菩薩像(2)のお話

   「変化(へんげ)観音」は、インドでヒンズー教の多面多臂の像が仏教に取り込まれ
たもので天平時代にも存在いたしますが多くは密教と共に請来いたしました。
  今回は「十一面観音」と「千手観音」について記述いたします。
 「十一面観音」は変化観音では一番古くに登場し、わが国では数多く造られた仏像で
遺例も多いです。
 十一面観音は「聖観音」の頭に小型の仏面(顔)が十面ないし十一面付いたものでそん
なに奇怪に感じることもなく女性的な印象を受けるものが殆どでした。

  唐から請来した超国宝級と評価される「九面観音像」が法隆寺に存在いたします。こ
の観音は経典通り、香木である白檀の一木造で、しかも色が良くて香りが強い中心部
の根っこ部分で造られており、高さも38cmと経典を忠実に守られております非常に価
値がある仏像です。それゆえ、この観音は十一面でなく九面ですが十一面観音像の原
型と言えるものでしょう。
 わが国の現実は、経典に決められた白檀は存在しないため榧とか桧の素材が代用さ
れておりますのと像高が約40cmというのを遥かに超えた高い像となっております。個
人的な礼拝であれば小観音で済みますが集団で礼拝するにはある程度の像高を必要と
いたします。と言いますのも、心の中で本尊を描いてお参りすべきですが在家の者に
とりましては眼を本尊の眼と合わした後念仏を唱えお参りするほうが安らぎを覚える
からです。

 十一面観音は平安以降、古都奈良以外で多く造られます。特に琵琶湖の北岸、湖北
は「十一面観音の里」と言われるくらい十一面観音像が多く存在いたします。

 十一面観音の十一面とは本面(正面の顔)を入れて数える場合と本面を入れずに十一
面を刻む場合とがあります。それと、十一面の並べ方は何段かに分けて設けるインド
様式と小さい仏面を横一線に並べる中国様式があり、わが国では中国様式の仏面を横
一線に並べる様式の方が圧倒的多数でインド様式は稀有です。
 十一面の意味とは方角の東・西・南・北と東南・南西・西北・北東の八方(四方四
維)と天・地(上・下)の二方を加えた十方で、このことは全方向(全宇宙)を見通せる
と言うことです。これら十方を受持つ十面に本面を合わせた十一面となります。さら
に、一段高くなったところには如来面がありこれを加えると十二面となります。十一
面観音とは十一の観音と言う意味でしょうから如来面を加えるとおかしくなると思わ
れます。それと
、十一面観音は十方を守るのであれば十面観音が妥当ですが11は観
音に縁ある数33から割り出された11で、それを根拠に11の救済があると言う経
典が創られ十一面とするために本面、如来面を加えることになったと憶測するのは素
人の浅知恵かも知れませんが。
 仏面の十面が横一線に並んで設けられるのは、十方の上・下ですが仏の下に衆生が
いても上にはいないのと上・下を向いた仏面を造ることは難しいというより見映えを
考えてのことでしょう。
 衆生が観音の水平方向と下方にしか居ないとなると、観音の救済活動の範囲は四方
八方にプラス下方の九方となりそれならば九面で良いことになります。このような考
え方に基づいて造られたのが法隆寺の九面観音像でしょうか。

            後 
      
    
十一面

         後  
 

        
  
十面(唐招提寺金堂像)

  上図は頭上の仏面を上から見たところですが数と配置については像によって多少の
違いがあります。全宇宙を守る十方であれば同じ顔が十面でなければならないのでは
ないかと思われますのに異形の面相です。

