寺院建築−桃山時代

 「桃山時代」は天正元年(1573)から慶長八年(1603)までの30年という短い期間です。
但し、桃山時代の区分については色んな説があります。
 「瑞巌寺本堂・庫裏」、「宝厳寺唐門」、「妙法院庫裏(非公開)」は訪れていないため
「園城寺金堂」、「仁和寺金堂」、「三宝院唐門」の3棟のみの掲載となりました。
  木鼻、蟇股、破風、手挟などの細部装飾が華やかなものになりそれが江戸時代に引
き継がれましたが今回掲載の3棟では僅かに感じる程度で、穏やかでおとなしい堂宇
ばかりでした。国宝指定になっていない堂宇で、桃山気分を味わうことができるもの
が多くありますので何時の日にかに訪ねて報告いたします。
 寺院ではなく雄大な城郭建築が多く築かれた時代ともいえましょう。しかし、残念
なことにその城郭建築は殆どが存在いたしません。

 

 「三井寺(みいでら)」は通称で園城寺(おんじょうじ)が正式名です。
 境内には天智天皇、天武天皇、持統天皇の3天皇の産湯に使われた霊泉があり、そ
の霊泉に尊称が付けられて御井(みい)の寺と呼称されようになりました。
 それが庶民に親しまれた寺名「三井寺」と呼ばれるようになったのは「智証大師」が三
部灌頂の法水に用いられたことに由来するとのことであります。
 南都には平家の南都焼打ちがありましたが三井寺は度重なる焼打ちにも拘らず栄光
と威厳を留める寺院です。「西国十四番札所」でありますが札所の観音堂と金堂とは距
離があり通常の札所のような賑わいとは隔離状態にあり、金堂周辺は静謐な空間で優
しい雰囲気が漂っておりました。 


        金 堂(園城寺)

  「金堂」は桁行、梁行共に七間、一重、桧皮葺で裳階がないわりには軒下が高いのと
軒の出が大きいので雄大な姿となっております。三間向拝、桧皮葺の屋根など純和風
で非常に均整が取れていてしかも落ち着きがあり奥ゆかしさを感じさせるお堂でした。
長等山を背にした広大な境内で金堂の周囲もゆったりした空間でそれゆえ視覚的には
それ程巨大な堂宇には見えませんでした。


      二軒の平行垂木

    二手先

     亀 腹 


    華麗なる植物文様の「手挟」(向拝)

    獏 鼻(向拝)


         蟇 股(向拝)

     連 三 斗(向拝)    

 堂前に見えるモニュメントは作品名 「風の環/PAX2005」です。白大理石製で台座は黒
大理石製という豪華な素材で制作されております。インドの名刹寺院に献納される来年
初めまで設置されております。制作者は著名な武藤順九さんです。訪れた日が偶然にも
設置日(2004.10.14)でした。大理石製の大作だけに相当重量があるのでしょう。積み下
ろしのレッカー車が大型なのにはびっくり致しました。   
 
 先日、
マハーボディ寺院(大菩提寺)の門をくぐると三井寺で鑑賞した「武藤」さんの作
品が目に飛び込んできた時は想像もしていなかっただけに背筋が震えるような驚きでし
た。と申しますのも、インドの名刹寺院に献納されるとのことでしたが武藤さんに失礼
ながらまさか「仏教四大聖地」の中でも最重要の聖地と言われる釈尊が悟りを開かれた
「ボードガヤー(ブッダガヤー)」に設置されているとは、ただただ驚嘆するとともに出会
えたことを人生の誇りに思えました。しかし、残念ながら気付く同胞の方は居られず足
早に通り過ぎて行かれておりました。仏教随一の聖地と言われるだけに多くの人で賑わ
いを見せており静寂さが漂う伽藍ではありませんでした。
 インドの「飛天」が偏西風を孕んで我が国に飛来いたしましたがそれとは逆に偏西風を
突き進んで「風の環/PAX2005」が仏教の発生の地、心の故郷に着地したのであります。


