秋篠寺

  「秋篠寺」の草創は,光仁天皇の勅願とか秋篠氏の氏寺であったなどと言われていて、
はっきりしないところが神秘的で、秋篠寺
ふさわしいような気がします。
 宗派は当初の
法相宗から現在は単立宗となっております。

 
「東塔・西塔」などを備えた伽藍規模と「脱活乾漆像」の尊像が多く安置されていたと
ころから官寺並みの大寺院秋篠寺でしたが、平安時代に兵火による悲惨な災難を被
り、伽藍の大半を失い、
創建当時の大寺の面影は残念ながら今は偲ぶことができず静
かな佇まいの寺院となっております。
 「脱活乾漆造」の脱活とは像が「張子の虎」のように空洞と言う意味です。尊像の素材
が漆だけにひび割れでもすれば恐れ多いことなのでそのため高純度の漆を使用しなけ
ればなりません。当時、漆は金と同価格という大変
贅沢な素材でその漆を使用する
脱活乾漆像」の
制作が行われたことは大寺の証といえましょう。

  礼宮さまは,平成2年のご結婚式後、陛下から歴史ある皇室ゆかりの地名に因んだ
秋篠宮の宮号を賜りました。その当時、妃殿下である「紀子さま」の横顔が、
「伎芸天像
(ぎげいてんぞう)」に似ておられるという評判が起こり、多くの人が伎芸天
を拝観すべく秋篠寺に観光バスなどで訪れました。また、昨年(2006)には、
秋篠宮家
の長男、悠仁(ひさひと)さまが誕生されます慶事がありお寺は賑わいましたが
今は静
寂な境内で感動を覚えるお寺に戻っております。

 秋篠寺といえば伎芸天で、美しい魅力尽きない伎芸天憧れてわざわざ大和まで
来られる女性が引きも切れないことは異
例です。特にキャリアーウーマンには絶大な
人気を誇っております。

 


       南  門

        境  内

 「南門」を一歩入るとこんもりとした森の中で、都市伽藍の奈良には珍しい光景で
す。隣接して奈良競輪場があったのを忘れてしまう程森閑の別世界で清涼で清々し
い雰囲気です。
  金堂跡、講堂跡からみると南門は少し東にずれているようです。

 


             東塔の礎石


             東塔の礎石

  「東塔の礎石」「南門」を入ると右側(東側)にありますので忘れずご覧ください。
 竹薮に囲まれた栄華をとどめる「
礎石」は、「東塔」が天平時代後半から平安時代初め
の創建ですので礎石の上に突起物「枘(ほぞ)」が造られております。
 これほどの貴重な遺構が写真撮影
だけでなく手で触れることが出来るのは有難いこ
とです 。

  「法隆寺」の建物の礎石は枘が無い自然石のため、建物が強風などで動かないように、
重量瓦を用いなければなりません。しかし、その重量瓦によって建物の重心が上がり
ますので地震に対して弱くなる欠点があります。ところが、このことを古代の工人た
ちが知っていたのか「法隆寺金堂」の柱などは当時の建築基準より太くなっております。
当時はまだ近隣地域に巨木が存在したことが大きな要因でしょう。
しかし、巨木の減
少に伴い柱を標準の太さにする必要上礎石に枘を設けて地震の際柱が礎石からずれる
のを解消したのです。 

 金堂跡、西塔跡は苔むした庭園内にあり立ち入ることができません。

 

 森の中にある「苔庭」です。ある秋に訪れた時、昨夜が雨であった影響か「苔」はまる
で緑の絨毯を敷き詰めたように
美しかったため、同行の方は息を飲んだ後、持って帰
りたい衝動に駆られてしばらく佇んでおられました。 

 

 


                        本  堂

 森の中の寺院だけにスポットライトをあびるような「本堂」です。装飾もなく簡素で
古都の名刹寺院にふさわしい安定感のある優美な姿です。
 
本堂は鎌倉時代に、天平時代の「金堂」の北側に位置した「講堂」の跡地に建築されま
した。ただ、「講堂」の礎石を利用せずに新築されております。何故かと言いますと天
平時代の講堂の礎石であるならば「柱間」が等寸になる筈が、現在の本堂は中央の三間
が等寸で脇間(端の間)が狭くなっているからです。
 鎌倉時代の再建であれば
入母屋造の筈ですが天平時代の金堂様式の寄棟造を踏襲し
ております。周囲のどこから眺めても趣があるように正方形に近い建物になっており
ます。
 
周囲には縁ではなく基壇が回っております。堂内は板敷きの床ではなく土間であり
鎌倉時代の再建でありますが天平時代の建築様式に則っております。
 それと、鎌倉時代の建築様式であるならば、野屋根構造で屋根勾配が急になります
が、本堂は天平時代の軽快な優しい屋根勾配になっております。建物で最初に目に入
るのは屋根だけに、素朴な本堂を一層引き立てております。
 また、鎌倉時代の建築意匠であるならば扉が「外開き」になるに対して、天平意匠の
「内開き」になっております。  

  大棟の両端は「鬼瓦」でなく「鳥休み(とりやすみ)」だけを飾っている珍しいものです。
 「降棟(くだりむね)の高さは低く、優しさが倍加しています。
 降棟は休みが付いた「鬼瓦」を載せております。


       鬼瓦(法隆寺金堂)

       鬼瓦(法隆寺講堂)
 「鬼瓦」の上に突起した鳥休みの飛び出しは、時代を遡るほど少ないです。

 

◎薬師如来像(本尊) 
 鎌倉時代の寄木造であります。像容は経典による金色相ではなく素木造の檀像風
で、服装は
翻波式衣文、渦紋などの装飾があり弘仁・貞観時代の様式そのものです。
渦紋は裳懸座にもある賑やかなものとなっております。

