仏像の誕生 |
今回の「仏像の誕生」については予備知識もなく悪戦苦闘しながらなんとか纏めまし |
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「ストゥーパ」の形状ですがインドでは円形基壇に半球状の伏鉢、平頭、その上に傘 |
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「ストゥーパ」は紀元前の作品 |
ことによって来世には浄土に近づけることを願っていたのでしょう。 |
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下の繞道にある階段を上がると右図 |
当初の伏鉢の表面は漆喰できれいな表 |
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「サーンチー」は前回書きましたように国立インド野外美術館と言えるところです。 |
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「サーンチー第1塔」 |
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当初は舎利容器を納めた空間を反円形に土盛りで固めただけだったのがその上から 塔門、欄楯も木製から石製にグレードアップ出来ましたのは多くの供養者が功徳を サーンチーは何時間いても見あきないほどの作品群ですが総てを紹介することはで |
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有名な「アシャーカ |
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サーンチーのアシャーカ王柱の柱頭ですが背中あわせ4頭の獅子で構成されており |
柱頭彫刻の数々です。 |
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![]() 三宝標 |
左端の「三叉標(さんさひょう)」がサーンチーのものです。三叉標とは蓮華座上にあ |
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「サーンチー第2塔」 |
後述の第51番僧院跡の横を通り未整備の石段を下ったすぐの所にあり、石段は危険 |
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「第51番僧院跡」は |
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「サーンチー第3塔」の基壇の直径は15mです。南の塔門のみが残っております。 |
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「ダーメーク仏塔」はインド最大のストゥーパだと言われております。基壇の直径は ダーメーク仏塔は仏教の四大聖地の一つ「サルナート」にあり仏陀が最初に説法した |
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「アジャンター石窟」は巨大な仏教石窟寺院で今から約200年前にイギリス人によ |
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「アジャンター第10窟のスト |
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「アジャンター第26窟のストゥーパ」は仏像 |
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「アジャンター第19窟のストゥーパ」は高い基 |
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「エローラ第10窟のストゥーパ」 |
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これよりはパキスタンのストゥーパです。 |
ダルマラージカー大塔 |
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「ダルマラージカー大塔」は土饅頭型のストゥーパです。直径46m、高さ14mで周囲 |
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基壇を支える「アトラス」については後述いたします。 |
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シルカップ遺跡 |
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「シルカップ」は広大 |
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5段の階段が設置さ |
それにしても方形基壇はよくぞ残ったもので基壇の装飾は建築的には貴重な遺構な |
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タフティ・バハイ山岳寺院 |
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「タフティ・バイ山岳寺院」は約150mの高台にありますが到着すると真っ先に上の |
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ガンダーラ平野を見 |
奉献塔区には仏像を祀る小祠堂が有りその小祠堂に祀られていたのが下図の仏像 |
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ブトカラ遺跡 |
「ブトカラは」奉献塔が200基あったという広大な寺院跡です。ゆっくりと回れば |
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「狛犬」の元祖みたいな「獅子像」が寂しそうに佇んでおりました。 |
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モラモラドゥ僧院 |
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「モラモラドゥ塔」は方形 |
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「奉献小塔」は僧院の祠堂内 |
ている右半分に身体を入れての撮影でしたので一度には撮影できず写真は合成写真で |
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ジョーリアン山岳寺院 |
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「ジョーリアン山岳 |
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スタッコ(ストゥッコ)製の仏像で粘土で荒型の像を造り漆喰で仕上げます。 |
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シャンカダール仏塔跡 |
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「シャンカダール |
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「カニシカ王立像」は仏像が制作され始めた頃に造像 |
威厳を示すためのポーズでしょう。衣の折り目は板を重ねたようになっておりますが |
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インドには「マカラ」が建造物の魔除けとして活躍しております。頭は鰐、胴体は魚 |
![]() マカラ(大雄宝殿・萬福寺) |
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![]() マカラ(開山堂・萬福寺) |
