円成寺

 「円成寺」は真言宗御室派のお寺で、山号は「忍辱山」と号します。

 円成寺は奈良市にあるとはいえ市街から少し外れた東山にあり、バスの便が悪いた
め、訪れる人は疎らです。しかしそれだけに、歴史が息づいたひっそりと静まりかえ
った境内を、独り占めに出来る束の間の幸せがあります。
  円成寺へのアクセスは車利用の方は奈良駅周辺からですと約12q、20分程度で信号
も少なくすいすい走れます。しかし、バス利用の方はバスの便は日に数便です。事前
に後述の「時刻表」を調べてからお訪ねください。
 円成寺は国道369号線沿いにありさらに進むと「柳生十兵衛」でお馴染みの「柳生の里」
がありシーズンともなれば「柳生街道」のハイキングの途中で立ち寄られる方の方が多
いようです。  
 
 「えんじょうじ」をパソコンで漢字変換すると「円城寺」となり、予備知識もなく円成
寺を正しく読むことは難しいことでしょう。

 応仁の乱の被害が僻地のここまで及びさらには廃仏毀釈の被害で、大伽藍の面影が
失われる壊滅的な打撃を受け、無住の寺院となったりいたしましたが現在は、こじん
まりとして時々刻々と変化する自然に溶け込み清潔で静寂さが漂う寺院となっており
ます。 

 お勧めコースとしてはバスで円成寺まで行かれまして円成寺を散策後石切峠を経て
原生林、石畳の道の滝阪道、バス停「破石(わりいし)町」(新薬師寺の最寄バス停)」へ
で、円成寺は海抜380メートルの高地にありますので、コースは下り道となり楽な
のとバスの時刻を気にすることなくのんびり過ごせることです。円成寺からのハイキ
ングコースは約9q、3時間です。途中は多くの石仏、石窟仏などあり、充実した時
間が過ごせるコースです。ただし、このコースは冬季間は避けられた方がよいでしょ
う。
  歩くのが苦手の方は観光タクシーを利用して般若寺、浄瑠璃寺、岩船寺、円成寺を
巡られるコースが良いでしょう。

 
奈良交通<時刻運賃案内>  http://jikoku.narakotsu.co.jp/form/asp/
     ホームページの50音検索では、「近鉄奈良駅」は「き」で、「JR奈良駅」は「し」で
   引きます。

 

      
       標 石 

  「忍辱山 円成寺」は「にんにくせん
えんじょうじ」と読みます。
  「駐車場」と道路を隔て「標石」があ
り、そこから数歩で苑池、さらに少し
行くと「通用門」です。その間の距離は
50m程です。

 

 

  「庭園」は浄土式船遊式庭園の代表的な
 ものです。

    前回訪れた時は苑池には鴨が
  数羽いましたが今回はたったの
  一羽でした。

 


                      庭  園

 「苑池」から眺めた風景で、正面の建物は楼門です。
 紅葉の季節は素晴らしく心和ませる景観で多くの人が訪れていらしゃいましたが庭
園の紅葉だけを眺めて足早に立ち去っていかれる人には残念な思いがしました。
 楼門の前に苑池があるのは珍しいです。苑池を沿いながら楼門に向かいます。
 撮影場所の此岸から苑池を渡るとまさに彼岸の浄土の世界が広がるような情景です
が現実に彼岸に向かうのは時期を経てからにして空想の彼岸に向かい合ってください。

 

           茶 店  


 道幅わずか2m程の参道途中、苑池の
西岸に「茶店」があります。この茶店の前
を行くと「通用門」です。
 
 私は今だ写真撮影だけで慌しく立ち去
っておりますが一度茶店に立ち寄り苑池
を眺めながらお茶でも頂きたいものです。

 


     境内出入り口(通用門)  


   参道(旧県道)      苑池

 国道から脇道に入ると参道に至り間もなく通用門前です。そのまままっすぐ行くと
苑池と楼門の間を通り抜け再び国道に出ます。  
 昔、楼門前を通っておりました県道の名残が今の参道です。県道の幅員は広くトラ
ックが通るくらいだったとのことでしたが幸いなことにその県道も現在は国道となり
苑池の南側を走っております。  

 
            楼  門 

 
    扁 額

 石段を上がると「楼門」ですが通常は楼門からの出入りは出来ません。
 三間一戸の楼門です。山岳寺院にふさわしい桧皮葺の楼門は自然の山懐に抱かれて
おります。
 楼門とは楼造の門のことで、縁はありますが通常あるべき縁高欄、扉、連子窓があ
りません。しかし、
後述の「本堂」が簡素な「舟肘木」なのに一番格式の高い堂宇の建築
様式である「三手先」であります。


