蒸気から湯へ

 諸国の尼寺を統括する大和の国分尼寺(法華減罪之寺)と呼ばれていた「法華寺」の境
内には「カラ風呂」があります。悲田院、施薬院などの福祉施設を創設された光明皇后が、
千人の施浴の願を立てられ建設されたものです。千人目の癩者の願いで患部の膿を吸った
とき、病人は大光明を放ち姿が見えなくなりましたが、実は如来の化身だったという伝説
があります。

 この「カラ風呂」は、我々が言う「蒸気」での蒸し風呂、サウナであります。昔の物語な
どにも焼けた石に水をかける蒸し風呂の話が出てきます。風呂のすのこ板の間から上がっ
てくる熱い蒸気で、お尻がやけどせぬようにお尻の下に敷いた布が、風呂敷の語源です。
また、貴人が入浴のときに着た肌着が、字の通り浴衣(ゆかた)だったのです。ですから、
浴衣は外で着る衣装ではなかったのです。(浴衣は和装、キャミソールは洋装)。

 新しい時代になって、「湯」に入る入浴が一般に普及してきました。が、江戸っ子が
「銭湯に行く」と言うのは正しいですが、「風呂に行く」というのは厳密に言えば間違い
で、「湯屋に行く」というべきでしょう。

 日本人は「湯」に入ることが大好きな清潔な民族で、西欧にはないありがたき習慣です。
水に流すという言葉があるように、湯・水に浸かることが清潔になる条件だったようです。
法要の前に水で身体を清めることを行水といい、大切な宗教行事の始まりです。鎌倉時代
に中国から伝来した禅宗寺院では、蒸し風呂の浴室が七堂伽藍の一つに数えられ、入浴が
修業の一部と考えられていました。

 余談ですが、仏教に関する言葉には古い呉音が多く、例えば、現在の漢音で読むと、
「行水」は「こうすい」、「人間」は「じんかん」、「元祖」は「げんそ」、「精進」は「せ
いしん」となります。

 関連した話で、米粒やご飯を銀シャリと呼ぶのは、お釈迦さんの遺骨 舎利に似ている
のと、舎利ほど尊いものであるということです。昔は、ごちそうである米は貴重品であり、
ハレの日にしか食べられませんでした。(余談:ハレの日に着たのでハレ着=晴れ着)そ
して、そのハレの日に赤米のご飯を食べたので、今日のハレの日の食事が赤飯となったの
であります。また反対に、葬礼のときには白大豆を入れるか、白いお強を用いました。

 さて、古代の炊飯方法はどうであったかと言えば、土鍋で水を沸かし、その上に置いた
甑に入れた生米を、発生した「蒸気」で蒸して炊いたものでありました。これで出来たご
飯を「強」に「飯」と書いて「強飯(こわいい)」と言い、時代が新しくなって、現在の炊
飯方式のもとである方法で炊き上げたご飯を「姫」に「飯」と書いて「姫飯(ひめいい)」
と言います。さらには、「湯」を入れて炊く「湯炊き法」もあり、この方式で炊き上げたご飯
は、柔らかくふっくらとしたうえ歯ごたえがあるため、日本人好みの食感となっておりま
す。

 先程の「強飯」の「強」に「お」がついて「おこわ(お強)」となったのでなります。
普通のご飯を炊くように水から炊き上げたものを「赤飯」と言い、蒸す方法のものを「お
こわ」と呼称しておりました。ところが、現在は赤飯もおこわの区別もなくなり、そのう
え赤飯はそれほど好まれず、人気があるのは、炊き込みご飯、山菜おこわ、中華おこわな
どに代わってきております。

 古くは、貴族社会においても、客人を招いてもてなすときは、ご飯をてんこ盛りして差
し出したもので、これを椀飯振舞(大盤振舞)と言って、それほど米は非常に重要な食糧
でありました。白いご飯を食べることは長らく贅沢なことでした。ご飯の量を増やすため
に水を増したもの(増水)が、雑炊(私の子供時代にはおじやといってご馳走ではありま
せんでした。)と変わったのであります。それと、椀飯振舞の「椀」は土偏あったのが、
木偏、石偏と使用する材料とともに変わっていったのであります。鍋も同じく土偏が金偏
に変わったのであります。 
 「椀」で不思議なのは「汁」には「汁椀」があるのに飯には「飯椀」が無いことです。
それは「茶碗」か「飯茶椀」で「茶」が付きます。奈良名物の「茶粥」でありますが、こ
れは少ない米で腹をごまかして一杯にする庶民の知恵で、この「茶粥」から「椀」に「茶」
が付くようになったかどうかは私も知るよしがありません。とはいえ、「茶碗蒸し」にも
「茶」が付いているので、陶磁器の「椀」を総称して「茶碗」と呼ぶようになったと考え
るのが正しいかも知れません。

  古の大切な穀物である「五穀」とは、米、麦、粟(あわ)、豆、黍で、この「五穀」
が豊かに実ることを祈って、古代寺院での主要な法要に「五穀豊穣の祈願」がありました。
それが「五穀」が死語になっておりましたのが最近、この「五穀」が身体に良いと見直さ
れて、五穀を材料にした料理に人気が出始めております。

  太平洋戦争終戦当時、大人一日の摂取カロリーはたったの1,500キロカロリー程度
と悲惨な時代でした。
 

 最近では死語となった「エンゲル係数」とは家計の消費支出総額に占める食料費支出
割合で、
昭和30年になっても「エンゲル係数」が約50%でした。ただ最近のように調
理費、サービス費などが含まれていませんでした。例えば魚の場合は、昭和30年といえ
ば魚丸ごとの材料費だけで、刺身、煮付け、焼き魚を購入するにもあまり販売されてはお
りませんでした。ですから、料理で消費する水道光熱費、主婦の手間賃はエンゲル係数に
は含まれておりませんでした。現在の食生活で見ると、昭和30年の「エンゲル係数」は
70%位になっていたかも知れません。それと、「エンゲル係数」から「エンジェル係数」、
最近は、「デジタル係数」と変わってきております。

 「エンジェル係数」とは、
家計の消費支出総額に対して、何も分からない子供のための
高級ブランド製の洋服、装飾品、持ち物などの支出の割合。「デジタル係数」とは
家計の
消費支出総額に占めるパソコン、携帯電話などの情報通信機代とそれらの通信料を合わせ
た支出の割合で、それが日々に多くなり、その反動として「外食」の売上に影響していま
す。

 我が国の1999年度の「エンゲル係数」は23.7%で、中国では2000年度中には「エ
ンゲル係数」が50%以下になる見通しとのことである。

 それがどうですか、やっと腹一杯食べられるようになったのは、縄文後期から約三千年
もたった昭和三十年代でしたのに、最近は米の消費量を減少しております。世界でこれほ
ど主食を食べなくなった民族は、残念なことに日本だけです。
 今回は、フロ、メシのお話でした。