寺院建築−禅宗様   

 鎌倉時代、大陸建築様式「禅宗様」は「大仏様」に少し遅れて請来いたしました。最近まで、
「唐様(からよう)」と呼ばれておりました。しかし、唐の様式と勘違いされることを避けるた
め禅宗に伴ってきたので「禅宗様」と呼称変更になりました。
 国宝禅宗様建造物が建立された時代別では、鎌倉時代は「善福院釈迦堂」「功山寺仏殿」の2
棟のみで、「永保寺観音堂」が南北朝時代、「崇福寺大雄宝殿」が江戸時代で、それ以外は室町
時代です。「円覚寺舎利殿」「崇福寺大雄宝殿・第一峯門」は未だ訪れておらず今回掲載出来ま
せんでした。
  
 「禅宗」での七堂伽藍は「山門」「仏殿」「法堂(はっとう)」「浴室」「東司(とうす)」「僧堂」「庫裏
(くり)」で、禅宗では七堂伽藍に「浴室」「東司」を入れるくらい日常生活を重要視してその行
為までを修業の一つの手段としております。
 
 「禅宗様」の特徴とは
  1. 「伽藍配置」は「大陸建築を範とした古代伽藍」と同じく左右対称となったうえ南北の基
   本軸を重視して一直線に重要な堂宇が並びます。それに「仏殿」は「法隆寺金堂」のよう
   に正方形で堂内は間仕切りがない一室堂で、飛鳥建築様式に戻ったようです。但し、
   法隆寺金堂は五間四間裳階付きで正方形に近い矩形です。
     とはいえ、非対称伽藍でしかも仏堂が南面していない禅宗寺院も存在いたします。
  2. 「屋根」は桧皮、柿葺が圧倒的に多く本瓦葺は珍しいです。和様の野屋根方式を採用し
   て屋根勾配は急な構造となっており、上層屋根の軒反りは見事なほど反っていて禅宗
   様の特徴を表現しております。しかし一方、裳階屋根の軒反りが小さく穏やかなもの
   になっているのも禅宗様の特徴です。
  3. 本尊を祀る須弥壇の天井は「鏡天井」ですが正方形の仏殿ですので鏡天井も正方形とな
   ります。ここでの鏡とは物が映るとか光線が反射するものではなくただ天井に平らな
   板を張って鏡面のように仕上げたものです。それならば何故、「鏡面天井」とは言わず
   このような名称になったのかひよっとすると鏡の言葉には何か禅の教えが隠されてい
   るのでしょうか?余談ですが「ステンレス板」などを鏡のように磨き上げることを鏡面
   磨きと言います。外陣の天井は化粧屋根裏となります。
  4. 垂木は「扇垂木」です。ただ当初は扇垂木とはいえ大陸と同じく中央部は平行垂木とい
   う「隅扇垂木」のようでありましたのが時代を経ると垂木総てが放射状となる完全な扇
   垂木となります。裳階付きの建築では上層が扇垂木、裳階は平行垂木にすることが通
   常です。
  5. 「組物」は和様のように柱の上だけでなく柱と柱の間にも入れる「詰組(つめぐみ)」で、
   和様の「間斗束」「蟇股」は用いられません。
  6. 和様では当初重要な堂宇には「三手先」が用いられましたが、三手先組物の建築が時代
   と共に消えていきました反面禅宗様では「三手先」堂宇に戻ります。しかし、「三手先」
   堂宇でない禅宗寺院も数多く存在いたします。
  7. 柱は上部または上下部を僅かに削ります。これを「粽」と言います。その柱と礎石の間
   に木製か石製の「礎盤」を入れます。当初「礎盤」は柱のレベルを取る調整部材でしたが
   建築施工技術が向上するにしたがってその必要性が無くなり以後禅宗様のシンボルと
   なりました。法隆寺始め古代寺院の場合仏堂は丸柱、裳階は角柱ですが禅宗様は両方
   とも丸柱です。 
  8. 「尾垂木」は和様が無しか1本であるのに禅宗様では組物によって0本から2本です。
  9. 頭貫(かしらぬき)の上には厚板の水平材「台輪」が載ります。その台輪に詰組の組物を
   設置し軸組を堅固にいたします。
 10. 「木鼻」には渦巻き、若葉の彫刻が多く見られます。この若葉彫刻は和様にも取り入れ
   られ、「法隆寺南大門の木鼻」で秀作の若葉彫刻を見ることが出来ます。
 11. 束は「大瓶束(たいへいづか)」ですが堂内の構造で「大瓶束」は有効に活用されておりま
   す。「大瓶束」は和様でも採用されております。
 12. 支輪は「板支輪」です。
 13. 欄間は「弓(波)欄間」で連子子(れんじこ)が弓(波)型となっております。
 14. 窓は装飾性に富んだ「花頭窓(かとうまど)」です。
 15. 扉は「桟唐戸」です。
 16. 壁は「竪板壁」で土壁は殆どありません。
 17. 「貫」を用いて和様の長押は用いません。「貫」の有効活用により柱の太さは和様に比べ
   て細くすることが可能となりました。
 18. 古代伽藍仕様の土間床に戻り、床は瓦の「四半敷」で仕上げます。土間ゆえ縁は設けま
   せん。
 19. 彩色は建物の外部にはせず「素木造(しらきづくり)」となりますが内部は彩色したり絵
   画を描いたりすることがあります。 我が国も古くは素木文化で現在でもその伝統を
   「伊勢神宮」などで見ることが出来ます。
 20. 「基壇」は自然石の乱石積が殆どです。
 
