瓦のお話
 

  日本ほど建物の外形意匠で、屋根の構造に気を使う民族は珍しいでしょう。今回は「瓦
のお話」次回は「屋根のお話」をいたします。
 

 588年に百済から建築技術者が来日しました。その陣容を見ると瓦博士四人、鑢盤博士、寺工、画工でありました。何故、瓦と鑢盤だけが「博士」であるのか、多分当時、厚
みのある瓦を焼く技術が大変高度のものであったからでしょう。ではどうして、厚みのあ
る重量瓦であったかといいますと、建築工法が礎石の上に柱を置くだけで、柱を固定して
いないため、強風などの影響で、建物が移動して倒壊してしまう恐れがあるためと、屋根
が吹き上がるのを防ぐためでもあります。
 それから、重量瓦の寺院建築が地震に強いかといいますと、構造材である柱や梁などが
太いうえ、良質な木材で設計されているため、堅固な建物に仕上がっているからであります。 
  
朱、黄、緑で彩色された当時の建物には白黒の燻し瓦より色瓦(釉薬瓦)がマッチした
と思われますが、現在の寺院は古色蒼然としておりますので、燻し瓦が風景と調和して、
日本の風物詩となっております。

 昔、丸瓦のことを男(牡)瓦(おがわら)、
平瓦のことを女(牝)瓦(めがわら)とも呼び
ました。どうしてそんな呼称になったかは私に
は分かりません。このような屋根を本瓦葺きと
いい、我々の住宅の屋根は桟瓦葺きといいます。

         

  屋根瓦の中で鬼瓦が装飾的要素が強く一番眼に付き、大棟しか載せられない鴟尾とは違
って、鬼瓦は大棟、降棟、隅棟にも載せられました。それだけに、見事な形に成長しました。鬼瓦は時代が降ると角が出てきて豪壮なものとなります。逆に四天王像の足下にある
邪鬼は逆に時代が降ると角がなくなります。隅棟の鬼瓦の数も天平時代になると一つから
二つになります。
 

 平瓦は唐草文一辺倒で唐草瓦といわれるくらいですが、一方丸瓦は蓮華文から平安時代の終わりに巴文に変わり、巴瓦が丸瓦の代名詞となりました。巴文とは三つ巴文の
ことであります。
 

 寺院の最大の災難は火災であります。それは建築の名
称では“火”という語は使用せず、反対に水に関係ある
言葉、絵を用いたことから分かります。巴が水がほとば
しるように見え、防火の願いを込めて採用されました。
この巴文は武家の家紋、神社の太鼓、神輿などにも用い
られたのであります。 そうはいうものの、
火炎宝珠露
盤などはタブーである“火”という言葉を使う特殊な例
もあります。

   

    

 鎌倉時代になりますと、寺院建築の木鼻、蟇股などは装飾材として、日本独特の発達を
遂げ、文様が装飾過剰と思えるくらいの形に変わっていきました。私は何故、軒平瓦にエ
プロン状のようなものが付いた“朝鮮瓦”を寺院建築に採用して装飾化しなかったのかが
不思議であります。同じく鯱も我が国にもたらされたのに、寺院の子院、城郭などに使用
されるに留まっております。

  中国、韓国の寺院ではこの朝鮮瓦の使用が常識となっておりますが。

朝鮮瓦 
 今年は2,000年沖縄サミット
を記念して2,000円札の発行が
決まりましたが、その新札の図案は
下図の首里城守礼門です。多くの方
が沖縄を訪れられることでしょう。
どうかそのチャンスを利用されまして、日本では珍しい朝鮮瓦をご覧に
なることをお勧めいたします。