堂は江戸時代に移築す
る際基壇を高くした後、南向き
から西向きに変更しました。
 薬師寺でお堂と安置された仏
像の両方が国宝指定というのは
東院堂だけです。その仏像とい
うのは白鳳時代の傑作中の傑作
と誉れ高い「聖観音立像」です。
 東院堂の優美な姿は回廊が迫
っているため見渡すことが出来
ません。 

 建築は貫、木鼻、桟唐戸、小組格天井で和様を基調に大仏様の様式が採り入れ
られています。

 

 「本堂」の最大の特徴は屋根
勾配が緩く穏やかで典型的な
天平様式であることです。
 前述の唐招提寺金堂の外面
は扉と窓だけでしたが本堂は
扉と白壁だけです。
 
梁行は2間が通常であるの
に3間となっているのは国宝
指定の本尊薬師如来坐像と
十二神将像を安置する大型の

 
        本 堂(新薬師寺)

形基壇を納めるため梁行を3間にしたのか、都合よく3間の建築があったので利
用したのかのどちらかでしょう。

 南門からじっくりと眺めて、安定感のある優美な仏堂を心ゆくまでお楽しみくだ
さい。

 


       
  極 楽 堂(元興寺)

 「元興寺」は当初金堂があ
る大寺院でしたが時代の波
にのみ込まれて昔の栄華を
偲ぶべくもありません。
 現在ある「極楽堂」と
「禅室」は
東西に長い一棟だ
った東室南階大房
という僧
房が改築されて誕生したの
です。
 金堂は南向きですが浄土

教の極楽浄土を礼拝する極楽堂は東向きに変わります。
 
正面の柱間は奇数になるのが正規であるのにかかわらず、僧坊を改変したので正面
の中央に柱がくる偶数の6間となっています。正面の柱間を奇数にしなければ中央に
柱が来て不都合ですが、中央の柱を基準に左右3間となり整然としているようにも見
え違和感は感じさせません

 「元興寺の極楽堂・禅室」は「行基葺(ぎょうぎぶき)屋根」ですが、この行基葺の瓦の
中には飛鳥時代創建の
法興寺」の屋根に載せていた瓦、すなわち、1400年も遠い昔に
作られた瓦が混じっていると言われています。

 「禅室」は極楽堂と同じよ
うに僧坊の4房分を改築し
た端正で優美な建築ですが
鎌倉時代の再建といわれる
くらい手が加えられており

大仏様で改築しようとした
のか大仏様式の濃いものと
なっています。
 
正面・背面に縁を設けて
います。


     禅 室(元興寺・奥の建築は極楽堂)

 

           金 堂(室生寺) 

 「室生寺」といえば人々
を魅了し続ける石楠花が
有名です。
 「金堂」は
平安初期の貴
重な遺構です。

 
懸崖造の金堂でありま
すが観音信仰ではありま
せん。
 後の時代に礼拝空間の
「礼堂」が必要となり、増
設する礼堂の場所が崖や
傾斜地、池などの制約が
ある場合はどうしても懸

崖造形式にせねばなりませんでした。礼堂は孫庇を葺き下ろして増設しました。 
 室生地域では雨が多い対策として土壁を止めて板壁、主要部材は桧ではなく雨に
強い杉が使われています。
 屋根は「柿葺(こけらぶき)」で、孫庇屋根の微妙な曲線は本瓦葺では絶対に成しえ
ないものです。割石乱積の基壇が金堂を一層趣のあるものとしています。

 室生寺は金堂と本堂があ
りそれが両方とも国宝指定
となっています。
 「本堂」の屋根は「桧皮葺」
ですが屋根上には草がぼう
ぼうと生えて草葺屋根とな
っています。
 灌頂堂とも言われるのは
真言密教の重要な儀式であ
る「灌頂」が行われるからで
す。
 戒壇院に当たるものが真
言密教では潅頂堂です。
 屋根の隅の反りは厳しく


       本 堂(灌頂堂・室生寺)

禅宗様の建築を見ているようです。板壁で周囲に縁を廻らしています。木立に囲ま
れて静かに佇んでいる優雅な本堂です
 

 

