八部衆像のお話 

 今月は「八部衆像」について記述いたします。八部衆は「天竜八部衆」、「龍神八部衆」
とも言われ八種の天部のことです。八部衆は一般的には余り馴染みがないですが八部
衆の一神「阿修羅」と言えばああ「興福寺にある阿修羅像」を思い起こされる方も多いこ
とでしょう。天部はすべてインド古来の神で仏教世界から誕生したものではなく、バ
ラモン教の神々が仏教に取り込まれて仏法の守護神となりました。しかし、八部衆の
成立は、インドでは見当たりませんので中国で考案されたのではないかと言われてお
ります。   
 
  八部衆は「釈迦如来」の「眷属(けんぞく)」として造像されておりましたが、平安以降
は八部衆の一部が「十一面観音」の眷属である「二十八部衆」として造像されることにな
ります。ですから、八部衆像は古代のみ造像されたことになります。
  眷属とは主に複数で仏、菩薩に仕える尊のことです、釈迦如来といえば、脇侍は普
賢・文殊菩薩ですが眷属といえば八部衆と十大弟子です。「法隆寺塔本四面具の釈迦
涅槃像」では脇侍である普賢・文殊菩薩それと眷属である八部衆、十大弟子ともに造
像されており価値が極めて高いものです。主尊が活躍出来たのは脇侍、眷属が優れて
いたからでしょう。

 八部衆は釈迦如来と同じように早い時期にだんだんと造像されなくなります。そこ
で考えられることは、我が国で大乗仏教が盛んな主な理由は、出家者だけでなく在家
の者でも現世利益が得られる仏が大乗仏教から誕生したことにあります。それだけに、
一般の在家者にとって現世利益が期待できない釈迦如来と同じ八部衆は信仰の対象と
ならなかったのでしょう。当然、単独尊としても造像例は僅かなものです。

 八部衆は「天」「龍」「夜叉」「乾闥婆(けんだつば)」「阿修羅」「迦楼羅(かるら)」「緊那羅
(きんなら)」「摩睺羅迦(まごろか)」の八種の神のことですが仏名には異名があります。
例えば、興福寺の八部衆では天に「五部浄(ごぶじょう)」、龍に「沙羯羅(さから)」、夜
叉に「鳩槃荼(くばんだ)」、摩睺羅迦に「畢婆迦羅(ひばから)」を当てております。   

 興福寺の八部衆像は、江戸時代焼失した「西金堂」に安置されておりました。その西
金堂は「光明皇后」が亡き母「橘三千代」の追福を祈って建立されたものであります。西
金堂には釈迦三尊像を中心に梵天・帝釈天像、十大弟子像、八部衆像など数多くの尊
像が取り巻いていたらしいですが本尊、梵天、帝釈天像は存在いたしません。現在残
っている十大弟子像、八部衆像の出来栄えから想像いたしますと本尊はさぞかし優れ
た作品だったことでしょうにかえすがえすも残念なことです。 


       塔本四面具・釈迦涅槃像(北面)(法隆寺)

  「釈迦涅槃像」は釈迦如来の、脇侍である普賢・文殊菩薩像それと眷属である八部衆
像と十大弟子像が揃っている異国情緒あふれる素晴らしい群像です。静かにお見送りす
る者、悲しみに堪えきれず身体を震わせうめく者、号泣する者などをパノラマ的に表現
しております。涅槃像、医者像、阿修羅像など現存最古の遺構です。こんな狭いスペー
スに肩と肩が触れ合うほどこれだけ多くの像を並べたなあと感心いたします。ただ惜し
いことに、少し時期がずれて前列に並べられたとされる十大弟子像が少し大き過ぎるた
め八部衆像は殆ど見えない状況となっております。これは、当時の人が臨終の席にエキ
ゾチックな八部衆が居る不思議な光景に違和感を覚え、その解決策として十大弟子像を
追加したのでしょうか?それとも、仏像はあくまで信仰の対象でありますので配列に気
を配る必要がなかったのでしょうか?
  山岳の塑壁であるため伝え聞く広い空間に沙羅双樹が茂っていてその沙羅双樹の下で
釈迦は涅槃に入られたと言うイメージが沸いてこない懸念がありますが貴重な文化財で
あることは間違いありません。

 

 

