ニュース番組や報道番組で、政治と経済と気象、スポーツは毎回取り上げられ、個々の事象や事件について、専門家やジャーナリストや評論家等が、司会者を交えて解説や説明をされる。軍事や医学や科学についての事件などがあれば、必要に応じて専門家等が登場する。科学の専門家に比べると、政治や経済やスポーツの専門家の需要は高く、層も厚いように感じる。
個々の事象や事件の解説や説明が明確であっても、大きな流れの中で、その事象や事件がどのような意味を持っているのか、どのように考えるべきかを、きちんとまとめるニュース番組や報道番組に、あまり出会わない。
ノーベル賞は世界的な実績に対して、受賞者が選定させると私は理解している。経済大国やジャパンアズナンバーと世界から賞賛された時代があったにもかかわらず、日本人でノーベル経済賞を受賞した人がいない。それは何故だろうか。松下幸之助や本田宗一郎等の言葉に心を揺さぶられ、感動したことは何度もあったが、最近の企業人や経営者の発言が私の心に触れることはまったくない。いつのころからか、日本の企業人や経営者は、経済の営みは人間が主体であることを見失なっているのではないか。
今日、資本主義経済がうまくいっていると考えている人は、まずいないだろう。一時的な経済の不調に陥っているだけだと、考えている人も少ないだろう。グローバル資本主義の構造に関わる深刻な事態であるとの認識を持つべきだ。しかし、その現実を正確に理解し説明し対処すべき道筋をきちんと示す専門家を、私はほとんど見かけない。経済学者は人間を幸せにする経済の姿を描けていないのではないか。
現在の資本主義社会の全体像は、結局、誰にも解らないのだろうか、いや、解っても利益につながらないとマスコミが考えているからなのか、個々の『カネ儲け』にまつわることについては、形を変え品を変えて、さまざまな視点から、多くの番組が作られている。目先の利益には、誰しも関心がある。カネ儲けは、悪いことではない。生きるためには、経済的なゆとりは不可欠である。
しかし、カネ儲けだけが人生ではない。生きるためには、スポーツも音楽も映画も必要だし、芸術にも触れたいし、旅行もしたい。日本だけでなく、世界にも目を向けたい。政治や歴史や宗教、病気や医学の知識も必要だ。
特に日本は、科学技術の発展で、世界に頭角を現し、工業の進歩、産業の発達で暮らしを立ててきた国だ。こんな日本であるにもかかわらず、科学技術のマスコミ報道が、政治経済スポーツの報道量と比較して、あまりにも少ないように感じる。
その顕著な例として、安部総理やイチローが中学校に来ると、ワーッと人だかりになるけれど、山中伸弥さんが学校に来ても、それほどの騒ぎにはならないと思う。iPS細胞でノーベル医学賞者が現れたならば、子どもや若者で囲まれて身動きできなくなる人気者であるべきだと思う。
なぜ、そのようにならないのか、日本では、科学ジャーナリストが少なく、マスコミが取り上げないからだ。理科系離れを言われるようになって久しい。マスコミ関係者に理科系の人間が少ないことも一因だと思う。しかし、今後も、日本が科学技術で生き残ってゆくには、技術者・科学者を育てることであり、同時に科学ジャーナリストも育て、活躍の場を増やすべきである。技術者や科学者をイチローのような人気者に、マスコミが仕立て上げなければいけないと思う。
新しい技術や科学の成果を紹介するだけでなく、それが人間や社会にどのような影響を与えるのかまで考察した記事を、科学ジャーナリストは書く必要がある。そのことを教えてくれたのが、科学ジャーナリスト・元村有希子著『気になる科学:調べて・悩んで・考える』である。
以下、『気になる科学:調べて・悩んで・考える』から引用である。
出生前診断を受けた夫婦のドキメンタリーを見た。
何度かの体外受精でようやく妊娠したところで、医師から出生前診断を受けるかどうかを提案された。相手は高齢、遺伝疾患など、何らかのリスクを抱える夫婦である。おなかで育つ赤ちゃんが健康か、心配する病気を持っていないかが、羊水を採って調べることでわかる。
