寺院建築−折衷様

 「折衷様」とは和様、大仏様、禅宗様の良いとこ取りをして渾然一体化した建築の新様
式です。今回の折衷様では「明快なルール」がなくどう仕分けるのが良いのか分からず困
惑してしまいました。和様・大仏様・禅宗様・折衷様に分けたことにより混乱を招いた
のではないかと大変苦慮しております。「東寺金堂」「東福寺三門」「東大寺金堂・鐘楼」
「元興寺本堂・禅室」は折衷様に入れるべきでなかったのではと迷ったりもしております。
 正直なところ、例えば、「法隆寺南大門」を見ましても「頭貫木鼻は禅宗様の若葉彫刻
(絵様)」、「中備は大仏様双斗の花肘木」、「禅宗様肘木鼻(拳鼻)」、「禅宗様腰貫」、「妻飾
りは禅宗様笈形付き大瓶束」などが用いられており「折衷様」に入れるべきであるような
気もいたします。そうなれば純粋な「和様」の建築はほんの僅か限られたものとなるでし
ょう。
 「和様」に「大仏様」の一部が取り入れられた様式を「新和様」といいますので「東寺金堂」
「東福寺三門」「東大寺金堂・鐘楼」「元興寺本堂・禅室」は折衷様か新和様かますます分か
らなくなりました。
 地震大国の我が国では堂宇の長期保存上軸組を強固するための構造材として大仏様、
禅宗様の「貫」の使用は避けられず、今後新規に国宝指定される堂宇の多くは「貫」技法が
採用されていることでしょう。それならば、「和様・折衷様」「大仏様」「禅宗様」の3分野
で括ればすっきりしたものになり誰でも理解しやすくなると思われますがこれは所詮素
人の浅はかなたわ言かも知れません。皆さん自身でもどう区分けすれば良いかをお考え
ください。

 「国宝折衷様建造物」の建立時代別では鎌倉時代は「東大寺鐘楼」、「元興寺本堂」、「元
興寺禅室」、「長保寺本堂」、「明王院本堂」、「浄土寺本堂」、南北朝時代は「観心寺金堂」、
室町時代は「東福寺三門」、「鶴林寺本堂」、「朝光寺本堂」、「向上寺三重塔」、安土桃山時
代は「東寺金堂」、江戸時代は「東大寺金堂」です。これらの建造物は西日本に限られてお
ります。

 ※ 「組物」とは「斗栱(ときょう)」のことで、斗栱の方が多く使われており私も以前は
  ホームページで使っておりましたが分かりやすいと言うことで組物に変更いたしま
  した。斗栱の栱とは肘木のことです。
 
 折衷様の特徴としては
  1. 屋根は本瓦葺で、国宝建造物の遺構は総て本瓦葺で桧皮葺、柿葺は見当たりませ
   ん。高さは高く雄偉な屋根が多いです。
  2. 妻飾りは禅宗様の虹梁大瓶束か笈形(おいがた)付き虹梁大瓶束です。  
  3. 軒は和様の平行垂木です。           
  4. 柱は和様の円柱です。 
  5. 中備組物は和様の間斗束か蟇股、大仏様の双斗並びに平三斗を禅宗様の詰組のよ
   うに用います。
  6. 木鼻は禅宗様が多く、肘木木鼻は禅宗様拳鼻です。
  7. 和様肘木、大仏様挿肘木、禅宗様肘木を用います。
  8. 束は禅宗様大瓶束です。        
  9. 扉は大仏様か禅宗様の桟唐戸です。禅宗様桟唐戸は和様にも多く用いられるよう
   になります。
 10. 窓は和様の連子窓です。
 11. 床は和様の板敷で建物の周囲に縁を設けます。  
 12. 虹梁には従来のものに加えて禅宗様海老虹梁も用います。海老虹梁の説明は後述
   いたします。
 13. 天井は和様の組入天井です。
 14. 向拝柱は和様の面取角柱で禅宗様礎盤を用います。中備は大仏様双斗を禅宗様の
   詰組のように用います。   