 「天」とはサンクリット語のデーヴァを音写したものです。仏教世界である須弥山に
は多くの天界がありさらにその一つの天界には多く天が存在しております。天とは天
上世界にいる多くの天の総称と言えましょう。八部衆も天であります。そうなると、
単独尊の天とはなんぞやとなり、興福寺では「五部浄」を天に当てております。象頭冠
を被っておりますがつぶらな眼差しで少年のようであります。
 天が何故六道輪廻の迷界にあるのか理解できないのともう一つの疑問は、天といえ
ば天部の総称であるのに何故単独尊の天が出て来るのかと言うことです。天と言わず
興福寺のように五部浄とかにした方が理解し易いでしょうに。

   「龍」と言えば西欧では「ドラゴン」、東洋ではインドの「ナーガ」と中国の「龍」があり
ますがまず最初に西欧のドラゴンから記述いたします。                  

  「ドラゴン」は飛行するための翼と鋭い爪、牙、2肢(2足)を持っておりしかも火を
吹く怪物です。いかにも、小型の恐竜のような悪魔的怪獣といえるものです。ドラゴン
は悪獣ですが後述の東洋の龍は聖獣という大きな違いがあります。しかし、ドラゴンも
誕生当初は善神だったのがいつの間にか悪獣にされてしまいました。 

  
    WHOの紋章

  WHO(世界保健機構)の紋章は、国連紋章の中央に
ギリシャ医術の神アスクレピオスという一匹の蛇が
らまった杖を加えたものです。蛇の強い魔力には治療
効果があるという神話から採用されたらしいです。
 蛇は我が国でも神の使いということで尊崇されてお
りました。昔、我が家でも天井裏などに青大将が住め
ば生き神様として歓迎したものでした。ところが、蛇
蝎と言われるように大変嫌われたりして蛇は毀誉褒貶
が激しい生き物です。

  このところ、ニシキ蛇が逃げ出したり捨てられたりするニュースが報道されており
ます。色んなペットが話題になりますのは少子化が物語る子育てよりペット飼育とい
う社会現象でしょうか?

  「ナーガ」はコブラをイメージして考えられたのではないかといわれております。
それは、ナーガにはコブラのような頸にふくらみがあるからです。ナーガの姿は「コ
ブラ踊り」で分かりますように怒ると鎌首をもたげたコブラそのものだからです。こ
のコブラ踊りの姿は大きく見せて相手を威嚇するためでしょう。コブラのようなナー
ガと我々が知る龍とは全く違う種類の生き物です。我が国の寺院には中国の龍はあっ
てもインドのナーガは居りません。 
 ナーガは頭を7頭とか9頭で表現いたしますが次の「龍」の特徴は何一つ持ち合わせ
ておりません。
 次の写真のようにナーガの表現としては人身か仏にナーガの多頭を光背状にして付
けたものが多数らしいです。          
 カンボジアの王国の祖先はナーガであるといわれておりナーガは神格化されており
ます。山岳民族にとっては危険なコブラなどの毒蛇と背中合わせでの日常生活だけに
恐ろしい毒蛇を神と祭り上げて怒りを鎮めようと考えたのではないでしょうか。

  
        龍王像

  写真は『素材辞典』カンボジアのアンコール・
ワットから転写したもので詳しいことは分かりま
せん。
 「龍王像」は如来とおぼしき像の背後に鎌首をも
たげた七頭のナーガが光背状に立っておりますが
惜しいことにナーガの頭の一つ(青矢印)が破損し
ております。

 我が国でも素戔嗚尊(須佐之男命・すさのおのみ
こと)が退治した頭が八つ、尾が八つという八俣大
蛇(八岐大蛇・やまたのおろち)がありますがナー
ガは多頭であっても尾は一つです。 


    二角・四爪の龍


  二角(赤矢印)・五 爪(青矢印)の龍

  「龍」とは中国、日本で見かける龍のことです。ドラゴンは怪獣で悪役でありますが
ナーガ、龍は前身はともかく霊獣として衆生に敬られております。
 中国にはコブラが居らなかったのでナーガを中国の龍と勘違いして漢訳されたので
はないでしょうか。中国、我が国ではマムシはいても毒蛇のコブラは生存しなかった
のでインドほど蛇に対する恐怖心はなかったことでしょう。
 龍は釈迦が誕生のとき香水を掛けて清めたとか、釈迦が成道の際洪水に遭遇したの
を守ったという、龍は釈迦にとっては大恩人ということで仏教と龍との繋がりがある
のです。