 
         本 堂(当麻寺) 

 「当麻寺」にも先述の室生
寺と同じように本堂と金堂
が存在します。
 当初、「礼堂」がなく、庇
に孫庇を葺き降ろして礼堂
(外陣)を増設し本堂となり
ました。本堂へと改変する

過程が分かる
貴重な遺構と
して有名です。
 本堂は當麻曼陀羅を祀っ
てあることから「曼陀羅堂」

とも呼ばれ、内陣まで入れていただけます。
 
野屋根を採用した割には屋根勾配は緩やかなものとなっています

 

 「金峯山寺(きんぷせん
じ)」は桜の名所・吉野山
にあります。

 
「本堂」は東大寺大仏殿
に次ぐ巨大建造物で亭々
と聳える豪壮雄大の景観
となっています。
 巨大本堂に相応しい本
尊「金剛蔵王権現像」で秘
仏の中でも最大像です。
秘仏公開にお参りしまし
たが迫りくる巨大像を拝
見し睥睨と呼ぶに相応し 


         本 堂(金峯山寺)    

い威厳に思わず息をのみました。
  柱の素材はつつじ、杉、欅、梨で余り加工されておらず自然木のまま利用されて
います。
 組物は高い位置にあるため肉眼では無理ですがいろんな種類の組物があり興味が
尽きない建築です。

 


       本堂(長谷寺・正面・南面)     

 「長谷寺」は四季折々の花で
彩られた「花の寺」として有名
ですがとくに
ボタンがよく知
られております。

 399段の階段があります
が段差は極端に低く登るのは
大変楽ですし、ボタンを鑑賞
しながら登れば楽しいでしょ
う。

 大規模な「本堂」ですが
本堂
周辺は鬱蒼とした樹林で全景
写真の撮影は撮れず
懸造の一

部と屋根しか正面からは望めません。拝殿(舞台造)からの眺めは素晴らしいです。
内陣と外陣の間にある
相の間は通常石敷で造られるので石の間とも言われます。
相の間の石敷は禅宗様の四半敷です。相の間を自由に通れるのは珍しいことです。
本堂は内陣、相の間、外陣、舞台の複合建築です。 

 

 「秋篠寺」は女性に絶大な
人気を誇っている「伎芸天」
が安置されています。
 
「本堂」が簡素な造りにな
っているのは前身の講堂を
改修したからでしょう。そ
うではなく鎌倉時代の再建
という説もあります。講堂
の跡地に金堂を移したので
はないかとも考えられます
が確たる証拠はありません。 


          本 堂(秋篠寺)

 いずれにいたしましても本堂は秋篠寺に相応しく天平時代の軽快な優しい屋根勾配
で安定感のある優美な姿を漂わせています。境内は奈良市内にあるとは思えないほど
静寂な世界が広がっています。

 


          本 堂(十輪院)       

 「十輪院」は奈良の市街地にある
わりには人影もなく静かな佇まい
のお寺でした。
 「本堂」は寺院建築というより住
宅建築と言ったほうが似つかわし
く優しい雰囲気を醸し出しており
ます。 
 「本尊」は石仏龕に納められた石
造の地蔵菩薩立像で本堂は礼堂に

当たるものです。
 柱も細く垂木の代わりに厚板を利用して軒を支える「板軒」という珍しい構造です。

 

  「霊山寺(りょうぜんじ)」は境
内に一歩足を踏み入れると
「大辯才天」の掲額を嵌め込んだ
朱塗りの鳥居があるのに少し驚
きました。
 「本堂」は屋根は瓦葺で、
軒下
が高く、尾垂木付二手先という
格の高い建築となっています。
 南都では珍しい新和様による
密教本堂です。

 素晴らしい景色の境内で山岳


           本 堂(霊山寺)

寺院の面影があります。きれいに掃除されていて清清しいお寺でした。

 


       本 堂(長弓寺)

 「長弓寺は霊山寺に近接し
ています。
 「本堂」は
新和様による密教
本堂で
屋根は奈良では珍しい
「桧皮葺」です。
正面の中備の
み蟇股で装飾しています。
 
背景の雑木林に囲まれてい
る本堂は優美な佇まいを感じ
させます。その本堂を数人の
方が写生をされており穏やか

で安らぎを感じさせる雰囲気の境内でした。

 