 「風の環/PAX2005」はインド
の強い慈悲の光を受け燦然と
輝いておりました。


    マハーボディ寺院の門をくぐると左前方に
  「風の環/PAX2005」が見え、日本の皆さんを温
  かく迎えてくれております。 


  「ボードガヤーの大塔」は「風の環/PAX2005」
ら間もなくです。その大塔の裏側に釈尊が悟りを
開かれ菩提となられた聖域・ボーディガラ(菩提
祠)があります。ボーディガラは欄楯(らんじゅん
・石垣)に囲まれておりしかも出入り口は鍵が掛
かっており入場できませんでした。ボーディガラ
の中央に「金剛宝座(台座)」があります。金剛宝座
には吉祥草が敷かれているのかと見ますと綺麗な
織物で覆われておりました。


     ボードガヤーの大塔は
   修築中でした。

 写真の樹木は旧名ピッパラ樹で釈尊が菩提となられたのを機に菩提樹と名称変更と
なりました。我が国の菩提樹とは種類が違いますので大木です。 


      鐘 楼

    梵  鐘

 「三井の晩鐘」でお馴染みの鐘です。一衝き300円で荘厳な音色を楽しめ身も心も癒
せます。「平等院」、「神護寺」の鐘とで三名鐘として高名ですが当然、三井寺の鐘は音
色で選ばれたものです。
 「鐘楼」は桁行二間、梁行一間の造りで他では例を見ない形式です。穏やかな桧皮葺
の屋根が大きくどっしりとしていて安定感があり三井の晩鐘の器にふさわしい姿です。


         霊 鐘 堂
 
 弁慶の引き摺り鐘

  「弁慶の引き摺り鐘」は「弁慶」が三井寺から奪って比叡山に引き摺って帰り、その鐘
を衝くと鐘の音はイノー・イノー(三井寺に帰りたい)と鳴ったためそんなに帰りたいな
らと怒り、谷底に投げ捨てた鐘を三井寺に持ち帰ったとのことです。そういえば昔、大
阪でも帰ろうかというのをイノカと言っておりましたので親近感を覚えました。弁慶が
絡んだところが話を面白くしております。仕上がりをどうこう言うのではなく摺りまく
ったり投げ込んだ損傷と考えることにいたしましょう。  

 
      閼伽井屋
 
     霊 泉(一部)

 「閼伽井屋(あかいや)」は金堂の左にあり屋根が金堂の屋根下に喰い込んでおります。
写真は横側からの撮影で右面が正面です。閼伽とは霊水のことです。
 霊泉写真のさらに左側にある石組の間から霊泉が湧き出る音がかすかにしております。薄暗く厳かな空間です。 


           向唐破風  


        蟇 股
   「龍の彫刻」の制作者は、有名な
  「左甚五郎」です。寺院、神社を含め
  て左甚五郎ほど多くの蟇股を制作さ
  れた方はいらっしゃらないでしょう。

 兎の毛通(うのけどおし)(青矢印)、輪垂木、笈形付大瓶束、絵様模様(現在は退色、
剥落で肉眼では識別不可能)、蟇股(紫矢印)、花挟間欄間、格子戸など優れた意匠で
素晴らしい出来栄えの造りです。兎の毛通は唐破風の懸魚ですので唐破風懸魚ともい
います。


         一切経蔵

     八角輪蔵

 一切経蔵」は禅宗様で威風堂々と建立されております。一重、裳階付き、桧皮葺の屋
根、宝形造です。八角回転式を輪蔵と言います。輪蔵を納める場合は宝形造が適してお
りますが禅宗様で記載いたしました「安国寺経蔵」は入母屋造で大変珍しいものです。
 「一切」とは仏教のすべての経典を意味するとのことですからここでお参りするとどん
な願い事でもたちどころに叶えて頂けることでしょう。
 輪蔵も当初は、経巻を閲覧するのに便利な回転式書棚でしたが忙しい信者のために輪
蔵を回すだけで一切の経巻を読誦した功徳が得られることになったのでしょう。仏教で
の読誦する代わりの転読が進化したスタイルでしょうか?