 龍はドラゴンのような巨大な怪獣ではなく巨大な蛇のようです。特徴は頭に鹿の角
が2本、顔には眼光鋭い眼、長い耳と長い立派な口髭、背中には81枚の鱗、短い足は
4肢、爪は3〜5本、喉下には触れると怒りだす逆鱗があります。
  蛇はその昔、4肢があったらしくそれが退化して今はありませんが龍には昔の4肢
の大蛇の面影であるのでしょうか。これらの特徴はナーガには全然存在いたしません。
  中国では龍は皇帝のシンボルであると同時に皇帝の守護神でもありました。皇帝の
象徴である龍の特徴は五爪(青矢印)で特に五爪の龍は皇帝以外は使用禁止でした。一
方、我が国では三爪の龍が多かったのは天皇のシンボルとして龍に興味がなかったか
らでしょう。その証に、年号には龍の語が一度も使われることはありませんでした。
もし、中国と同じように龍が天皇のシンボルとなれば五爪の龍が誕生していたことで
しょう。
 
 我が国でも寺院だけでなく庶民にも尊崇されました。と申しますのも、稲作文化の
我が国では米作に多量の水を必要としたのであります。そこで五穀豊穣を龍神に祈願
して雨乞いをしたのであります。その点、龍は雲を呼び雨を降らす霊力があったから
です。前述のナーガも水の神です。当時、公の雨乞いの儀式がいかに重要だったかは、
中国でも我が国でも雨乞いの儀式の役割は「皇帝」、「天皇」が担うものだったことから
もわかします。また逆に、龍神の機嫌を損なうと旱魃になると言う俗信もありました。
 雨乞いの本尊の龍神といえば「室生寺」が思い出されます。間もなく紅葉の季節を迎
え紅葉の室生寺は一段と明るく映えることでしょう。錦秋の澄み切った天空に飛翔す
る龍の勇姿を想像しながら室生の里をお訪ねください。
 
刺青といえば龍の彫り物と決まったくらい人気がありましたのは龍の勇壮な姿に憧
れたからでしょう。

 「四神」では龍は単体の神「青龍」でありますが蛇は亀との合体で始めて神の「玄武」と
なります。
 「十二支」で空想上の動物は龍(辰)のみでありますが社会の裏表を知り尽くした悪賢
い人を語るときに使う「海千山千」とは、蛇が大海で千年修行して「蚊龍(蚊)(みずち)」
になりさらに千年深山で修行して龍に出世すると言うことです。ですから、蛇から龍
に変身するのに、十二支では先に龍がきてその後に蛇が来ますので順序が逆になって
おります。蚊龍は鱗、四肢はありますが角はありません。龍の先祖は蛇とはいえ「龍頭
蛇尾」と言われるように龍でないと駄目なようですね。限られた僅かな人生を龍頭蛇尾
に終えることのないよう精進いたしましょう。

 龍はドラゴンのように翼がなくても空中を飛ぶことが可能ですが東洋では翼で飛行
することを好まなかったようです。ここで一つの疑問ですが、龍は天の一神であり、
その天が飛行できるのであれば「飛天」となる筈ですが。
 古代の人は空中を飛んでいる龍の姿を虹と見なしたようであります。
  龍は天に登ることが出来るので昔の人は竜巻の現象を見て、あれは龍の昇天である
と考えそれで龍巻と呼称するようになったのです。それは、いろんな物を持ち上げて
いく巨大な力が発揮できるのは龍しか考えられずそれで龍巻(トルネード)となったの
でしょう。トルネードと言えば野茂投手のトルネード投法が米の野球界で大きな旋風
を巻き起こしておりますことはご存知の通りです。

 龍王の脳から宝珠(如意宝珠)が出たといわれております。

  本来、龍王の生活の場所は海中にある龍宮城ですが我が国で龍宮城と言えば乙姫様
が居て男性にとってはパラダイスのイメージが強いです 。

 寺院の天井に水に関わりある龍が描かれるのは防火の守りとしてであり天井にはそ
れ以外に蓮とか雲などの水に関係あるものを描きます。天井も天の井水から命名され
たとも言われております。

 今年のセ・リーグの「龍虎の闘い」は「陸上の王は虎」に軍配が上がり、「水中の王は
龍」は今一歩及びませんでしたね。「雲は龍に従い、風は虎に従う」と言われるように
今年の日本列島には多くの台風をはじめ政界(自民党圧勝)にも虎に従う強風が吹きま
したね。    

        
      龍王像(法隆寺)

 「龍王像」はそっけないほど簡素な表現で控え目
ですがそれがかえって心に残る印象を醸し出して
おります。
  ちょこんと正座して手は膝上においております。
「阿修羅像」も第一手が興福寺の阿修羅像のように
合掌せず膝上においております。このように正座
した八部衆像は珍しく東南アジアを見ても法隆寺
像だけかも知れません。柔和な表情で愛らしさが
何ともいえない魅力あるものとなっております。
 頭上の一頭の龍はコブラのように見えナーガス
タイルの名残かもしれません。
 現在は釈迦如来の頭の後で鎮座して顔半分が見
えるだけですが八部衆像で龍がはっきりと分かる
著名な像です。

