寸考雑記(随想T) No.61


『八重の桜』と『半沢直樹』について
2013/09/01


  
 日曜日の夜のテレビドラマが面白い。前回(2013/6/30)『テレビがつまらない』を書いた舌の根も乾かぬ内に、テレビドラマが面白いと書くのは、ちょっと気が引けるが、毎週日曜の夜をワクワクしてドラマを見る自分に向き合って、正直な思いを書きたいと思う。

 楽しみにしているテレビドラマとは、午後8時からNHK大河ドラマ『八重の桜』と、午後9時からTBS系『半沢直樹』の二本である。

 『半沢直樹』は、高視聴率が話題になっていたので、興味本位で見かけたのがきっかけだ。始めて見たのは、たぶん第3話か第4話からだったと思う。内容は、一言で言えば、銀行を舞台にした復讐劇である。「やられたら、やり返す」という単純な物語で、主人公の半沢直樹がドラマの最後に、『倍返し』とか『十倍返し』というセリフで、「次回に続く」となる。

 やられ、やり返す事件の構図も単純明快で、昔の時代劇を現代の銀行・金融関連機関に置き換えているだけである。だけど面白く感じてしまうのは、半沢のやり返しが、正義感と度胸、そしてルールを遵守した知的方法を駆使したものであるからだ。社会や企業や人間関係でのストレスが、勧善懲悪の結末によって、スカッと解消する快感が、人気の秘密だと思う。

 世の中、そんなに上手く行かないが、ドラマだから自由に設定出来ると分かっていながら、自分には無理だと諦める気持ちのどこかに、「俺だって、ちょっと知恵と勇気と度胸があれば」と、励まされる感覚が自分を刺激してくる。それが私の心を打つのかもしれない。しかし、復讐劇は、する側もされる側も、傷つくものである。現実社会では解決以降の人間関係が、悪くなることがあっても良くなることはありえない場合が多い。その後の悪くなる人間関係を描かずスキッとした気分のまま終わるので、その快感は、いわば砂上の楼閣でしかないのである。

 しかし、たとえ一時でも、たとえドラマであっても、このすっきり感に、現代人は飢えているのだろう。これが現在の日本の世相の一面のように思う。

 一方、『八重の桜』は、視聴率が低迷しているそうだが、私には見応えがあり、考えさせられる良質のドラマだと高く評価したい。『八重の桜』を一言で言えば、敗者側から見た歴史であり、敗者の生きる道を探り提示するドラマである。

 幕末期、会津藩の砲術師範の家に生まれた山本八重の目を通して、藩軍備の洋式化を目指す兄の覚馬と、その友人の洋学者の川崎尚之助らの影響を受け、日本が変化してゆく中で、会津の辿ってゆく姿を描いてゆく。

 京都警護に会津藩主の松平容保が京都守護職に指命され、徳川将軍家への忠義を尽くす為に、幕末の騒乱に巻き込まれ、会津では八重は武器(鉄砲)を持って薩摩長州土佐と戦い、兄の覚馬は京都で、いわば外交的な活動に携わる。忠義と正義を貫く会津は、おのずと幕府を守る討幕派追討の立場になり、それが逆賊の汚名をかぶることになる。この『会津の悲劇』を会津で誠実に生きてきた人間の姿を、八重を通して丁寧にきちんと描いている。主人公をいわば外交官的な覚馬ではなく、薩摩長州土佐軍に向かって、実際に鉄砲を撃ちはなった八重にしたことが、私には、とても見応えのあるドラマにしていると感じた。会津若松城内で八重が男勝りの活躍したのは史実なのか、否かは知らないが、ドラマとしては許せる範囲だと、私は思う。

 敗者の悲劇を、勝者の立場から、同情や哀れみで描いたドラマには、何度か見た経験はあるが、敗者側にたった歴史を丁寧に描いたのは貴重であり、評価すべきである。敗者の立場に自分を置いたとき、今までの歴史観が逆転したような驚きを覚え、ショックを受ける。私たちが教えられてきた歴史は、勝者の明治政府側の歴史であって、敗者の歴史ではなかった。

 歴史上の事実なるものは無数にあり、何を切り捨て、何を選択し、選択された事実と事実を組み合わせ、『歴史』を作り上げてゆき、それを『真実』として秩序とするのである。このように歴史を作るのは、勝者であって、決して敗者ではない。『歴史』はいわば勝者によって、そのようにして作り上げた『物語』といえる。そして、秩序として総ての人々に統一した見解として縛る『物語』である。だから単なる『物語』ではなく、力の持った『物語』なのだ。