        海老虹梁(不動院金堂向拝)

 「海老虹梁」ですが堂内でも向拝でも用いられ、柱の繋ぐ高低差が大きい時は便利な梁で
禅宗様の特徴の一つです。一般的に堂内での海老虹梁は海老のように大きく湾曲しており
ますが撮影禁止で掲載できません。写真の右柱は本柱で左側は向拝柱です。1は挿肘木、
2は手挟です。青矢印は若葉彫刻、緑矢印は眉です。

   

 観心寺」は大阪では珍しく四季の自然が楽しめる「花の寺」として多くの人々に親しまれ
ております。それだけに豊かな自然に抱かれた寺院と言えます。
 本尊は大変悩ましい魅力ある「如意輪観音坐像」で、弘仁・貞観時代の代表作ですが残念
なことに4月17,18日のたった二日しか拝むことが出来ません。


                 金 堂(観心寺)

 緑の鬱蒼とした樹林を背景に、鮮やかな朱の彩色が一際目立す「金堂」を始めて見た時は
古色蒼然の佇まいを見慣れておりましただけに新鮮な驚きでした。古いものと新しいもの
が調和した仏堂となっております。
 「観心寺金堂」は「折衷様」の典型的な仏堂ですので「折衷様」のことを一名「観心寺様(流)」
とも呼ばれました。 
 一重、方七間の大型仏堂で、金堂の周囲は空間が広がり、ゆったりとした雰囲気の聖域
です。
 手前の低い石垣内にあるのは「弘法大師の礼拝石(らいはいいし)」です。


 三間向拝    入母屋造  板床敷  縁付き、

      

                                  

 如意輪観音坐像(観心寺)
        画 中西 雅子

   宝珠付き「鬼瓦」

  閻魔大王付き「鬼瓦」

    宝輪付き「鬼瓦」


     禅宗様笈形付き虹梁大瓶束
 緑矢印は「拝懸魚(おがみげぎょ)」、
青矢印は「降懸魚(桁隠)」で拝懸魚の拝
とは山形の頂点のことを言います。

 禅宗様「笈形(おいが
た)付き大瓶束」は「大瓶
束(緑矢印)」の上部両側
に木鼻、蟇股(紫矢印)
におぼしき「笈形」が付
いたものです。

  青矢印の所に色んな絵様が付けられたものが
 「結綿(ゆいわた)」と言われるもので時代が下る
 と「笈形」と共に見事な装飾彫刻で表現されます。

  大仏様双斗(青矢印)
と三斗と実肘木(緑矢印)の組合せです。
  折衷様組物と言えるものでしょう。

   
      二軒の和様の平行垂木
 絵様肘木(青矢印)、木鼻(黒矢印)が見
えます。

    
 大仏様双斗を禅宗様の詰組のように用
いております。
 壁は和様の土壁です。
 和様の連子窓は正面の両脇のみです。
 和様の板敷の床は切目縁です。 

   
    右の写真の丸印部分

 大仏様双斗、繰形付きの実肘木(青矢印)です。      

 

  資料として適当かどうかは分かりませんが比較しやすいので使用いたしました。和様の
肘木は角(青矢印)が付きますが禅宗様では角の部分がきれいな曲線(緑矢印)を描くのが特
徴です。青矢印から上の木口は直線でその部分に黄土塗装が施されております。一方の曲
線の緑矢印部分の木口には黄土塗装は施されておりませんが後述の「東福寺」では胡粉塗装
が施されております。
 双斗は大仏様としておりますが図で見る限り禅宗様双斗と言えるものかも知れません。

 
      和様の丸柱 

             
 絵様肘木は左の写真の青矢印の所にあります。
 緑矢印も絵様肘木です。

     
        禅宗様木鼻   

  
 禅宗様藁座(青矢印)、唐戸面(緑矢印)
付きの禅宗様桟唐戸です。

  
       亀 腹(金堂)  
 床下は漆喰で塗り固めた「亀腹」でありますが
時代が下ると高さも高くなり角の曲線(青矢印)
もきつくなり丸みが無くなります。

  

