神さま、仏さま

 日本人は自分の想像以上に不幸な結末に終わったときには、この世には“神も仏も”
ないのかと嘆き、神仏を一対と考えたようであります。また一方、よい結末を祈願する
場合には“神さま、仏さま、ご先祖さま”とお願いをする。ここに先祖崇拝が見られ、
仏壇には本来仏さまだけをお祀りしなければならないのに、先祖のご位牌をもお祀りす
る。これらのことは絶対唯一の神を信ずる民族には理解し難い行為と映ることでしょう。
 それと聖教分離がはっきりとしている西欧諸国に比べて、わが国の上代は、祭り(宗
教)、祭りごと(政治)と表すように祭政一致でありました。中国では「皇帝則如来」と
いう思想が起こり、皇帝に似せた仏像も造立されました。

 そこで今回、神さまと仏さまとの違いについて書いてみます。まず一番大きな相違点
は、両者の存在そのものが、われわれの目に触れるかどうかでありました。後の時代に
なると、目に見えない神さまも目に見える仏さまの影響を受けて、神像が作られるよう
になりました。
 イスラム教、ユダヤ教では神の姿を現す偶像崇拝を今でも禁止しており、仏教でも成
立から長い間同じく礼拝する仏像もなく、塔、菩提樹、宝輪、蓮華、釈迦の足跡などを
礼拝しておりました。

 つぎに、境内の配置を見ますと、現在は、神社の鳥居に対して寺院の南大門、ガード
マンとしては狛犬(インドの獅子が変化)に対して仁王。楼門が出現すると神社には随
身(矢大臣)が現れました。狛犬、仁王ともに、時代の下降につれて中央から外へ移り
出てきました。狛犬は神殿前から鳥居前へ、一方仁王は中門から南大門へと。
 寺院も当初は礼殿がなく、礼拝は金堂の前で行う庭儀であったのが、礼殿が設けられ
るようになると、仏教の影響で、神道では拝殿となり、仏教の金堂が神道では神殿とな
りました。ところが、大神(おおみわ)神社は三輪山がご神体とされ、神殿がありませ
ん。逆に伊勢神宮には拝殿がありません。神社の建物の彩色、蟇股も仏教の影響に依る
ものです。
 
 私事ですが、住吉大社(大阪)に最初は自動車免許を取得した18歳の年に父親から
アッシーを頼まれたのがきっかけで40余年参拝いたしております。それは大晦日の
夜11時過ぎから薄暗い社殿前で新年を待つのであります。が、40年前といえばNHKの
紅白歌合戦が終わるまで参拝者も来ることもなく、父親と弟の三人だけでした。それが
現在は夜11時過ぎにはもう既に境内は若者達が一杯で、投光器に照らされた社殿前での
老人は私ぐらいで少し恥ずかしい思いをしております。
  昔は大阪の初参りの報道写真はTV,新聞とも住吉大社と決まっていたものですが新年を
知らせる神社の太鼓が鳴ると、若者達は神さまに参拝するどころか、ピースのサインを
するため、TV・新聞での絵にならず、若者達が落ち着くのを待って午前0時10分の撮影
として報道されておりました。それも今は、報道関係者は皆無に等しい状態となりまし
た。
神社は若者達の社交場、参拝はレジャーという様変わりで、平和そのものであります。
 その住吉大社では第一本宮(底筒男命)から第四本宮(息長足姫命)がありますが、
なぜか第三本宮(上筒男命)からお参りします。社殿の名称は、伏見稲荷大社では上社、
中社、下社で、伊勢神宮では皆さんご存知のように内宮、外宮というように、神の名前
が使わないところが、仏教と少し違うところです。それと、伊勢神宮では参拝とはいわ
ず参宮といいます。
  それと、皆さんもご存知のように、家庭での、神棚は高い位置に、仏壇は低い位置に
と設け方の違いもあります。

 お盆の行事も祖霊信仰の神道のものだといわれれば理解できますが、仏教では人が亡
くなると、生前善行を積んだ人は初七日の不動明王によって彼岸の極楽浄土に導かれま
すが、あまり善行を積んでいない人でも最後の三十三回忌の虚空蔵菩薩によって極楽浄
土に迎えられます。それなのに極楽浄土で幸せにくらしておられるご先祖をなぜわざわ
ざ薄汚れた下界に迎えるのか、わたくしには分からないです。神道では亡くなった人も
三十三回忌が終わると弔いあげといって祖先霊になるというというのですが。

 話は変わりますが、その昔、神社や寺院の建築に携わった大工は、寺社番匠といわれ
ておりました。ところが、明治政府による神仏習合の禁止、すなわち、神仏判然令が、
革新武士達によって廃仏毀釈までに拡大解釈した影響を受けて、社寺番匠ともならず、
宮大工と呼称されるようになりました。江戸時代では三奉行の筆頭の寺社奉行といわれ
たように、寺・社であったのが、それからは社・寺といわれるように序列が逆になりま
した。