  
   鳩槃荼像(興福寺)

   「夜叉」とはサンクリット語のヤクシャを音写したも
のです。財宝と富をもたらす神でインドでは盛んな民間
信仰を集めたようです。以前は傍若無人な態度の悪神だ
ったのが仏教に取り入れられてから善神に変わりました。
 「邪鬼」も夜叉の一族で「十二神将」も十二夜叉大将と言
われる通り夜叉一族であります。 
 
 興福寺では夜叉に「鳩槃荼」を当てております。興福寺
の八部衆像では珍しく「鳩槃荼像」だけが焔髪で目を吊り
上げたいかつい顔の憤怒相で少しは恐ろしさが感じられ
る像ですが、姿態は仏敵を威嚇できないほど痩身でこれ
では仏敵も退散することはないでしょう。
 奥さんである夜叉女(ヤクシー)は半裸で魅力あふるる
官能的な姿ですがこのような表現が出来るのは開放的な
インドならではでしょう。この夜叉女と鳩槃荼像を並べ
ると「美女と野獣」そのものでしょう。

 我が国では、夜叉は悪鬼と考えられ悪いイメージが強いです。その一例としては名
作『金色夜叉(こんじきやしゃ)』があります。

   「乾闥婆」とはサンクリット語 のガンダルヴァを音写したものです。ガンダとは香
という意味で乾闥婆は肉を食せず香を栄養にして生活しているといわれております。
獅子冠を被る音楽の神です。
 興福寺の「乾闥婆像」はあどけない少年そのものであります。獅子冠をかぶっており
ますがエキゾチックな顔容ではなく清楚にして清清しい小顔のうえ痩身ですから恐ろ
しさは微塵も感じられません。瞋目で瞑想しているように見え余計に優しくなってお
ります。 


    阿修羅像(興福寺)
   
   阿修羅像(雲崗石窟第10窟)

  「阿修羅」とはサンクリット語のアスラを音写した
ものです。六道の阿修羅道の主で衆生はこの六道の輪
廻から解脱することを願い精進したものであります。
 「八部衆」は普通「沓」を履いているのに「板金剛」とい
われるサンダルを履いております。それと武装してい
なければならないのに上半身は裸形で「甲」を着けてお
りません。
 三面六臂(三つの顔と六本の手)の像ですが均整の取
れた姿となっております。顔はつぶらな眼差しの童顔、
筋肉質の腕ではなくしなやかな細い腕、まるで
美しい
少年少女の姿であります。本像から闘いに明け暮れし
た鬼神とは到底見えずどうしてこんなに優しく造られ
たのでしょう。荒ぶる悪神から善神に変身する瞬間を
表現したものでしょうか?その証がそっと手を合わせ
た合掌でしょうか。
 頭髪は今流行の茶髪というべき、珍しい金髪で髪筋
には細い金箔が貼ってあります。近寄って確かめてく
ださい。像から受ける印象は日本人の感性にあってお
り眺める人を虜にしております。
  
 「脱活乾漆造」で像の内部は空洞のため、身長の割り
に大変軽いこともありますが何度も火災に遭いながら
も無事に運び出されたのはそれだけ尊崇されていたか
らでしょう。
 阿修羅像の第三手は何かを支えるポーズですが左右
の手で「雲崗石窟像」のように日輪、月輪を捧げ持って
いたのではないでしょうか。

 阿が省略されて修羅とも言われますが像名だけは言葉の響きを大切にする我が国で
は使われません。一方、阿が省略されたのが「修羅場」「修羅の巷」であります。
 修羅場とは阿修羅と「帝釈天」との血で彩られて壮烈な決闘場面を表しますが常に戦
いをする暴れん坊の阿修羅を象徴しております。この阿修羅と帝釈天との戦闘であり
ますが、本像と並んで奈良の観光ポスターの常連は「東大寺三月堂の月光菩薩像」であ
ります。月光菩薩像は様式から判断すれば「帝釈天像」と考えられます。あの貴婦人の
ような月光菩薩とこの阿修羅が闘っても壮烈な場面修羅場とはならないでしょう。両
像ともどうしてこんなに清らかに美しく造られたのでしょうか。これらの神秘は永遠
の謎で誰もその謎解きは出来ない歴史のミステリーでしょう。阿修羅は「邪鬼」より恐
ろしい姿でなければなりませんのに。帝釈天といえば「
男はつらいよ」の柴又の帝釈天
が有名ですね。  
 