     
 「栄山寺」は和歌山県の県境に近く奈良
県の中心部からかなり離れたところに位
置しています。静寂さが漂い、時間が止
まったような境内でした。拝観開始時刻
より早めに到着しましたが受付に人が居
られどうぞと入れていただいただけでな


      八 角 円 堂(栄山寺)

く京都神護寺、宇治平等院の鐘と共に平安三絶の鐘とされている梵鐘(国宝)の撮影
をも勧めていただき心のこもったお迎えでした。
  「八角円堂」は天平時代の遺構で簡素な構造ですが気品に富む歴史的建造物です。
外面は八角形ですが内部の母屋部分は四角形です。
 屋頂に乗る宝珠露盤は珍しい石製です。

 


本 堂(長保寺)

  「長保寺(ちょうほうじ)」
は紀州徳川家の菩提寺です
が少し質素な感じがしまし
た。とはいえ、「多宝塔」
「本堂」「大門」の3棟が国宝
指定と言う由緒ある古刹で
す。
 「本堂」は桁行5間、梁行
5間の安定感ある気品漂う
仏堂で、美しい雑木林の背
景に溶け込んでいて古色蒼
然そのものでした。
  和様に禅宗様の様式が採

用された折衷様です。 
 本堂前方の東側に国宝指定の多宝塔が建っています。  

 

 「善福院(ぜんぷくいん)」
は「長保寺」と同じく和歌山
県下津町にあり周囲がミカ
ン畑です。
 人が訪れることも無く境
内はひっそりとして静かな
佇まいの寺院です。
 「釈迦堂」は、禅宗様の建
造物では「入母屋造」が多い
中「寄棟造」であり「桧皮葺」
「柿葺」が殆どの中「本瓦葺」


        釈 迦 堂(善福院)  

であり母屋も裳階も一軒の平行垂木という禅宗様式らしくない禅宗仏堂でした。 

 


      不 動 堂(金剛峯寺)

  「金剛峯寺(こんごうぶじ)」は
「弘法大師」が密教の教えを広め
るため建立された寺院です。
 「不動堂」は東向きに建てられ
た住宅風の仏堂です。
 桁行(正面)3間、梁行(奥行)
4間で一間の母屋、一間の庇に
縋破風の孫庇を付けた複雑な構
造のため、説明するのが難しい

ので皆さんの目で確かめてください。 
 右に僅かに見える朱色の建築は「根本大塔」です

 

 「太山寺(たいさんじ)」は
神戸市に存在しますが後述
の同名の「太山寺」は松山市
内にあります。
 「本堂」は神戸市内では唯
一の国宝建造物ということ
ですがよくぞ今まで保存で
きたものです。大規模を誇
る桁行
7間梁行9間堂で撮


                  本 堂(太山寺)

影位置を探しましたが堂前の左右には樹木が生い茂っておりこれが精一杯の撮影位
置でした。  
 地垂木に比べて飛檐垂木が短く、しかも、間斗束、板唐戸という様式で古風な

和様に近い
造りでした。
 四季の自然に囲まれた風雅な本堂で緑青色の銅板葺屋根は美しいものでした。

 


        本 堂(鶴林寺)

 「鶴林寺」は法隆寺とは
関係があったらしく太子
堂があります。
 「本堂」は方7間堂の大
型仏堂で「折衷様」の傑作
中の傑作と言われるだけ
に完成された様式美を誇
っており優美な姿が存分
に楽しめます。
 浄土宗寺院ではないで
すが本堂は東面していま
す。室町時代再建ならと

もかく創建で向拝がないのは珍しく古刹寺院ゆえでしょう。前面の7間総てに扉が
嵌っています。

 

  「浄土寺」は兵庫県小野市
にあり同名の寺院は後述の
広島県にもあります。
 「浄土堂」は「大仏様の仏
堂」を今に伝える典型的な
遺構だけに貴重です。しか
し、大仏様と言えども
屋根
が軒反りがない直線という
のは他に類を見ないことで
しょう。何か意図があって