あるカップルは、妻が遺伝疾患を持っていた。羊水を調べたら、赤ちゃんにも同じ病気が見つかった。どうするか。家族会議が開かれた。
『この病気を抱えて生きてゆくことの苦労は、あなたが一番知っている。それに、病気を抱えた孫の世話は、私たちには無理』と、夫の親が口火を切った。
『でも、ずーっと欲しいと思って頑張って授かった子だから』と夫。妻の母親が『あなたが決めればいいのだから』と助け舟を出すが、妻は一言も発しない。
のちのインタビューで、妻は『あの時、自分も赤ちゃんも一緒に死にたかった』と振り返った。彼女にとっては、自分と同じ病気を持った子どもを『あきらめろ』と言われることは、病気と共に生きてきた自分の人生が否定されることでもあった。
結局、この夫婦は子どもを生むことを選んだ。赤ちゃんはやがて母親と同じ病気を発症する。それでも授かったいのちを受け入れる決断をしたのだった。
出生前診断を受けた女性は『こんな技術、なければいい』と憤ってみせた。
『ただでさえ妊娠・出産は女性にとって大変な仕事。十ヶ月間、赤ちゃんだけのこと考えて過ごしたいのに、出生前診断という技術があるばかりに悩みが増える。診断を受けるか受けないか。結果を知りたいか知りたくないか。結果が良くなかったらどうするか。そんな余計な悩みや苦しみを、何の権利があって妊婦に強いるのですか』
その通りだと思う。技術がある、というだけで、時に『使わないのはおかしい』という心理的な抑圧になりうる。恩恵とリスクとを理解した上でその技術をあえて使わない知恵こそ、私たちがこれから身につけるべきものかもしれない。
二分脊椎という先天疾患を公表して活動している鈴木信行さんという人がいる。彼は自分が不妊であることや、出生前診断で選別される病気であることを踏まえてこう綴っている。
『先天疾患を持つ人間はこの世に不要であろうか? 生きる価値はないのだろうか? 価値を、その夫婦だけでなく親族や医療者などが集結しても見出せないとすれば、その個人や医療者の問題ではなく社会が貧弱であると、私は感じる』
日本は世界でも突出して自殺の多い国である。自殺者は1998年に3万人を超え、以来高止まりが続いている。16分に1人が、日本のどこかで自ら命を絶っているという現実。発展途上国では、生きたくても飢えや病気やテロで命を落とす人が大勢いる。比べものにならないほど豊かな日本で何故? という疑問がわいて来る。
皮肉なことだが、その豊かさが問題なのである。
ここでいう豊かさとは、心の豊かさではなくモノの豊かさである。物質的に豊かになれば幸せになると誰もが信じた時代は、日本では20年前に終わっている。モノが増えて便利になった反面、人は他人に無関心になり、自分のことばかり考えるようになり、心の通い合いやおせっかいが減った。途上国の人たちの命を奪うのは飢えや病気だが、先進国の人にとって最大級の敵は孤独である。
カネがあれば孤独が癒せる、と考える人もいるだろう。何年か前に『愛だってカネで買える』といったIT長者がいたけれど、憤飯ものである。カネで買える愛が本物ではないように、カネで退治できるほど、孤独はやわじゃない。
格差社会も問題だ。『皆が持っているのに、自分だけが持っていない』という思いは、更に人を孤独にする。実際、正規の仕事につけず年収が低いために結婚できない青年が増えているという。統計によると、自殺する人の七割が男性で、そのうち四割が四十代から六十代だ。男性の方が弱いというよりも、自殺者には働き盛りの管理職が多いということだ。自殺する人は何かしらの『うつ』の兆候がある。うつは環境の変化で起こりやすい。うれしいはずの昇進なのに、ちょっとしたことがきっかけでうつになることがある。うつは『心の風邪』と言われるが、かなりしつこくなかなか抜け出せない、厄介な風邪である。
『ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい』と書いたのは地球物理学者の寺田寅彦である。このことは、未経験の事態に直面した人なら得心が行くだろう。科学技術の分野では、素人の想像が及ばない未知の現象や先端技術に向き合う際、この心得がとりわけ重要だと思う。
