食のお話

 古代寺院の七堂伽藍とは、塔、金堂、講堂、経蔵、鐘楼、僧坊、食堂(じきどう)で、
禅宗では、仏殿、法堂(はっとう)、三門、庫裏、僧堂、浴室、東司(とうす)(トイ
レ)(西浄)の七つをいうのであります。

 食堂とは、名前のとおり僧が食事を行う堂であり、重要な堂宇に食堂、浴室、東司が
あるのは、食事をしたり、入浴をしたり、トイレをしたりするのも、大切な修業の一つ
と考えられたからでしょう。食堂のことを禅宗では斎堂と言います。
 平安時代に入ると、皇族、貴族の子弟が入寺してくると、僧は日常の住まいを僧房で
はなく、子院を建築し、そこに住まいを移しました。禅宗では、子院のことを塔頭(た
っちゅう)と言い、石庭、茶室などが設けられています。 その結果、食堂の必要性が
薄れていき、法隆寺の食堂は貴重な遺構となっております。

 法隆寺では、古代寺院の中でも、唯一七堂伽藍が現存し、回廊、中門を含めて総て国
宝と言う、古代建築の集合体であります。

 次に、堂より規模の小さい部屋を房と言います。平安時代、宮中で貴人に仕える高位
の女官は、小部屋が与えられましたので、女房(現在では出世してカミさん)と呼ばれ
ました。例えばアトリエ工房、刑務所の独房などがあります。

 余談ですが、乞食(こつじき)すなわち雲水(行雲流水の略)も修業の一部でありま
す。乞食は午前中、各家庭の門に立ち、与えられた施食によって暮らすのであります。
なお、僧は修業のみである小乗仏教の国では、在家の人達が跪いて、うやうやしく施食
を差し出すのに、僧は立ったまま受け取ります。これは、在家の人達は寄進をすること
によって、徳を積ませて頂けたと、僧に感謝の意を表しているのであります。
 乞食(こじき)と読めば、何ら修業することなくただの物乞いであります。

 厨房、すなわち台所は、北側で湿気のこもる所に設けるのが普通でした。しかし、食
事の賄を重要視したのか、御台所(みだいどころ)と言う呼び名も表れ、この御台所に
は皇族などの出身者がなると言う大変身分の高いものでした。
 しかし、現在では、台所で食事の用意する時間もだんだんと少なくなり、惣菜、ご飯
などをスーパー、コンビニで購入するようになりつつあります。ご飯は各家庭で炊いた
ものでしたが、西欧ではパンを店で求めるように、わが国でも味のいいパック詰のご飯
を買う時代になってきており、主食も西欧の生活様式に変化してきております。

 近い将来、一般家庭では、厨房という台所はますます必要性がなくなり、食堂のみが
残り、家庭料理はホビーとなることでしょう。その証拠にコンビニが立派な外食産業と
なってきております。スーパーやコンビニでお弁当、惣菜を買ってきて、家で食べるの
を中食(なかしょく)と言います。
  「中食」は「ちゅうしょく」と読むところであるのに「なかしょく」と読むのは「湯
桶(ゆとう)読み」であります。これは漢字の上を「訓」、下を「音」で読むことで、
この逆は「重箱読み」です。
 「湯桶」とは、ソバ湯を入れる容器です。ソバは湯煎すると、ウドンと違って湯煎の
湯の中に、ソバの折角の栄養分の多くが溶け込むので、それを補うために、飲むソバ湯
が出されるのです。

  つい最近まで、外出して食べるお弁当、おにぎりは家で作るのが常識でしたのに。そ
れも間もなく、お弁当、総菜をわざわざ買いに出かけるのではなく、デリバリー(宅配)
サービスが当たり前となることでしょう。厨房とは、暗くすすけた小部屋という意味で
すから、亡くなる運命にあったのかも知れませんね。

  中国料理は「舌」で食べる。フランス料理は「鼻」で食べる。日本料理は「目」で食
べるといわれておりますが、その傾向をますます強くしております。それは最近、テレ
ビ、モバイルインターネット、
iモードの情報によって訪問する店の雰囲気、料理の内
容を目で調べることにより、もう既に食事の半分は味わっております。

 
 
日本料理の特徴は「小鉢」にあります。「小鉢」にふっくらと盛り付け、食べ残しで
も見た目が汚く見えない配慮であります。それと、西欧ではスープを大皿に入れるのに
対して、汁ものを椀に入れますのは小鉢文化の我が国ならではです。
 

 日本料理は「盛り付け」が命であるだけに、百貨店の総菜売場で、高級料理店の総菜
では、単品では売上が伸びず、きれいに盛り付けた総菜がよく売れるのはその証拠です。
また、料理を盛る「器」の文様にも気を配るのは、目で食べる日本料理の本質でありま
しょう。