新薬師寺 「新薬師寺」の「新」とは、前月掲載の西の京にある「薬師寺」に対するものではありま
「志賀直哉旧居」を見学した後に「新薬師寺」へ回られるほうが効率的ですので志賀直 |
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市内循環バス停「破石町(わりいしちょう)」の交差点に案内標識があり、「新薬師寺」 |
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「志賀直哉旧宅」は志賀直哉が9年間過ごされた住宅で現在は「奈良文化女子短期大 |
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質素な佇まいの書斎でした。落ち着いた風情の庭園を眺めてはしばしの休息と小説 |
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「サンルーム」は和風でありますが新薬 |
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閑静な住宅地である「高畑町」界隈は奈良らしい面影を留めておりますので多くの方 |
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![]() 本 堂 |
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「本堂」は以前「何堂」だったかははっきりといたしませんが創建当初の「食堂(じきど
勾配が緩い軽快な屋根と落ち着いた気品漂う外観は典型的な天平建築です。穏やか |
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「大斗肘木」が組物であることから金 |
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![]() 鬼 瓦(新薬師寺) |
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現存最古の「鬼瓦」と言われております。仏敵を威嚇するような面相ではなく愛嬌の |
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「東方の瑠璃光の光を浴びて下さい」と掲示されて |
![]() 四 半 敷(参考写真) |
![]() 布 敷(参考写真) |
床の敷石、敷瓦の並べ方は布敷 |
七半というのと同じです。鎌倉時代に禅宗様建築で大いに賞用されたのがきっかけで
天井は珍しい「化粧屋根裏」で、天井を張っておらず構造を露出させ構造美を狙って |
![]() 九目結紋 葵紋 |
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徳川綱吉の母「桂昌院(けいしょういん)」の寄進により、「薬師如来像」「十二神将 堂内一杯に設けられた円形の須弥壇は直径が9メートル、高さが90pで漆喰仕上げが施されております。円形の須弥壇は珍しく我が国では最大の大きさを誇っております。堂内には円形の須弥壇の両脇になぜか広い空間があります。 鎌倉時代には正面に礼堂を付加したり天井が張られましたのを明治の解体修理の際撤去し旧形式に復元いたしました。 |
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「薬師如来坐像」は像高
191.5セン |
榧の木は生長が遅いので仏像には余り使われておりませんが美しい木目と年輪の緻
分厚い唇、太い頸、がっちりとした豊かな胸、太い腕、量感あふれる堂々たる体躯 |
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衣の表現には大変な力の入れ方で、襞の線が |
弘仁・貞観時代までは霊木信仰による一木造だからこそ彫りの深い彫刻が可能で、 |
病気になれば神仏に頼らざるを得ない時代ですから薬師如来は大いにもてはやされ |
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「十二神将像」が安置された「円形の須弥壇」は土製で、直径9メートル、高さ90セン
十二神将とは伐折羅(ばさら)・阿儞羅(あにら)・波夷羅(はいら)・毘羯羅(びぎゃ |
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![]() 伐 折 羅 像 |
「伐折羅像」は十二神将像の中でも傑出した秀 |
「連合国」に対する日本国民の怒りを表しているということで却下されました。
荒ぶる本像は人気度が高く奈良の観光ポスターだけでなく郵便切手にも採用される |
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![]() 迷 企 羅 像 |
天平時代の四天王像の違いは像の背面 |
りは俺に任せよとの意思表示でしょうか。左足の踵を石の上に挙げているのも何を意 |
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南都「鏡神社」は新薬師寺と隣接し |
に広嗣の霊をお祭りしてあるとのことです。
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「本殿」は「春日大社の第三殿」が延亨三年(1746) |
![]() 本 殿 |