      三 手 先

  
        礎 石
  「礎石」は方形でなく自然石を利用し
  たものです。

 
      花 肘 木(正面)
 
         花 肘 木(背面)

   楼門の「花肘木(はなひじき)」の文様は月輪の中に「阿弥陀如来」を
象徴する「種子(種字・梵字)」の「キリーク(青矢印)」が彫ってありま
す。このことは本尊が「阿弥陀如来」だからでしょう。
 また、「キリーク」は「千手観音」、「
浄瑠璃寺のお話」での上品上生
(じょうぼんじょうしょう)の種子でもあります。種子(しゅじ・しゅ
うじ・しゅし)とは如来、菩薩の像を描く代わりに用いる象徴文字で、お守りなどで見受けられます。  


  キリーク

 背面の花肘木はボタン唐草に取り囲まれた宝珠(赤矢印)が刻まれております。


    花肘木(法隆寺・南大門)


    花肘木(金峯山寺・本堂)

 大仏様である小斗が二つの「双斗(ふたつど・そうと)」に、装飾が加えられたのが花
肘木で、
和様に取り入れられてから目覚しい発達を遂げ秀逸な花肘木が多いです。中
には小斗が無いものもあります。

  
        木 鼻          
  
       木 鼻

 「木鼻」は「木の先端」という意味の「木端(きばな)」が転じて木鼻に書き換えられたも
のです。頭貫などの水平材(横木)の先端や、あるいはこれらが柱から突き出した部分
に施された彫刻などの装飾をいいます。
 「大仏様木鼻」には象鼻・獅子鼻・獏鼻などがあり、「禅宗様木鼻」には渦紋・植物紋
などがあります。花肘木と同様、我が国が誇る独特の建築意匠です。 

 本木鼻は両方とも大仏様で繰型付と可愛らしい象鼻の二つで年代的には差がありま
す。

 


         本 堂(阿弥陀堂)

 焼失後再建されました入
母屋造の妻入りで、寺院建
築で妻入りは珍しいと言え
ます。
 「縋破風屋根」は普通だら
りとして締りのないものと
なりますが、屋根勾配は緩
く、軒は両端でわずかに反
り上がる見栄えのよい軽快
な建物となっております。
深い緑の背景で一層引き立
られ、洗練された落ち着い
た感じとなっております。

 桧皮葺を桧皮葺型「銅板葺」の屋根に改変されましたが優美な曲線の屋根で見た感じ
としては柿葺のようでありました。特殊な屋根の形で清水寺の本堂の屋根を思い出し
ました。

 

 

     
        破 風
 
      鬼 瓦


     平行垂木

  
  
  
        舟 肘 木  


    木 階・舞 台


        舞 台

 本堂の階段両側に、回り縁より少し高くなった高床式の舞台造りがありますが「外
陣」として使われたのでしょうか。珍しい構造の舞台の床は手入れがよく行き届いて
ピカピカに光っておりました。三間の向拝は中央に階段、左右の柱間が舞台造とな
っております。

 

 
      多 宝 塔

 「多宝塔」は我が国独特のものでこれほど装
飾的な塔はありません。
 多宝塔は下層が方形で、上層が円形です。
上層が円形のため、端では軒の出が大きくな
り本多宝塔も「四手先」となっております。
  多宝塔は「二重塔」ではなく、「一重塔」に
「裳階(もこし)」が付いたものです。
  多宝塔の本尊は、「多宝如来」と「釈迦如来」
の二尊併座ですが、多宝塔が大日如来の象徴
という考えからか大日如来を祀ることもあり
ます。
 本多宝塔も運慶作の大日如来像が安置され
ております。
 大正時代、前多宝塔は鎌倉のお寺に売却さ
れましたので新造です。 


    下 層 部 分
                 裏 正 面(下層)


      四 手 先(上層) 

   角飛檐垂木・角地垂木(下層)

 
      上 層 部 分

 多宝塔の白漆喰の部分を「亀腹」といいます。
 「
基壇と柱のお話」をご参照ください。

 
      大 日 如 来 坐 像

 「大日如来像」は多宝塔の「本尊」で、わが国
彫刻史上最高の仏師「運慶」の作で、大日如来
像では唯一の国宝という貴重なものです。
 大日如来は「
毘盧遮那仏」とも言います。
日如来は何時の時代も座っているみ仏です。 