        三間向拝
  向拝柱は和様の面取角柱にするのが通則
 です。

  上から面取角柱、禅宗様礎盤(青矢印)、
 礎石です。(向拝)

     

 手前が「懸魚(げぎょ)(青矢印)」、奥の方が「手挟(たばさみ)(緑矢印)」です。(向拝) 
  「懸魚(桁隠)」「手挟(たばさみ)」共に秀麗な若葉彫刻が施されており構造材というより装
飾材です。     

 「東寺」の正式名は「救王護国寺」です。新幹線京都駅を大阪駅へ動き始めると間もなく車
窓に映るのは皆さんお馴染みの「東寺五重塔」です。俗化した京の街中で境内は一瞬の静け
さが味わえる雰囲気です。


             金 堂(東寺)

 金堂」は桁行五間、梁行三間、一重入母屋造、裳階付きで言葉にならないほど威風堂々
たる仏堂です。母屋が和様の四手先、裳階が大仏様挿肘木の三手先です。扉と連子窓が交
互に組み合わせてあります。
 扉の前のみに石段が設けられております。


          裏 側


   妻飾りは禅宗様虹梁大瓶束 。
  床は土間で板敷ではありません。


      二軒の和様の平行垂木

   
 裳階の中央部分で一間の屋根を一段上げており
ます。窓の両開きの扉を開けると本尊の「薬師如
来像」の尊顔が拝めるのでしょうか。

      

  

 組物間に平三斗(緑矢印)を禅宗様の詰
組のように用いております。

 大仏様挿肘木の三手先、禅宗様拳鼻(青矢印)
です。

 和様の平三斗を禅宗様の詰組のように用いたものでありますが後述の「東福寺三門」「東大
寺金堂」と同じであるところから和様と禅宗様の折衷様組物でしょう。和様なら間斗束、蟇股、禅宗様なら柱頂と同じ組物の詰組であります。

  大仏様木鼻が見えず禅宗様拳鼻が見えます。

   

 「東福寺」とは「華厳宗の東大寺」と「法相宗の興福寺」の一字ずつを取って寺名といたしま
したが禅宗寺院であります。
 秋には赤々と燃えるような紅葉の錦で境内が彩られてしまう「東福寺」ですがお寺に辿り
着くまでが一苦労と言う大変な賑わい振りです。


          三 門(東福寺)

 手前の放生池(ほうじょうち)の橋を渡ると「三門」、仏殿とが南北の一直線に並ぶ南北の基
本軸形式です。
 禅宗寺院では最古最優の三門です。三解脱門ですから入口が三つ必要で五間三戸の二重門
となっております。
  禅宗寺院の三門(山門)には仁王像は安置しないようでありますが当三門にはつい最近まで
仁王像が安置されていたようです。とはいえ、「瑞龍寺」の山門には仁王像が安置されており
ます。

  大陸では古くからすでに高層寺院
建築の各階で儀式が行われておりま
したが古代の我が国では二重の建物
の上層で儀式は行われませんでした。
ところが、禅宗寺院では上層でも儀
式が行われるようになり釈迦三尊像
や十六羅漢像を祀り室内は荘厳され
ております。
 左右に小建築の「山廊」がありその
内部から上層への階段が始まり上層
へと登って行きます。
  上層部分で儀式を行う関係上従来
より階高を高くならざるを得ないの
ですがそれでも上層部分の高さより

下層部分の高さが高くなるよう全体の高さを一段と高く設計されており見事にバランスが取
れた豪快優美な門となっております。   

 

