寺院建築−江戸時代 |
「江戸時代」は1603年(慶長八年)から1867年(慶応三年)までの265年の長きに亘りま
江戸時代は大坂冬・夏の陣などが起こりましたが町並みが灰燼に帰すような内乱も
古都奈良の寺院が今日あるのは徳川綱吉の生母たる「桂昌院」が仏像、堂塔の保存に 「日光東照宮」「瑞龍寺」「東大寺金堂」は掲載済み、「崇福寺」は未だ訪れていないのと |
「善光寺」は
真北に進むと仁王門、山門、金堂がある配置で堂宇が南北線上にある
それと、「西国三十三ヶ所観音霊場」と東国の代表的な観音霊場「坂東三十三ヶ所観 |
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「本堂」は間口5間、奥行14間、桧皮葺、裳階付きです。撞木造(しゅもくづくり) |
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正 面 |
側面 |
側面には一間向拝が付きます。 |
屋根の俯瞰図で、撞木造(T字型)の棟に |
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妻飾は素朴で簡素ですがよく整備されて |
中備は古風な撥束、柱は禅宗様の粽、 |
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鳩が参詣者と戯れておりその鳩の糞被害から建築を守るためネットが張られていて写 |
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「知恩院」は「法然上人」が浄土宗の総本山として開山されました。 |
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「三門」は西向きで五間三戸です。高い石段上にある三門は圧倒されるような巨大さ |
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「三門」の両脇に設けられた「山廊」の中に階段がありそこから階段を上がり上層に行 |
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台輪木鼻、頭貫木鼻、粽 | 花頭窓 | 礎 盤 |
細部様式は詰組の組物、木鼻、台輪、柱の粽、花頭窓、礎盤、上層が扇垂木、下層が
京都の「特別拝観」に合わせて上層階に上がって見ました。三門の左右には山廊という |
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「御影堂」は浄土宗の開祖「法然上人」の御影をお祀りした堂で、知恩院では最大の |
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「破風」に充填された秀麗な絵様彫刻は防護ネットで詳細に見ることが出来ません。 |
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桟唐戸と内側に格子戸 |
中備に双斗・蓑束、台輪、粽 |
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「向拝」の装飾は華麗な彫刻ですが現在はネットで保護されていて詳細に見ることが |
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「阿弥陀堂」は「御影堂(本堂)」より小ぶりですが参詣者が西方極楽浄土に向って拝ま |
「清水寺」に関しては「三年(産寧)坂」とか「清水の舞台から飛び降りる」とか物騒な |
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「本堂」は「懸造」となっており正面からの撮影は無理ですがぐるっと回れば絶好の |
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「蔀戸」は一枚扉で今まで見てきたものは内側に蹴上げる方式でありましたがこの |
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![]() 板蟇股 |
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「清水の舞台」からの眺めは素晴らし |
あって観光客にほっとする和みを与えていることも事実でしょう。 |
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![]() 音羽の瀧 |
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「音羽の瀧」は天下の名水として名高く水が余りにも清いので「清水寺」という寺名の |
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「東寺」は大師霊場で、毎月開催される「弘法市(弘法さんの縁日)」は大勢の方々で |
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「五重塔」は高さ約55bで我が国最大の塔高を誇るだけでなく京都のシンボル的存 |
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板唐戸、両脇間は連子窓、間斗束など古代の様式を踏襲しております。ただ、高 |
「長谷寺」は古くから観音信仰の寺として色んな物語に出てまいります。 |
![]() 仁王門(長谷寺) |
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「仁王門」は度重なる火災、再建を繰り返し現在のものは明治時代の再建です。 |
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「登廊(のぼりろう)」は階段が399段 |
春になれば登廊の両側に牡丹が咲き乱れそれは見事な眺めとなります。登廊と言えば |
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![]() 鐘楼門 |
「鐘楼門」の上層で一人の若い僧が法螺貝を吹いて居られましたがそれは正午の |
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![]() 本堂(東面) |
「本堂」は昨年(2004)10月国宝に指定されました。これで奈良県の国宝指定建造物は |
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正 面 |
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西 面 |
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中備は撥束 |
禅宗様木鼻 | 大仏様木鼻 |
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左側に内陣、右側に内舞台そ して舞台があります。 |
左側に相の間、右側に舞台があります。 |
参詣者は相の間から内陣に安置された本尊「十一面観音」を拝みます。十一面観音
像 |
![]() 舞 台 |
![]() 舞台から、紅葉には少し早く今ひとつ |
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高欄付きの縁と長谷型 |
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