 「禅宗様」の手法、装飾部材などは「和様」に大きな影響を与えました。

  余談ですが東大寺では「子院」でなく「塔頭(たっちゅう)」、「御影堂」ではなく「開山堂」(か
いさんどう)と言い何故か禅宗と同じ呼び方です。

 

 


        地蔵堂(正福寺)

 「地蔵堂(正福寺(しょうふくじ))」は東京都で唯一の国宝建造物です。国宝で「地蔵堂」とい
うのは珍しく他には存在いたしません。東村山市の住宅街にあり3組のグループが来られま
したが2組は素通りの拝観でした。東村山と言えば昔、「志村けん」が「8時だヨ!全員集合」
で歌った「東村山音頭」を思い出しましたが想像に反して多くの人が行き交う市街地でした。
  「地蔵堂」は禅宗様そのもので屋根は「上層の軒反りは長刀反りですが反対に裳階の軒反り
は控え目」となっており格調高い禅宗様の建築です。
  上層は「柿葺」であるのに裳階は「銅板葺」でありますのは上層屋根で見られる真反りの美し
い曲線を遮るような「雨樋」を設けないため、雨だれが直接裳階屋根に落ちてしまい大切に保
存しなければならない屋根葺材を痛めつけるので銅板葺で凌ごうとされたのでしょう。


  扇垂木(上層)と銅板葺(裳階)

 


     銅板葺(裳階)


 緑矢印は「拳鼻(こぶしばな)」
で禅宗様の特徴の一つです。

  「尾垂木(青矢印)」は
禅宗様特有の2本であ
ります。
  尾垂木は先端が細く、
中央部は膨らまして鎬
を付けます。尾垂木は
一名「天狗垂木」とも言
われますがこれなどは「天狗の鼻」のようですね。
 

 


    大瓶束(
青矢印)


       詰 組(脇間)


         詰 組(中央間)

 和様では「組物」は柱上のみで柱と柱の間・柱間には何もないかあるいは間斗束ないし蟇
股が設けられます。禅宗様では柱上と同じ「組物」が柱間の中央間に2組、脇間には1組が
設置されます。
 中央間と脇間の間隔比は、当堂は中央間÷脇間=8.03(尺)÷5.68(尺)=1.41の
比率となりますが、間もなく組物間隔が等間隔となりますので3÷2=1.5の比率が基準
値となります。飛鳥様式の「法隆寺金堂」は1.5の比率となっておりますが和様ではこの比
率は時代と共に小さくなっていきます。先が白く見えるのは「尾垂木」です。
   「台輪(緑矢印)」は禅宗様の特徴の一つで「詰組」の組物を据付けるために設けられたもの
です。