◎日光・月光菩薩像
 「月光菩薩像(向かって左側像)」は鎧の上に衲衣を装っているから「帝釈天像」です。
そうなるともう一方の像は「日光菩薩像」でなく「梵天像」となる筈ですが。
 

 

   
  伎 芸 天 立 像
 
 菩 薩 立 像 

 「技芸天像」は薄暗い堂内にあって、この尊像だけがスポットライトを浴び一際目立
っております。
  伎芸天像は
高い須弥壇上に安置されしかも像の体躯は大きく205.6pもありますが
首をかしげ、やや前傾して伏し目がちなため拝まれる方と目線が会い、私だけを迎え
ていただいた気分になり余計親しみを覚えられることでしょう。

 
 「堂内安置の伎芸天・帝釈天・梵天・救脱菩薩像」は共に脱活乾漆造であります。
 伎芸天像の当初の像で残ったのは頭部のみで、首から下は鎌倉時代の寄木造の木彫
に変わっております。
天平時代の写実に対する考えが鎌倉時代に蘇った影響で、天平
時代の頭部と鎌倉時代の体部が不自然さもなく上手く適合されており、これほど優美
で柔和さ
を漂わせたを完成させた仏師の技量は素晴らしいの一語につきます。江戸
時代の補修は不味くてすぐに見分けられますが鎌倉仏師の補修は見事で補修したのか
分からないくらい驚くべき技量だといわれており、それを裏付けたのが伎芸天の補修
でありましょう。

 伎芸天像は中国では多く造像されましたが我が国では唯一の存在という貴重な尊像
です。

 伎芸天という呼び名は後世に付けられたものと言われておりますがその名前から
能関係者の上達祈願で多くの信仰を集めております

  首を少し傾ける姿、条帛(赤矢印)、裸足(黄緑矢印)、蓮華座(紫矢印)から見ると、
「天部」ではなく「菩薩」でしょう。唇をかすかに開き歌を歌っているように見えるので、
「音声菩薩(おんじょうぼさつ)」のようですが、余りにも美しく艶やかな姿からは到底
音声菩薩とは考えられません。

  「上図の菩薩像」は盛唐時代(我が国で言えば天平時代)制作の敦煌莫高窟の第45窟像
です。本尊坐仏を囲んで二人の弟子、二菩薩像、二天王像が安置されております。

 中国では、二人の弟子「迦葉(かしょう)」「阿難(あなん)」が本尊のすぐ脇にくること
が多いのですが、我が国では「禅宗寺院」で見られるくらいです。
 敦煌莫高窟の菩薩像は、我が国でも白鳳時代から流行した「三面宝冠」の様式です。
天平時代には伎芸天像のような女性らしい神秘な像は我が国では見当たらないのです
が、中国には存在していたのですね。
 菩薩像は「
三曲法」ですが、伎芸天像の頭を左に傾げわずかに腰をひねったプロポー
ションは三曲法の名残でしょう。 

 菩薩像の顔は色白ですが伎芸天像の顔は真っ黒でエキゾチックです。伎芸天像の顔
が色白であれば、これほどの魅力は出なかったことでしょう。
  菩薩像は脇侍ですから頭を本尊側に傾けているのは理解できますが、伎芸天像は単
独像だけに不思議な気がします。
 
大変魅力的である右手の中指と薬指を軽く曲げ、人差し指と小指を伸ばす印は何か
を物語っているのでしょう。 
 両尊像とも高い宝髻、傾けた頭、撫で肩、条帛
、捻り腰、裸足、蓮華座が一緒で、
私は敦煌莫高窟でこの菩薩像を見た時伎芸天像が真っ先に頭に浮かびました。

 伎芸天はヒンズー教の最大神の一つである「シヴァ神」の髪際から誕生した天女であ
ります。インドではシヴァ神は別名に「舞踊王」と云われ舞踊の創始者として敬われて
おります。

  
       シヴァ神


   ガネーシャ神

  シヴァ神は円形の火炎文様の中で踊っております。左足をあげ4臂で表現豊かに踊
っている「踊るシヴァ神像」は、動きの激しいものでヒンズー教の特徴です。シヴァ神
像はインドでは何処でもお目に掛かれます。インド舞踊で片足を上げたポーズを見た
らシヴァ神を思い出してください。それから、インドの宗教事情ですが、ヒンズー教
徒が約81%であるのに仏教徒はたったの1%弱で仏教生誕地であるのに不思議に思わ
れることでしょう。ヒンズー教徒に続いて多いイスラム教徒と合わすと約94%と驚く
べき数字です。

 シヴァ神とその妻パールヴァティの間に生まれた子供にインドではよく見られる象
頭人身の神「ガネーシャ」がありそのガネーシャが仏教に取り入れられて「歓喜天(かん
ぎてん)」となり、特に双身の歓喜天は「聖天(しょうでん)」さんと呼ばれ特に生駒の聖
天は著名であります。この像は夫婦和合の姿をしておりヒンズー教出身の仏さんらし
いです。
 2007年1月27日放送の「世界ふしぎ発見!」の質問「象の姿をした商売繁盛の神様ガネ
ーシャが乗っている動物とは?」の答えは鼠です。

 

         
        菩薩立像

 「敦煌莫高窟」で買い求めたお土産で、安価な
像です。

  この「お土産像」は上図の「菩薩像」に向かい合
う「西壁龕内北側」に安置されております。

 


           東   門

 正門は南門ですが駐車場からは東門が出入り口となるため東門の利用者の方が多い
ようです。奈良市内にありながら住宅の喧騒から遮断された境内です。

 

 

                                                        画 中 西  雅 子