貴乃花がこの阿修羅像に似ていると騒がれた時期がありましたが一日も早く阿修羅
像の如く多くの方に愛される貴乃花に戻り相撲界の刷新に尽力されることを願うばか
りです。時代は貴乃花を必要としておりますだけに現在の状況(2005)は惜しまれます。  

   巨石を運ぶY字型の「橇」を「修羅」といいますが阿修羅が帝釈天と闘ったという故
事からで「大石」を呉音で読むと「たいしゃく」となりこの大石を動かせるのは(阿)修羅
であると言うことから命名されたらしいです。しかし、大阪府藤井寺市の古墳から発
掘された「木橇」は1500年前に使用されていたものでその頃、個人的に仏教を信仰され
ていたのかも知れませんが公の仏教伝来以前であり、阿修羅という神は未知だったと
思われます。それと、阿修羅が修羅と略されますのは仏教伝来より時間が経ってから
のことです。さらに、「大」の呉音読みは「だい」であって「大仏、大日如来、大黒天、
大徳寺」などであり、また、「石」は「温石(おんじゃく)」というようにジャクである筈
ですのに難しい話です 。

 

  
    迦楼羅像(興福寺) 
   
  迦楼羅像(雲崗石窟第12窟) 

 「迦楼羅」 とはサンクリット語のガルダ、ガルーダ
音写したものです。空想上の巨大鳥で鳥類の王者と言わ
れております。鳥の様相で顔、尖った嘴、羽と足と爪が
鷲に似ていて識別しやすい姿です。異国的な雰囲気です
が何となく親しみがわいてくる像です。全身が黄金で輝
いているので金翅鳥とも言われますが全身が鳥というの
を雲崗石窟で見かけましたが我が国では人身鳥頭しか私
は不勉強なので知りません。
 前述の「龍」を常食としており天敵と同じ仲間の八部衆
であるとは不思議な縁ですね。この問題を解決し仲直り
させたのが釈迦如来であります。  
 鳥の顔をしておりなんとなく天狗のイメージがありま
す。迦楼羅から天狗の一種である「烏天狗」が生まれたの
ではないかといわれております。烏天狗の容貌は鳥頭で
人身は山伏の格好をした姿、剣術に秀でていて「牛若丸」
に剣術指南をしたとされております。 
 「甲」は厚手で立派な割に体躯は痩身で「阿修羅像」と同
じく猛々しくないためガードマンらしくありません。

 迦楼羅はインドネシア共和国の国鳥でしたが現在は
「ジャワクマタカ」と交代。
インドネシア国営航空会社、
ガルーダ・インドネシア航空は名称変更せず営業を続け
ております。
我が国には国章が存在しませんが迦楼羅は
インドネシアとタイ国の国章で迦楼羅はそれだけ東南ア
ジアでは崇拝されているということでしょう。

     

 

 ミャンマーではお
参りする尊像を「八
部衆」で区別してあ
りました。ただ、
七曜日で八部衆だと
一神が余りますがそ
の神名は調べてきま
せんでした。
 私の誕生日は日曜
日なので、日曜日の
カルダ(迦楼羅)の仏
さまにお祈りして参
りました。


  不動明王像(法華寺)

 「光背」は「迦楼羅
炎」と呼ばれる火炎
光背で、
迦楼羅炎と
は迦楼羅が羽を広げ
たとか迦楼羅が吐く
炎の状態を表してお
ります。
 迦楼羅の頭部が装
飾的に付けてありま
すがこれほどはっき
り分かるのは異例で
珍しいことでしょう。
 

 緊那羅」とはサンクリット語のキンナラを音写したものです。漢訳で「人非人」すな
わち「人と非人」で、人かどうかということですが非人とは八部衆をも総称しておりま
す。人身馬頭で表される音楽の神で美声の持ち主であります。
 興福寺像は一角三眼でありますが優しさと気品に満ちており可愛らしい少年そのも
のです。     

  摩睺羅迦」とはサンクリット語のマホーラガを音写したものです。ニシキヘビの
ようなウワバミのことでこのウワバミを神格化したものです。緊那羅と同じように音
楽の神です。
 興福寺では「畢婆迦羅」を当てております。像は着甲で髭のある老人という他の少年
らしい像とは違いますがウワバミのイメージではなくほっそりとしたプロポーション
です。  

                            画 中西 雅子