  


  「粽(紫矢印)」付きの柱、その下に
は木製の「礎盤(青矢印)」、そして「礎
石(緑矢印)」、「基壇」となります。

 

 

  禅宗様では「頭貫(黒矢印)」の上に「台輪(赤矢印)」が来るので「頭貫木鼻(青矢印)」の上面は平らになります。緑矢印は「台輪木鼻」、紫矢印は「粽」です。 

   
 「桟唐戸(青矢印)」、「藁座(紫矢
)」、「弓欄間(緑矢印)」の中央に
宝珠のシンボルがあります。

         
  「花頭曲線(青矢印)の扉」と「花頭窓(緑矢印)」

 


   八角三重塔(安楽寺)

 「安楽寺」は長野県別所温泉地にあり家内が長野県岡谷市出身ですので撮影を兼ねた旧婚
旅行をして参りました。
 「八角三重塔」は本堂より離れた後方の山腹に建立されており、「八角塔」でも「八角の建物
で裳階付」でも「国宝禅宗様塔婆」でも唯一の遺構という貴重なものです。裳階付きなので四
重八角塔のような外観です。
 自然豊かな清浄のなかで訪れる人々に優美な佇まいを見せております。屋根は緩い曲線
でまるで8枚の羽根が羽ばたいているように天高く舞い上がって行きそうに見えました。
また昔、我が国で「八角」と言えば「円」を意味しましただけにまさにロケットが大空を目指
して発射する瞬間のようでもありました。
 和様の塔婆の場合総ての屋根が平行垂木ですが、当塔は禅宗様の定法通り扇垂木ですが
裳階までもが扇垂木とは驚きです。八角の建物を六枝掛、扇垂木で仕上げることが出来た
のは格外の力量をもった番匠(大工)が居られたからでしょう。
 裳階の正面のみ「桟唐戸」の入口があり周囲は禅宗様の特徴である「竪板壁」で閉鎖されて
おりますが採光は弓欄間から行われております。
 塔内に安置されているのは「大日如来像」のみで「仏像舎利」です。密教の本尊が祀られて
あるのは創建当初は密教寺院だったのでしょうか? 


  簡潔なデザイン
 の水煙です

 「花頭窓」の筈ですが
窓枠の高さもなく、し
かも横長なスペースな
のでデザイン的に考慮
した結果「連子窓」にな
ったのでしょう。
 

 柱間が狭い三重目ま
で「詰組」にするとごた
ごたとした構造となり
ますが禅宗様の手法を
忠実に守っております。

   


        仏 殿(清白寺)

 「清白寺」は一面甲府の葡萄畑の中を車がやっと通れるくらいの畦道を200bほど走り右
折すれば「梅参道」それを抜けると「清白寺」でした。人影も無く静寂の中一陣の風に心を洗
われながらの撮影でした。
 「清白寺」は「梅の寺」としても多くの人に親しまれております。
 時間が止まったかのように悠久の歴史が息づいている「仏殿」は端正であり気品が感じら
れる風情の魅力で人々を引き付けております。
 基壇は石垣積ですがきれいな状態で保存されておりました。尾垂木は設けられておりま
せん。国宝「大善寺本堂」はそんなに離れておらずここから車で2,30分の距離です。


     出三斗(裳階)


      出 組(上層)
 「一手先」を通常「出組」と呼びます。

  中央間(分かりやすいように黒色に
した柱から柱)は「平行垂木」、脇間は「扇垂木」となっております。

   

花頭窓・文様が優れた桟唐戸・木目が美しい柱

  裳階は一軒の疎垂木です。

 

 