 緑楕円は観音の標識である阿弥陀の化仏で数には入れません。十面、九面共各仏面
にも阿弥陀の化仏が付いております。
 青丸
は慈悲相の菩薩面で三体、赤丸は瞋怒(しんぬ)相の憤怒面で三体、紫色丸は牙
上出相(くげじょうしゅつそう)で牙をむき出した面が三体、後方の水色丸は暴悪大笑
相で一体、中央の茶色丸は頂上の如来面で一体です。慈悲相は優しい面相で本面の小
型のようです。瞋怒相は激しい怒りの表情です。牙上出相は白い牙を上向きに出して
おりますが穏やかな表情と憤怒の表情とがあります。暴悪大笑相は100円のお賽銭で
あれこれと多くの現世利益を求める強欲な衆生を笑っておられるのでしょう。 

 十一面観音は左手には宝瓶(ほうびょう)か蓮華を挿した華瓶(けびょう)を持ってお
ります。右手は垂下して施無畏印か数珠(念珠)を持ちます。
  十一面観音、後述の「千手観音」の普及によって大寺の境内に観音を本尊とする観音
堂が建立されたり本尊を観音とする観音寺院が多く建立されるようになりました。そ
れだけ、観音は衆生救済の役割を一手に担わされた仏と言えるでしょう。

 天平時代に起こりました十一面観音悔過(けか)法の代表的なものは東大寺二月堂の
修二会(しゅにえ)で、俗に、お水取と言われております。この法要は実忠和尚が天平
勝宝四(752)年に始められ、一回も中止することもなく今なお連綿と続けられおりま
すのには驚嘆いたします。
 悔過とは現在で言う懺悔(さんげ)と同義語で、仏の前で過去の過ちを悔い改心する
と言うことです。昔、東大寺は国家鎮護の寺院でしたから国家安泰、五穀豊穣を願っ
てのことでしょう。それが今では、「大仏さん」が居られる東大寺として老若男女に愛される寺院となっております。

 観音の「三十三身」に変身して衆生を救済される由来から考えられたのが「三十三観
音」です。三十三観音から「三十三観音霊場」へと進みますが観音と三十三とは関係深
いものがあります。

◎ 三十三観音
      観  音  名      観  音  名
  1  楊柳(ようりゅう)観音  18  岩戸観音
  2  竜頭(りゅうず)観音  19  能静(のうじょう)観音
  3  持経(じきょう)観音  20  阿耨(あのく)観音
  4  円光観音  21  阿麼提(あまだい)観音
  5  遊戯(ゆうげ)観音  22  葉衣(ようえ)観音
  6  白衣観音  23  瑠璃観音
  7  蓮臥(れんが)観音  24  多羅尊(たらそん)観音
  8  滝見観音  25  蛤蜊(こうり)観音
  9  施薬観音  26  六時観音
 10  魚籃(ぎょらん)観音  27  普悲観音
 11  徳王観音  28  馬郎婦(めろうふ)観音
 12  水月観音  29  合掌観音
 13  一葉観音  30  一如(いちにょ)観音
 14  青頸(しょうきょう)観音  31  不二(ふに)観音
 15  威徳観音  32  持蓮(じれん)観音
 16  延命観音  33  灑水(しゃすい)観音
 17  衆宝観音        
◎ 六 観 音
   密 教(東密)    密 教(台密
    観 音 名      観 音 名
 1   聖観音  1   聖観音
 2   千手観音  2   千手観音
 3   十一面観音  3   十一面観音
 4   如意観音  4   如意観音
 5   馬頭観音  5   馬頭観音
 6   准胝観音  6   不空羂索観音

 「西国三十三ヵ所観音霊場」の三十三の数字は「三十三観音」に由来するといわれてお
りますが本尊には三十三観音は一つも入っておりません。ただし、日本百ヵ所観音霊
場ともなりますとたった一つ「延命観音」が入り残りの九十九ヵ寺は六観音(七観音)で
あります。東密(真言宗)の六観音と台密(天台宗)の六観音を合わせて七観音と言いま
す。密教の六観音は本来の観音・聖観音に変化観音の五観音を加えて天台宗から起こ
りました。
 七観音ではなく六観音でなければならないのは「六道輪廻」である天、人間、修羅、
畜生、餓鬼、地獄の六道を一ヶ所に留まることなく流転する苦しみから抜け出すこと
すなわち、六道から解脱して浄土に行けるよう六道救済を六観音にお祈りしてお願い
するからです。このように浄土往生をお願いするとなると観音は現世だけでなく来世
も衆生を守って頂けることになります。中国の六観音はわが国では全然馴染みがない
観音だったのを我が国では信仰の高い観音にすり替えて普及させた天台宗のお坊さん
は優れた戦術家ですね。
 六・七観音参りから三十三観音参り、百観音参りと拡大していきましたが西国三十
三ヶ所観音霊場、坂東三十三ヶ所観音霊場は密教寺院が多いですが秩父三十四ヶ所観
音霊場は禅宗寺院が大多数です。