寺田は、近代化した昭和初期の日本を『ひとつの高等な有機体』とたとえた。ウイルスは人体を乗り物代わりにして、交通機関で自在に移動できるから、まさに世界がひとつの人体のようなものと言える。そこに侵入する道のウイルスに対してできるのは、用心深く、冷静に向き合うことだ。難しいけれど、それに尽きる。
日本の便利さとテクノロジーが、日本人を変えようとしている。スペインの哲学者オルテガや約80年前に著した文明論『大衆の反逆』で、オルテガは1920年代の欧州で科学技術の急速な発展の中に生きる人々を批判的に見つめた。健康で文化的な生活を享受しながら、背後にある科学の原理のように難しいことには関心を払わず、考えてもわからないことには目をつぶって自分の世界に引きこもる。こんな振る舞いを彼は『文明と言う舞台にひょっこりと姿を現した野蛮人』と評した。
今の日本を彼は的確に表現しているように思う。戦後の驚異的な経済発展は、科学技術の進歩に負うところが大きい。ライフラインや医療など、私たちは科学技術の成果に全面的に依存して、それが無い生活を思い浮かべることもない。しかし人を幸せにしてきたはずの技術が、逆に人を追い立て、人間同士を遠ざけ、人を孤独にしていないか。
例えば留守番ロボットの技術は、独り暮らしの高齢者の安否確認にも使われる。病気などの非常時には誰かに連絡が行く。しかし、機械だから故障もある。そもそも異常が起きなければ誰も訪ねて来ない状態が幸せだろうか。科学技術は万能と思い込み、陰の部分を見ない私たちの生き方を、オルテガは「文明社会の野蛮人」と呼んだ。
科学技術の進歩は歓迎すべきだし、社会病理の責任を科学技術にだけ押し付けるつもりは無い。ただ、何もかも専門家に任せ、思考停止する恐ろしさは意識していたいと私は思う。
政治も経済も社会もますます複雑化し専門性が高まってゆく。だからこそ専門家に白紙委任するのは限界と警告したい。科学者、技術者、政治家、法曹人、企業家、これら多くの専門家は、専門を一歩出れば『文明の野蛮人』の一人と考えられる。専門家に任せて安心ではないことを、私たちは東日本大震災や原発事故を通して学んだ。たとえ彼らが善意で臨んでも想定外のことは起こりうる。
自分の人生まで白紙委任するほど、日本人の精神は麻痺しているのかと危機感を覚える。日本では、政権はリーダーシップを失い、優良企業は経営不振に苦しむ。不合理な理由で人が殺されている。既存の秩序が漂流し始めた今は『危機』だが、変革の好機でもある。『わからなさ』に辛抱強く向き合い、自分の頭で考え始めるきっかけと考えたい。
地球は巨大な磁石である。中心の『内核』は鉄とニッケルなどの金属の固まりで、その外側を、どろどろに溶けた金属が対流している。そこに電流が生まれる。これが地磁気の源だ。誰も見たことはないのに成分まで解っているというのも不思議なものだ。
出したアイデアに『そんなのできっこないよ』と後ろ向きな仲間に向かって『新しいモノを作ろうって話なんだ。最初は何だって仮説だろう』と言うのだ。夢の力に支えられた人は強い。
ヒッグス博士の説明によると、137億年前、ビッグバンで宇宙が誕生した直後、あらゆる素粒子は質量を持たず自由に飛び回っていた。ヒッグス粒子もその一つだったのだが、ある瞬間、宇宙が急激に冷え、『相転移』という現象が起きた。やかんの湯がしゅんしゅん沸いている温かい部屋に冷たい外気が入り込み、水蒸気(気体)が水(液体)に変わる。これは実社会の『相転移』である。
ともあれ生まれたての宇宙の相転移が起きたその瞬間、宇宙は『ヒッグス粒子の海』になっただという。
「ビーズクッション」の中に詰められた無数の小さなビーズ一つひとつがヒッグス粒子と考えよう。あのビーズの中に指を入れて、うにうにーと動かすとき、指は多少の抵抗を感じるだろう。博士は、その「動かしにくさ」を『質量』と定義したのである。
