玉音で残した山河塗り替えた
生き辛さ耐え難き耐え長寿社会
アクセルを踏み続ける諸行無常
自己流の正義にこだわりいがみ合う
人類に試されている蜘蛛の糸
スマホ切り絆の太さ炙りだす
キャッシュレス増殖させる自己破産
善人が回り回ってツケ払う
故郷を守る女の常夜灯
塩漬けの善意でまわる地域自治
同じ道景色が違うバックミラー
前世から一皮むけて旅に立つ
肉眼でぼやける月の福笑い
錯覚は自分を入れて見る鏡
空白を挟んで刻む断面図
熱湯も氷もやがてぬるい仲
ぬるま湯に周期変わらぬ振り子持つ
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後悔を善意に甘え懺悔する
賑やかなグラスの中で独りぼっち
私からあなたが抜けて秋になる
あなたから私を脱いで春にする
脱皮して乙女と鬼を使い分け
男には乙女がひとり棲んでいる
§§§§§§
想像も出来なかった世に生きている
沈黙に潰されず持つメトロノーム
志揺れ動く振り子を支える手
時間(とき)を置き見慣れた湯呑光出す
過ぎ去った若さの光超えられぬ
逆境で補助線ひとつパスが見え
突き離しボール拾いがキックパス
感覚が理屈を超えて蒸(ふ)かす味
引き際のバトンの行方明日の色
食堂に笑顔の増えた企業残る
§§§§§§
判ってて棄てられぬ意識苦しめる
慌ててるあなたにそっとぬるいお茶
流れゆく涙が嘘を塗り潰す
のめり込み遊び心を忘れゆく
未知探る夢中に潜む落とし穴
黒塗りに光を当てて蛇を出す
素人に本質衝かれ息を呑む
世渡りを物喜びで泳ぎきる
楽に慣れ本音の出番点滅す
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海鳴りの赤ちょうちんで待つ女
一人ずつ仮面を置いて旅に出る
哀しみを映す湖面に石を投げ
汽車の窓曇り拭(ぬぐ)って灯り追う
青き月思わぬ人がやってくる
名場面あの日の君はもういない
残照の今に伝える苔地蔵
賑やかに終わりを告げる狼煙上げ
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ウイルスは完成のない進化の芽
生命の優劣なく共存する
植物は早送りせず生きている
埋もれてる地球の記憶掘り起こす
長い旅届く光の贈り物
位置を変え太陽が塗る空の色
太陽光見えないものを見せた虹
媚らない雪の結晶美しい
風は吹く気圧を埋めて霧払う
世界地図女の化石が塗り替える
熱い茶も氷もやがてぬるい仲
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同じ色塗り続けてる箱の中
片隅のない丸になり消えてゆく
鎖切れ宇宙の底に何を塗る
ぬるま湯に棄ててきました青い空
塗るがいい赤から黒へこの街を
遊ばせる小さき者が明日の風
足跡の鎧脱がずに湯につかる
根底をすり替え飾るドライフラワー
空を塗る迷い続けた長い影
泡沫(うたかた)がそっと答えを出していた
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あの日からぬるま湯でした核の傘
騙されて非難を受けるお人よし
線引けぬぬるま湯のツケ腐れ縁
巧みだが琴線触れず消費する
マスクしてマスク求めて駆け回る
手洗いの効果実証インフルエンザ
隠すツケ学習出来ず拡散し
簡単に忘れてしまう忙しさ
数こなし記憶残らぬ早送り
道草を知らぬ進歩のショートカット
人憎み罪の探究せぬ報道
素人に好き勝手言わす結果論
星屑に地球と云うゴミ生まれ
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人生をゲームに変えたGAFA
向き図りコツコツよりも博打うち
巨大化に群がる蜂の蜜盗む
時が過ぎ離れてしまった組織愛
巨大化の隙間を埋める匠技
今までを点から線へ専門家
いい人は柳の下に集まらぬ
塗り重ねハーモニー成らず斉唱に
穴埋めを善意に頼る時代過ぎ
若き日の努力不足が圧(の)し掛かる
§§§§§§
流氷までかすみ盗られてまだ貢(みつ)ぐ
キャッシュレス フル増産の自己破産
散り際の悪い桜が税を喰う
国税を空虚議論で消費する
選挙前善意引き出し空手形
四年ごと国税使い就活し
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光の量時代出逢いで違う花
切り札も進化の波に呑み込まれ
黒塗りが剥がれ落ちても吾は吾
