ShitamatiKARASU  私の歴史覚書帖   No.27



日本のお坊さんは仏教徒ですか(8)-私の仏教覚書帖- 
2017/06/19



日本のお坊さんは仏教徒ですか(8)

――私の仏教覚書帖――


2017/3/12〜2017/6/10 


   後書

 朝少し早く起床し、夕食後のくつろぎの時間を少し減らし、ほぼ毎日パソコンの前に座って、100字200字300字と書き続け、用事のない休日は多くの時間を、この手記の執筆に当てました。約100日掛って、やっとこのような形になりました。でも、思っていたほど、達成感がないことが、とても意外でした。それは勉強不足に尽きます。

 仏教に関する書籍ばかり読んでいたので、《井の中の蛙(かわず)》に陥ってしまったことが一因だろうと思います。世界史で第二次世界大戦をきちんと勉強しなければ、日本史の大東亜戦争を正確に理解できないのと同じです。

 ユダヤ教やキリスト教・イスラム教・儒教など他の宗教の知識があれば、客観的に仏教を捉えることが可能になり、もう少しまともな《覚書帖》になったかもしれません。付け焼刃の浅知恵だから、多くの僧侶が命を掛けて取り組んだ仏教の魅力が書けなかったことも、致し方ないことですが、情けなく残念です。

 仏教の流れ(歴史のようなもの)を簡単にまとめることしかできませんでした。自分で感じている勉強不足を克服しない限り、このままだらだらと書き続けても、出来上がりに大きな改善は期待できないと判断して、ここでペンを置きました。平成29年(2017年)還暦を少し超えた今の私には、これが精一杯のことです。歳を重ね、命の限りが見えたときになれば、宗教や仏教に対して、今とは違った思いを抱くであろうし、もっと真剣に取り組むかもしれません。そのときに、新しい『私の仏教覚書帖』が生まれるかもしれません。

 今回、この手記に取り組んだのは、日本が歩んできた道のり(歴史)や、築いてきた文化、育んできた文明、世界との関わりなどを、この年齢になれば当然知っていなければいけないことのひとつとしての仏教について、私はあまりにも知らな過ぎることに気付いたことが出発です。そのきっかけは、《序章》で触れたように、葬儀についての疑問です。

 学校の授業の日本史を通して、何名かの僧侶については、子供向けの『偉人伝』程度の知識は持っていましたが、仏教の中身、経典の内容について、私はまったくの無知であることを、今回、改めて気付かされました。それは今も変わりありません。

 仏教は広く深い世界であることを、今回知りました。利用している大阪府立図書館の仏教のコーナには、莫大な蔵書があります。釈迦牟尼さんに関するものから、仏教の歴史、各宗派の経典、僧侶の人物伝など、項目だけでも圧倒されます。それ等の書籍は手垢まみれで、多くの人々が熱心に読み込んだ証です。読んだのは僧侶だけでなく、一般の人々も多く含まれていることを思うと、仏教の関心の広さと深さに、驚きました。とても私には太刀打ちできない世界です。

 思春期から20歳前半の頃、人間は平気で嘘をつき、人を騙し、社会は矛盾だらけで、今後、私の神経は持たないのではないかと、真剣に悩んだことがありました。若い時期に誰でも一度や二度経験する麻疹(はしか)のようなものです。

 そのとき、お坊さんの社会は、一般社会よりは清い世界に思われ、ふと憧れを抱いたことがありました。歴史上の僧侶には共感できるところがありましたが、現実社会のお坊さんは、一般人とあまり変わらないように思え、今に至っています。
 
 半世紀近く以前、薬師寺の住職の高田好胤さんが、金堂の再建を目指した勧進の一つだと思いますが、一般向けに仏教の本を執筆されました。その作品『心』『道』『愛に始まる』の3冊を、高校時代に読みました。それが、私が仏教に触れた最初だと思います。読みやすく親しみやすい印象を持ちました。仏教と云うよりも、道徳のような印象を持ったことを覚えています。

 昭和天皇が崩御され、月刊誌『文芸春秋』に掲載した『昭和天皇独白録』を読み、強い衝撃を受けました。これがきっかけで、大東亜戦争に関する本を、むさぼるように読み始めました。その中の一冊、小林弘忠著『巣鴨プリズン:教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』中公新書1999年1月15日で、仏教に関心を持ち、僧侶は凄い仕事だと感心させられました。

 10数年前、どのようなきっかけか忘れましたが、私と同世代の玄侑宗久さんの著作を読みはじめ、仏教的思考に触れ興味を持ちました。それ以降、山折哲雄氏、梅原猛氏、小池龍之介氏などによる仏教関連の書籍が出版されると、ときどき手を取って親しむようになりました。

 上記の著者は、学術的なものだけでなく、一般向け書籍も多く、手に入りやすい新書版などで、さまざまな出版されるようになりました。それだけ需要があるからでしょう。人々は仏教や仏教の教えに、何かを求めている表れのひとつに違いありません。

 今回、この手記をまとめるにあたって、仏教に関する一般書を、自分としては、まとめて読みました。いろんな僧侶の生きざまを知り、仏教の遍歴とでもいうべき変化を知り、学問としての仏教に興味を感じました。しかし、修行して何かの宗派に身を投じて、僧侶になりたいとは、思いませんでした。煩悩を取り除くことが、私には窮屈に思えるので、仏教徒になる資質が自分にないようです。そして、正直なところ、今の私には、仏教が理解できないからです。

