「脱活乾漆像」の現存最古の像は「当麻寺の四天王像」で白鳳時代の作です。
「当麻寺の持国天像」は「法隆寺金堂の四天王像」と同じように憤怒相でなく脚を少し
開いた直立不動の姿勢です。後の時代の「邪鬼」は仰向けや横向きになり暴れて反抗して
いますが、「当麻寺の邪鬼」は手を組んで蹲り畏まっております。それに一般的な「脱活
乾漆造」と違うところは像の胴部辺りの像法で、桐の薄板で作られた円筒状のうえに「乾漆」で仕上げていることです。「甲」の長い袖、裳裾の広がりなどの表現は精緻で見事です。「法隆寺金堂の四天王像」の「甲」は丸首ですが後世の様式である襟が前開きになっ
ております。大陸的な見事な顎鬚でこのような顎鬚は四天王像には見当たりませんが「東
大寺三月堂の金剛力士像」に見られます。
「脱活乾漆像」は像内が空洞のため軽量そのもので、命がけの政争に巻き込まれても持
って逃げることが出来ました。興福寺の脱活乾漆造「阿修羅像」「迦楼羅像」などは大変
軽量のため戦乱の巻き添えになることもなく無事避難させることが出来ました。ただ残念
なことに「本尊」は重量のある「金銅像」のため避難さすことが出来ず姿を消してしまい
ました。脇役の「阿修羅像・迦楼羅像」に高価な材料「漆」が消費されたことからも、当時、藤原氏の氏寺だった「興福寺」の繁栄が偲ばれます。
脱活乾漆造だったお陰で現在
でも「阿修羅像」が拝むことが出来、多くの方に古都奈良を訪れる幸せを与えております。「阿修羅像」の原型と思われるものが「法隆寺五重塔」内に安置されておりますので「法
隆寺」を訪れましたら是非ご覧ください。
「興福寺の迦楼羅像」の「甲」は厚手で立派な割に体躯は痩身で「阿修羅像」と同じく
猛々しいガードマンらしくありません。この風貌では仏敵を退散さすことも出来ないでし
ょう。
「迦楼羅」は空想上の鳥で、鳥類の王で超大型です。ガルダ、ガルーダとも言います。「ガルーダ」はインドネシア共和国の国鳥でしたが現在は「ジャワクマタカ」と交代。ガ
ルーダ航空は名称変更せず営業を続けております。
「迦楼羅」は「竜」を常食にしているため、法隆寺玉虫厨子の壁画「須弥山世界図」に
は釈迦の周りに「迦楼羅」がおりますが近くにいる「登り竜、下り竜」がこの「迦楼羅」
に食べられてしまわないかと心配しております。「迦楼羅」は金色の翼を持つので「金翅
鳥(こんじちょう)」とも呼ばれます。
「迦楼羅」が仏教に取り入れられて「天龍八部衆」の一神となりました。
興福寺の「天龍八部衆」は阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、乾闥婆(けんだつば)、鳩槃荼(くばんだ)、五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)
の八神で、西金堂の釈迦如来の守護神でした。
同じように「法隆寺五重塔の阿修羅」も「釈迦入滅の場面」で控えております。
「東大寺三月堂の不空羂索観音像」は3.6メートルの巨像で、「不空羂索観音像」と
しては現存最古の像です。興福寺の「十代弟子、天龍八部衆像」に比べて大変厳しく男性
的な相貌となっております。
「三目八臂(さんもくはっぴ)」で、三つの目と八本の腕を持っているためいわれます
が異様な感じを受けるどころか気宇壮大な相貌となっております。がっちりとした上半身
を支える下半身は股下を短くして安定感を生み出す工夫がされおります。肩の鹿皮と天衣
は別製で、写実効果を高めるための丁寧な技法です。
「合掌手」は両手を男性的にぴったりと合わせ、「お手手の皺と皺を合わせて幸せ」の
コマシャールそのものです。衣文の意匠は大波、小波の紋様で、次の時代流行の「翻波式
衣文」の先駆けでしょう。
頭上の「宝冠」は二万数千個の琥珀、水晶、ヒスイなどの宝石を銀線で組み上げられ
た豪華なもので中央の化仏は像高約25センチもある銀像です。銀像は皆無に近いだけに貴
重な遺品です。こんな立派な「宝冠」は
もう2度と作られることはないでしょう。
「光背」は大変珍しい放射状で要所要所に火炎状の唐草文板が付けられています。
「東大寺三月堂の金剛力士像」は普通上半身は裸形ですがこの像は「甲」着用の武将像
です。「南大門の仁王像」と同じように「阿吽」の配置が逆になっております。
「金剛力士像(阿形)」は右手を大きく挙げて仏敵を威嚇しています。髪は「怒髪天を
つく」そのものです。大きなぎょろ目を目頭に持ってきて憤怒の効果を高めています。顎
鬚は
「当麻寺の四天王像」と同じく、見事なもので西洋的な鬚です。 |