京都の「萬福寺」は黄檗宗の大本山で名僧「隠元禅師」が開創されました。寺伝により |
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「仏像の誕生」はガンダーラで起こり次いで間もなくマトゥラーだと言われており 仏陀入滅後直ちに超人的な仏陀像を制作しようとしても、仏陀は人生の大半を布教 パキスタンでは大乗仏教、密教が起こり多くの種類の仏像が考案され、それが砂漠、 |
ガンダーラの仏像は硬い緑泥片岩製であるため黒っぽいのに比べてマトゥラーの仏 |
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我が国の仏像の故郷であるガンダーラ仏の特徴ですが、 |
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「光背」はガンダーラの初期は頭光のみで形状は円形で文様なし無装飾です。この |
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「顔」はやや面長であり、我が国では当初はやや面長でしたが間もなく丸顔に変わり 三十二相の「肉髻相(にっけいそう)」とは、仏陀の頭頂の肉か頭頂の骨が隆起してい 図の左からみると髪の毛は自然なウェーブ状が螺髪に変わりつつあるのが理解でき 「眉毛」は浮彫りではなく線で表しております。 |
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「耳朶」は我々の耳と変わらないですが時代とともに 「眼」は彫りが深く真ん丸いこの眼こそ杏仁形の眼で |
![]() 苦 行 像 |
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「衣文線の襞」ですが首元は放射状ですが右肩か 口髭と言いこの翻波式衣文など我が国の仏像の |
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「縵綱相(まんもうそ |
がありません。このことはそもそもの発端が破損し易い指を保護するために彫り残し |
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ギリシャ彫刻の遊脚である片足に身体の重心を掛けもう一方の足を浮かせいかにも |
ガンダーラ仏は壁などに取り付けられていたようで背面は扁平で奥行きがありませ ガンダーラでは仏像の制作にはギリシャ人が参画しておりましたがギリシャの人体 厚手重々しい衣となっているのはパキスタンはインドと違って国土は標高があり冬 |
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![]() 仏陀立像 |
上図の立像は仏像が制作開始された頃のもので頭の髪は螺髪ではなくウェーブ状の |
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これより頭髪が螺髪となっていきます。中には螺髪が規則的にきれいに並んでいる |
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![]() 仏陀立像 |
![]() 仏陀立像 |
仏陀の生涯の「優填王の造像」を模刻して持ち帰った像が「清涼寺本尊・釈迦如来立 |
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金色相の金箔が所々に残った貴重な仏陀像です。
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「仏陀坐像」は頭光、手首も残るガンダーラ仏の |
台座は獅子座で両脇に正面向きで沖縄のシーサに似た獅子(青矢印)がおりますが獅 |
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![]() 仏陀坐像 |
左側の「仏陀坐像」の頭髪は、ウェーブ状の髪と肉髻部は螺髪と珍しい髪型です。 |
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![]() 仏陀坐像 |
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4.5世紀になるとストゥッコ(スタッコ)という塑像が多くなります。塑像は個性 |
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![]() 仏陀坐像 |
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ガンダーラ仏に対して「マトゥラー仏」ですがマトゥラー仏は黄班文がある赤色砂岩 マトゥラーの立像はもっぱら通肩でありますが坐像の場合は通肩と偏袒右肩とがあ |
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「仏三尊像」はマトゥラー仏の中でも傑作中 |
両側には横向きの獅子、中央は正面向きの獅子の三頭が表わされております。古くは 光背の周辺部には菩提樹がありその枝が仏陀に厳しい太陽光線が当たらないよう垂 |
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若々しい青年の顔です。 |
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三十二相の「足下安平立相(そっかあんぺいりっ |
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「仏頭」は若々しく溌剌とした美少年の面影で見開いた眼の形は違いますがゴムま |
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「仏陀立像」は偏袒右肩で肌が透けて見えるぐらいの薄衣 |
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「仏陀立像」はグプタ彫刻の最高傑作と言われる |
頭光の繊細で華麗な装飾文様は、開敷蓮華、六弁花文、中央には向かい合う鳥、連
右手は施無畏印だったことでしょう。左手は衣の裾を手繰り寄せて握っております。 |
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大衣が短く下着の裙が現れてお
足元左右に小さな供養者が刻ま |
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「仏陀立像」はグプタ時代にサルナート様式で制作され |
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「仏三尊像」の本尊は偏袒右肩、説法印、 |
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「仏三尊像」の本尊は偏袒右肩、説法 |
見したことはありません。ただ、「法隆寺金堂の本尊・釈迦如来」の脇侍は「薬王、薬上 |
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![]() 仏 三 尊 像 |
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![]() 仏 三 尊 像 |
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![]() 仏 三 尊 像 |
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「仏陀説法図」としておりますが異説もありはっきりしませんが参考図として掲載い |
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過去仏は通肩と偏袒右肩の組み合わせです。仏陀も過去仏に入っております。それ |
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右端が未来仏の弥勒菩薩です。 |