 その『物語』を確立させるために、明治維新は薩長土肥の下級武士たちが、暴力によって、徳川幕府の安定体制を破壊し、自らの上司である殿様さえも葬ったクーデターであった一面を、明治政府はフタをしてきたのである。敗者の口を封じる為に、会津藩士を北の果ての下北半島『斗南藩』に押し込め、明治維新を知る人々が亡くなり、静かに時間が経過してゆくことを、時の権力者はいつの世も望んでいるのである。

 大東亜戦争で日本は負けた。日独伊のファシズム国家を連合国が打ち負かした第二次世界大戦後、新しい世界秩序を、戦勝国が新しい『歴史』を作くることによって確立させた。

 第二次世界大戦を明治維新に置き換えて考えてみると、米英仏露中などの戦勝国が薩長土肥であり、日本は会津なのである。私たちが会津から見た明治維新を知らなかったように、戦勝国の人々は日本から見た歴史を知らないのである。そして、日本は1952年(昭和26年)9月サンフランシスコ講和条約に調印した。ポツダム宣言を受諾し、東京裁判を受け入れ、日本は独立を条件に、戦勝国が作ったこの『物語』を承認したのである。

 現在、当時を知る世界の人々の多くは亡くなり、第二次世界大戦を知らず、戦勝国が作った『歴史』を真実として教えられ、今日の繁栄の時代の価値観で世界の秩序が保たれ、我々は生きているのである。日本政府として、日本人の歴史観を声高に口にすれば、彼ら戦勝国が築き上げてきた戦後世界秩序に対する挑戦と、世界中の人々には映ることになる。だから『日本の歴史観』を、日本の政治家が口にすれば、好むと好まざるに関わらず、現在では『歴史問題』に発展せざるを得ないのである。さらに外交問題、政治問題に広がってゆく危険を含んでしまう。

 現在(平成25年9月1日)、『八重の桜』は戊辰戦争が終わり、八重は京都で新島襄の求婚を受けたところである。会津の敗者である八重が半沢直樹ならば、きっと新政府に対して二倍返し、十倍返しで復讐工作に走ることになるだろう。

 しかし、八重は違う。嘗(かつ)て会津の敵であった長州の木戸孝允、槇村正直や岩倉具視と親しくなっている兄の覚馬に、八重は強い反発心を持つが、銃や大砲の武器ではなく、教育をもって薩長土肥の作った政府に対して、敗者の新しい生きる道を考える。覚馬から耶蘇(キリスト教)の聖書の一節『汝の敵を愛せよ』に、八重は葛藤し意味を探る。学校造りという同じ夢を共有するアメリカ帰りでキリスト教学校設立に情熱を燃やす新島襄と出会う。やがて、新島は覚馬の協力を得て、八重と同志社英学校を実現することになる。

 半沢直樹より八重の方が、ずっーと大人である。勝者が作った土俵に上れば、敗者の道は復讐に勝つこと以外に報われることは無いように思う。やられたらやり返すのサイクルに落ち込めば、仏教で云う無限地獄に陥る。だから、新しい世界観、新しい価値観を持たなくては、敗者に開放の光は差さない。そこから、一歩ずつ地道な努力を積み重ねて、汚名返上、名誉回復の長い道程へ続くのだろう。

 現在150年の歳月が過ぎて、ドラマ『八重の桜』を通して、やっと会津側からみた『歴史』に少し光が当たり、日本国民が知るきっかけとなった。ここまで来る為には、会津の名誉回復に、歴史家や作家などの地道な努力があったからだ。明治維新をきちんと理解するには、切り捨てられた事実を掘り起こし、偏りの無い解釈を構築することを、これからも続けてゆかなければいけない。まだまだ多くの時間が必要だ。

 世界に日本をきちんと理解してもらうには、『歴史問題』に発展させずに、明らかな誤りには、その都度毅然と誤りを指摘し訂正を求めるべきであり、名誉回復し屈辱を晴らす必要がある。そのためには、日本政府ではなく日本国民(歴史家や作家たちだけでなく、ジャーナリストや商社マンなど)が、出来うる限り疑いの無い事実を多数拾い上げ、学問的検証に堪えうる歴史解釈を英語をはじめ多言語で綴り、その『歴史』を発表し、書き残し、積み重ね、世界中の人々に知らしめ納得させてゆくことだと思う。これは知識と知恵による長い時間の掛かる世界との戦いだと思う。

 『八重の桜』は、幕末明治を描きながら、現在の日本が抱える『歴史問題』を考えさせる一面があるドラマだと思う。大河ドラマの名に恥じない秀作にもかかわらず、視聴率が低迷していることに、現在の日本人と私自身の意識のずれを感じる。
 
 2013/9/1脱稿
 2013/9/5改稿