            浄 土 堂(浄土寺)

のことでしょう。
 大仏様の特徴である朱色と白色が映えて美しい姿をした格調高い大規模な建築で
見応えのあるものです。方三間には見えないほどの大型仏堂です。
 像高、5.3bもある「阿弥陀如来像」を安置した堂内は木組を天井で隠さず豪快な
構造美を誇っています。

 


          本 堂(朝光寺)

 「朝光寺」は兵庫県の人
里離れた静かな山間部に
ある大堂で人影はなく、
美しい大自然のふところ
で眠っているようにひっ
そりとした境内で一際魅
力あふるる眺めとなって
います。
 石段を上がると山門で
それをくぐると三間もあ
る向拝付きの本堂が目に

飛び込んできますが虚飾を排した控え目な美しさです。
  「本堂」は入母屋造の時代なのに寄棟造で寺院の創立が相当時代を遡るのかも知れ
ません。
 折衷様の代表的な象徴である和様の蟇股の上に大仏様双斗が乗っています。
 近くには先述の「浄土寺」があります。  

 

 「明王院」はJR福山駅よ
りそんなに遠くない芦田
川の辺にあり、「本堂」
「五重塔」が国宝指定と言
う由緒ある名刹寺院です。
 「本堂」は小山を背に東
面して建ち南隣りには
五重塔が建っています。
法隆寺は東向きでなく南
向きですが本堂(金堂)と
五重塔の並びは同じです。
 非常に均整が取れてい


         本 堂(明王院)  

る本堂に大仏様、禅宗様を積極的に採り込んでいて一つ一つの装飾部材は必見の価
値があり代表的な折衷様建築です。
 屋根の軒反りは大きく反り禅宗様のようです。

 


         本 堂(浄土寺) 

 「浄土寺」は建築群の美し
さに驚くと同時に鳩の多さ
にびっくりいたしました。
 本堂と阿弥陀堂を挟んで
国宝指定の「多宝塔」が並ん
でいる屈指の名刹寺院です。
 「本堂」は先述の明王院ほ
ど大仏様、禅宗様が取り込
まれていないので折衷様の
初期の建築でしょう。
 中備は間斗束ですが人目

に付く向拝の正面は蟇股で装飾しています。

 

 「不動院」は広島市内に位
置するのに人影も少なく境
内は静まりかえって親子連
れが砂遊びをしておりまし
た。

 「金堂」は方5間一重裳階
付の大規模な禅宗様の仏堂
です。その事由は
禅宗から
真言宗に改宗されたので、
「仏殿」が「金堂」の呼称に変
わっています。不動院の
 


         金 堂(不動院)

寺名から当然本尊は「不動明王」と思ったら「薬師如来」でした。
 禅宗様なら母屋は扇垂木で裳階は平行垂木が普通であるのに裳階まで扇垂木です。
 
金堂が原子爆弾による被害をよく乗り越え今日まで雄大かつ繊細な美しい姿を留
めることが出来たのは連綿たる血の滲むようなご精進があったからでしょう。

 


         仏 殿(功山寺)

 「功山寺(こうざんじ)」は
下関市にあり毛利家の菩提
寺と言う格の高い名刹寺院
です。
 先述の「不動院」と同じよ
うに寺名を改称されたとの
ことです。
 「仏殿」は禅宗様の仏殿と
しては現存最古の遺構で、
豊かな自然に抱かれ非常に
均整がとれた美しさを湛え

ています。 
  屋根の軒反りは禅宗様にしては穏やかな美しい曲線美でした。

 

 「本山寺(もとやまじ)」は
香川県下では唯一の国宝建
造物で、本尊は馬頭観世音
菩薩、脇侍が阿弥陀如来と
薬師如来という奈良では考
えられない配置です。
 「本堂」の屋根は背が低く
両端の反りが少ないので穏
やかな感じでしたが棟の長
さが短いのが少し気になり


             本 堂(本山寺)