 
 中備は平三斗(緑矢印)で通肘木(青肘木)が
2段であるので平三斗は3段になります。
 

 大仏様挿肘木(さしひじき)(緑矢印)の三手先(みてさき)です。挿肘木の木口には胡粉塗装
がしてありますが和様では黄土塗装です。白と黒のモノクロは大仏様の特徴です。
 紫矢印は禅宗様拳鼻、青矢印は実肘木です。 
 寺名が東大寺に関係あるゆえ大仏様挿肘木が採用されたと考えるより大建築故に適した様
式が採用されたということでしょう。

 

 「東大寺」といえば「大仏さん」と言われるとおり今なお絶大な人気を誇っております。奈良
の観光経済に大きく貢献しておりますゆえその貢献を大仏商法と言われております。がしかし、お寺とすれば大仏商法は余り歓迎すべき言葉ではなさそうです。それもその筈です大仏
さんは観光の目玉ではなく信仰の礼拝対象だからでしょう。


           金 堂(東大寺)

 「東大寺」の「金堂」というより「大仏殿」の方が通りがよいです。本尊を安置する仏堂で「金
堂」と言われる建築があるのは近畿と山陽地域に限られております。創建時の6割の規模ま
で小さくなっておりますが今なお世界最大の木造建造物の名をほしいままにしております。
いつ訪れても多くの拝観者でありますゆえ早朝に撮影いたしました。余談ですが「東大寺」は
朝7時30分(但し11月から3月までは8時00分)より拝観できます。
 「東大寺金堂」は方五間、裳階付き、連子窓は両脇間のみです。「東福寺三門」と同じように
白と黒のモノクロです。

 
     禅宗様笈形付き大瓶束 
  笈形の透し彫り(青矢印)、結綿(緑矢
)の装飾彫刻は見事な出来栄えです。
「観心寺」のと見比べてください。
 上部には「実肘木」、天井には「輪垂木」
が見えます。

 銅板葺の唐破風(からはふ)は創建当初には存在いたしません。中央の頭が高くなって少し
優美さがなくなっておりますのは絢爛豪華な装飾彫刻を充満させるために致し方がなかった
のでしょう。

 
 中備は平三斗を禅宗様の詰組のように用
 いております。

 柱は創建時84本、現在60本で創建当初の姿は想像に絶するものがあります。併せ柱と
はいえ直径1.50b、長さ30b、柱の量感で圧倒される迫力となっております。


  「裳階」は大仏様挿肘木の六手先ですが
「母屋」は七手先です。尾垂木は用いません
が大仏様の一軒の角垂木、大仏様鼻隠板

  「木鼻」は大仏様、禅宗様の混合です。右上
 の朱色板は回廊のもので絵様は破風尻です。

(青矢印)、和様の小組格天井、禅宗様木鼻と賑やかな組合せです。

   

 鐘楼」は金堂より東の高台に 建立されております。「楼」とは二階建ての建築を表します
ので昔はそのような構造だったのでしょう。


           鐘 楼(東大寺)

 「鐘楼」には天平の大仏開眼供養に衝かれたと伝えられる重量26トンの大鐘が釣られて
おります。方一間、入母屋造で、吹放し形鐘楼では現存最古の遺構と考えられております。
 柱は大仏様の太いもので、屋根の軒反りは両端で 豪快に天空へと反った姿は雄大そのも
のです。中国建築を見ているようでエキゾチックです。太い四本柱で尾垂木はありません。

  

 柱は大仏様で太いですが組物は禅宗様 で
細いものです。

  禅宗様の詰組の四手先、和様の二軒の平
 行垂木、大仏様鼻隠板(青矢印)です。

 大仏様の繰形付きの肘木木鼻(青矢印)

 中備は組物3組の禅宗様の詰組、総
ての貫に大仏様木鼻が付いております。

  巻斗(緑矢印)が連なって見えますのは一木に
 切れ目だけを入れて造られているからです。二
 手先、四手先の木鼻には上下に繰形があります。


        内部部分


       外部部分

 丸い大虹梁が組み合わさるところで細くなる(青矢印)のは大仏様の特徴の一つです。
 大虹梁は飛貫上に十字状に組まれた持送(紫矢印)と蟇股(緑矢印)で保持されております。
持送と蟇股ともに大仏様繰形が付いております。 