  「瑞龍寺(ずいりゅうじ)」は特急停車駅JR高岡駅から徒歩10分という恵まれた環境にあり
ます。「山門・仏殿・法堂(はっとう)」は富山県で唯一の国宝建造物で1997年に国宝指定の
ニューフェイスです。「山門」「仏殿」「法堂」の3棟合せての国宝指定です。
 整然とした左右対称伽藍です。「仏殿」と「法堂」がそろっているのは珍しく、多くの禅宗
寺院は両堂を合せての仏殿(本堂)のみです。 


         山 門(瑞龍寺) 

 総門を潜り「山門」への参道の両側は、植え込みも無く玉砂利を敷き詰めた庭園です。参
道を歩くと異常気象(2004)の記録的な酷暑で少し暑かったですが山門から左右に伸びる閉
鎖的回廊内は涼しい別世界でした。殆どの方は山門からは回廊経由で仏殿、法堂を参拝さ
れておりました。冬に訪れると白い砂が白い雪に変わっていて素晴らしい白と墨色のモノ
クロの世界となっていることでしょう。
 「山門」の上層と下層の階高が等しく見栄えが悪いですが、これは上層に床を設けて多く
の尊仏を祀る空間を必要とするからです。このことは視覚を重視した二重門から実務的な
二重門に変わったと言うことです。
 「山門」は柿葺で「東大寺南大門」のように屋根の大きさは上層と下層が同じですが、当山
門の場合は下層屋根に上層屋根の積雪が落下して柿葺が損傷することを防止するための工
夫らしいです。
 「山門」は「禅宗様」の建築仕様通りで大変参考になります。 

    

 親柱の頂部に逆蓮(さかばす・ぎゃくれん)
の装飾が設けられた「逆蓮柱」です。「逆蓮」と
は花弁が垂れて今にも散ってしまいそうです
が蓮華が咲き誇った姿をこういう形で表した
のでしょう。これは禅宗様の特徴の一つです。
 和様なら親柱に「擬宝珠」の装飾が付きます。

 

山門から西に向かう「閉鎖式回廊」、床は四半敷

 面白い形をした蟇股と繰型のついた
実肘木(さねひじき)(青矢印)(回廊)

   


         仏 殿(瑞龍寺)

 回廊内は緑の芝生庭園で仏殿以外は優美な灯篭がぽつんと建つ珍しい光景でした。東大
寺では回廊内の芝生の中に桜などの樹木、参道脇には立ち入り禁止の低い生垣があります。
  「山門、仏殿、法堂」が南北一直線上に配置され山門と法堂が回廊で結ばれる伽藍で、そ
の伽藍中央には「仏殿」を置く配置になっております。この様式は「四天王寺(大阪)」の「四天
王寺式伽藍配置」に似ております。ただ、山門が仁王門、仏殿が金堂、法堂が講堂と呼称の
違いと伽藍内に礼拝対象の「塔」がありませんでした。
 屋根は「鉛板葺」で初めて見ました。真夏の日差しを受けて白銀に輝いており雪をイメー
ジしましたが多分積雪の重量を考えて重い瓦葺を避けられたのでしょう。

   
        仏殿内部

 国宝の「仏殿」に自由に入れるのはここだけです。
 2重の建物ですが内部は1重となっており「虹
梁」「海老虹梁」「大瓶束」などの組み上げは、構造
美の極致と言えるもので、圧倒される空間の素晴
らしさは禅宗様ならではでしょう。
 普段目に触れることが出来ないだけに、忘れ難
い経験をするためにも見逃せない建築と言えまし
ょう。
 内部の床は再び土間(瓦の四半敷)となりました
ので外部には縁を設けません。しかし、禅宗寺院
の塔頭には建物と枯山水の庭園の間に「広縁」が設
けられておりますのは皆さんご承知の通りです。

つい最近まで、住宅にも縁側、濡れ縁があり、そこで知り合い同士が雑談に花を咲かし、
その話の中で結婚話が纏まることがあったので「縁談」という言葉が生まれました。何とも
ほほえましい風景ですね。
 「須弥壇」も見事です。
  写真はお寺の許可を得てパンフレットから転載いたしました。

 


      鉛板葺の屋根(仏殿)