ました。 
 本堂は弘法大師の一夜造りとのことで、「室生寺五重塔」も弘法大師の一夜造りの
言い伝えがあります。
  中備は総て「間斗束」の上に「蟇股」を組合せたもので「元興寺極楽堂」と同じ形式で
す。
 
  本堂と並んで建つ「五重塔」は初層と最上層の桁行の低減率が極端に小さく、一見、
一重塔に四つの裳階付きの建築のようでした。

 


         本 堂(大宝寺)

 「大宝寺」の周辺には数多く
の墓地が並んでおり「安楽寺
三重塔」を思い出しました。
 「本堂」は県下最古の木造建
築とのことですが右側の樹木
は鬱蒼として多くの年輪を重
ねた「うば桜」で、全景撮影は
無理でした。初めて本物のう
ば桜にお目に掛かりました。
 自然に溶け込むこじんまり

とした建築の上、前面は蔀戸でまるで仏堂というより住宅のようでした。庇部分は
面取の角柱ではなく丸柱でした。
 一間四面堂で隅のみ舟肘木という飾り気のない阿弥陀堂形式の本堂でした。 

    

 「太山寺(たいさんじ)」は
第52番の札所で、次から次
へとお遍路さんがお参りに
来られては先達の合図で一
斉にご詠歌や般若心経をあ
げられました。その間撮影
は休憩するという初めての
経験でした。 
  「本堂」は県下最大の国宝
建造物といわれるだけあっ


             本 堂(太山寺) 

て雄雄しい反りの屋根で豪壮な姿でした。
 桁行より梁行が広いので破風も大きく、その妻飾の彫刻は見事で見応えのあるも
のとなっています。

 

 
       薬 師 堂(豊楽寺)

 「豊楽寺(ぶらくじ)」は四国
では国宝指定の現存最古の遺
構です。昔は人の往来もあっ
たのでしょうが四国山中にあ
りただ鳥のさえずりがする静
かな世界でした。
 「
薬師堂」はきれいに整備さ
れており
ここまで見事に保存
されているのは地域住民の方
々の熱意の賜物だと感心いた

しました。
 真言密教の薬師堂の印象は、白壁もなく総て木製の板壁でしかも柿葺(こけらぶ
き)の屋根の軒反りは長刀反りで、まるで禅宗様の仏堂のようでした。破風の下部
で陽の当たらない柿葺部分は日焼けなく、綺麗な色をしている事からもつい最近葺
き替えされたのでしょう。柿葺は瓦葺より重量的に軽いので垂木は簡素な一軒でし
た。柿葺といえば「室生寺金堂」があります。
 窓は和様の連子窓でしたがガラスが嵌っていました。
 箱棟と鬼瓦は多分銅板製でしょう
 

 

 「冨貴寺」は豊後高田市にあり自
然のふところにあるのどかで不気
味なほど静まり返った境内でした。
 「大堂」は急な階段を登ると目の
前に樹林を背にした姿で突然現れ
ます。
 昭和20年には米軍が捨てた爆弾
が近くに落ち大堂は大きな損害を
受けたとのことですが手入れの行


            大 堂(冨貴寺)

き届いたお堂でした。
 
ただ、遠く九州にまで屋根が古代の穏やかな勾配の行基葺で建設されているのに
は驚かされました。
 平安時代に盛行した一間四面堂の「阿弥陀堂」で、内陣が後方に下げられていて礼
拝者のための外陣が広くとられています。
 大堂は国宝指定の和様建造物では九州唯一の遺構で貴重な遺産です。

 

 「崇福寺」は江戸時代に伝来した黄檗宗の寺院で
す。寺院の配置は中国伝統の左右対称となってお
らず、坂の町、長崎という地理的な制約によるも
ので、曲がりくねった階段状の伽藍配置となって
います。 
 最初に潜る門は「三門」で竜宮門とも言われ異国
情緒豊かな門構えです。屋根の両端の飾りは魔伽
羅(まから)という守り神です。
 普段見られない霊獣や装飾で飾られた禅宗門で
す。