     頭貫木鼻


    内法貫木鼻


    地貫木鼻 

 繰形の付いた大仏様木鼻ばかりでした。   

   

  元興寺」はなら町にありますので是非訪れて見てください。
 浄土信仰の寺に改宗されたので寺院の向きを南向きから東向きに改変されました。
 僧坊の東室南階大房(ひがしむろなんかいだいぼう)が二つに改築されて「本堂」「禅室」とに
用途変えとなりました。このことは高僧の住まいを子院、塔頭に移すようになって僧坊の必
要性が薄れてきたからです。法隆寺でも東の僧坊(東室)の三分の一が改築されて「聖徳太子」をお祀りする「聖霊院」となりました。


        本堂(元興寺) (2004年7月撮影)


  寄棟造  (2001年6月撮影)
  左の写真と比べると花が増え
 てきており間もなく萩の寺とし
 てクローズアップされることで
 しょう。

 元興寺極楽坊本堂」は折衷様といたしましたが今なお天平の面影を色濃く残す雰囲気で伝
統と歴史が息づいている仏堂です。
 方六間で密教本堂風に造り替えられております。正面の一間は板敷きの吹き放しです。丸
柱と角柱の組合せで構成されております。


    二軒の和様の平行角垂木


  中備は和様の間斗束(青矢印)と丈の低い
 蟇股(緑矢印)の上に斗を置く大仏様です。

  
出組、大仏様の繰形が付いた実肘木(青矢印)です。

 
    繰形の付いた大仏様木鼻

      
        切面を取った禅宗様桟唐戸 

 
   和様の引き違い格子戸

  
  縁の床張りですが正面(東向き)は大仏様

 の「榑縁」で南北面は「切目縁」です。しかし、
 縁は切れて周囲に繋がっておりません。

      行基葺の屋根
 禅室の屋根      本堂の屋根

 

 「元興寺禅室」ははるか昔を偲ばせる素朴で地味な佇まいです。
 鎌倉時代に大仏様で改築されております。


                禅 室(元興寺)

 桁行四間、梁行四間の方四間の切妻造ですが桁行の柱間を角柱2本で3等分されており
ます。連子窓、扉の繰り返しの組合せです。

    
 和様の「二重虹梁蟇股」で大虹梁(紫矢印)、二重虹梁(
矢印
)、蟇股(青矢印)で構成されております。二重虹梁蟇
股は当初切妻造のみで採用されておりましたが時代が下
るとそれまで小さかった入母屋造の妻破風を大きく造ら
れるようになりましたので入母屋造でも採用されるよう
になりました。赤矢印は大仏様木鼻です。

  
   本瓦葺     行基葺

   
 緑矢印は大仏様の一軒の角柱 、青矢印
大仏様鼻隠板です。

 
 大仏様挿肘木と大仏様の繰形付きの実肘木
(青矢印)、緑矢印は繰形付き大仏様木鼻です。

            
 和様の連子窓・板唐戸(南側)
 

 
  和様の連子窓・切面を取った禅
 宗様桟唐戸(北側)

 

 「長保寺(ちょうほうじ)」は「多宝塔」「本堂」「大門」の3棟が国宝指定と言う由緒ある寺院
です。
 紅葉の名所でもありますが訪れた日は少し紅葉の時期よりずれておりましたので不気味
なほど静まり返っておりました。

 本 堂(長保寺)

   本堂」は安定感のある気品漂う仏堂で、美しい雑木林の背景に溶け込んでおり古色蒼然
そのものでした。
  和様に禅宗様の様式が採用されております。

 
     二軒の和様の平行垂木

 
  出三斗、柱は禅宗様の粽です。

 
     和様のシンプルな蟇股

    
   中備は和様の間斗束(青矢印)
  和様の連子窓(緑矢印)
  床は和様の切目縁の板敷(紫矢印)