  「本堂」は台風23号(2004.10.21)
で桧皮葺の屋根が多くの箇所で一部
剥がれるという被害を受けました。
一日も早い修復を心よりお祈り申し
上げます。

   

        びわこ疎水

 三井寺の門前には桜の名所「びわこ疎水」があります。写真奥の霊山に三井寺があり
ますので疎水は間もなく暗渠になります。
 訪れた日はおりしも入学日で入学と言えば桜がイメージされるように、数人のラン
ドセルを背負った初々しい新児童が桜をバックに記念撮影されておりました。

   

 「仁和寺(にんなじ)」は天皇の勅願で起工され完成された時代の年号の「仁和」をとって
寺名とされたのであります。また、仁和寺を御室御所と尊称された経緯から御室という
地名が誕生したのであります。
 伽藍配置は二王門(南大門)、中門、金堂と南北一直線に並ぶ中国形式ですがただ違う
のは、金堂の右手前に五重塔があるのと仁王像が安置されているのが中門ではなく二王
門ということです。   


          金堂(仁和寺)

  京都御所の「紫宸殿」を移築して「金堂」としたものです。権勢の象徴を表現する建築です。
現在は、美しい装いをして昔日を偲ばせる佇まいを残す豪壮、華麗な造形美に息を吹き返
したようです。目にも鮮やかな姿が歳月と共に褪せていかないうちに瞼の裏にしっかりと
焼き付けられてはいかがですか。
 桁行七間、梁行五間、一間向拝で裳階は設けられておりません。
 向拝が付いておりますと屋根が向拝部分だけ長くなるのと向拝の軒が下がり、だらしな
く見栄えが悪くなります。それを解消するため、向拝に流れる屋根の部分だけを勾配を緩
くなだらかな形状とする手間が掛けられてあるのには驚きでした。このような屋根形状で
建立する場合移築する前の紫宸殿のような桧皮葺だったらそう難しくはないですが本瓦葺
にすると雨仕舞用の色んな形状の瓦を用意しなければならず大変な労苦だったと想像され
ます。
 正面からの眺めも良いですか横から眺めなければ優美に変化する屋根の曲線の魅力が分
からないことでしょう。 


    鬼 瓦

        妻 飾


         三 軒

     蔀戸と亀腹

 角垂木の三軒ですが地垂木、飛檐垂木が繁垂木であり、軒先の飛檐垂木は疎垂木と
いう珍しい遺構です。「興福寺の北円堂、南円堂」も同じ三軒ですが興福寺はすべて繁
垂木です。
 包み飾金具、その他の飾金具は透彫の金メッキでそれは絢爛豪華そのものでした。


     板唐戸

           包み飾金具


      向 拝
 
    鳳凰などが見える「手挟」(向拝)

 
 説話的文様の「留蓋」(向拝) 

       蟇 股(向拝)

    
          名勝 御室桜
 名勝の「御室桜」は、金堂の左手前で五重塔と向かい合っ
ております。春には観桜だけが目的で来られる方が多く混
雑することでしょう。背丈の低い御室独特の桜でした。訪
れた時は枝に僅かの枯れ葉が残っている淋しい季節で、桜
は花咲き誇る春に備えて英気を養っているようでした。


    五重塔


         勅使門

                細部彫刻

 「勅使門」は大正時代再建の向唐門で細部意匠の装飾彫刻はすべて華麗さと繊細さがあ
りそれは心を奪われる見ごたえのあるものでした。唐門には後述の「三宝院の唐門」の平
唐門と向唐門とがありますが向唐門の方が装飾彫刻が充填されて装飾的効果が抜群です。  


       鳳 凰

           蟇 股
   

 「醍醐寺」は今まで「金堂」を始め三名塔の一つである「五重塔」、「清瀧宮拝殿」を掲載
いたしましたお馴染みの寺院です。  


        三宝院唐門

   「平唐門」は一間一戸が普通であるのに三間一戸とは珍しい形式です。とはいえ、
出入口は中央のみで両脇間は嵌め殺しのため出入りはできません。
 桧皮葺で三宝院の正門に相応しい品格があります。鏡板一杯には五七の太閤桐、
十二弁の菊の文様が薄肉彫してあります。当初は文様に黒漆を下地に金箔を捺して
あったらしいです。桜と言えば「醍醐寺」で華やかな桜風景にも負けずにことさら目
立ったことでしょう。現在は枯淡な味わいのあるものとなっております。

   

    五七の太閤桐

   十二弁の菊  
 桐の五七とは花びらが中央に七つ、左右に五つあるのでそう呼ばれております。