井上靖氏の短編小説に『天正10年元旦』という作品がある。新しい年を迎えた正月、自分の運命が大きく動く四名の武将・武田勝頼、織田信長、明智光秀、羽柴秀吉が、年頭に当たっての展望や心情を簡素に描いた創作である。
天正10年(1582年)という年は、大きく時代が変化した一年であった。3月『天目山の戦い』で信長が勝頼(37歳)を自害に追い込み、6月2日光秀が『本能寺の変』で主君信長(49歳)を殺害し、6月13日『山崎の合戦』において秀吉によって光秀(55歳)が命を絶った。天正10年は織田信長の天下が終わり、秀吉へと時代が大きく動いた一年であった。信長と同盟関係にあった徳川家康が江戸幕府を開くのは、その二十年後のことである。
今年・平成24年(2012年)が、天正10年のような、躍動的に大きく時代が変化する活力が、現在の日本国内にあるとは思えない。しかし、海外から加わる圧力に呑み込まれ、大きな変化を余儀なくされる場合が、ありうるかもしれない。勝頼のような人物は多数存在すると思われるが、信長や光秀のような人物は見当たらない。秀吉や家康のような人物は、どうだろうか。現在社会そのものが、良く言えば成熟して、悪く言えば老化をたどり、新しい力が芽生え育てる余裕も、新しい力を取り入れる寛容さも乏しいからだ。
例えばひとつの時代の終焉の幕が上がった嘉永6年(1853年)が、今年に通じているかもしれない。当時、老中首座(現在の総理大臣に当たる)だった阿部正弘(36歳)はアメリカの戦艦が江戸に向かっている情報をオランダを通して得ていたが、表立った動きは出来なかった。しかし、硬直した幕府のシステムに風穴を明け、身分にかかわらず人材投入の道筋を作った。これは幕府の権威を失墜させることに作用してしまった。6月ペルーが浦賀に来航し、開国に追い詰められ、幕府にとってはジリ貧になり、日本にとっては大きな転換期となった。それから多くの血が流れて、15年後に明治維新を迎えることになった。
転換期を飛躍の足がかりとするには、日本国民、企業、国家の土台がしっかりして基礎能力がなければいけない。例えば市場経済がきちんと機能するには、労働、土地、資源、資本など生産要素の質が高く、安定的でなければいけない。人間の質がしっかりしていることが、総ての前提となる。人間の質を握っているのは、家庭であり、地域であり、教育であり労働である。労働は、すなわち人材育成である。明治維新、終戦直後と、大きな転換期を飛躍へ活かせたのは、当時の日本人が質の高い人間であったからにほかならない。はたして現代の日本人の資質は、どうだろうか。
昨年(2011年)は、3月11日の東北大震災、夏から現在も続くEU経済危機、アラブの春で象徴される中東での民主化運動、原油の高騰、金価格の高騰と波乱の1年だった。超円高化による国内産業の海外移転・進出による空洞化、高齢化、優遇措置により若年層の困窮・就職の困難化、年金制度の事実上の破綻による社会制度の崩壊・負債の増加、消費税率の引き上げによる社会生活への負担増加と日本社会も難しい局面にあり、社会的・経済的な混乱・低迷はまだまだ続くと考えられ、今年が、どの様な展開となるのか?経済的な建て直しが図れるのか、全く分からない状況に違いない。
昨年末に、北朝鮮の金正日が亡くなり、今年は露国、中国、韓国、台湾でリーダが代わり、米国、日本でもリーダ交代の可能性があり、大きく世界が動く要素を秘めている。リーダたちの指導力によって変化をすることよりも、他の要因で変化を余儀なくされるのが、現実的だと私は思う。強靭なリーダシップは、独裁政権で無い限り、現在では難しい。例えば、ヨーロッパのユーロによる財政危機、経済危機の火種を、リーダたちによって一時的な回避は可能だろうが、根本的な解決は、世界がまとまって対処せぬ限り、不可能だろう。結局、くすぶったままいつまで先送りが出来るかというだけで、いつかどこかでほころび、そのほころび方によっては、世界に飛び火するに違いない。各国のリーダたちは、それを如何に払いのけるか程度が、腕の見せ所だ。もっと、乱暴な言い方をすれば、日本に多くの火の粉をかぶらせて、如何に自国の被害を軽度に抑えるかのシナリオが、水面下で行われているような想像が、夢想でないような気がする。