 「如来」は「瓔珞」、「臂釧」、「腕釧」などの装
飾品並びに「宝冠」など一切付けないのですが、大日如来だけは「菩薩」と同じ身だしなみです。
 
大日如来の「印」は、金剛界の智拳印で、年
配の方には懐かしい「忍者・猿飛佐助」の「印」
はこの密教の印から考えられたと言われてお
ります。
 
巡礼のお話」で記述いたしましたように大
日如来像そのものが余り存在しないだけに希
少価値があります。
 台座に記入された運慶自筆の墨書銘による
と「大仏師康慶 実弟子運慶」と刻まれ、作者
自身が記録する最初の作品とも言われるもの
でこれ以降は仏師自身で造像銘を入れるのが

当たり前となります。
 運慶の作であることがはっきりと分かる数少ない像の中で、運慶の作であることが
確定できる重要な尊像です。実弟子とは大仏師康慶の実子ということで腕は確かであ
るが世に名前はまだ知られていないので肩書きとして書いたのでしょう。しかし時を
経ると、父康慶より有名になり康慶を知らない人は多いですが運慶だけは日本人なら
必ず知っております。
 運慶二十歳頃の世に出る最初の貴重な作品であり、青年運慶が刻んだだけあって
「本像」は青年らしい若々しさに溢れております。
 六重蓮華座の台座に結跏趺坐しております。豊頬で、瞑想の伏目勝ちな眼、きりり
と結ばれた口許で清純さと叡智の富んだ厳かな表情です。

 「眼」は水晶を使った「玉眼」で、 鎌倉時代から流行した玉眼は天部像、肖像彫刻に
用いるのが一般的でありましたが若き運慶が新しい時代への挑戦を試みて採用したの
でしょう。しかし、その運慶も玉眼を本像に使いましたがその後の如来、菩薩の造像
には使用しておりません。
 鎌倉の武士階級が好んだ男性的な「慶派」の作品まではいかず、前代の藤原貴族が愛
した優しい雰囲気を漂わした像となっております。
 下地の黒漆上に「漆箔」が施されておりその金箔が所々に残り創像当時の華やかさが
偲ばれます。 

 


      春日堂        白山堂

 春日堂(かすがどう)と白山堂
(はくさんどう)とは現存最古の
春日造の社殿で、春日大社の旧
社殿を拝領したものです。それ
だけに、春日造社殿の貴重な資
料でもあります。両堂は袖板壁
で結ばれております。
 春日堂では春日大明神を祀り
白山堂では白山大権現を祀られ
ております。 

 社殿であるのに社でなく堂であるのは、廃仏毀釈の際に取り壊しを免れるためなど
言われておりますがそれならば紛らわしい春日とか白山の名称は避けたと思われます。
多分、小さな仏堂であるので取り壊される心配がなかったので春日社、白山社を春日
堂、白山堂と変えるだけで灘を避け得たのでしょう。それとも、両堂共に廃仏毀釈当
時は相当痛んでいたため取り壊しの対象とならなかったのでしょうか。 
 我が国最小の国宝建造物で、両堂共に同寸法、同形式で石段を上がった台地に建築
されております。
 切妻造の妻入りで階段上には階隠(はしかくし)があります。大棟の上には「千木(ち
ぎ)(青矢印)」「勝男木(かつおぎ)(赤矢印)」が乗る神社建築ですが三斗、蟇股などの仏
教建築の様式もあります。
 千木は古墳時代の建物に見られる我が国伝統の建築様式です。勝男木は「鰹木」とも
書き、最近では家庭では見かけなくなった「鰹節」に似ているから名付けられたと言い
ます。勝男木は、中国では黄色い屋根瓦が皇帝の象徴だったように、我が国では豪族、
天皇の象徴で、高官といえども使用は叶わなかったようです。
 鎌倉時代作の頭の高い「蟇股」は優れた形状です。 

 

 


      春 日 堂


  千木・勝男木

 


      三 斗
 
         蟇 股


       白 山 堂

  
     千木・勝男木 


       蟇 股

繰型曲線 

  
      宇 賀 神 本 殿

 宇賀神(うがじん)本殿は「春日堂」
「白山堂」の東隣に設置されております。
 唐破風が付いた社殿としては古いも
のといわれております。

   

 

 

   
         勧 請 縄

 素朴な「勧請縄(かんじょうなわ)」は境内出入り
口を出て、苑池に沿って左に行くと東入り口にあ
りました。
  写真は、松の木に1月10日に揚げられて間もな
く撮影したものなのできれいでした。

 日本古来の神事だと思いますが、「陰陽」で、昔
は「子孫繁栄」「五穀豊穣」などは庶民の切なる願い
でありましたが子孫繁栄だけは現代の願いでもあ
ります。       

 

 

              画 中 西  雅 子