本と映画の森 (書籍編) No.33

更新日:2015/2/15 

大塚ひかり著 『愛とまぐあひの古事記』
2015/4/29



 はじめて古事記と出会ったのは、1981年だったから、もう34年以前になる。当時、梅原猛のファンだった知人から、集英社出版の『梅原猛著作集』が発売され、その第一回配本の『神々の流竄(るざん)』を熱心に勧められた。その本に現代語訳の古事記が収録されていたのである。
 当時、私の古事記の知識は、幼き頃、絵本で読んだ神話の世界から一歩も踏み出していなかった。高天原で伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)が日本を作ったこと、天照大御神(アマテラスオホミカニ)が天の岩屋にこもった話、因幡の白ウサギ、ヤマタノオロチ、仁徳天皇が高津の宮での話程度だった。古代の神々や天皇の知識が皆無に近い状態では、『神々の流竄(るざん)』の面白さを感じることなど無理な話だった。
 流竄とは、罪人を島流しにすることであるから、『神々の流竄(るざん)』とは神様を島流しにすることであり、私には『大胆な仮説』の域を超え、日本の神々や天皇に対する侮辱のように思えた。読み進むにつれて、梅原氏の筆力に引き込まれ、興味深い印象を受けたが、古事記や日本書紀の知識がない状態では、梅原氏の仮説の面白さを堪能することはできなかった。
 収録されていた梅原氏による現代語訳の古事記を読んで、神々や天皇の放蕩な男女関係に、神様は厳格な存在だと信じていた当時20代であった私は、強い衝撃を受けた。初詣で賽銭し、手を合わせ、自分を律することを誓っていた神々が、だらしない存在(と思えた)であったことにショックだった。
 還暦が近付いた数年前、日本人は、どのようなことを考えて、どのように生きてきたのか、そんなことに興味を覚え、現代語訳で日本の古典を読み始めた。中学高校時代の古文の副特本から、文庫本や単行本などで出版されている古典を何冊か読んだ。その中に、福永武彦訳の古事記や日本書紀が含まれていた。
 改めて『古事記』について説明すると、伝承によれば奈良時代・和同5年(712年)稗田阿礼が暗誦したものを太安万侶が文章化し、元明天皇に献上されたとされる歴史書である。日本誕生以前の神代から始まり、推古天皇(592年〜629年)の時代までを、さまざまな神話や伝説、多くの歌などを含みながら、紀伝体で記述されている。序文で天武天皇が『帝紀を撰録し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ。』と詔したと記載があるため、勅撰とも考えられる。
 学生時代、福永武彦氏の作品に熱中していた私は、今回の福永武彦訳の古事記や日本書紀を、歴史書としてではなく、一つの文学作品として読んだ。国や天皇によって編纂した公文書的な古事記に、神々や天皇の私生活を暴露した一面まで記述する日本人の陽気でおおらかさを強く感じた。
 神々や天皇が愛情や嫉妬を包み隠さず、喜怒哀楽の人間臭さにあふれて、遠い存在なのに親しみ深く描かれていることに好感を持った。若い頃は眉間にしわを寄せたが、今回は逆に神々や天皇に親しみさえ感じた。20代の頃とは、まったく違った印象だった。それだけ私が成長したのか、それとも感受性が衰えたのか解らないが、とても面白く読めた。
 併行して読んだ『日本書紀』は、舎人親王らの撰で、養老4年(720年・奈良時代)に完成し、古事記と同じ神代から始まり持統天皇(690年〜697年)を扱った日本最古の正史である。
 日本で編纂した歴史書である古事記にも日本書紀(こちらは正史である)にも、邪馬台国も卑弥呼の名前の記述がない。また、邪馬台国や卑弥呼を想像させるような国も人物も登場しないことを、どのように考えればいいのだろうか。国名や王女に『邪』や『卑』という漢字を、日本人が用いることは常識的に考え難い。現在検定を受けている小中高校の教科書に、邪馬台国や卑弥呼を記載することに、私は抵抗を感じる。
 由良弥生著『眠れないほど面白い《古事記》』王様文庫2013/1/20発行は、副題に『愛と野望、エロスが渦巻く壮大な物語』と添えてあるように、遊び心満載で興味深く古事記を紹介している。大人向けの楽しい読みものに仕上がっている。
 大塚ひかり著『愛とまぐあひの古事記』KKベストセラーズ2005/6/1に、私は驚かされることが溢れていた。大塚氏の古事記をはじめ源氏物語など古典全般の知識の量、尋常でない読み込みによる造詣の深さには、圧倒された。
 古典に対する堅苦しさは微塵も無く、常識的な生身の人間感覚で、包み隠さず呆気(あっけ)らかんに解説する文章は、まるで炉端で熱燗を傾けながら、夜長古事記の話を聞いているような錯覚におちいった。いつまでも、大塚さんの話を聞いていたいような、そのように仕上がっている作品だ。
 梅原猛氏や福永武彦氏の『古事記』を現代語訳で読んでいたから、由良弥生さん、大塚ひかりさんの古事記が面白く感じたのかもしれないが、逆に由良さん大塚さんの作品を読んでから、『古事記』を読み始めると、一般よりも一層広く理解できるかもしれない。
 福永武彦氏の『古事記』と梅原猛氏の『神々の流竄』をもう一度読み返してみたくなった。そのような気持ちにさせる由良弥生さんの『眠れないほど面白い《古事記》』、大塚ひかりさんの『愛とまぐあひの古事記』である。
2015/4/29 昭和の日に
梅原猛著『神々の流竄』集英社 1981年9月23日
福永武彦著『古事記』河出文庫 2003年8月20日
由良弥生著『眠れないほど面白い《古事記》』王様文庫2013年1月20日
大塚ひかり著『愛とまぐあひの古事記』KKベストセラーズ2005年6月1日
お薦め度 ★★★

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