  階段を上ると国宝指定の「第一峰門(だいいっぽうもん)」ですがいずれかの時に紹
介いたします。 

 第一峰門を潜り右に折れると左前
方に「仏殿」が目に飛び込んできます。
 「仏殿」は中国様式であるため基壇
が設けられています。堂の前庭は石
畳ですが狭く全景写真の撮影場所は
ここしかありませんでした。
 掲げられた扁額には「大雄宝殿」と
なっており「釈迦如来」が祀られてい
ることを表しております。黄檗宗で
は仏殿を大雄宝殿と呼びます。 


     大雄宝殿(崇福寺)

 建築様式は1階が黄檗様で2階は和様と禅宗様が混じり合っており折衷様を意識
して設計されたのでしょうか。前方で太い柱に見える2本は角柱です。
 大陸から建築様式が飛鳥時代、鎌倉時代、江戸時代と3回に亘って伝えられまし
た。過去2回は我が国の建築様式に極めて大きな影響を与えましたが黄檗建築は我
が国の寺院建築にはさほど影響を与えませんでした。
 黄檗建築と言えば京都にある「万福寺」も有名です。

 

 目 次
◎ 法隆寺のお話 ◎ 東大寺のお話    興福寺のお話
◎ 薬師寺のお話 ◎ 新薬師寺のお話 ◎ 元興寺のお話  
◎ 室生寺のお話 ◎ 当麻寺のお話 ◎ 浄瑠璃寺のお話
◎ 法華寺のお話 ◎ 円成寺のお話    ◎ 秋篠寺のお話
◎ 般若寺のお話 ◎ 唐招提寺のお話     
                                
◎ 明日香のお話 ◎ 柳生街道のお話 ◎ 山の辺の道のお話   
                                
◎ 仏像の誕生 ◎ 仏陀の生涯     
                                
◎ 仏塔のお話 ◎ 仏堂のお話  
◎ 寺院建築−飛鳥時代 ◎ 寺院建築−天平時代 寺院建築-平安時代
◎ 寺院建築−鎌倉時代  ◎ 寺院建築−大仏様     ◎ 寺院建築−禅宗様    
◎ 寺院建築−折衷様  ◎ 寺院建築−室町時代   ◎ 寺院建築−桃山時代   
◎ 寺院建築−江戸時代      
◎ 瓦のお話 ◎ 屋根のお話 ◎ 基壇と柱のお話 
◎ 斗栱と蟇股のお話  ◎ 垂木のお話 ◎ 窓のお話
◎ 塀のお話                 
                   
◎ 仏像のお話 ◎ 仏像―飛鳥時代    ◎ 仏像―白鳳時代  
◎ 仏像―天平時代 ◎ 仏像-弘仁・貞観時代 ◎ 仏像-藤原時代
◎ 仏像−鎌倉時代                 
◎ 仏像の見方 ◎ 銅像のお話 ◎ 塑像のお話    
木彫像のお話(一木造) ◎ 木彫像のお話(寄木造) ◎ 脱活乾漆像のお話
◎ 木心乾漆像のお話 ◎ 塼仏・押出仏のお話            
◎ 釈迦如来像のお話 ◎ 薬師如来像のお話    ◎阿弥陀如来像のお話
◎ 菩薩像(1)のお話 ◎ 菩薩像(2)のお話     ◎ 地蔵菩薩像のお話   
◎ 四天王像のお話 ◎ 仁王像のお話 ◎ 八部衆像のお話
◎ 飛天像のお話      
                
古都寧楽の匠たち 酒菜(さかな)のお話 ◎ 香りのお話

箸と懐石料理

蒸気から湯へ

色(色)のお話 

色(色)のお話―2

鬼のお話

水のお話

木のお話 ◎ 火のお話  ◎ 仏壇のお話 
◎ 食のお話 ◎ 神と仏 ◎ 天平時代  
◎ 2000年は辰年 ◎ ガイド活動を・・・ ◎ 巡礼のお話   
                
◎ 日光東照宮のお話     ◎ ミャンマー旅行   
◎ 県別国宝建造物表  ◎ 県別国宝建造物分類表     
◎ 県別国宝彫刻表     ◎ 県別国宝彫刻分類表  寺院別国宝建造物・彫刻
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中西 忠