 柱の素材は「桧」ではなく「欅(けやき)」で、「欅」は木目が美しいので装飾材としても使わ
れるくらいです。

 

 


          法 堂(瑞龍寺)        

   
              銅板葺の屋根(法堂)

 「法堂」は古都奈良で言えば「講堂」にあ
たります。仏殿と同程度の規模であるの
が通常ですが仏殿より大変大きい法堂です。法堂が仏殿より大きいのは偶像崇拝
を否定する禅宗の精神に基ずくものでし
ょうか?
  「法堂」は総桧造、銅板葺で山門、仏殿
とは異にしております。回廊とは建物内
で接続されております。

 


       経 蔵(安国寺)


         裏 側

 「安国寺」は人々の注目を浴びております飛騨高山、白川郷の近くにありますが、俗世界か
ら隔離された聖域にあります。予約せずに参りましたが住職の奥さんが「経蔵」に安置されて
いる現存最古の「輪蔵」の説明をして頂いたうえ奥さん自ら輪蔵を回してくださいました。
  「経蔵」は方一間の裳階付です。上層は出組、裳階は出三斗です。上層は詰組ではないのと
裳階の中央間は組物が一つです。
 正面からは階段を下りないと撮影できないので外観の姿を理解していただく意味で裏側写
真を掲載いたしました。均整ある外観で優しさと気品に満ちておりました。それよりも「八
角輪蔵」が国宝指定という仏教史上でも貴重な文化財で、細部まで精密な彫刻が施されてい
て伝統と技に磨き上げられた確かな技術がもたらした壮麗な姿は見る者の目を奪い、人々を
威圧するかのような見事な出来栄えです。様式は禅宗様で造られておりますが彩色されてお
り優美なものとなっております。とにかく百聞は一見に如かずです。飛騨高山から車で15
分程度の距離です。是非、予約して訪問されるようお勧めいたします。
 さらに、経蔵裏の高台の草木を刈ったばかりですからその高台から「椹(さわら)の柿葺」の
屋根をご覧くださいと勧めて頂きました。水に強い椹の「柿葺」はきれいな状態に保たれてお
り椹の匂いが漂ってくるようでした。しかし実際は、椹には香りはありません。椹は耐水性
に優れているのと無香質なのでご飯のお櫃の素材として重宝されております。

  
      軒下の装飾彫刻物

 
 出組でしたが詰組ではありませんでした。

     
上層、裳階共大疎垂木で簡素な軒下です。

 
  柱は頂部が「粽」でありますが下部は「八角形」という珍しい意匠です。安置された「八角輪蔵」に合わされたのでしょうか。

 


        観音堂(永保寺)


    無際橋と観音堂
  無際橋を渡り観音様にお祈り
 すれば現世だけでなく来世も御
 利益があることでしょう。

 「永保寺(えいほうじ)」は先述の「安国寺」と同じ岐阜県に存在いたしますが南と北に懸け離
れております。春夏秋冬、変化に富む日本の自然環境にある寺院だけに多くの人が訪ねられ
ると思いましたが意外に閑散としておりました。この日に限ったことだったのかは分かりま
せんが。
 「観音堂」の名称通り本尊は「聖観世音菩薩」であります。落ち着きがあり優美で雅やかさが
漂う仏堂でした。
 
正面の前面一間は和様の板敷床で吹き放しにしている珍しい構造です。板敷床ですので立
入り禁止ですが「不動院(後述)」「唐招提寺金堂(現在修築中)」「興福寺東金堂」は土間床で立入
り自由です。

 「清白寺」と同じように上層が「出組」、裳階が「出三斗」で、「詰組」ではありませんでした。

  
    大きな石を使った乱石積基壇

 
 上層、裳階共に板軒で垂木が見えないの
ですっきりとした感じとなっております。

 


       開山堂(永保寺)