   
      禅宗様拳鼻
 
  禅宗様桟唐戸ですが藁座は設置さ
 れておりません。

 

 

 「鶴林寺」は2004年8月に「トリビアの泉」でウインクする十二神将像が紹介されました。 


         本 堂(鶴林寺)

 「本堂」は方七間堂の大型仏堂で「折衷様」の傑作中の傑作と言われるだけに完成された様式
美を誇っております。
 浄土宗寺院ではないですが本堂は東面しております。室町時代再建ならともかく創建で向
拝がないのは珍しく古刹寺院故でしょう。前面の七間総てに扉が嵌っております。


  屋根が高いうえ屋根の軒反りは大きく反っており
 禅宗様建築のようです。 

        
    成道の木・菩提樹


      入滅の木・沙羅双樹

   
       沙羅樹の花

  「お釈迦様が入滅になる時周囲に繁っていた沙
羅双樹が枯れ、こずえがまるで鶴が翔ぶような姿

になったという仏教に因縁ある木。これが当寺の名前の鶴林の語源である。・・・」と説明
されております。


  二軒の和様の平行垂木


  禅宗様二重虹梁大瓶束 
 妻破風は余り大きくないです。


  「笈形(青矢印)」、「結綿
 (緑矢印)」の装飾彫刻は素
 晴しいものです。

  
 和様の蟇股(青矢印)の上に大仏様双斗(緑矢印)を
用いる折衷様の代表的な象徴です。斗が四つもあり
ます。

  
      禅宗様木鼻

    
      鎬を付けた大仏様桟唐戸

  

 

  

 

 朝光寺」は兵庫県のゴルフ場に囲まれた人里離れた静かな山間部にあり人影はなく私一人
でどなたも居られず、国の宝である「本堂」がいたずらされないようにと祈るばかりでした。
 近くには大仏様で有名な浄土堂(浄土寺)があります。


本 堂(朝光寺)

 本堂」は方七間の大型仏堂で、美しい大自然のふところで眠っているようにひっそりと
した境内で一際魅力あふるる眺めとなっております。
 三間向拝、連子窓は両脇間のみです。 

   

 
          寄 棟 造

 石段を上がると山門でそれをくぐると本堂が目に
飛び込んできます。
 入母屋造の時代に寄棟造とは寺院の創立が相当時
代を遡るのかも知れません。 

 
          二軒の和様の平行垂木

 
  出組、禅宗様拳鼻付肘木です。

       
         禅宗様木鼻
  
      禅宗様桟唐戸
   
       中備は大仏様双斗

   

      三間向拝                 

     禅宗様海老虹梁(青矢印)


     手 挟(向拝)


 和様の蟇股の上に実肘木(向拝)


  大仏様木鼻(向拝)

  

  

 「明王院」はJR福山駅よりそんなに遠くない芦田川の辺にあり「本堂」「五重塔」が国宝指定
と言う名刹寺院です。
 後述の「浄土寺本堂」「向上寺三重塔」とも瀬戸内海沿いにあり中世の瀬戸内地方は海運業
で栄華を極めましたので芸術、文化が華開いたのでしょう。


          本 堂(明王院)

 「本堂」は非常に均整が取れており心が和む仏堂です。入母屋造、方五間堂、一間向拝です。正面五間の総てが扉です。屋根の軒反りは大きく反り禅宗様のようです。

    

 

  禅宗様二重虹梁大瓶束は簡素で大変美しいものです。中央に連子窓があるのも珍し
 いです。


 二軒の和様の平行垂木


  中備は和様の間斗束、その
 上に大仏様双斗

  
 鎬のある大仏様桟唐戸


   出組に禅宗様拳鼻 

禅宗様の台輪、木鼻、柱の粽


        手 挟(向拝)

               
  木鼻は主に装飾材だと思っておりましたが構
 造材、装飾材にも使われておりました。これは
 向拝などで斗(青矢印)を一つ増やした「連三斗」
 で使われているようであります。

 

 