世界各国が多く抱えている矛盾や閉塞感の原因は、政治と経済システムの行き詰まりである。経験の蓄積と考察によって、いろんな知恵を出し、現状脱出が試みられるが、奇跡を起こるような特効薬は無い。歴史的にみれば、長期間の不満や不安から生まれるのが独裁で、大衆民主主義が独裁を生み出す。アレクサンドロス大王、鉄木真(チンギス汗)、ナポレオンやヒトラーのような強靭なリーダを大衆が求める気運が高まるが、たとえ強靭なリーダが誕生しても、長期間の持続は、インターネットによって同じ大衆で潰されるように思う。インターネットは、大衆を煽(あお)って破壊することには、とても安価で安易で有効な道具だが、逆に何かを育てることには不向きである。人類は、とても恐ろしい道具を持ったことになる。
近代主義とは、科学技術万能によって、人間が自然を制御し支配する欧州的な論理である。それに支えられ、生産を増大させ富を得て自由になるという戦後日本の価値観から、構造改革という過度の競争主義的な政策に踏み込み、グローバリズムと金融資本主義に突き進んだ結果、日本的経営や伝統的な経済社会システムが崩れ、個人主義的、競争至上主義的な観念が広がり、現在の日本に至ったことを、きちんと検証し反省し、戦後体制の見直しは避けられない。
平和憲法と日米安保と経済成長の追及で上手く行ってきたが、冷戦後、ソビエトとイデオロギーが崩壊し、新興国が台頭し、各国が利益追求に走り、まるで20世紀前半のような覇権を競う時代に逆行する可能性が強くなってきたように思う。国際的な力関係を決める経済力と軍事力が、幅を利かせる方向に、ゆるやかに世界は舵を切ったのでないか。
円高(実質はドル安、ユーロ安)と電力不足(原発事故以来、原子力発電の抑制)によって、昨年以降、利潤追求というよりも、利益確保のために生き残りを掛けて、数年前から加速的に海外に打って出る企業が後を絶たない。不透明で先が見えない時代になり、有事の可能性が、少しずつ現実感を帯びてきた今、無秩序に、国内から企業と技術が海外流出を許している日本は、危機感の無い暢気(のんき)な政府といわざるを得ない。ある種の無政府国家であり、国民は不幸と言わざるを得ない。
日本の目指す将来像を、政府が描き、国民に説明し説得し、きちんと実行してゆく。国家形成の基本のひとつは、富国強兵と殖産興業であることを再認識すべきだ。国を豊かにして、国を守ることである。幕臣・勝海舟は大量の船を海外から購入し、日本国を異国から守ろうとして、幕府は多大な借金を抱えたことが、幕府財政を圧迫し、徳川政権崩壊の一因となった。同じ幕臣の小栗上野介忠順は横須賀に製鉄所(後の造船所)を建設して、自国で艦船を作る一歩を築いた。この造船所が、日清日露戦争を勝利に導く要因のひとつである。
アメリカは世界をアメリカ化することが、自国の挫折につながってゆくことを、まだ気付いていない。露国や中国は自国のわがままが、いつまでも続くと勘違いしている。ヨーロッパは行き詰っており、多くの国々が長期間の展望を持てない状況にある。世界中に火種が充満している。
今年から数年間、世界中がきな臭い状態に陥っているように私は感じる。特に日本周辺は、環境の悪い地域であることを、強く認識すべきである。進むべき道が戦争であってはいけない。しかし、戦争に巻き込まれない為の準備は整えていなければならない。国力を上げるためにも、国内で武器製造の産業を立ち上げるべきだと思う。最新鋭の戦闘機等を購入することよりも、日本防衛に必要な能力を備えた武器(戦闘機や艦船など)を自国で作れば、さまざまな産業に需要が起こり、国内景気の活性剤になり、企業と国民に豊かさが戻ることにつながる。衣食足りて礼節を知る。東日本大震災で東北の人々が示した日本古来の美徳を基礎として、国民一人ひとりに、すこしでも豊かさを実感できる新しい日本的な価値観が形成し、強い国を再建しなければ、日本はますます駄目になってゆく。
戦国の名称・武田氏が滅亡して信長が虐殺されて、江戸幕府が誕生して日本が平和国家になるまで20年の時間が必要だった。ペルー・アメリカの暴力によって開国を迫られて明治維新を迎えて近代国家に生まれ変わるまで15年間の国内騒乱という乱暴な整理を持たなければいけなかった。倒幕(明治維新)直後も敗戦直後も、新しい時代の計画(設計図)を、ときの政府は持っていなかった。明治維新は西南戦争までの10年の時間を掛けて、新政府が自ら新しい国の設計図を作り、敗戦後はアメリカの設計図に沿って、6年後の1951年のサンフランシスコ講和条約で独立し、国家の形を作った。
20年、10年、6年という時間的余裕が、現在日本に残されているとは、とても思えない。戦争に巻き込まれない為に、世界を牽引する勢いを復興する為に、政治、経済、軍事がきちんと機能する為にも富国強兵・殖産興業に励むべきだと思う。
2012/1/9 脱稿 1/14改稿
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