基壇と柱のお話 |
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掘建て柱の時代に、基壇は仏教伝来とともに我 |
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平安時代に入り、鎖国時代を迎えると和様 |
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亀腹も和様化の表れの一つであり、我が国独特の塔であります「多宝塔」の白漆喰の |
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針葉樹の桧、杉などは建築の材料としては最適 |
エンタシス式の柱ですが、ギリシャのエンタシスとは少し違います。エンタシスと |
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「法隆寺の七不思議」のひとつである |
礎石は自然石そのものですが、どこか |
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柱は天平時代になると、材木の素直 |
平安時代になると、角柱が用いられまし |
寝殿造の柱は円柱、書院造の柱は角柱です。 |
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鎌倉時代になると、禅宗寺院は上下 |
礎石の上にあるのは「礎盤
」で、禅宗寺院 |
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昔は尺貫法に関係なく、柱と柱の間を一間 |
別しました。門と言う文字は戸に戸の裏返しを組み合わせたものです。 法隆寺の中門は間口が普通奇数であるのに、偶数の四間とは珍しいですし、また逆 |
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![]() 三十三間堂 |
「三十三間堂」の間口は内陣三十三間 |
118.2(m)÷1.8(m/間)=65.66(間)で、 約66間となり、内外陣を合わせますと |
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