 浄土寺」は建物の美しさに驚くと同時に鳩の多さにびっくりいたしました。また、悪いこ
とに中学生が郊外学習?に来ていてその鳩を捕獲すべく追い回すのには参りました。砂塵は
舞い上がるわ、鳩が避難すべく本堂の屋根を覆ってしまうため撮影は中断を余儀なくされま
した。
 周囲の自然と調和するように配置された国宝指定の「多宝塔」もあります。いつまでも見て
いても見飽きない堂塔伽藍です。


          本 堂(浄土寺) 

 「本堂」は入母屋造の方五間です。和様に大仏様の様式が取り入れられております。
 提灯の家紋「丸に二つ引き」は足利氏のものですが建立は尾道の人 道蓮道性夫妻の発願
によるものと説明されております。

 
  禅宗様のシンプルな二重虹梁大瓶束で代
 表的なものです。


     二軒の和様の平行垂木


      大仏様木鼻


      東側部分 

 
 出組、中備は間斗束とその上に大仏様双斗、桟唐戸は大仏様の鎬が付いたものです。


   和様の蟇股(向拝)

 装飾彫刻がネットで囲われているのですが、他に歴史的建造物を鳩の被害から保護する
手立てはないのでしょうか。


 向拝柱の手挟は現存最古の遺構です。


       懸 魚(向拝)

 

 向上寺」は西瀬戸自動車道で因島市を抜けた生口島(いくちじま)北ICから近距離にありま
す。車では便利ですが交通の便は悪そうでした。
 今、境内には三重塔を残すのみとなっております。


    三重塔(向上寺)(東側)


   三重塔(向上寺)(裏側)

 石階段を登り極彩色の彩色が施された「三重塔」を最初に見た時、息が詰まる思いでした。
 「三重塔」は瀬戸田港を見渡す高台に存在し、潮音山の山腹に三重塔の底面積より一回り広
い空間に建築されておりました。それゆえ、撮影場所には悪戦苦闘いたしましたが、細部の
装飾彫刻の種類の賑やかさは見事でただ驚くばかりで装飾彫刻の集合体の観があり、楽しい
撮影時間でした。これほどの独創性に富んだ意匠を考え、造ることの出来た、優れた工匠が
居られたことに感動を覚えました。
 他に比を見ない装飾彫刻だけを見るのも一興でしょう。
 禅宗様を基調に和様の様式を組み入れたもののように感じました。


          初重は扇垂木


   二重、最上層は平行垂木 

     三重塔の場合初重、二重が平行垂木で、最上層が扇垂木が通則ですが。


            二重、最上層

 和様の跳高欄に禅宗様の逆蓮柱、和様の連子窓、禅宗様の花頭型出入口、和様の支輪が
見えます。

  絵様隅木(青矢印)、絵様肘木(緑矢印)、禅宗様の尾垂木が2本

  風鐸(ふうたく)
  禅宗様逆蓮柱

  禅宗様の台輪と木鼻

 禅宗寺院には風鐸は付きませんが禅宗様の安楽寺三重塔にも風鐸がついております。塔に
は禅宗様に関係なく風鐸が付くのでしょうか。                


 絵様付きの実肘木と拳鼻


  花頭曲線の出入口を表現し
 たものでしょう


    蓮葉の蓑束


   
       絵様肘木は葉が3、4枚で装飾彫刻されております。  


  
                  若葉絵様の木鼻  

  
  二手先目に出る肘木を文様化し、肘木
 の先端に若葉彫刻をつけるのは珍しいこ
 とです。 


    肘木の先に若葉の彫刻


          初層部分

 禅宗様の花頭窓、禅宗様の藁座、禅宗様の桟唐戸、禅宗様の蓑束、禅宗様の柱の粽が見
えます。


  藁座は蓮の葉を文様化した形


   切面を取った禅宗様の桟唐戸

  禅宗様の花頭窓、禅宗様の桟唐戸、礎盤ではなく基壇上に地長押となります。基壇上に
建つ土間床ですので縁は設けません。