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通肩の仏陀は右手を施無畏印ないしは与願印しておりますが、袖から手を出してい |
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これよりガンダーラの菩薩についてです。釈迦菩薩の様相を観音菩薩が引き継ぎます。 |
![]() |
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釈迦菩薩・観音菩薩は王侯貴族に相応しい姿でターバン冠飾を付けておりましたが |
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菩薩に1本の華麗な頸飾り、2〜3本の胸飾りを付けております。頸飾りは幅広い |
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我が国では菩薩は素足でありサンダルを履きません。「東大寺三月堂の月光菩薩像」 台座の前面の浮彫りは仏伝など多様であります。この図は交脚菩薩像の左右に3人 |
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ガンダーラ仏の特徴を生かした「法華寺本尊・十一面観音像」は口髭を生やし右足は |
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![]() 弥勒菩薩立像 |
![]() 弥勒菩薩立像 |
「弥勒菩薩像」は仏陀像に次いで多い仏像です。 |
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「バラモン僧像」は偏袒右肩の様相で右手は施無畏印の |
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![]() 弥勒菩薩坐像 |
弥勒菩薩坐像 |
「弥勒菩薩坐像」で転法輪印を結ぶ場合は必需品である水瓶を持つことが出来ません |
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![]() 釈迦菩薩立像 |
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![]() 観音菩薩立像 |
ガンダーラの「釈迦菩薩像」の様式が「観音菩薩像」に引き継がれ、我が国の「観音菩薩 |
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見返り菩薩? |
![]() 観音菩薩坐像 |
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![]() 交脚菩薩坐像 |
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「観音菩薩立像」は宝冠に「化仏(けぶつ)(青矢印)」を表した最初の仏像かも知れな |
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「観音菩薩立像」は我が国で言えば平安初期に造られた新しい 小さい脇侍はどんな尊像でしょうか。 |
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「ヴァジラパーニ(執金剛神)」は仏陀の涅槃までボディガードとして金剛杵を持って 何故か、ヴァジラパーニだけは若きヴァジラパーニと熟年のヴァジラパーニが表現 バラモン教のインドラ、ブラフマー、ヴァジラパーニを家来にすることによって仏 |
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![]() ヤクシャ像 |
民間信仰の神だった「ヤクシャ」、「ヤクシー」についてです。 右のヤクシャ像は守門神としての役目が主となっていき我が国の四天王の源流とな |
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ヤクシャに対する「ヤクシー」です。 |
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「クベーラ像」です。この像はヤクシャ坐像ともいわれて |
なぜ、毘沙門天が財宝神でもあるのか理解できませんでしたが毘沙門天の源がクベ |
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ヤクシニーに代わってハーリティーが表舞台に出てまいりました。 |
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「ハーリティー」の前身は大変な鬼女で他人の子供をさ |
「おそれいりやの鬼子母神」で知られる、入谷鬼子母神とは「真源寺像」のことです。 |
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ハーリティーは子沢山に拘わらず他人の子供をさらってきては食しておりました。 左側に夫のパーンチカ、右側に妻のハーリティーの夫婦が仲良く長椅子に腰掛けて パーンチカは豪華な宝冠を被り右手に槍を持ち左手を膝の上に置いてどっしりと構 ハーリティーは旦那を置いて我が国に来日して右手に多産のシンボルである石榴を |
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ヤクシーと並んで女性神が多いのは「ラクシュミー」です。ラクシュミーはヒンズー |
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「カールティケーヤ」は仏教に取り入れ |
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![]() 槍を持つ女神 |
右図はヘルメットらしきものを被り、首飾り、瓔珞で飾り立てた愛らしい乙女の兵士でカールティケーヤとは何の関係もありませんが仏教ではこんな像をも採用されておりました。 |
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![]() ガルダ |
![]() ガルダ |
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「ガルダ・迦楼羅(かるら)」は金翅鳥(こんじちょう)とも呼ばれ鳥類の王という巨鳥 |
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「龍王夫妻像」は気泡が多い岩石で造ら |
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龍王の頭部断片像でしょう。宝冠を被 |
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インドでは建造物を支えるのはヤクシーの役目でしたがガンダーラでは後述のアト |
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![]() アトラス |
![]() アトラス |
「アトラス」はギリシャ神話の神々と戦って敗れ、その罰として天空を支えなければ |
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![]() アトラス |
左図のアトラスは頭と腕で天空を支えると言われこ |
ため満足する写真撮影は無理でした。 |
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![]() |
ガンダーラには花や樹で編んだ長い花綱を担ぐ裸の童子を描いた図が多くありまし |
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これ以下の図は風俗図ですが仏教建造物の荘厳に用いられたものでインド・ガンダ |
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![]() 逢引のシーン |
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