夢を棄て守りに入って守られず
いつからか奈落の淵の綱渡り
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青春の純粋メガネ外すとき
雪深し覚えていますか蔦温泉
書棚から若きあなたを少し知り
押し花を忍ばせ返す『草の花』
君抜けばイカ墨色の僕の春
友が居て群れずに生きる孤独感
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余生まで波紋を揺らす古カエル
耐えがたきを耐えて今老いに耐え
常夜灯片意地な愛慣れました
健康を支える妻の料理愛
君量る分銅の愛知らぬ僕
老いてなおことあるごとに意地を出す
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急斜面立ち止まらせる真の学
賑やかな光の影でそっと退く
サインまで集中力を問い続け
円満は想定外も視野に入れ
曖昧(あいまい)に白黒付けぬ知恵を持つ
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週に一度、購読紙に川柳の特集があり、毎回切り取りノートにストックしていた。2
0年近く以前のことである。サラリーマン川柳にも惹かれるものがあったが、購読紙
に掲載される川柳には、ユーモアと気品と暖かさがあり親しみを持った。二人の撰
者によって、選ばれる違いも楽しかった。当時、川柳は読むものであって、とても私
が手を出せるものではないと思っていた。
数年前、断捨離がブームになったとき、ビデオや音楽テープを始め、年賀状や
古いノートなど、思い切って多くのものを破棄した。その当時は、川柳を詠むことな
ど、生涯考えられなかったので、ストックしていた川柳の切り抜きも総て捨てた。
それから数年後、二年半ほど前になるが、何の前触れもなく、五七五を詠むよう
になった。詠むようになって、捨ててしまったノートが凄く惜しまれたが、尾を引くこ
となく、自分の中で、すっかり見切りをつけた。
図書館で俳句や川柳の入門書や個人句集を借り、時間があれば読むようになっ
た。教えられることが多く、日常生活の中で、風景が少し違って見えて来た。これ
は、私にとって収穫のひとつである。
俳句や川柳は新聞だけでなく、会報や小冊子、パンフレットなどに載っていること
が多く、丁寧にそれらを読む習慣がついた。テレビやラジオでも同様である。読む
楽しさは身に付いたが、私のようなものでさえ、作品を産み出すことは、日を追うご
とに、楽しさに悩みが同居するようになった。
私の場合、斬新さや革命的などとは無縁で、100%自己満足の域の中でのこと
で、他人を意識したことは無い。だから、苦しみなど、ありえないことなのだが、それ
でも、ゼロから壱を産み出すことに、苦しみを感じることが、最近増えてきた。
五七五、つまり娯秘稚語を詠むことは、自分自身との戦いである。詠んで何にな
るのか。何の意味があるのか、何の役に立つのか。詠む時間があれば、もっとする
べきことがあるだろう、という葛藤である。楽しみが苦しみになれば、意味を失うが、
その苦しみから逃げれば、自己嫌悪に陥るだけなので、乗り越えなければならぬ
試練だと考えている。創作とは自己との奮闘である。
私の詠みたい句を確立させるためにも、もっと柔軟な姿勢で、娯秘稚語を詠み続
けなければと思っている。新聞やラジオだけでなく、ネットの世界には、多くの俳句
川柳の受付コーナがあり、今年に入って私の投稿句が採用されるようになった。ち
ょっと嬉しく、励みになっている。
まだまだ先は長いが、突然、終焉を迎えることもある。何が起こるか、まったく予
測不可能な世の中なので、大化けするようなことが起こるかもしれない。明日が判
らないことに、段々麻痺して、一獲千金の夢に託したり、投げやりにならぬようにし
たいものだ。
所詮、私にとっては、五七五・娯秘稚語は17文字、喜怒哀楽の言葉遊びの世界
である。日々の息抜き、人生の潤滑油、ささやかな遊びを楽しめれば、それがシア
ワセというものである。娯秘稚語を詠むことで、私自身が何か響ければ、それで良
いのだと思う。
今回まとめた作品は、令和2年2月1日から2月29日までの一ヶ月間に詠んだ作
品から、自選したものである。何か一句でも、心に触れる作品があれば、これほど
嬉しいことはありません。
2020年(令和二年)3月7日
福井正敏 |