  

 「千手観音」は「千手千眼(せんげん)観世音菩薩」と言い、手の掌(たなこごろ・手のひ
らのこと)一つひとつに眼が描かれております。さらに、額に縦の一眼があります。
手が千本、慈眼が千眼ということですが略して千手観音と呼びます。千というのは数字
の千ではなく無限大の数という意味です。
 変化観音は多面多臂と言いますが千臂観音というより千手観音と呼ぶ方が一般的です。
 千手観音の仏面は十一面、二十七面がありますが二十七面は少なく十一面が殆どです。
 慈手の数が当初の教典通り千本の手があるのは「唐招提寺像」と「葛井寺像」だけで、平
安時代以降は四十二手ばかりです。四十二手の内二手は合掌手で、残りの四十手の各一
手で25世界の衆生を受持ち救済に当たります。すなわち、40×25=1000ということで
す。
 千手観音は別名、胎蔵曼荼羅蓮華部の主尊であるので蓮華王(観音の王様)とも大悲観
音とも称されます。
 礼拝の対象は時代と共に十一面観音から千手観音に代わっていきました。なぜなら、
千手観音は十一面千手観音とも言われ、十一面であるだけでなく、千の眼で救済を求め
る者を探しだし、そして千の手でどんな無理な願いでも叶えていただけるからです。と
はいえ、十一面観音の人気も極端には衰えず数多く造立されました。 

 慈悲の千手観音でありますが手に持つのは物騒な武器が多いのには驚かさせられます。
多くの手に持っておられるものをじっくりと眺め確認してください。ただ、武器と言っ
てもインドの古代の武器で、凶器と言うよりシンボル的なものです。
   
 千手観音が千一体安置されている「三十三間堂」のまたの名を、千手観音の別名蓮華王
を採って「蓮華王院」とも呼ばれます。それと、三十三間堂の三十三という数字の由来は
観音の三十三身、三十三観音からきたものでしょう。平安時代は百体千手観音、千体千
手観音の寺院が造立されましたが三十三間堂が千体千手観音堂の唯一の遺構という貴重
な寺院です。 
 西国三十三ヵ所観音霊場では千手観音をお祀りした寺院が十五ヵ寺もあります。
 全国各地で三十三ヵ所観音霊場造りが盛んとなりそれによって千手観音が数多く造営
され安置されました。
 日本百ヵ所観音霊場の本尊では千手観音、聖観音が各三十、十一面観音が二十六体と
いう三観音で大部分を占めております。

 「長谷寺」は「千手観音」を本尊としており千手観音の別名、
大悲観音を採り入れて本堂の掲額には「大悲閣」と書かれてお
ります。本堂は昨年末(2004/10)国宝に指定されました。
 観音を本尊とする観音寺院が多く造立され、長谷寺は清水
寺、石山寺、粉河寺と並んで観音の霊験新たかな寺院として
今も多くのお参りで賑わっております。
 千手観音は「岩座」に立ち右手には「錫杖」と「数珠」を持つ特殊な様式で「長谷寺式」と呼ばれ、その模刻像が多く造られて
おります。 