 私の理解が間違っているかもしれませんが、釈迦仏教から始まり、仏教が辿り着いたのは密教です。真言密教の究極の悟りを開く行(ぎょう)は、仏になる『即身成仏』です。この『即身成仏』が、私には理解出来ないのです。『補陀落渡海(ふだらくとかい)』も同様に、私の理解を超える行(ぎょう)です。このような行を許している仏教は、「生命」をどのように考えているのでしょうか。釈迦牟尼さんは、このような修行を「善し」しているとは、とても私には思えないのです。即身成仏や補陀落渡海が行われた事実が、私にはとても怖く感じます。

 在家の信者ですら守るべき基本的な『五戒』(「不殺生戒:殺さない」「不偸盗戒:盗まない」「不妄語戒:偽らない」「不邪婬戒:異性と交わらない」「不飲酒戒:酒を飲まない」)があります。『即身成仏』や『補陀落渡海』の行は、『五戒』の『不殺生戒』に当たらないのでしょうか。私には矛盾としか思えないこれらに、どのように整合性を説明されるのでしょうか。

 如来や菩薩の仏像を見ると、穏やかな気持ちになりますが、明王や天の仏像を見ると、心がざわつきます。曼荼羅は私にはちょっと不気味に思えるのです。仏教の真髄って、踏み込めない危険なにおいを、感じます。仏教アレルギーが私にはあるのでしょうか。

 それでも、一年に何度か墓を訪ね、時間を掛けて墓石の掃除し、お花を供え、線香を立て、般若心経を唱え、感謝とお礼と祈願を、これからも身体が動く限り、続けたいと思っています。このような私の姿を吾が子に見せていますが、強要する気持ちはありません。これから吾が子らの暮らす都市が、京都に近いとは限りませんし、子どもには子どもの考え方があるでしょうから、熟考して納得するようにやればよいと思っています。

 私が死んだなら、葬式はしても良いし、しなくても良いです。日本のお坊さんにとっては、葬式は仕事のひとつですが、仏教にとって葬式は無関係な儀式です。私は希望もこだわりもありませんので、通夜や葬式や戒名(法名)は、しても、しなくても負担になるものですから、残った人々にとって負担が少しでも少ないように、身内だけで納得行くように自由に決めてもらったらいいです。

 私が参っているお墓に、納骨して貰ってもいいし、一心寺のようなお寺に永代供養して貰ってもいいし、どこかの山や海に散骨して貰ってもいい。死んだ人間は、生きている人間を縛ってはいけないと私は思っています。何かの折に、ふと私のことを思い出してくれたら、それでいいのです。それで私は幸せです。

 私の死を知らせるのは、身内だけでいいです。私の死を知らされた人が、戸惑い困惑することがあっては、とても気の毒だからです。後日、もし私の死を知り連絡があったり、訪ねてきたりする人がいたならば、時間の許す範囲で、私を肴にして、笑って話してくれたらいいです。もし、その人たちと、仲の良い関係が生まれたら、これほど幸せなことはありません。こうして、人と人がつながってゆけば、釈迦牟尼さんも喜ばれるに違いありません。

 以下に、参考にさせてもらった書籍の一部を記しておきます。何度も読み返したものもあれば、興味深い項目だけ目を通したものもあります。僧侶の方や宗教家は、釈迦牟尼さんや経典に好意的な記述が多く、歴史家や評論家などは辛口な指摘もありました。しかし、皆さん釈迦牟尼さんに尊敬の念を感じました。

『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』佐々木閑著 (NHK出版新書) 2013/2
『「お坊さん」の日本史』松尾剛次著 生活人新書 2002/9/10
『超訳・ブッダの言葉』小池龍之介著 まめ工房 2011/2/20
『梅原猛の授業・仏教』梅原猛』著 朝日新聞社 2002/2/5
『仏教通史』大塚耕平著 大法輪閣 2015/10
『あなたの知らない仏教入門』正木晃著 春秋社 2014/7
『お坊さんが困る仏教の話』村井幸三著 新潮新書 2007/3/20
『お坊さんが隠すお寺の話』村井幸三著 新潮新書 2010/3/20
『はじめて知る仏教』白取春彦著 講談社α新書 2005/6/20
『日本仏教入門』末木文美士著 角川選書 2014/3/25
『日本仏教史』箕輪顕量著 春秋社 2015/6/30
『日本の仏教を築いた名僧たち』山折哲雄・大角修編著 角川選書 2012/7/25
『図説日本仏教の歴史・江戸時代編』圭村文雄編 佼成出版社 1996/11
『図説日本仏教の歴史・鎌倉時代編』高木豊編  佼成出版社 1996/10
『図説日本仏教の歴史・飛鳥奈良時代編』田村円澄編 佼成出版社 1996/9
『この国のかたち』司馬龍太郎著 文藝春秋社 1990/3
『日本の歴史 別巻5・年表・地図』児玉幸多編集 中央公論社 1962/9/14
『政経倫理辞典』数研出版 1986/2/1
『日本史辞典』数研出版 1967/2/1
『広辞苑・第3版』新村出編 岩浪書店 1990/1/8
その他
 


ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