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人間社会が時間の経過とともに移り変わってきた過程の一つひとつの「事実」を積み重ねることで、全体像を把握することができます。しかし、国家、民族、宗教、時代、地域、立場などによって、さまざまな解釈が可能です。
「事実」は無数にあり、その莫大な「事実」の中から、選択した「事実」と「事実」を組み合わせで『歴史』を作り上げてゆき、それを『真実』として秩序とします。いつの時代でも、どこの国家、民族、宗教でも、そのようにして、『歴史』は、勝者によって作り上げた『物語』であり、そして、秩序として総ての人々に『統一した見解として縛る物語』なのです。だから『歴史』に異議を唱えることは、秩序を乱すことになり、『歴史』とは、そのような『政治的歴史』の一面があります。
しかし、私は政治家ではなく、力も影響力も制約も無い自由な人間です。
捉える視点によって様々な解釈が成立する『歴史』に、『事実』はあっても、『真実』は無いものかもしれません。、立場を超えた様々な『事実』を積み重ねることで『真実』に近づくことは可能だと思います。新しい資料の発見によって、日々塗り替えられる、いわば制約も縛りもない自由で開放的な『歴史』を、私個人が知った時点での私の感覚で、ちょっと独断的な解釈で自由で『開放的な歴史』を綴った覚書が、この《私の歴史覚書帖》です。 |
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