 「向源寺(こうげんじ)」は俗に「渡岸寺(どがんじ)観音堂」と言います。「十一面観音
像」は「渡岸寺観音堂 国宝維持保存協賛会」で管理されていれるという地元のシンボル
的な観音さんで奈良、京都では考えられないことでした。地名は渡岸寺を「どうがん
じ」と読みます。
  天平時代創建と言う古刹でしたが戦火のため伽藍の全ての建物を焼失してしまい往
時の栄華は偲ぶべくもありませんが十一面観音像だけは観音信仰の篤い村人達のお陰
で土中に埋め難を逃れたらしいです。防火を考慮したうえ見つからないように隠すに
は土の中か水の中しかないようです。  
 本堂は大正14年建立で、右脇にある寺務所で手続きを済ますと渡り廊下を渡り本堂
の横から入堂いたします。   


     仁 王 門
   老松の大木を前にして建つ
 仁王門というのは平地伽藍で
 は珍しい例です。


          本  堂      

   
   十一面観音立像

 「十一面観音立像」は桧の一木造で、像高は1.95cmとの
ことですが見た感じはそんなにあるようには感じません
でした。
 湖北は観音の里。中でも一際光る傑作中の傑作でいつ
までも見飽きない仏さんでした。
 菩薩が直立不動から腰を捻り男性から女性らしくなり
ます。本像も腰を捻っており雰囲気としては楚々たる女
性のようでした。。
 仏面を積み上げてあるのはインド様式のようで異国的
な感じがいたします。密教の観音とも言われしかも弘仁
・貞観作にしてはそれらの特徴の厳しさが感じられず上
品で美しい日本女性のような印象を受けました。
 下地の黒漆が土中に埋めたためかそれとも線香の煙に
燻されたものかは分かりませんが黒漆の黒色が褪せて温
かみのある色になっております。

 鼓胴式の耳璫(じとう・イヤリング)を着けております。法隆寺の九面観音像の耳璫
は一木で揺れるように刻まれており神技(仏技)しかないと言われております。
 この観音と対照される「法華寺の十一面観音像」は耳の上で編み上げた渦巻きの髪が
まるで鼓胴式の耳璫のような形です。耳璫がついているのが当たり前だと思われます
が本像のように着けているのは我が国では珍しい例です。    
 眼は瞑ったような切れ長の細い眼で、垂髪はくねくねとして上膊部の中間くらいま
であります。
 観音は現在、観音堂の居候で正面、左側しか拝観できませんが新収蔵庫が完成すれ
ばあらゆる角度から拝観できるらしいです。通常、十面は小仏面で顔容ははっきりい
たしませんが本像の仏面は小観音の本面くらいの大きさもあり、表情豊かな顔容の総
てを見なければ本像の持つ魅力を味わったことにはならないでしょう。新収蔵庫が完
成すれば手近で右繞(うにょう)拝観(礼拝)が出来ることでしょう。その時がくればも
う一度お眼に掛かりたいものです。

 

 本面の左右に瞋怒面、牙上出面が各一体と頭上に菩薩面、
瞋怒面、牙上出面が各二体、大笑面が一体設けられており
ます。合わせますと菩薩面二体、瞋怒面が三体、牙上出面
が三体、大笑面が一体の計九体です。ゆえに、頂上相の如
来面ではない菩薩面の一体と本面を加えて「十一面観音」と
なります。
  頂上相が菩薩面(青色矢印)で密教の五智如来が付いてお
ります。
 観音の標識たる阿弥陀の化仏(水色矢印)、牙上出面(
矢印
)、瞋怒面(紫矢印)、耳璫(赤矢印)です 。
 「法華寺像」は頭上の仏面が2段となっております。

 

 「観音寺」は京都府京田辺市にあり大阪府、奈良県に隣接しており創建当時、都であ
った平城京に近い位置関係にあります。寺院のある場所は田園都市といえる所で静か
な佇まいです。創建を辿れば天平時代の大寺であったのが堂塔のすべてを焼失してし
まい昔日の面影は今はなく本堂のみが豊かな自然に抱かれてぽつんと建っております。
「観音寺」という寺名の寺院は全国的に建立され、現在でも観音寺は多く存在いたして
おります。  


