気が付けば 笑っているのは テレビだけ
いつのことだったか忘れましたが、上記の川柳を、新聞か雑誌の投稿欄で出会いました。テレビは人を孤独から救う、人類が発明した大きな遺産の一つだと思っていました。しかし、日本では、いつの頃からか、テレビがつまらなくなったように感じます。つまらないというのは、テレビというハードではなく、テレビで放映する番組(つまりソフト)のことです。このまま、つまらない番組を放映してゆくならば、テレビ自身が孤独の象徴になりかねないような気がします。
同居している父(87歳)と母(83歳)は、年齢のこともありますが、午後8時過ぎは就寝します。そして、早起きして、というよりも、NHKラジオ番組『ラジオ深夜便』をの拝聴を楽しみにしているのです。父に言わせると、テレビよりラジオの方が、づーっと面白いと断言します。
学生時代、ラジオの深夜番組を親しんできた私には、ラジオに親しみがあり、ラジオは本音勝負のような気がします。派手さや情報量はテレビには適いませんが、ラジオには誤魔化しが効かない誠実な部分があるように思います。『ラジオ深夜便』を、私も何度か拝聴したことがあり、語り口がゆっくり穏やかで、パーソナリティーの人間性が滲み出て、ホッとさせられます。
徒歩で半時間の距離に大阪府立図書館があり、私は頻繁に足を運びます。書籍だけでなくAV資料も備えられ、音楽CDや映画やドキメンタリーのビデオテープやDVDの貸し出しもあり、私は父や母のために、昔放映された映像(映画やテレビ番組)を時々借ります。
先日、昭和41年(1966年)4月から翌年3月まで放送されたNHK連続テレビ小説『おはなはん』の総集編(全10巻:一巻約100分程度)を借りました。父も母も、自分たちが若かく忙しかった頃を思い出すと同時に、懐かしい番組を40数年ぶりに視聴し、とても喜んでくれました。
私にはまったく記憶が無い『おはなはん』を、今回初めて視聴して、とても面白く楽しめました。舞台装置も音楽も編集も画像も子役の演技も幼稚で、話の展開のテンポも遅いけれど、心に響いてくるものがありました。それは、ストーリの面白さがベースになっていますが、それよりも私が強く感じたことは、登場人物の言葉遣いやしぐさ、礼儀作法、服装など生活の隅々まで日本文化や伝統を守り育てる人々の生き様が、総ての基礎となっていることをきちんと描いていることの大切さに感動したのです。
最近のテレビドラマのつまらなさは、刺激性を追及するあまり、私たちが刺激に麻痺して、真実のもつ凄さが逆に伝わらず、総てが嘘っぽく感じてしまうからではないでしょうか。『おはなはん』に派手さが無く、スローテンポで事実をきちんと描く誠実さに、現在の私は新鮮な感動を覚えたのかもしれない。
事実を強調するために、少しずつ大袈裟(おおげさ)にしてゆくことで、嘘っぽく感じてしまうのは、ドラマだけではありません。テレビ報道の命とも思える、ニュースにおいても同じことだと思います。派手にすればするほど、見えなくなってしまうものがあります。単純化して分かりやすくすることで、事件の多面性やさまざまな要素を軽視せざるを得なくなっているのではないでしょうか。他社との競争において、少しでも視聴率を稼ぐための戦略かもしれないが、それが逆効果になっているような気がしてなりません。
政治問題を扱う番組において、少しでも視聴率を獲得するために、人気者の評論家、ジャーナリストや政治家を多数登場させることがあります。彼らの発言は、限られた時間の中で行われるために、相手の話を聞くことよりも、自己主張に終始する傾向が強く、討議や議論にならない場合が大半です。会話にならないトーク番組は、見るに耐えないものです。少ないゲストで、時間を掛けて、深く掘り下げ、広く議論する番組を、どうして作れないのでしょうか。
テレビがつまらなくなった要因の一つは、視聴率の高いヒット番組が現れると、それに似た番組が多数作られ、同じような番組ばかり増えることです。テレビチャンネルが増えたことにも原因があるのでしょうが、安価な制作費で作られたのではないかと感じる番組が多いことです。もうバラエティー番組は止めませんか。安易なクイズ番組も止めませんか。歴史を無視したような時代ドラマは廃止しませんか。番組制作に、独創性や冒険性が減ったように感じる。
比較的視聴率の圧力から配慮されているNHKが、視聴者におもねるような番組は制作するべきではないと思います。私が若い頃、歌手がNHKに出場するためには、歌謡テストがあったような話を聞いたことがありました。年末の紅白歌合戦に出場することは、歌手にとって、レコード大賞に匹敵するほどの名誉があったようです。私にとって、最近の紅白歌合戦がつまらなく感じるのは、年末を飾るNHKの誇りが感じられないことです。誇りを失った人間や組織が慕われる寿命は短いものです。
大阪橋下市長の、いわゆる『慰安婦』発言の報道について、各報道機関は、ほとんど例外なく、橋下氏をバッシングすることに終始したような印象を受けました。橋下氏の発言の真意をきちんと報道したテレビ番組は少なく、私の見る限り、番組として、橋下氏の発言を非難する主張が大半でした。橋下氏の発言の真意は、果たして100%間違っているのでしょうか。問題となる部分と、問題とならない部分の区別をせず、混同して非難することの方が、問題が遥かに大きい。今までの政治家が踏み込まなかった問題について、政党の共同代表の政治家として、橋下氏が問題提議した点について、冷静な評価をすべきでは無いでしょうか。それがテレビ報道の良識ある姿勢ではないでしょうか。
戦時における慰安婦問題について、歴史家をゲストに招いて、過去から現在まできちんと事実関係を報道する番組が、雑誌には出来て、テレビでは何故できないのでしょうか。いや、何故、そのような番組を放送しないのでしょうか。尖閣諸島をめぐり、2013年6月8日元官房長官N氏の発言、2013年6月26日元首相H氏の発言などが、どうして起こるのかを考えたとき、日本人としての誇りを失わず、正しい歴史を啓蒙する番組を作る必要性を強く感じます。
現実と事実を正確に放送する勇気が放送人に無い限り、テレビ番組は衰退してゆくように思います。テレビは電波の垂れ流しに甘んじてはいけないはずです。
2013/6/30 脱稿 |
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