  手前が「昭堂」、奥の建物は「祀堂」

  国宝の「開山堂」としては貴重な遺構です。鬱蒼とした林に囲まれた聖地に造立されて
おります。
 「開山堂」は昭堂(外陣・礼堂)と祀堂(内陣)が相の間で繋がっており、すなわち「双堂」と
「相の間」が一つの建物となったと言うことです。この建物は後の「権現造(神社)」の原型と
なったと説明されております。神社建築では相の間を石の間とも言い、権現造を「石の間
造」の別名があります。権現造とは徳川家康公をお祀りした日光東照宮が権現造で造立さ
れましたとこらから徳川家康の神号「東照大権現」から派生した名称です。
 開山堂は別名、塔頭とか御影堂と言われるものです。
 祀堂には開祖「夢想国師」、開山「佛徳禅師」の頂相(ちんぞう)がお祀りされてあるとのこ
とです。
 「昭堂」は一重、三間堂、裳階なし、「祀堂」は方一間裳階付で形式、規模の異なる双堂が
どう結合されているのか近くで拝見したかったのですが建物より離れた所に柵があるのと
樹木が障害となって望みは叶いませんでした。「開山堂」は禅宗寺院では一番神聖な建物だ
けに致し方がないことと諦めも付きました。

 

 


          釈迦堂(善福院)

   「善福院(ぜんぷくいん)」は「長保寺」と同じく和歌山県下津町にあり周囲がミカン畑です。
 人が訪れることも無く境内はひっそりとして静かな佇まいの寺院です。駐車場はあります
が少し手狭です。
 国宝建造物で建物の名称が「釈迦堂」では唯一の遺構です。また、禅宗様の国宝建造物では
「入母屋造」が多い中「寄棟造」であり「桧皮葺」「柿葺」が殆どの中「本瓦葺」という大変珍しい建
築です。

  

 上層の白い部分は木部の白塗ですが裳階
はひょっとすると土壁かも知れません。土
壁を使われていた痕跡があるようですので。禅宗様建築と言えば木部だけの地味な感じ
であるのに明るい白がくっきりと浮かび上
がっております。
 上層が「二手先」で裳階が「出三斗」です。

 

 


         金 堂(不動院)


         東 側

 不動院」は広島市内に位置し ますが人影も少なく境内は静まりかえって親子連れが砂
遊びをしておりました。
 禅宗から真言宗に改宗されたので「仏殿」でなく「金堂」の呼称となっております。不動院
の寺名から当然本尊は「不動明王」と思いましたら「薬師如来」でした。
 「金堂」が原子爆弾による被害をよく乗り越え今日まで雄姿を留めることが出来たのは連
綿たる血の滲むようなご精進があったからでしょう。
 「金堂」は雄大かつ繊細な美しさを持ち中世最大の禅宗仏殿ならではの魅力がありました。
 正面の前面一間を吹き放しにした 構造は「唐招提寺金堂」「興福寺東金堂」に似ております
が興福寺東金堂の吹き放しは両脇を壁で閉鎖されております。
 

   

  「禅宗様」では上層は「扇垂木」、裳階は「平行垂木」が原則であるのが裳階も「扇垂木」です。
 「正福寺」では裳階は銅板葺で上層屋根からの雨だれによる被害を防いでおりますが、当
寺は上層屋根から雨だれの落ちる裳階屋根部分にはカラー板製の保護材(青矢印)が設置さ
れておりました。

軒下の賑やかな装飾彫刻物

                


         仏 殿(功山寺)

 「功山寺(こうざんじ)」は先述の「不動院」と同じように改称されたとのことです。奈良で
は寺名を二つ、三つ持っている寺院がありますが時代の荒波に揉まれての改称は聞いたこ
とがありません。それだけ南都には権力者がいなかったともいえます。
 「仏殿」は禅宗様の仏殿としては現存最古の遺構で、背景に溶け込み非常に均整がとれた
美しさを湛えております。グループが来られましたが3人の方のみが仏殿内を扉の隙間か
ら真剣に覗いておられました。記念写真だけを撮ってお参りもせずに次なる目的場所へ足
早に通り過ぎて行かれました人達の気持は理解し難いものでした。


    軒下(上層と裳階)


    禅宗様独特の美しい曲線美の軒