  桜の名所で本堂までの参道は
 桜並木でした。春には桜花が爛
 漫と咲き乱れて見事でしょう。


         本  堂

    
   十一面観音立像

 「十一面観音立像」は木心乾漆造で造像方法、様式と
いい「聖林寺像」によく似ているのには驚かせられます。
ただ、本尊は172cmで、聖林寺像の方が像高が少し高
いうえ成熟した女性のようですが本尊は若々しい清ら
かな娘さんのようで見るの人の心を魅了せずにはおか
ないでしょう。
 東大寺二月堂でのお水取りを始められた実忠和尚が
744年に安置されたとの言い伝えですが744年に安置な
ら「脱活乾漆造」であり木心乾漆造であればそれより時
代は下ると思われます。
 厨子の中に納まっておられ漆箔は剥落して下地の黒
漆が現れておりますが痛んだところもなく熟練の技を
充分に味わえる見応えのある仏さんです。
 瓔珞の胸飾りがないのも聖林寺像も同じですが当初
は華麗な胸飾りを着けておられたことでしょう。

         

 水瓶には蓮華が挿してありその水瓶(青矢印)
を親指、中指、薬指で持ち、人差し指、小指を
ピンと伸ばしている標準的な持ち方です。崇高
な指先で水瓶を怪しげというか悩ましい持ち方
をしていると言えば法隆寺の「百済観音像」があ
ります。
 条帛(赤矢印)が胸前から垂下するのが通例で
本尊はその通りですが先述の「向源寺像」は垂れ
ておらずすっきりしたものとなっております。

 

 「道明寺」は菅原道真で馴染み深い菅原氏の氏寺という名刹寺院であります。
 浄瑠璃の三大傑作の一つである「菅原伝授手習鑑」で広く世間に知られるようにな
ったらしいです。尼寺らしく素朴で飾り気ない本堂で境内は静まり返っておりまし
た。拙宅から一番近い国宝指定の仏像がある寺院です。


     楼 門 
  下層の背が異常に高いのが
 目立ちます。


          本  堂

  
   十一面観音立像

 「十一面観音菩薩像」は残念なことに観世音菩薩の縁日に
当たる18日以外に25日の月に2日しか開扉されません。
観心寺の「如意輪観音像」にいたっては毎年4月17日、18日
しか開扉されません。たった一日ですが4月18日に訪れら
れますと両像を拝むことが出来ます。  
 榧の一木造、檀像風に仕上げられております。檀像は素
木で仕上げられ、髪の毛、眉、目玉、唇以外は彩色しない
ことになっておりますが朱色らしきところが見えます。法
隆寺の九面観音像にも朱色らしき彩色が見えますがこれは
線香の燻りによる着色でしょうか。
 衣、瓔珞の表現は研ぎ澄まされた技術で繊細に刻まれ、
彫りは深く、瓔珞などの流麗細緻な装飾は見る人を釘付け
にすることでしょう。熟練の技と切れ味の良い刃物があれ
ばこその作品でしょう。
 丸顔で初々しく清浄無垢の乙女の容貌です。

 左手は施無畏印でひょっとすると数珠を下げていたのかも知れません。法隆寺の九
面観音像は数珠を下げております。
 菅原道真の作と言う説もあるらしく伝説に秘められたミステリーには興味が尽きな
いですね。

 

 


 九面観音立像(法隆寺)

  
 十一面観音立像(聖林寺)

 十一面観音立像(法華寺)
  「木心乾漆像のお話」を
 ご参照ください。
  「法華寺のお話」を
 ご参照ください。

 

 
十一面観音立像(室生寺)

  千手観音立像(唐招提寺)

  千手観音立像(興福寺)

  「室生寺のお話」を
 ご参照ください。

    「唐招提寺のお話」を
   ご参照 ください。

     「興福寺のお話」を
     ご参照ください。

                               画 中西 雅子