古都寧楽(なら)の匠たち 建築にしろ彫刻にしろ,限られた道具しかない飛鳥、白鳳、天平時代に、いくら朝鮮から優秀な指導者や工人たちが渡来していたとはいえ、よくもあれだけの素晴らしい作 品ができたなぁと感心させられます。 大化改新の舞台となった飛鳥板葺宮は、それまでの宮殿には地名を付けていたのに、 板一枚作るのに苦労した時代に,五重塔をはじめ堂塔伽藍までも完成させた匠たちの ょう。例えば吉野赤杉の割り箸を作るのに、今から40年ほど前までは、赤杉の板を刃物 で割れば出来ていたのですが、最近では、真っ直ぐに割れる立派な赤杉が得られず、仕 方なく鋸を使用しているとのことであります。 少し余談ですが、五重塔の柔構造を学んで現在の高層建築が生まれたと言われており 一方仏像においても、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像などの秀作もありますが、奈良の 他の時代は完成の像を描き、制作するのに対して、天平時代迄の塑像などは、土の裸 このような優れた作品が生まれた背景には、仏教美術の制作が,
国の重要政策であっ 仏像の材質にしていも、木、土、金と同じくらい価値があると言われた漆、銅など、 匠たちの待遇はと言えば、国家公務員のエリートで官の位が貰え、昇格して貴族にで まあこれだけ優遇されれば、寧楽の匠たちも張り切って仕事に打ち込まざるを得ず、 |