『背信の科学者たち(講談社ブルーバックス)』によれば、ダーウィンは他人の業績を無断で盗み、メンデルは自分の考えた理論に当てはまるよう実験結果を操作したとされる。20世紀以降の科学者とダーウィンやメンデルとの大きな違いは、『職業科学者』であることだ。ダーウィンはウェッジウット社の創業者一族に生まれ、生活のことを考えずに研究が出来た。いわば個人的な好奇心のみによって『進化論』を育んだ。当時の他の科学者たちも、大金持ちや家族というパトロンから金銭的な支援を得て研究が出来た。
職業科学者は1833年、『科学者:(Scientist)という言葉が提唱された時に誕生した。研究は趣味から仕事になったのである。パトロンハ国民であり、投資の見返りとして成果を論文で還元することが義務付けられた。『100回やったがわからなかった』という結果は論文にも業績にもならず、地位を危うくする。そこに、データをよく見せたり、ありもしない結果をでっち上げることへの誘惑が生まれる。邪悪な科学者がいるとすれば、それは個人の問題ではなく、現代社会のありようと切り離せないのである。
2012年のイグ・ノーベル賞では「スピーチジャマー」という装置を開発した日本人研究者二名が『音響学賞』(本物のノーベル賞にはこの賞は存在しない)を受賞した。
自分の声をわずかに遅らせて聞くと、脳が混乱してしゃべり続けられなくなるという不思議な人間の習性を活用して、空気を読まず延々としゃべる人を黙らせる機械である。
これは一家に一台、いや一組織に一台必要でしょう。これを開発した研究者は製品化は考えていないそうだが、製品化して、アスクルなどのオフィス機器販売網を使って売ったらヒットすると思う。
見返りを期待しない冒険心と遊び心。ノーベル賞もイグ・ノーベル賞も、こうした努力に対するご褒美という点では同類である。
数学者ジョン・フォン・ノイマンは、天才的な能力を多くの分野で発揮し、20世紀の科学の進歩に大きな貢献をした。
『生み出した物の使い道を決めるのに、科学者は適さない』という言葉を残して亡くなりました。私は科学者には、どのように使われるかまで注意を払って欲しいと思う。自分が生み出したものが社会にどのように取り入れられ、社会をどのように変えるかなんて予言者でない限りわからない。それが現実かもかもしれないが、当事者意識は持ち続けて欲しいと思う。
1989年3月13日、素粒子研究の拠点CERN(欧州原子核研機構)で、世界を変えることになる構想が生まれた。ティム・バーナージリー博士による、所内の情報を共有する為の提案書には、コンピューターの使用者がくもの巣(WEB)のようにつながり合う図が添えられていた。私たちが今、インターネットを渡り歩いて情報を集められるのは、この『ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)と呼ばれる方法のおかげである。
WWWは私たちの生活様式を劇的に変えた。ネットにつながる端末があれば、大量の情報がすぐに、ほとんど唯(無料)で手に入る。WWWはコミュニケーションを変え、人間関係の可能性を広げた。
さらに今、人間関係を根底から変えるかもしれない研究が進んでいる。『ブレーン・マシン・インターフェース』と呼ばれ、脳内の情報や意思をそのまま機械に表現する技術だ。
脳と脳とを結び、感情や思いを直接遣り取りすることを考える人もいる。
実現すれば画期的だが、人は長く言葉を介して人間関係をはぐくんできた。それを不要にする技術が世界をどのように変えるか、考え始めた方がいい。WWWだってたった20年で世界を変え、ネットの暴力やプライバシー侵害、さらには「なりすまし」によって誤認逮捕が多発する副作用で私たちを困らせてもいる。
ある女性官僚が言う。『独身理系男性、あれをほっておくのは国家的損失ですよ』。彼らが結婚すれば、理系DNAを引き継いだ賢い子どもが増えて少子化は改善し、科学技術立国ニッポンの将来も安心なのだという。そんなにうまくいくかは怪しいが、理系の潜在力に賭けて損はない。人間、磨けば光る。カギは『本気になるかどうか』である。
2013/11/24脱稿
元村有希子著『気になる科学:調べて、悩んで、考える』
毎日新聞社 2012/12/10 1500円
お薦め度 ★★★★ |