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国内外で、人の尊厳や生命を粗末にする事件が後を絶たず、すごく心が痛みます。暴力は恨みを膨らませ、問題を複雑にするだけで、解決の手立てにはならないことを、たぶん皆が知っていながら、なぜ止められないのでしょうか。
有史以来、宗教、哲学、思想、政治、経済など、人類はさまざまな知恵を出してきましたが、貧困と無知と偏見は解消されず、究極の悪である戦争は無くなりそうにありません。
世界大戦を二度繰り返した後、冷戦時代を経て、社会主義が崩壊し、経済のグローバル化が進みました。生産能力が飛躍的に伸び、物質的に豊かになり、人口が爆発的に増え、コンピュータやネットの発達に伴い、人々の価値観が多様化し、市場原理主義に拍車を掛けました。
『国債』という手法で将来世代のお金までむさぼって、欲望を焚きつける便利なモノを開発し販売し、そして、すぐに陳腐化させてゆくサイクルで、世界の経済が動いています。この飽くなき欲望追求が、現代社会を支える原動力の一つに違いありません。
科学技術の進歩発展を誰も止めることはできず、20年後には、人工知能が現在の労働者の半分以上を担う予測を、先日(2015年3月)あるTV番組で紹介していました。私たちの社会は、どこに向かっているのでしょうか。
国家や企業などの繁栄は、拡大と衰退を繰り返す変化を避けることはできません。その変化をチャンスと判断して、新たな開拓の道に踏み込むのか、それとも、じっと我慢をして遣り過ごすべきなのか、規模は違っても企業も個人も変わりはなく、その選択を迫られ苦渋の決断の連続の毎日です。
いつの世も、安定はそれほど持続しません。世の中はめまぐるしくうつろいます。まさしく中学校時代に学んだ『諸行無常』です。「人生はむなしい」とお坊さんに言われるまでもなく、誰もが判っていることです。しかし、多くの人々はけなげにも、世を捨てず、そのむなしさの中に、自分の人生を日々組み立てて生きています。さまざまな思いを抱きながら、ときには花鳥風月を愛で、喜怒哀楽の暮らしを営んでいます。その思いを綴ったのが、この《随想集》です。
『寸考雑記』と『心想素描』の二つにコーナを分けていますが、大きな区別はありません。
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