法華寺 「東大寺」が総国分寺「金光明四天王護国之寺」と呼ばれたのに対し、「法華寺」は総国 法華寺は東大寺並みに「造法華寺司」という役所まで組織して造営されただけに総国
古くは、法華寺を東へまっすぐの路が「佐保路」と呼ばれその道を進むと、「東大寺 兵火や地震で伽藍は大きな被害を受けました。その伽藍復興の歴史は、南都焼討 |
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![]() 東 門 |
「東門」は「赤門」と呼ばれてい
一間一戸の門で、現在境内へ
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![]() 石 標 |
「総国分尼寺 法華寺門跡」の門標
築地塀が「筋塀」であるのは格式ある |
![]() 門 標 |
![]() 軒 丸 瓦 |
![]() 鬼 瓦 |
地元ではここを「法華寺御殿」と呼ばれる |
「鳥休め」の文様も |
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右側(東の方)にある門が |
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![]() 南 門 |
![]() 石 標 |
「南門」は正門だけに東門より格が上である「四脚門」です。四脚門とは角の控柱 |
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「礎石」の一部は旧金堂の礎石を流用しているとのことで角柱の大きさに対し礎石は |
![]() 腰付鐘楼 (右側の建物は本堂) |
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![]() 軒下の木組 |
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「袴腰付鐘楼」は普通周囲に「縁」が付きますが、その縁がなくすっきりしたもので |
![]() 木 鼻 |
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「連子窓」に青色、窓枠(唐戸面)に黄色を塗るのは平安時代以降で京都の寺院には |
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![]() ![]() 石 畳 歌 碑 |
石畳の右側には |
「庭園・客殿」への入り口で公開日以外、石畳には立ち入り禁止です。 |
![]() 蹲踞・蹲(つくばい) |
![]() 庭 園 |
蹲踞(つくばい)とは茶室に入る前に身を屈 |
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庭 園 上記の庭園の写真はお寺の許可を得て「絵葉書」から転写しました。 |
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![]() 庭 園 |
手入れが行き届いた庭を訪れた時(10/10)は茶室のように可憐な花一輪のみでした |
![]() 本 堂 |
玉砂利を引き詰めた広い南庭は、掃き目がきれいに掃き清められており、尼寺なら 「本堂」は「間斗束」で、「向拝部分」には「蟇股」と新旧の建築様式となっております。 静まり返った堂内に足を一歩踏み入れると、そこは厳かな祈りの世界が広がってお |
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![]() 蟇 股(向拝) |
![]() 手 挟(たばさみ)(向拝) |
![]() 縁 |
![]() 擬宝珠 |
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左側の擬宝珠では「法華滅罪寺」と「講堂 御母寺」、右側の擬宝珠には「奉行 片桐」 |
![]() 旧 礎 石 |
![]() 四角い礎石 |
「旧礎石(本堂の左手前にあり)」は旧金堂の礎石だったと伝えられております。が、 |
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![]() 十一面観音坐像 |
本尊は美貌の光明皇后の姿を写したとい |
台座
「光背」は未開敷蓮華(みかいふれんげ)(蓮の蕾)と蓮葉を放射状に配した他に見られ
台座の反花が二つあるのは異例です。 異国的な雰囲気を感じる像にまつわる言い伝えでは、この像はインドの仏師が光明 |
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![]() 不 動 明 王 像 |
「不動明王像」は四臂(4本の手)という珍しいも
「光背」は「迦楼羅炎」と呼ばれる火炎光背で、八 |
「不動明王像」は「慈光殿」に安置されており、公開日は先述の「庭園・客殿」と同じ |
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「カラ風呂
」は様式上江戸時代中期の再建とされております。 天平時代は輝かしい経済、文化の発達を遂げた裏には色々な公害問題もあったこと この「カラ風呂」は、「蒸気」での蒸し風呂、サウナであります。昔の物語などにも焼 水に流すという言葉があるように、湯・水に浸かることが清潔になる条件だったよ |
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![]() 光 月 亭 |
「光月亭」は梅の名所として知られる「月ヶ瀬村」にあった江戸時代の建築、庄屋宅 |
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東 庭 園 2002年 5月 3日撮影 |
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![]() 横 笛 堂 |
「横笛堂」は今は宅地となった旧境 |
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「犬の御守」は大・中・小の三種類があって、尼僧さんが一体一体丹精込めて作られ |
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画 中 西 雅 子 |